いつもの日常に騒がした人が居る。

朝の登校中、眠気と戦いながら廊下を歩いてると、何やら悲鳴みたいなのが聞こえた。

それに一気に目が覚め、振り返るとびっくり。椎葉こころはロングヘアに濃いめの化粧、そしてスカートを履き、まるで女子高校生のような格好をして堂々と歩いていたのだ。

正に女装。悲鳴の元はこれか...。周りは面白おかしく騒ついていた。

椎葉君は前から女子みたいだと揶揄われていた。
揶揄われ過ぎて変になってしまったのだろうか。それか頭でも打った?誰かからの罰ゲーム?罰ゲームにしてはエグい。

後に生徒指導の先生が急いで来て「こら椎葉! なんだその格好は!!」と、椎葉君の前に立ち塞がった。

だけど彼は全く動じていなく「規則には女子はスカート、男子はズボンと書いてないですよね。だから何も悪いことはしていません。はやく退いてください」ときっぱり言った。

「規則に書いてないからって普通はこんな事するか! 今から職員室に来い!」

椎葉君は先生に腕を掴まれ、強制的に連れて行かれてしまった。

...不思議な光景を見た気分だ。でも意外と似合っていたな。声も可愛らしいし、細くて綺麗で。本当に女の子みたいだ。

まぁ、私には関係ない事だけど。あんな人と関わることは同じクラスにならない限り、今後も無いだろう。

ーー
あれから一週間後。昼休みの時、私は仲の良い女子四人と話していたら、何故か椎葉君の話になった。

「あいつキモイよね〜」

「分かる。あれって俗にいう変態? 女装は家の中でやれよな」

私以外の友達はゲラゲラと笑いながら、椎葉君の悪口を言いまくっていた。

「有紗は? 有紗も気持ち悪いと思うよね?」

「え? あ、まぁ...」

私は笑って言葉を濁した。悪口は好まなかった。特にあまり知らない人のは。確かに椎葉君は変わってるとは思う。けど、自分に害は無いから。

「そうだ! あいつのこと調べない? もしかしたらヤバい事が分かるかも!」

「お、良いね。ネタになりそうだし」

友達は私を置いてどんどん盛り上がっていった。気持ち悪いからって、そこまでする?と思ったが口には出さなかった。

言えば、ハブられる。

「じゃ、ジャンケンで負けた人は椎葉を調べること。良いよね?」

権力者である一人の友達に、みんなは楽しそうに賛同するから私も合わせるしか無かった。

どうしてこうなっただろう。自分に攻撃して来ない人なんてほっとけば良いのに...。

でも、負けたく無い。面倒臭い。関わりたくない。

そう思っていたのに、一回戦で私だけ負けてしまった。

心臓の音がうるさくなっていく。

最悪。神様の馬鹿。

「どんまい、有紗〜」

「大丈夫だって! ちょっと何か新しい情報を掴むだけで良いからさ」

「余裕余裕!」

酷いなぁ、みんな。心の中では自分じゃ無くって良かったと思ってるくせに。あー...こうゆう気持ちだから、負けてしまったのだろうか。

「...あはは。頑張るよ」

そう言う自分の顔は、多分笑顔が引き攣ってるだろう。

ーー
三日後の放課後。私は本を返す為に図書室に向かっている。

朝昼夜。暇があれば、椎葉君の事を考えていた。

調べるか...。椎葉君、怖そう。意味無く話しかければ、間違いなく不快に思わさせるだけだろう。
そういえば、あの人について知らないな。女装とか怒りやすいとか、変わってるとか。表面しか分からない。当然ではあるけど。まぁ、内面も大して...。

偏見はよくないが、みんなとかけ離れた存在に良い人は居ないだろう。みんなと合わせれるからこそ、ある程度の常識が備わってるわけで。自分勝手な和を乱す人に普通は無いよね。

