文化祭当日。
体育館には、保護者や地域の人たちが集まっている。
それを横目に、私たちは最後の準備をしていた。
文化祭でも、係の仕事がある。
放送は、ふーと明日香。
照明は、靖朗と淳。
舞台袖で大道具を準備したり幕を開閉したりする係を、私と千秋、きらりが担当する。
各係に分かれて確認後、開会式のため整列した。
開会式では、生徒会長の千秋が挨拶をした。
生徒会の仕事も、この文化祭で終わりだ。
緊張していたようだけど、堂々と挨拶をしていた。
プログラムは順調に進んでいく。
保育園児の合唱、小学生の演劇。
そして、私達の出番。
『姫乃森版オリジナル桃太郎』だ。
――昔々あるところに、おじいさん(靖朗)とおばあさんが(きらり)がおりました。おじいさんは姫乃森山へ芝刈りに。
おばあさんは姫乃森湖へ洗濯に。
おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。
その桃を拾ったおばあさんは、えっちらおっちらと家に帰ってきました。
「おばあさんや、こんな大きな桃、いったいどうしたんじゃ?」
「湖で洗濯していたら、流れてきたんじゃ!」
「うーむ。美味しそうな桃じゃ。早速、割って食べてみるかのう」
おじいさんが包丁で桃を割ると、桃の中から「オギャー!」と元気な男の子(夏希)が出てきました。
おじいさんとおばあさんは、この男の子を桃太郎と名付けて大切に育てることにしました。
桃太郎はたっぷりと愛情を受けて、大きく逞しく育ちました。
――この時点で、私は役を終えて音響の方に入っている。
私の出番は「オギャー!」と飛び出しただけ。
あとは、音響をやるのだ。
なんて楽なんだろう!
桃太郎の役は、千秋にバトンタッチ。
桃太郎は大きくなり、ある日、おじいさんとおばあさんに告げた。
「鬼が悪さをしていると耳にしました。私は、その鬼を退治するために鬼の村へ行きます」
「本当に行くのかい? 気をつけて……。必ず帰ってくるのじゃよ」
「ありがとう、おじいさん。必ず鬼を退治して帰ってきます」
「桃太郎、お待ち。この草餅を持っておゆき。旅路は長いから、飽きないように、こしあんと粒あんに分けておいたからね」
「ありがとう、おばあさん。ボク、おばあさんが作った草餅大好物だからとても嬉しい!」
その瞬間、客席から、
「草餅はこの地区の郷土菓子だからな―」
「随分こった、桃太郎だな」
というツッコミが聞こえて、私は吹き出しそうになりながら音響の仕事に励んだ。
「では、おじいさん! おばあさん! 行ってきます!」
「気をつけてなー」
桃太郎は元気よく出発した。
少し歩くと、犬(淳)がやってきた。
「桃太郎さん、桃太郎さん。そのお腰につけた草餅を一つ私に下さいな」
「いいとも。犬よ、お前はこしあんと粒あん、どちらがいいのだ?」
「粒あんです。粒あんのあの食感、歯ごたえが大好きです!」
「いいとも。どうぞ」
桃太郎が、粒あんの草餅を犬にあげると、犬は嬉しそうに食べた。
ちなみにこの草餅は本物である。
一口サイズの餅なので、すぐに食べ終わることができる。
「ありがとう、桃太郎さん! お礼にお供します!」
「大歓迎だ、犬よ。さあ、鬼の村へ行こう!」
「はい!」
犬が仲間になり、旅路を急ぐ。
すると次に猿(ふー)が現れた。
「桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけた草餅をお一つ下さいな」
「いいとも。猿よ、こしあんと粒あん、どちらがいいのだ?」
「粒あんです。食べごたえ抜群で大好きです!」
「やっぱりな、猿も粒あんの良さを分かってるな」
犬がそう呟いた。
「いいとも、どうぞ召し上がれ」
「ありがとう、桃太郎さん。お礼にお供します!」
「よしよし、猿よ。さぁー、先を急ごう」
「はい!」
お供に猿も加わり、再出発すると、次にキジ(明日香)が現れた。
「桃太郎さーん。そのお腰につけた草餅一つ下さいなー」
「いいとも。キジよ、こしあんと粒あん、どちらがいいのだ?」
