「えっと、それは、なにしてるの?」
「インプット。この景色を目に焼き付けて、まずは頭の中で描く。鉛筆を持つのはそのあと」

 そう言って、もう数分してから、灰木くんはスケッチブックを広げた。さらさらと芯を滑らせて、あっという間に白い紙が風景へと変わっていく。
 すごい。線に迷いがない。川の流れや、そばに立つ樹木の質まで伝わるほど。同じ絵を描く身として、レベルが違いすぎて恥ずかしくなる。

「百瀬さんは、冬が好きなの?」
「え?」
「今日の絵、雪景色だったから」

 スケッチブックに視線を落としたまま、灰木くんはつぶやいた。
 あれはたまたま、消去法で選んだらそうなっただけ。色のない冬が一番描きやすかった。

「うん。白って、キレイだから」

 汗ばんだ手のひらで、制服のスカートを握りしめる。
 嘘はついていない。白が好きなのは事実だ。ふーんと一瞬だけ合った目に、心臓が跳ねる。心の底を見透かされているみたいで、落ち着かない。

「……灰木くんは、桜の色って、わかる?」

 もしかしたら、同じ病を患っているかもしれない。昼間のそんな感情が蘇った。

「ああー、あの絵のこと? ちなみに、百瀬さんはどう思った? グレーの桜」
「……わたしは」

 灰色があたりまえの世界に生きている。みんなが可愛らしいと見る桜のイメージができない。

「わかんない。だって、桜はピンクが普通だから」

 本当は、少し嬉しかった。みんなと同じ場所に立てた気がして。同じ世界を見ている人が、いるのかもしれないと思って。
 描き終えたスケッチブックを閉じて、灰木くんがこっちを向く。

「そうかなぁ。俺はグレーの方が好きだけど」
「なんで?」
「なんとなく。好きに理由なんてないでしょ。それに、百瀬さんなら共感してくれると思ったのにな。一人だけ、すっげぇキラキラした目で見てたから」