三ヵ月で学ぶ! 魔法学院のお受験対策と恋愛感情。


 こうして第二試験当日が訪れた。今回の課題は、『一気飲み』だった。私はすぐに、魔法空間に、浮遊魔術を駆使し、具現化魔法で出現させたコップで、目の前の水槽の水を掬って放り込むのだと気がついた。私より先に、やはり巨大な魔法空間に吸い込ませている受験者がいたけれど、私はぶっちぎりの二位で合格した。

「やったわ!! ありがとう! ロイドのおかげ!!」

 そして公園へと行き、立ち上がってこちらへやってきたロイドに、思わず抱きついた。
 慌てたように、飛びついた私を両腕で抱き留めたロイドは、顔を背けてぼそりと言った。

「あのな……愛する相手がいるのだろう? たとえ意味が無いとしても、異性に抱きつくのはどうかと思うぞ」
「え? どうして?」
「どうしてって……」
「あの人は怒ったりしないわ! それに私が好きな人に抱きついても、何も悪くないわ!」
「好き、か。メリッサ、そういう事をいうと、勘違いする者が出てくるから、慎め」

 そう言って私を離すと、ロイドは気を取り直したように微笑してから、私の頭を撫でた。

「よくやったな」
「ええ」

 誇らしくなって、私は笑顔で頷いた。


 ――最後の試験内容は、全くの不明である。
だから対策のしようがないのだが、私はふとした時にロイドの事を思い出してしまい、結局毎日公園へと出向いた。既に季節は冬にさしかかりつつある。

 ロイドもまた、ほぼ毎日顔を出してくれた。
 逆にたまに来ない日は、何かあったのかなと心配になってしまうほどだ。

「今日は来るかしら?」

 昨日は来なかったので、私はベンチに座り、ずっと入り口の方を見ていた。すると、いつも来る夕方の時間帯に、ロイドが姿を現した。

「ロイド!」
「今日も来ていたのか」

 ゆっくりと歩みよってきたロイドは、長いブーツを履いている。
 私も立ち上がって、ロイドへと駆け寄った。

「ねぇ? 今度、一緒に食事に行かない?」
「食事?」
「ええ。そ、その……もしかしたら、食事に関する試験問題が出るかもしれないし!」
「まぁ可能性は何事もあるがな……うーん。場所によるな」
「場所?」
「率直に言って用意が無い。お前、その身なりからして、貴族の令嬢だろう? 平民の服を着て誤魔化しているが」
「っく」

 非常に鋭い指摘に、私は呻いた。

「貴族のご令嬢をエスコートするような、そういった用意は俺には無い」
「別に、そんなのは、いいのよ! 私は街の露店で串焼きを食べるのも大好きなのよ!」
「本音か? そういう事なら連れて行ってもいいが」
「本音よ!」
「じゃあ、今から行くか?」
「えっ!? いいの!? 行きたい!」

 私は笑顔になり、目を輝かせた。すると微苦笑してから、不意にロイドが私の左手を取った。そして優しく握る。思わずドキリとした。

「行くぞ」

 こうして私達は、手を繋いで王都の街中へと向かった。寒いはずなのに、ロイドの手が温かいから、私は終始ポカポカした気分を味わっていた。

 ロイドが連れて行ってくれたのは、クリームスープの露店だった。
 カップを二つ受け取ったロイドは、一つを私に渡すと、初めて見る柔和な笑顔を浮かべた。いつもキリッとしていて、凛とした印象だから、私の胸がドクンドクンと煩くなる。

「口に合うといいんだが。俺はお気に入りなんだ」
「んっ……あ。すごく美味しいわ!」
「それは良かった」

 その場で少し飲んでから、私達は近くのベンチまで移動した。
 ホッとする味だなと考えていた時、私はコートの下の、ロイドのシャツがなにか汚れている事に気がついた。それからまじまじと見て、思わず息を呑んだ。

「ロイド!? そ、それ、血じゃ……? 怪我をしているの!?」

 思わず早口で尋ねると、ロイドが息を詰めてから、思いっきり顔を背けた。

「ちょっとな。でも、大した傷じゃない」
「シャツに滲んでるなんて、手当てをしていないの?」
「包帯を巻いている」
「それだけ!?」
「いや……縫合したし、魔法薬も塗ってある。ただ、少し開いたんだな。悪いな、嫌なものを見せてしまって」
「どうして謝るの!? それより、はやく治療をするべきよ!」
「メリッサは、優しいんだな」
「当然のことでしょう!?」

 焦りながら私は喋っているのに、苦笑するばかりで、ロイドは酷く悠長に思えた。
 その時ロイドが、スープを飲み干した。私はとっくに飲み干していた。

「じゃあ、そろそろ帰るか」
「ええ! すぐに治療をしてね!? 教会の医療院に行くのよ!?」
「学院には、治療術師が腐るほどいる。寮に戻る」
「そう……」
「送っていけなくて悪いな」
「いいの」
「――今日は、楽しかった。ではな」

 そう言うと、ロイドは帰って行った。ゆっくりと歩いて行く彼の背中を見ていたら、私の胸が切なくなった。


 ……その日から、数日ロイドは現れなかった。
 そして、最後の試験の日が来た。私は、試験会場の校庭で、たまに通る学生を見て、その中にロイドはいないだろうかとつい探してしまったが、いなかった。