考えをめぐらす内に、図書室に着いた。ドアを開け、すぐのところに図書委員が居るはずなのだが...用事でどっかに行ってるみたいだ。

「困ったなー。今日で返却しないといけないのに。待っていれば帰ってくるかな?」

それまで本でも読んでいようか。私は本棚を抜け、奥へ歩いていくと...人が居た。姿勢を正して椅子に座り、机に本を置いて読書をする生徒。

椎葉君だった。

静寂の中で一人、パラパラと本を読んでいる。あれからは女装をしていない。髪もかつらだったみたいで、今は長めの短髪だ。髪の毛がさらさらとしてる。

普段通りにしていれば、綺麗な男子で終わりそうなのに。もったいない。

「...誰? 私に何か用?」

椎葉君は本を読みながら言ったので、私はドキッとした。気づかれていた。恥ずかしさと緊張が込み上がってくる。てか、自分呼びが私?女性になりきりたいから?やっぱり変わってるなぁ。

「...し、椎葉く、さんですよね? わ、私、樹って言います。珍しいなぁ。放課後の図書室って、私と図書委員以外見かけないから...」

平然を装ってるつもりで、言葉が辿々しい。

君よりもさん付けにしたのは、彼に対しての配慮だ。

「...居て悪い? 昼間にはよく行くけど、たまには放課後も良いかなと思っただけだよ」

「あ、居て悪くないです。ごめんなさい...」

「謝る必要ある?」

「え。あ、いや...その...」

椎葉君は私に興味を無くしたのか話さなくなった。口調が厳し過ぎる。

何か話題が無いだろうかと思いながら、恐る恐る彼に近づいた。

「...だから何? 用が無いならどっかに行ってくれる?」

椎葉君は怒り、本を閉じて立ち上がった。私は反射的にまた謝ろうとした時...、ふと本の表紙を見た。魔女のイラストとタイトルに見覚えがある。

「...この本知ってる! 大好きなんです!」

大好きな本は有名では無く、マニアものであった。だから読んでる人に会えた事に感動をし、大きな声が出てしまった。

「ごっ、ごめんなさい。好きなのでつい...」

怒られるかと思ったが、椎葉君はふっと笑った。

「そうなんだ。結構面白いよね。貴方はどの場面が好きなの?」

彼の笑い方はとても優しく、先程の怖いイメージが吹き飛ぶぐらいだ。なので私は自然と、好きな場面を饒舌に語ってしまった。

それに椎葉君は黙って、時折頷いてくれた。

「へぇ。貴方の話、良いね。本が好きな事が伝わってくるよ」

「椎葉さんも...好きなんですか?」

「好きよ。本は私を自由にさせてくれるから」

自由。分かるなぁ。嫌な出来事があっても、本を読めばその世界に入れて。

遠くでドアの開いたような音がした。図書委員が帰ってきたのだろうか。

「...私、帰るけど。また来るから、今度はおすすめの本教えてくれる?」

「は、はい」

「またね」

椎葉君は本と鞄を持ち、私の横を通り過ぎた。

自分は何やってるんだろう。目的を忘れてしまっていた。だけど、本をきっかけに彼の女装の話が聞けるかもしれない。

そう、考えると。胸に棘が刺さったような微かな苦しさを感じた。

...私は嫌な奴だろうか。

嫌な奴でも良い。周囲と合わせ、空気を読んでる方が楽なんだから。

じゃあ、なんだろう。この気持ちは。

ーー
翌日の放課後。友達には全てを隠して、椎葉君へ会いに図書室に行った。私以外の友達みんなは、部活や習い事で忙しいから、隠しごとはバレないだろう。他の誰かが告げ口をするかもしれないが、調査をしていたと言えばいい。

