初日の午後に、案内された私室で、雫は目を覚ました。
二日目の本日も、お嫁さんとして気合いを入れようと決意を固める。階段を降りていき、濡れた布で顔を拭いてから、櫛で髪を梳かして、唇に紅をさした。それから鏡を見ながら髪を後ろでまとめれば、今日もいつも通りの格好になる。
……代わり映えはしない。
「朝ご飯、朝ご飯っ、と」
昨日の午後買い物に出かけたので、食材は豊富だ。一応献立を考えて購入したので、本日の朝ご飯は決めてある。手際よく白米を炊くところから開始して、時折壁際から覗き混んでくる女性の幽霊に愛想笑いをしながら、雫は朝食を作った。
「起こしに行った方がいいかなぁ」
朝食を作り終えた後、いつでも温かい状態で出せるようになり、もう二時間が経過している。もう午前十時を過ぎている。
「……」
このままでは、お昼になってしまう。
困った雫は小鬼に聞いてみることにした。
「青眞って、いつも何時に起きてるかご存じ?」
「……奴なら、毎晩朝方まで仕事をしてるから、大抵朝は遅ぇぞ」
桃色の小鬼は少し戸惑った顔をしたが、きちんと答えてくれた。そちらに笑顔で礼を言い、腕を組んで雫は唸る。家事は女性の仕事であるが、別段この国は、男尊女卑と言うわけではない。祝言を挙げるというのは、基本的には対等になると言うことなので、たたき起こして、今後規則正しい生活をさせる権利は、雫にもある。なにせ、家族だ。
だが、自分だったら、寝ていたい。その気持ちはよく分かる。
そう考えて唸っていると、欠伸をしながら青眞が起きてきた。シャツの上に和服を着ている。
「あ、雫。おはよう。いい匂いだね」
「朝食ですよ! おそようございます! 明日から起こしてもいい? 今、起こしに行こうか凄く悩んでたんだから」
「それは困るなぁ。俺の唯一と言っていい趣味がさ、睡眠なんだよね」
「だったら早めに仕事を切り上げて寝ればいいじゃない」
「ん? なんで仕事だって思うの?」
「そこの小鬼さんが教えてくれたわ」
「ああ……すぐに馴染めるところが、本当、よく視える――あやかし慣れしてる人って感じ。すごいなぁ」
青眞はそう言ってへらりと笑うと席についた。雫はその前に、少し手を加えてから、温かな料理を並べていく。それが終わると、青眞が手を合わせて、いただきますと述べる。今回は、雫も一緒に食べると決めていたので、正面の席についた。ずっと待っていたから雫は非常に空腹だ。
「ところで青眞?」
「なに?」
それまで皿を見ていた青眞が、箸をひじきの煮物に伸ばしながら顔を上げた。
「このお部屋、片付けないの? 隣の和室も」
昨日物があまりにも散乱していて驚愕した隣室から、書籍類はこちらの台所まではみだし、浸食している。
「うん。片付けないよ」
青眞は笑顔で言いきった。雫は目を据わらせる。
「片付けてもいいかしら?」
「あー、整頓してもらうのは構わないけど、整理されると困るかな。勝手に捨てたら、それこそ離縁だ」
「離縁、離縁って簡単に言わないで! 捨てなければいいのね?」
「うん」
「あんまりにも混沌としていて、私はここで過ごせる気がしないから、片付けさせて頂きます!」
それもまた嫁の仕事だと、雫は意気込んだ。
それからふと思い立って、青眞に続けて尋ねる。
「ところで、なんのお仕事をしているの?」
実は祝言の日時も直前に聞いたし、青眞の事は何一つ知らない状態での祝言だったのである。許婚がいることは知っていたから、急ではあったが雫は受け入れた形だ。
「ちょっとした文筆業だよ」
「文筆業? 新聞でも書いているの?」
「違う方向性」
「あ、昨日筆を持っていたし、書道?」
「それなら書道家と名乗るかなぁ」
青眞はへらへら笑いながら、そう答えてつつご飯を完食した。
「おかわりもらえる?」
「勿論いいですよ」
立ち上がり、雫はご飯をよそった。それを青眞の前に置く。それから己の席へと戻り、自分もまたひじきの煮物を食した。結局青眞は、それ以上の詳細を語らなかったので、きっと聞いても分からないことなのだろうと判断し、雫は食後、食器を洗った。