 最後の試験内容は、走り幅跳びだった。
 何が選考基準だったのかはさっぱり不明だが、私は合格した。
 今回の合格者は、私を含めて十一名である。

 入学案内と入学式のお知らせを手に、私はまず公園へと向かった。すると。

「ロイド!!」

 そこにはロイドの姿があった。ハッとしたように立ち上がったロイドが、こちらへ早足でやってくる。

「怪我はもういいの!?」
「ああ、平気だ。それより、結果は!?」
「聞いて!! 受かったの!! 合格したわ! 合格したのよ!!」
「そうか!! 本当によかったな!!」

 ロイドがそう言って、私の両肩を叩いた。私はまた嬉しさが極まって、ロイドに抱きついた。すると、ロイドは今回は、おずおずと私の背中に腕を回した。その腕の中で、私はロイドを見上げる。そこには、とても優しい笑顔があった。

「おめでとう、メリッサ」

 その表情に、私の胸が、トクンと疼いた。一体私はどうしてしまったのだろうか。ロイドの顔に惹き付けられて、目が離せない。心臓が、どんどん煩くなっていく。ゆっくりと瞬きをしてみたが、ロイドの顔がさらに魅力的に見える結果となった。

「え、ええ。これであの人にも会えるわ」
「……そうか。そうだな」

 ロイドはそう言うと、今度はどこか苦しそうな顔をした。その切ない目をしているのに、口元だけは笑っている表情に、私の胸がわしづかみにされた。

「愛しているのだったな」
「ええ。最高に愛しているわ……ロイド? どうかしたの?」
「いいや」

 そう言ってロイドは私から腕を放すと、瞬きをしながら小さく笑った。

「俺はそろそろ行く」
「次は学院で会いましょう!」
「ああ……またな」

 こうして私は、ロイドと別れた。そして帰宅し、両親に入学許可証を見せた結果、呆然とした顔をされた。その後怒声が降ってきたが、私は知らんぷりをして入寮に備えて準備をしたのだった。



 入学式は、入学生のみで行われる。
 その後は在校生との交流会となった。学科は問わず、合同だ。
 私はキョロキョロと見回し――ついに、人の輪の中心にいる、あの人を見つけた。

「ルイスお兄様!!」

 思いっきり大きな声で名前を呼ぶと、その場がざわついた。人並みが割れたので、私が歩き出すと、悠然とした笑みを湛えたあの人……こと、私の一番上の兄上である、ルイスお兄様もまた、こちらへと歩みよってきた。

「やぁ、メリッサ」

 その場がさらにざわつく。

「え? メリッサ王女殿下?」
「嘘? 本物?」
「病弱だって噂じゃ……?」
「あの、誰も見た事がない……?」

 それらの声を無視して、私はお兄様に抱きついた。私を受け止めたお兄様の、長い金髪が揺れる。

 なお、別に私は病弱ではない。それはただのデマだ。私が勝手に王宮を抜け出してお茶会をすっぽかすので、王妃である母上が、ただひたすらに『娘は病弱ですの』と繰り返した結果である。私は、公務が大嫌いだ。

「昨日、父上と母上から手紙が来て、とても驚いたよ」

 全く驚いた様子のない優しい声音で、お兄様が私をにこやかに見ている。
 最高に大好きなお兄様だ。
 私は、早くお兄様に、好きな人が出来たと報告したくてたまらない。
 私は、ロイドに恋をしてしまったらしいのだから。

 そうだ、ロイドだって学院の学生なのだから、この場にいるはずだ! そう気づいた私は、お兄様に抱きついたままで、周囲を見渡した。すると、廊下の柱のところに立っているロイドを見つけた。唖然としたように目を見開いて、こちらを見ていたから、すぐに目が合った。すると――すいっと逸らされた。その反応に、思わず私はパチパチと瞬きをしてしまった。ロイドが別の方向を見ていると、そこに青緑色のローブを纏った学院の先生らしき人が歩みより、何事か声をかけていた。ロイドは小さく頷き、歩いて出て行ってしまった。交流会には、全員出席だと聞いていたのだけれど、先生に呼ばれたのだから、抜けてもいいのかもしれない。

「メリッサ? どうかしたのかい?」
「あ……その……な、なんでもないわ」

 私は作り笑いで首を振った。
 考えてみると、ロイドは度々公園に来てくれたのだけれど、本来この学院は全寮制だ、もし秘密で抜け出していたのならば、お兄様に伝え方を間違えたら、ロイドに迷惑をかけてしまうかもしれない。少なくとも、二人きりの場所で話をするべきだと私は考えた。


 こうして私のルードフェルド魔法学院での生活が始まった。希望通り研究科に入学できた私は、魔法理論の勉強をしている。本当は両親は、私には王族としての礼儀作法を学ぶ王立女学院に進学し、早く結婚をして欲しいと言っていたのだが、私はそれが嫌だった。幼い頃から厳しく礼儀をたたき込まれた私は、これ以上学ぶものは特にないと思ったし、なにより新しい学びを――……というのはそれこそ建前で、単純にあの人に会いたかったのである。何故、『あの人』と呼んでいるかと言えば、ルイスお兄様と呼ぶと、即座に私が王女だと露見してしまうので、バレないように、『あの人』『あの人』と呼んでいたら、それが定着してしまった結果だ。