椎葉君は昨日と同じ席で本を読んでいた。

「来たんだ。座ったら? これね、貴方に紹介したい本なの。良かったら読んでみる?」

椎葉君の表情は、最初の時より柔らかくなっていた。

席につくと、椎葉君は本を閉じてそれを渡してきた。

「あ、ありがとうございます」

「好きな食べ物は何?」

「好きな...? グラタンですかね」

「本以外にも趣味はある?」

「えっと、裁縫ですかね。不器用ですが」

「一緒だね。好きな食べ物も趣味も。私も裁縫していて、貴方と同じく手先が器用じゃないけど、縫いぐるみやコースターを作ったりしてるよ」

「あ、私も縫いぐるみ作ります」

「そうなんだ。楽しいよね。犬、うさぎ辺りは難しくないからよく作って、小さな子供にあげてる」

「良いですね。飽きちゃうから、作りかけばかりが増えてしまって」

「分かるよ。私も前に...」

椎葉君は私に合わせてゆっくりと上品に喋るから、心地良かった。冷たさなどが全く無い。寧ろ、話していく程に良い人かもと思えてきた。友達と違って悪口を言わないし。

それからは毎日の放課後の図書室で椎葉君に会い、短い時間だけど会話をするようになった。その繰り返しをしていくにつれ、彼には数えきれない魅力が分かってきた。それは鍵のついた宝箱を開けたように、美しく、明るく、あたたかい。

いつの間にか私は目的の為じゃなく、ただ椎葉君に会いに図書室へ通っていた。

単に惹かれただけではない。何かモヤモヤするから。この気持ちを知りたくて、彼に会いに行ってるのだろう。


ある時、彼から女装の話が出た。

「気持ち悪い? 樹からしたら」

寂しそうな顔をした。気にしてないようで気にしていたんだ。そうだよね、自分のしたい事をするには勇気がいる。それなら、辞めちゃえば良いのに。

「どうして椎葉さんは...あんなことをしたの?」

「一瞬でも良いから解放されたかったんだ。女性の格好は昔から好きで。でも家族は反対して、こころは男なんだから男の格好しなさい! ってきつく叱られてしまってね。そのストレスのせいと、自分のやりたいことが大きくなっていって、あの事件起こしちゃった。家族や先生に凄い怒られたよ。怒られたけど、後悔はしてない。自分は女性になりたいんだっていう想いが膨らんだもん」

「...そうなんだ」

「将来は本当に女性になりたいと思ってる。んで、モデルになりたいんだよね。綺麗な服を着て、華やかなメイクをして。その為にもっと強くなりたいな。変かな? でも、人生一度きりなんだよ? 空気を合わせて抑圧されるぐらいなら、嫌われても、悪く言われても、自分は自分って貫いて生きていきたいじゃん」

椎葉君の目はキラキラとしていた。

私は少し、腹が立った。同時に、モヤっていた気持ちも分かった気がする。

人に無理やり合わせ、流れに乗り、なのにつまらない生活を送っている私と比べ、椎葉君は鳥のように好きに生きてるようで...。うんん、彼なりに頑張ってるかもしれない、けど...。

夢なんて。私には全くない。

普通なのに。

「...そんなに上手くいかないよ。好きに生きるとかさ。簡単に行くわけがないよ。どんな偉い人だって、我慢してるんだから」

「難しいのは分かってるよ。だからって、上手くいかないって他人に決められたくない。私はっ」

「無理だって!」

立ち上がってから机を両手で叩いた。バンッと大きめの音がし、椎葉君は驚いた。

数秒の沈黙の後、彼は口を開けた。

「...樹も、そっち側なんだね」

私は激しく傷付いた。

その通りのはずなのに、言われたくなかった。

だが、言わせたのは私だ。

我儘で

酷くて

最低なのはどっちだ。

「...ごめん、帰る」

「え。ちょ、樹っ!」

私は鞄を持って、逃げるように図書室を出て行った。

この機に、放課後の図書室には行かなくなった。昼間も。

図書室で本を借りれなくなったが、別に学校じゃなくても近くの図書館に行けばいい。

友達は私へ椎葉君について聞かなくなった。興味を無くし、別の話題に夢中になっていたので、内心ホッとした。

たまに廊下で椎葉君と出会う。何か言いたそうにしていたが、お互い避けるようにして話さない。

気にはなる。だけど私と椎葉君は交わらない。一緒の世界に居るようで、別世界の住民なんだ。

通常の日々に戻ったが、あの時間は奇跡のようなものでこれが正しいんだ。

ーー
二週間後の昼休み時に、廊下を歩いていたら

「椎葉君、大変だよね」

「やり過ぎな気はするよね〜」

掲示板の前で立っている女子生徒二人が、彼のことを話していた。私はほぼ無意識に、彼女達の横で立ち止まっていた。

「男子大勢に椎葉一人じゃ、あいつもさすがにビビるでしょ」

「背も低いし、力も無さそうだよね」

椎葉君の身に危険が起きてる?

