「あ、おはよう綾」
「おはよう琴乃」
 朝、教室に入るとすぐさま琴乃に声を掛けられた。
 そして二人で談笑しているうちに、風香と花音も登校して来て賑やかになる。
 そんな中、綾は密かに少し離れた席で友達と談笑中の瑶子に目をやった。
 綾の視線に気付いた瑶子はニコリと上品に表情を綻ばせる。
 綾も瑶子にニッと笑みを向けた。

 あれから綾と瑶子はメッセージをやり取りし、『フォルテ』について語る仲になった。しかし、教室ではあまり話しかけることはない。
 それでも綾は仲間が出来たようで満足だった。

「そういや今日文理選択仮決定あるけどさ、やっぱみんな文系だよね?」
 琴乃がそう問いかけた。
「もちろん」
「理系は論外かな」
 風香と花音が同意する。
 綾も本当のことは言えずに頷いてしまう。それにより、綾の気持ちは暗くなる。
(言えなかった……)
 この日、綾は心の中で沈んだままだった。

◇◇◇◇

 放課後。
 この日は『フォルテ』のライブだ。
 綾は何とか琴乃達と別れ、ライブハウスに向かう。
 しかしその足取りは少し重い。
(今日はあんなに楽しみにしてた『フォルテ』のライブなのに……文理選択のことさえなければ……)
 綾は軽くため息をついた。
 その時、見知った人物と目が合う。
「あ……」
 瑶子だ。
 綾は瑶子の姿を見ると、少しだけ心が軽くなった。
「藤田さん、てっきりもう少し遅いのかと思った」
 柔らかで品のある笑みの瑶子。
「あはは、琴乃達に捕まってた」
 先程の少し暗い気分はすっかりどこへ消えていた。
「ライブ、楽しもうね」
 ふふっと笑う瑶子。
「うん!」
 綾は元気良く頷いた。

◇◇◇◇

「今回も最高だった!」
 綾はテンション高めにはしゃぐ。
「うん。歌詞が凄く素敵だよね」
 瑶子も満足そうだ。
 それからしばらく二人は『フォルテ』について語っていた。
 歌詞の意味を考察してみたり、『フォルテ』のメンバーについてあれこれ言ってみたりなど、時間を忘れる程である。
 気付けば帰らないといけない時間になっていた。
「何か、楽しい時間はあっという間ですぐに現実に引き戻されちゃって嫌だなあ」
 はあっとため息をつく綾。
「そうだね。私ももうすぐお父さんが車で迎えに来るみたい。正直、家に帰るのが憂鬱」
 ポツリと呟く瑶子。
「家族と仲悪いの?」
 綾は何となく聞いてみた。
「悪いわけじゃないけど……私のお父さんはピアニストで、お母さんはヴァイオリニストなんだ」
「あ、それは花音から聞いたことある」
「ああ、あの子が。確かに、同じ中学だからね」
 困ったように笑う瑶子。
「両親は揃って音楽をやっているから、私にも音楽の道に進んで欲しいみたいなの」
 ため息をつく瑶子。
「もしかして、東雲さんは別の道に進みたいってこと?」
 綾の問いに瑶子は頷く。
「私、本当は……医師になりたいの。小さい頃から、医師の叔母に憧れててね」
「医師かぁ。何かカッコいいね」
 綾は瑶子に尊敬の眼差しを向けた。
「うん。私が憧れてる医師の叔母も、患者さんに真摯に向き合っていて、凄くカッコいい。叔母みたいな医師になりたいんだけど、今日の文理選択の仮決定の時、私が音楽の道に進むことを期待する両親の姿が脳裏に浮かんじゃって……文系にしちゃった。せっかく音楽系の学校の私立中学受験とかも避けて、これまで何とか医学部に進める道を選んできたのに……」
 深くため息をつく瑶子。
「あ……」
 それは綾にも当てはまる話だった。
「実は私も同じ。琴乃達が文系に行くみたいで……みんなで文系って空気になっちゃってさ……。本当は理系に行きたいこと言えなかった。何か……言ったら居場所なくしそうで……」
 力なく笑う綾。
「そっか。藤田さんも大変なんだね」
 眉を八の字にして困ったように微笑む瑶子。
「でも私は少し理系科目が得意だから理系にしようかなって思ってるだけで、東雲さんみたいに目標があるわけじゃないけどさ……」
 自嘲する綾。
 しばらく沈黙が続く。
 しかし、その沈黙で焦りなどは感じなかった。
「『フォルテ』はね」
 不意に瑶子が口を開く。
「音楽記号で強くって意味だけど、それだけじゃないの」
 どこか遠くを見ている瑶子。
「そうなの? 私てっきり音楽記号だけかと思った」
 綾は意外そうに目を丸くした。
「イタリア語で、『毅然とした』、『丈夫な』って意味があるの」
 相変わらずどこか遠くを見ている瑶子。
「へえ、初めて知った」
 クスッと笑う綾。
「私、『フォルテ』の音楽も好きだけど、名前にも惹かれたんだ。もしかしたら、私も毅然とした態度で両親に対して医師になりたいって言えるかもしれないって思った。だけど、今日の通り」
 瑶子は最後苦笑した。
「それは私も。それに、実は前に琴乃達に『フォルテ』の話したらさ、「何それ? ウケる」で流されちゃってさ」
 綾ははあっと軽くため息をついた。
「私達って、マイノリティだね」
 寂しそうに笑う瑶子。
「マイノリティ……」
 瑶子の言葉をポツリと繰り返す綾。
「うん。藤田さんはグループの中でマイノリティ。私はグループだけでなく家でもマイノリティ」
 瑶子はそう苦笑する。
「確かに。マイノリティは生きにくいよ」
 深くため息をつく綾。
 いつの間にか綾は瑶子になら弱音や本音を言えるようになっていた。
「そうだ、東雲さん。東雲さんのこと、瑶子って呼んで良い? ほら、マイノリティ仲間じゃん」
 クスッとおちゃらけた態度の綾。
 瑶子は驚き目を丸くするが、快く頷く。
「良いよ。じゃあ私も藤田さんのこと、綾ちゃんって呼ぶね」
「ちゃんはいらないよ」
「でも私の両親、人の名前を呼ぶ時には敬称を付けなさいって」
「やっぱり瑶子ってお嬢様だ」
 二人は楽しそうに笑う。
 綾にとって瑶子との時間は何より特別になっていた。