 何故そんなに会いたかったかと言えば、勿論愛しているからだ。家族として。
 四年間も会えないだなんて、私は耐えられなかったのである。

 ルイスお兄様は、本日も温室にいる。

『この温室はね、私に気を遣って、誰も立ち入らないんだ。私だけの場所に等しい。でもね、メリッサならば、いつでも歓迎するよ』

 そう言って、お兄様は柔らかく笑った。
 だからその日以来、私は放課後になると、堂々と温室に入っている。

「ルイスお兄様!」
「やぁ、よくきたね。今日もメリッサは愛らしいな」
「うん」

 私も私は愛らしいと思っている。
 麗しいお兄様の妹なのだから、当然の帰結だ。
 それはそうと、私は聞きたいことがあった。

「ところでお兄様」
「なんだい?」
「その……た、例えばのお話よ? ルードフェルド魔法学院は全寮制だけれど、外に出て戻ってくる方法はあるのかしら?」

 私はロイドの事を念頭に尋ねた。するとルイスお兄様の瞳に鋭い光が宿った。それでも口元にだけは笑みを湛えている。

「ここは王宮とは違って、結界魔法がかけられているから、決して外には出る事ができないよ。王宮のように、抜け出して王都に行くようなことはできない」
「絶対に誰も出来ない?」
「ああ、不可能だ。だから、抜け出そうなどとは思わないようにね」

 お兄様は私が抜け出そうとしていると思ったようだが、そんなつもりはない。
 けれど、いよいよ疑問に思った。交流会の時に、ロイドを見たし、彼はいつも制服姿だったのだから、この学院の学生なのは間違いがない。けれど毎日のように、公園で私に勉強を教えてくれた。

「本当に、本当に、絶対に、絶対に不可能?」
「どうしたんだい?」
「そ、その……前に、学院の制服を着ている人を、公園で見かけたことがあったの」

 私が言葉を選びながら伝えると、お兄様が瞳を揺らし、それから宙を見上げた。

「そうだな――この学院の騎士科の学生であれば、既に騎士団に所属していたり、内定している者も多くいるから、特別に通行証を所持している事はあるよ。彼らは実に優秀で、頭脳も技量もずば抜けている。卓越したセンスと攻撃力あるいは治癒術を行使出来る者達だ。将来、この国を守ってくれる、いいや、今も守ってくれている優秀な人材だよ」

 そういえば、ロイドは膨大な魔力を持っているようだった。それに騎士科だったはずだ。ならば、ロイドも通行証を持っていたのだろうか……そうとしか、考えられない。そこでふと、ロイドが怪我をしていた日があったと思いだした。

「ね、ねぇ? その騎士達は、危険なこともするの? 怪我をしたりする?」
「ああ、そうだね。この国は魔獣災害が多い。その討伐は危険な任務であり、死と隣り合わせだ。あまり学生がそういった死線に出るとは聞かないけれど、例がないわけではないよ」
「そうなの……」

 ロイドの事を想って、私は不安に駆られた。

「どうしたんだい? メリッサ。愛らしい顔が曇っているよ」
「……なんでもないわ」
「お兄様に、なんでも話してくれるのではなかったのかな?」
「今、どうお話したらいいか、まとめているの。頭の中で」
「そのまま、ありのままに話してくれればそれでいいんだよ」

 まるで試験問題の羊皮紙のようだと、一瞬だけ考えた。だが、お兄様には別に、模範解答を告げる必要はない。考えてみると、あの試験の時には既に、私はロイドを大切だと思っていたのだったっけ。

「お兄様は、恋をした事がある?」
「うん? 私は許婚のマリスを愛しているよ?」
「そうね。マリス様がお義姉(ねえ)様になる日が待ち遠しいわ」
「そういう質問をするということは、メリッサは恋をしているのかな?」
「そうみたいなの。その人のことを考えると、胸がドキドキと煩いんだもの」

 私がきゅっと胸元のリボンを握ると、ゆっくりとお兄様が頷いた。

「どんな相手だい?」
「優しい人なの」
「名前を聞いてもいいかな?」
「ロイドというの!」
「――制服姿で外に出ていた学院生のロイド、という認識でいいのかな?」
「お、お兄様は鋭いわね……」

 思わず私が笑みを引きつらせると、それまで花に手を伸ばしていたお兄様が、顎に手を添えた。そして柔和な笑みから一転し、考え込む表情に変わった。

「黒い短髪で、緑の目かな?」
「ええ。もしかしてご存じなの?」
「ああ、知っているとも。彼は既に騎士団に所属している優秀な人材その人だ。内々にだが、平時は私の護衛も兼ねてくれている」
「えっ」

 驚いて私は息を呑んだ。

「確かに彼は、日常的に騎士団の任務についているから、外出しているようだな。しかしロイド・ファーベルとはな……そうか、ロイドか」
「ロイドが好きではダメ?」

 不安になって、私は尋ねた。お兄様にダメだと言われたら、お兄様とは喧嘩するしかない。するとお顔を上げたお兄様は、苦笑して首を振った。

「いいや、ダメという事はないよ。彼は優秀だと言っただろう?」
「じゃあどうしてお兄様は、難しい顔をしていたの?」
「――いやねぇ、彼は非常に危険な任務に就いていると聞いていてね。メリッサが心を痛める日もあるのでは無いかと心配になっただけさ」
「っ」
「彼のことが知りたいかい?」
「ええ」

 私が頷くと、お兄様が微笑した。

「ならば、本人に聞くといい。応援しているよ」




 ――あれは、雨上がりで、紫陽花の葉が濡れ、夏の匂いがする風が柔らかく拭いていた。

「ニャァ」

 歩いていたら聞こえてきた、小さな小さな仔猫の声に、俺は何気なく視線を向けた。
 そこには母猫と、白い仔猫が三匹いた。目が開いたばかりの様子で、必死に乳を飲んでいる。ぼんやりとそれを俺は立ち止まり見ていた。母猫は痩せ細っている。