...気にしたら駄目だ。椎葉君のことは忘れよう。私には関係ない、私には...。


樹も、そっち側なんだね。


ふと、椎葉君の台詞が頭の中に浮かんだ。

「...教えて」

「え?」

私の発言に、女子は反応した。

「教えて! 椎葉君は今、どこに居るの!」

自分でも信じられないほどに叫んでいた。それに周囲は私を注目するが、そんなこと気にならなかった。

「...多分、学校の裏じゃないかな?」

学校の裏。掃除道具のある、あそこだろうか。

「ありがとう!」

私は走り始めた。

廊下を抜け、下駄箱を抜ける。周りにぶつかる度に謝り、息を切らし、しんどくても足を止めず走り続ける。

...思った通り、椎葉君は居た。

彼は男子五人に囲まれ、学校の壁際に追い込まれていた。ただ怪我はしてない感じだ。

私は喧嘩は強くない。だから咄嗟に考えたのは、掃除道具入れからホウキを取り出し、ホウキを男子達に向けた。

「椎葉さんから離れて!」

「樹!?」

驚愕する椎葉君と目が合った。

「あ? 誰だよこいつ」

「椎葉の知り合い? うわぁ、こいつの知り合いだけあって、おかしい奴だわ」

「おかしいって言うな! 彼女は、貴方達と違うんだから! 彼女に攻撃をするなら、一億倍返してやるんだから!」

椎葉君はキッと男子達へ睨みつける。

...かっこいい。全部が女の子らしいのに、一瞬、しっかりと男の子に見えた。

「...気持ち悪りぃ〜。関わっていたら変になりそう。みんな行こうぜ」

「お前ら、覚えてろよ」

男子達は舌打ちをし、何処かへ行ってしまった。意外にもあっさりと引いた...。最後の言葉からして次もありそうだが、とりあえず一安心した。

私はホウキを地面に落とし、涙目に

「怖かったぁ...」

と言った後に全身がブルブルと震え始めた。

「...樹。どうして助けに...」

「えっ、どうしてって...半分分からないけど、もう半分はとにかく椎葉さんを助けなきゃって、体が勝手に動いて...。殴られても良いやとも思って」

「何それ。私の為にわざわざ危ない目に遭わなくても...」

「それは違うよ。椎葉さんだからこそ、助けたかった」

私は力強く伝えた。

ああ、そうか。周りに合わせず、真っ直ぐで勇気があって意思が強い。身も心も綺麗なところに惹かれていたんだ。

少しじゃない。今分かった。椎葉君が羨ましく、彼のようになりたいと。

「あの時あんな事言ったけど、椎葉さんの夢を、応援したかった。私も貴方のように強くなりたい。自分の意見をちゃんと言えるようになりたい」

彼と視線を合わせながら言うと、私が見た中で一番、最高の笑顔をしてくれた。

「助けてくれてありがとう。本当はね、私も怖かったの。強がってるだけで弱いんだ。でも、自分のやりたいことを馬鹿にされ、否定されるのは絶対に許せなかった。だから樹に肯定されて凄く嬉しい。初めてだよ、肯定されたの。前の図書室で嫌われたのかなと思っていたけど...これからも、仲良くしてくれる?」

「...うん。もちろんだよ。傷付けてごめんなさい」

「良かった。私も傷付けてごめん! ...よろしくね、樹!」

「よろしく!」

私達は友情の証として手を繋ぎ、軽く泣いた。

きっと周りから笑われるだろう、いじめられるだろう。それでもこの手を裏切らない。自分を見失わない。

また弱くなりそうになった時、この想いを目一杯に咲かせよう。


バイバイ、弱い私。