「……」

 一時の慈悲などかけたところで、動物はおろか人間でさえ、この国ではすぐに死ぬ。
 それだけ魔獣の災禍は酷く、同時に爵位や階級による差別も根強い。
 尤も、俺の生まれたファーベル男爵家のような貧乏貴族よりは、豪商の平民の方が、ずっと地位や権力も上だが。制服のポケットに手を入れて、俺は昼食にしようと騎士団の待機室から貰ってきた栄養補給用の固形食を取り出した。ササミ味で、お世辞にも美味しいとは言えないが、これ一本で一日分のカロリーが補給できる。俺はそれを二つに割って、片方を砕き、母猫の側にそっと置いて立ち去った。

 歩きながら、王都の街並みを見る。とても綺麗だ。だが、貴族の王都邸宅(シティハウス)にも位置に決まりがあり、序列に従い悪い立地があてがわれる。その端の端に、領地を持たない、つまり王都にしか家のない、ファーベル男爵家は立っている。

 本日は実家から呼び出されていたので、特例で立ち寄る許可を得ていた。

「帰ったか……」

 疲れきった顔をしているのは、若くして男爵位を継いだ兄だ。
騎士だった俺達の両親は、魔獣討伐の最中に命を落とした。以後、俺は兄と弟と三人で暮らしてきた。三つ年上の兄は、両親が没した十五の歳に男爵となり、現在二十歳。弟は四つ年下で、現在十三歳。俺は食費と生活費がかからないからという理由で、十五の歳にルードフェルド魔法学院の試験を受けた。

 あとは、必死だった。
 なんとしてでも、職にありつかなければ、死ぬ。両親の遺産は少なく、その少ない財産も、嬉々として親戚連中が、兄を唆して奪っていった。幼かった俺はなにもできなかったし、兄もまた幼かった。弟は論外だ。

 日々の食費にも困っている家族を思いながら、俺はひたすら技能を学び、騎士団の臨時の求人に応募した。実技と紙の成績で上位だった俺は、歓迎され、すぐに正式に騎士団に所属する事となった。嬉しかった。兄に仕送りが出来るからだ。これで弟も、きちんとパンを食べられるはずだと喜んだ。

 次第に、騎士としての任務は苛烈を極めていく。
 そんなある日、俺は騎士団宿舎で、控え室に入ろうとして聞こえてくる会話を耳にした。何気なく立ち止まったのは、自分の名前が出たからだ。

「いやぁ、ロイドは最高だな」
「そうだな。完璧な捨て駒が手に入ったな。いつ死んでもいい人間で、あれほど実力がある奴は、中々いない」
「そうだなぁ。貧乏男爵家というか、貴族だなんて名ばかりだ。今じゃ、平民は差別だなんだと煩いからな。お貴族様が率先して死ねば、納得して喜ぶ始末だ」
「やばい敵もガンガン倒してくれるし、ロイドは本当に戦うために生まれてきた感じだな。葬儀の用意はしておかないとならないが」
「銅貨一枚じゃ、さすがに多いか?」

 そんな事を言い合って、控え室の人々は笑っていた。
 さっと体が冷たくなった。別に、認められたいと思っていたわけではない。ただ、無性に納得していた。どんどん激戦地に送られる理由が分かった。自分と同じように騎士団に所属していたり、内定をもらい臨時で働いていても、爵位が高い者はせいぜい雑用であり、最前線に出て大けがを負ったりはしていないからだ。

 ――いつ死んでもいい、捨て駒。

 それは、確かに自分を正確に表す言葉だなと、妙に納得した記憶がある。

「ロイド、見合いをして欲しいんだ」

 兄の言葉で、俺は我に返った。

「見合い?」
「ああ。相手は、その……悪いな、平民だ」
「いや、構わないが。どんな相手だ?」
「……爵位を欲している富豪だ。騎士は、ほら……一代限りの爵位を与えられるだろう?」
「ああ、まぁ……そうだな」

 実際そういう王国法が存在し、騎士は、騎士団に所属した段階で、その者限りの爵位を得る。それが何代か続くと、陞爵される。ファーベル男爵家も、曾祖父の代に、騎士を輩出してきた家柄だとして、男爵位を賜った。

「その地位と、あとは貴族との繋がりが欲しいそうだ。それで、お前にと話が来た。すまない……その……」

 兄の申し訳なさそうな声と、頭を下げる姿に、首を振りながら俺は笑って見せた。

「いや、いい。そうか、富豪か。ならば、美味しい食事も食べ放題だろうな。楽しみだ。必ず、話はまとめる」
「……ありがとう、ロイド」
「気にしないでくれ」

 そう告げて、俺は帰寮する事にした。
 見合いといった人生における重要な話し合いがある場合は、外部から学院の敷地内の離れに、人を招くことは許される。見合いはそこで行われるのだろうと、俺は漠然と思った。



 以後、騎士団の任務の帰りに、俺は気まぐれにその公園に立ち寄るようになった。
 白い猫の姿がちらつくからだ。
 そして見つける度に、まだ生きていたのかと、気づくと安堵するように変わっていた。

 夏には、大規模な討伐があり、泊まり込みの日々が続いた。
 背中に激しい裂傷を負った俺は、夏の終わりに、暫く休養するようにと命じられた。少し、不思議だった。どこかで、死ぬまで戦わせられると思っていたから、休めと言われても、逆にどうしていいのか分からなくなった。

 ふと思い出したのは、猫のことだった。逆に、それ以外何も思い出さなかった。

 ぼんやりと、騎士の装束から、久方ぶりに学院の制服へと着替えて、俺は公園へと向かった。すると、少し大きくなった白い猫の姿があった。茂みの中に仔猫が三匹、親猫がちょうど出てきたところだった。それを見ていたら無性に安堵してしまい、俺は気づくと笑っていた。少し休んでいこうかと考えて、四阿のベンチに腰を下ろす。

「……まさかテストまで欠席することになるとはな」

 呟いて俺は、騎士団に届いていた試験問題を、鞄から取り出して、テーブルの上に載せた。なにげなく解いてみれば、いずれも簡単すぎて苦笑した。まじまじとそれを見ていると、人の気配がした。こちらへ走り寄ってくる気配だが、不審者ではなさそうだった。迂闊に取り押さえるわけにもいかないと判断し、何気ない素振りで顔を上げて見せた時だった。

「もしかしてルードフェルド魔法学院の学生なの!?」

 唐突に声をかけてきたのは、銀色の巻き毛をした、白磁の肌の少女だった。愛くるしい瞳の色はサファイアのように濃い青だ。桃色の唇をわずかに開けている。少し年下だろうかと考えながら、身なりを一瞥した。タグ付きの服を着ている。まだ買ったばかりなのは明らかだ。靴も真新しい。どれもそこそこ裕福な平民が好む品だ。いかにも貴族のご令嬢が変装しましたと言った出で立ちとしか評しがたい。

「だったらなんだ?」
「お話を聞きたいと思いまして」
「どんな?」
「ええと、学院の中はどのような感じですの?」
「普通の魔法煉瓦で出来ている。では」

 俺はそう言って立ち上がり、その場を立ち去った。「あっ、待っ――」という声が聞こえたようにも思ったが、知らんぷりを決め込んだ。

 さて――俺の休暇は、名ばかりで、すぐにまた呼び出された。

「悪いな、ロイド。どうしてもお前の力が必要なんだ」

 頭を下げた騎士団長を見て、この人もまた俺に対して死ねと思っているのだろうかと考えながら、俺は無表情で首を振った。

「任務ですので」

 そうしてこの日も、俺は魔獣を屠った。
 すると帰り際に、騎士団長に呼び止められた。

「怪我の方は本当に大丈夫なのか?」
「はい」
「そうか。それはよかった。ところで、王太子殿下の護衛の件なのだが、様子はどうだ?」
「俺が学内にいておそばにいる場合は、特に問題は生じておりません」

 俺はそう答えた。
 ちなみに俺は、ルイス王太子殿下の靴箱に二種類の空間魔法をかけている。一つは、嫌がらせで生ゴミや生卵が投げ入れられた際に、勝手に消滅させる魔法だ。王族をやっかむ者は多い。もう一つの魔法は、手紙の検知・分類をするものだ。内容物にカミソリやカッターの刃といったものが入っていた場合、自動的に消滅させる。これは上履き自体に画鋲などが入れられた時にも効果を発する。結果として、ルイス殿下の視界に入るのは、恋文のみとなっている。同様の魔法は、殿下の机や棚にもかけている。ちなみに俺が護衛に加わるまでは、騎士団所属の先輩達は手作業で処理していたのだという。

 さて、この日も俺は、ふらりと公園を通りかかった。
 すると、先日声をかけてきた少女が唸っていた。その様子に、首を捻りつつ、僅かな好奇心から俺は歩みよる。ノートを開いている彼女は、そこにデカデカと『合格するぞ!』『ルードフェルド魔法学院に行くぞ!』と、書いていた。そこで俺は納得し、一度自分の制服を見てから、改めて彼女を見て声をかけた。

「ルードフェルド魔法学院を受験するのか?」

 ただ、正直驚いていた。貴族のご令嬢は、一般的に、王立女学院へと進学するからだ。

「!」

 彼女は顔を上げて息を呑むと、満面の笑みで大きく頷いた。

「そうなのよ。私はメリッサ。貴方は?」
「ロイドだ。受かるといいな」

 まぁ無理だろうと思いながら、俺は踵を返した。
 それから三度目は再びたまたま、四度目はもしかしたらいるかもしれないなと、そして五回目はきっといると考えて、俺は公園へと、任務の帰りに立ち寄った。メリッサの姿を見て、やっぱりいたかと考えて、努力している彼女を眺めるようになった。

 本気だと理解し、その内に、気づいたら俺は応援していた。

「頑張らなきゃ。あの人に会うために!」

 いつも彼女は、口癖のようにそう言っていた。愛していると繰り返す、『あの人』とは、一体誰なのだろうか。その気になれば、彼女の身元を探って特定し、関係者を学内で見つけ出すことも、俺には不可能ではない。騎士団では魔獣の討伐だけを学ぶわけではないからだ。要人警護や情報収集、様々な事を既に俺は学んでいる。だが、不思議とそうしようという気にはならなかった。自分を先生と慕う彼女を見ていると、俺の事を何も知らないメリッサを見ていると、不思議と心が安まったから、今の状態を壊したくなかった。彼女の身分を知ったならば、恐らく相応の態度を取らなければならなくなる。伯爵家か、いいや、侯爵家か。不敬だとして、糾弾されかねない。そうであるのだから、本来ならばこの場に足を運ばなければいいはずなのに、気づけば彼女に会いたくなっていた。

 頑張る姿も、自分に向けられる笑顔も、眩しくてたまらなかった。
 ――あの人が、羨ましいな、と。
 時折は俺は、そんな風に感じるようになった。

 だが俺の道は決まっている。富豪の平民と結婚する。それが家族のためだ。
 けれど……万が一、彼女が手の届く存在だったならば?
 ある日、スープを二人で飲んでいた時、美味しいと言ってくれた彼女を見て、俺はそんな風に考えた。

 しかしながら、現実とはいつだって残酷だ。
 入学式のその日、俺は交流会の場で、果たしてメリッサは無事にあの人と再会できたのだろうかと、彼女の姿を視線で探していた。同時に、多くの学生に囲まれている王太子殿下の護衛もしていた。その時だ。

「ルイスお兄様!」

 もう聞き慣れてしまった、かろやかな声が響き渡った。
 俺は驚愕し、ルイス殿下に駆け寄るメリッサを見た。
 メリッサ……そこでハッとした。王女殿下の名前もまた、メリッサだ。背筋が冷えきった。不敬どころではない。本当に不敬罪を適用されかねない。直後目が合った時、俺は視線を逸らした。けれどそれは、処罰が怖かったからではない。メリッサが、絶対的に手の届かない相手だと知り、心が砕け散っていて、辛かったからである。

「ロイド、騎士団から連絡が。すぐに来て欲しいそうだよ」

 そこへ教員が伝言をもってきたので、それを幸いにと、俺は学院を後にした。



 ――ルイス殿下から呼び出されたのは、入学式から一ヵ月ほどが経過しての事だった。
 花が咲き誇る温室には、ルイス殿下の招きが無ければ、決して入る事が許されない。

 ああ、きたか。
 それが最初に抱いた、率直な感想だった。
 中に入ると、長い金髪を綺麗に垂らした美の権化のようなルイス殿下が座っていた。

「ごきげんよう、ロイド。どうぞ、座ってくれ」
「恐れながら、それは出来ません。王太子殿下」
「今日は、王太子としてではなく、メリッサの兄として君に話があるんだけれどね?」

 優雅な仕草で紅茶を淹れながら笑みを湛えている殿下を見て、俺は唾液を嚥下する。

「一体君は、私の妹とはどういう関係なんだい?」
「……恐れ多くも、入試の前に、試験勉強のお手伝いをさせて頂きました。身分を存じ上げず、誠に失礼致しました」
「随分とメリッサは、君を好いているようだが?」

 下ろしている手の指先が震えそうになり、俺はギュッと握りしめた。
 未婚の王族女性に、変な噂が立ったとなれば、男も極刑だが、王女殿下とてただではすまない。多くは、修道院行きだ。

「誓ってなにもありませんでした」
「そう」
「ええ」
「本当に? メリッサは、君に抱きついたと話していたけれど。抱きしめてもらったとも」

 俺は、覚悟を決める事にした。

「それは俺が無理に抱き寄せてしまっただけです。王女殿下には罪も非もなにもありません。俺が一方的にお慕いしていただけです。どうぞ、ここだけの事とし、メリッサ王女殿下には、なにも罰をお与えにならないでください。俺は処分を覚悟しております」

 いつか露見した時に備えて、俺はこのセリフを用意していた。
 実際――一緒にいる内に、俺はメリッサを好きになってしまったのだから、これはほとんど事実だ。メリッサが俺を好きだとは思わないし、彼女の側から飛びついてきたのは、ただの師弟愛のようなものだと俺は考えている。だから、全て俺が悪いとすればいい。その終わり方を、ルイス殿下も望むだろうと考えていた。

「ロイドは、メリッサを好きなんだね?」
「え? え、ええ……ですが、身分が違います。弁えております」
「ふぅん? それで、ロイドは、君が一方的に好きだったと? つまり……メリッサは君を好きじゃなかったと?」
「はい」
「んんん? ロイドは、メリッサが君を好きじゃないと、本気で思ってるのかな?」
「はい」
「へ、へぇ……そうなんだ」

 何故なのか、ルイス殿下の微笑が強ばった。しかし俺は言いきった。
 仮に……少しくらいは、好きでいてもらったとしても、だ。
 お互い不幸にしかならない。俺は彼女を幸せに出来ない。
 そもそも俺の元に降嫁するなんていう事態は起きえない。王家の女性は、貴族以外とは縁組みしないというのが王国法でも定められており、さらにそれは、暗黙の了解で侯爵家以上の爵位だと決められている。時折伯爵家の人間と結婚したなんていう話が出れば、大騒ぎになる。伯爵家だって、俺の男爵家から見たら、神のような存在なのだが。

「ところでロイド」
「はい」
「君が、来週の土曜日に、お見合いをするという話を聞いたんだけど、事実かい? バーグルッド商会の三女のナーラ嬢だったかな」
「ええ、事実です」

 何故そんなことまで知っているのかと、俺は驚いてしまった。やはりメリッサ王女殿下を誑かしたとして、俺の身元は洗いざらい調べられていたのかもしれない。兄や弟に被害が及ばないこと、メリッサに被害がないことだけを願った。

 ――俺が、殿下の靴箱を綺麗にしている最大の理由。
 それはルイス王太子殿下が、やられたら倍返しにする性格であるからだ。それを知らないか、あるいは噂だと勘違いして、幼稚な嫌がらせをし、報復されて死んだ方がマシな目に遭う学生を、一人でも減らすために、日夜俺は魔法を用いている。

 一見優しそうなルイス王太子殿下だが、誰よりも冷酷だと俺は感じている。

「――メリッサの事は?」
「ですから、一方的に俺がお慕い申し上げていただけで、王女殿下は潔白です」
「それはつまり、好きだという事じゃないのかな?」
「それは……その……」
「それにメリッサが潔白だと言うけど、何故君がメリッサの気持ちを断言できるんだい? 直接聞いたのかい? フラれたの? それとも暗に言われたの? どういうことかな?」
「……、……」

 深く追及してくるルイス殿下に、俺は正直困惑した。泣きたくなったし、辟易してもいた。そんなに妹のことが大切なのだろうか。妹の方もまた、最高に兄を愛しているそうなのだから、実にお似合いの兄妹だ。麗しき兄妹愛だとは思う。 

「ロイド。私は気が長いわけではないんだ。答えて――」

 と、ルイス殿下が言いかけた時だった。

「ロイド!!」

 扉を開けてメリッサが入ってきた。俺は狼狽えて息を呑む。だがすぐに表情を冷たい物に変えて、顔を背けた。

「ルイス殿下、そろそろ騎士団の召集の時間ですので失礼致します」

 俺はそう言って歩き出した。
 ルイス殿下は止めなかった。ただメリッサだけが、俺に手を伸ばしていたが、俺は無視して歩き去った。もうここのところ、ずっとこうしている。彼女は幾度も俺に声をかけようとしてきたけれど、俺は視線を逸らし、顔を背け、徹底的に、避けている。

 それが――誰でもなく、彼女のためだと思うからだ。




「お兄様! 私もう、心が折れそうだわ!」

 ――土曜日が訪れた。
 涙ぐみながら、私はお兄様に抱きついた。

「どうしたんだい?」
「ロイドが酷いのよ!」

 目元を指で拭いつつ、私はこの一週間のことを思い出した。
 始まりは月曜日、この温室に来ていたロイドに、今だと思って話しかけようと手を伸ばしたのに無視された。その日も散々、私はお兄様に愚痴ったけれど、お兄様に直接聞くようにと言われてから、毎日毎日ロイドを探して、見つけては話しかけようとしていたのに、無視される毎日で、温室ではそれが露骨すぎたから、私はあの日もボロボロ泣いた。泣きすぎて怒りがわいてきて、ミルクティを五杯も飲んでしまった。

 本当に騎士団の任務が忙しかった可能性もある。
 そう思って、また火曜日も廊下でロイドを、出待ちした。もう既に、ロイドが取っている講義は把握済みだ。私には沢山お友達が出来たので、みんなが教えてくれた。私はみんなに『片想い中なの!』と宣言している。みんな私を応援してくれている様子だ。多分。

 というのは、ロイドが意外と人気者だったのである。
 男子達には、憧れの騎士だと囁かれている。実力派で文武両道で、ああいう風になりたいと言っている人が多かった。女子もそれは同じだが、そこに加えて艶やかな黒髪や、凛とした翡翠色の瞳が格好いいという私と同じ意見が混じっている。あとよくわからないが、ロイドは掃除が得意だから、とても助かっていると私に教えてくれた騎士科の先輩もいた。ロイドの時間割は、その先輩に教わった。

 だが、火曜日もロイドは、教室から出てきたのに、私とは目も合わせてくれず、というより思いっきり目を合わせないように視線を下げて、立ち去った。顎を動かし下を見て、険しい顔で、スタスタと。水曜日もそれは同じだった。木曜日なんて、朝と夕の二度。昨日、金曜日なんて、五回も声をかけに行ったのに、全部無視された。

「――酷いと思わない?」
「そ、そうだねぇ。メリッサは、これからどうするんだい? 諦めるのかな?」
「嫌よ! 私はロイドが好きなのですもの!」
「ふむ。だが、彼は随分と身分を気にしているようだったよ」
「身分……?」

 お兄様の言葉に顔を上げて、私は小首を傾げた。

「私は気にしないわ。ロイドのところになら、どこにだってお嫁さんに行くわ!」
「それは難しいと、私も思うんだよね」
「え? お兄様まで反対なさるの!?」

 絶対的な味方だと信じていたお兄様の言葉に、私は唖然として唇を震わせた。

「ロイドの家――ファーベル男爵家は、今とても苦しいんだ。とても王女である君を迎える資金は用意できない。降嫁するにあたっては、それなりの準備がいるからね」
「……、……で、でも……私、その……そんなの! 関係ないわ!」
「君になくても、ロイドにはあるようだね」
「っ……」
「今、ロイドが何をしているか知ってる?」
「え?」
「離れの広間で、お見合いをするために相手を待っているところだよ」
「え!?」
「そろそろついたんじゃないかな?」
「大変!! 止めなくちゃ!! ロイドが私以外と結婚してしまうなんて、そんなのはダメよ! 絶対にダメ!!」

 私が思わず声を上げると、微笑してお兄様が頷いた。

「うん。そうだね。メリッサは、ロイドの事が好きなんだものね?」
「ええ!」
「――そして、ロイドもまた、君を好きな様子だ」
「そうなの!? 最近そういった様子は微塵も無いから、これからじっくり頑張る予定だったのだけれど!?」
「うん、それもまた本人に聞くといいよ。さて、ここで問題となっているのは、身分だ。そしてそれをロイドが気にしているという点。同時に、現実的にファーベル男爵家が困窮しているという事実だ」
「ええ……だ、だからといって――」
「そこで」

 お兄様は私の声にかぶせるように言った。

「メリッサがロイドを婿に迎えればいいんだよ」
「――え?」
「君がお嫁さんに行くのではなく、ロイドにお婿さんに来てもらえば解決だ。貴族同士であるから、伯爵家以下の貴族の例は全くないけど一応彼だって男爵家の人間だから法的に問題は無いし、王族の女性が婿を取った場合、その者もまた王族になるという決まりがあるし、婿入りに際しては、基本的に持参金なども無い。名案だとは思わないかい?」
「お兄様はやっぱり最高だわ!」
「今まさに、ロイドがバーグルッド商会のナーラ嬢に婿入りするという話を聞いて、ふと思いついてね」
「お兄様愛してる、好き、天才! これで全てが解決ね! ロイドを止めに行かないと!」

 私は満面の笑みを浮かべた。ルイスお兄様は悠然と微笑んでいる。

「私もね、ロイドの事は以前からかっていたんだ。なにせ彼は、僕の靴箱をいつも綺麗に掃除してくれるものだからね。最近では、メリッサの靴箱も綺麗にしてくれていると、騎士団長から聞いたよ」
「え? お掃除係なの?」
「ある意味ね。それに――騎士団長は嘆いていた。若い才能を、実力に嫉妬した一部の心ない者が使い潰そうとしていると。それは国のためにはあってはならないことだ。メリッサ、さぁロイドを取り返しに行くといい。ナーラ嬢には、私が適切な男性を紹介しておくこととしよう。私は後からゆっくり行くよ」
「分かったわ! 行ってまいります!」

 こうして、私は慌てて温室を走り出て、玄関へと向かい、校庭を突っ切って、離れにある四角い建物まで向かった。




 庭を通りかかろうとしたら扉が開いており、そこで女性と対面しているロイドが見えた。ロイドはいつもの通りの無愛想な顔をしている。

 相手は……四十代くらいだろうか? 私の母上と同じくらいの歳に見える。とてもふくよかな女性で、胸と同じくらいお腹が出ている。カエルによく似た顔立ちだ。って、観察している場合では無い!

「ちょっと待ったー!!」

 私は大声を上げて、思わずそのまま庭からお見合いの場に飛び込んだ。

「!? メリッサ!?」

 ポカンとした顔を、ロイドが私に向けた。

「あ、いや、メリッサ王女殿下……え……?」
「そのお見合い、ちょっと待って下さい!」

 私はキリっとした顔で宣言してから、ナーラさんにぺこりと頭を下げた。目をまん丸に見開いた彼女は、何度か頷いた。それを確認してから、私はロイドに向き直る。

「ロイド! 私と結婚して下さい!」

 するとロイドが戸惑った顔をしてから、すぐに暗い瞳に変わり、視線をおろした。

「無理だ」

 とても小さな声で、そう返ってきた。だが、お兄様は嘘をついたりしないので、ロイドは私を好きなはずだと、自分に必死で言い聞かせながら、私は続ける。拳を握りしめる。

「私のお婿さんになって下さい!」
「――は?」

 すると呆気にとられたような声を出し、顔を上げたロイドは、まるで私の勉強に立ち会っていた時のような顔をした。

「お婿さんになって下さい!」
「いや、待て。どういう事だ? 話が見えない」

 今まで通りの口調に戻っているロイドに、私は気を良くした。

「あのね、お兄様に聞いたの! ロイドが私のお婿さんになれば、ロイドも王族になるから、私と貴方の身分は同じ! ロイドは身分を気にすることなく、私を好きになっていいのよ! いいのですよ!? いいのですからね!? 繰り返します。私を好きになって下さい」

 私は拳をふるわせながら力説し、必死で訴えた。

「私はロイドのことが大好きなの。貴方以外考えられないわ!」

 すると――ロイドの頬に、朱が差した。何か言いたそうに半分ほど口を開けたロイドは、それから照れくさそうに顔を背ける。膝の上に置いてある拳が震えている。

「女性にここまで言わせて、こたえないのもねぇ」

 そこへゆったりとしたお兄様の声が響いた。追いついてきた様子だ。
 ハッとしたようにロイドが顔を上げる。そして私とルイスお兄様を交互に見た後、とても嬉しそうに破顔した。

「謹んで、お受け致します。メリッサ王女殿下」




 その後、ルイスお兄様は、ナーラ嬢に、男性を紹介すると言ってその場に残り、『後はお二人で』と言われて、私はロイドと共に、学び舎へと戻ることになった。ロイドは俯きながらも、私に合わせてゆっくりと歩いてくれる。私は嬉しくなって、ロイドの腕に自分の両手を絡めた。

「っ」

 するとロイドが私を見る。その顔は、やはり赤い。

「おい……本気で言ってるのか?」
「勿論だわ。ロイド、大好きです」

 私が笑顔で断言すると、ロイドが立ち止まり、私に向き直った。そして一度長々と目を伏せ、そしてしっかりと開けてから、じっと私を見据えた。

「そうか。ならば俺は、本気にする。メリッサ王女殿下、俺も貴女を愛している。どうか、結婚して欲しい」
「! は、はい!」

 勢いで答えた後、私は嬉しくなって両頬を持ち上げ、ロイドに飛びついた。
 すると私を慌てて抱き留めたロイドが言う。

「ひ、ひと目が! 馬鹿! 修道院に行きたいのか!?」
「誰も婚約者同士を罰したりはしないわ!」

 ――こうして。
 私とロイドは、晴れて恋人同士となったのである。卒業後に結婚したのだが、ロイドは王族の身分になったけれど、騎士団の仕事は続けている。今では騎士団長が師匠だと笑っている。私としては、あんまり危ない事はしてほしくないのだけれど、ロイドはおもいのほか頑張り屋さんだった。そういうところも好きになってしまったので仕方がない。

 もうすぐ、二人目の子供が生まれる。
 この子達の進学先を、私は自由に選ばせてあげようと考えている。



 ―― 終 ――



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