「こしあんです! 歯がないのでこしあんの方が食べやすいです」
その瞬間、粒あん好きの犬と猿は、顔を見合わせてやれやれというポーズをとる。
「粒あんの良さが分からないなんて、かわいそうだなあ」
「歯がないんだから、しかたないでしょ!」
桃太郎は3匹をなだめながら、キジに草餅を手渡した。
「どっちもおいしいよね。ほら、どうぞ」
「ありがとう、桃太郎さん。お礼にお供します!」
「さぁー、みんな! 鬼村までもうすぐだ! 準備はいいか!?」
「おー!!!」
そして、桃太郎達は鬼村に辿り着きました。
すると、恐ろしい鬼が待っていました。
赤いジャージを着た赤鬼(川村先生)と、青いジャージを着た青鬼(内藤先生)です。
「村の人から奪った物を返せ!」
「なんだとー! 青鬼行くぞ―!」
「サーイェッサー!」
桃太郎達と鬼達の激しい戦いが始まった。
練習通りガチで……。
とても長い。
会場は大盛り上がり。
盛り上がりと比例して戦いのシーンも延長していく。
場のテンションのお陰で、ノリノリの赤鬼。
一向にセリフを言ってこない。
青鬼はもうリタイヤして降参のポーズをして、犬、猿、キジにやられている。
赤鬼と桃太郎の一騎打ちだ。
桃太郎も限界のようだ。
というか、とても迷惑な顔をしている。
桃太郎が、私の方を見て訴えてきている。
赤鬼が調子にノっていると……。
いくら最後の文化祭とは言え、やりすぎだ。
私は急いで舞台袖に行き、小声で、川村先生に訴える。
「川村先生! みんな限界! セリフー、セリフー!」
何度も呼びかけたら、やっと気づいたようで先生は頷いてくれた。
慌てて体を丸めて、セリフを言う。
「降参だー! 降参! もう悪いことはしません。許して下さい!」
そして桃太郎が、
「はぁ……はぁ……。まったく……。犬、猿、キジ、もういいだろう。やめてやれ」
と声をかけた。
「鬼ども、もう悪いことはしないと誓え!」
「もう悪いことはしません! 申し訳ありませんでした!」
「よし、それでは村の人達から奪ったものを返せ!」
「ははー!」
鬼達は、村の人達から奪ったゲーム機、マンガ本、洗濯機、テレビ、電子レンジ、コロコロ、衣類、牛、馬、鶏など出してきた。
「桃太郎さん、量が多いので私達が責任持って村まで運びます!」
「ありがとう。では、村に帰ろう」
桃太郎達は村へ帰っていきました。
村に着くとおじいさんとおばあさんがやってきました。
「桃太郎、ありがとう。これでテレビで時代劇を見れるわい!」
「よく、生きて帰ってきてくれた。ありがとう、桃太郎。これで、姫乃森湖で洗濯せず、家で洗濯機を回して洗濯できるわい。村の人たちも喜ぶわい」
「おじいさん、おばあさん。よかったよかった」
その後も赤鬼、青鬼は村の人達のために働き、お供の犬、猿、キジも桃太郎とおじいさん、おばあさんと一緒に仲良く暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
キャスト全員ステージに並び、お辞儀をして、幕は閉じた。
盛大の拍手をもらった。
幕が下りるとすぐ、みんなで川村先生に抗議をした。
「ちょっと川村先生! やりすぎだって! みんな疲れてたよ! これから太鼓叩いたり、郷土芸能を踊ったりしなきゃいけないのに!」
「ごめんごめん! まぁー、終わり良ければ全て良し!」
まったく迷惑な先生だ。
目立ちたいだけだろうに。
もっと言ってやりたいけど、争っている場合ではない。
次の演目のための準備があるのだ。
文化祭も後半戦へと続く……。
お昼時間になったけど、ゆっくり食べている暇はない。
親と作品を見に行ったり、バザーで買い物をしたりと以外に忙しい。
そして、午後一発目の演目は郷土芸能だ。
これまた、衣装に着替えるのに時間と手間がかかる。
控室となっている図書室に行き、母に手伝ってもらって着替えた。
袴姿はカッコよくて良いが、お腹を締められるのが億劫だ。
しかし、きつく締めないと、踊りのときに衣装が緩んでしまう。
だから、これでもかと言わんばかりにキツく締められるので、とても苦しい。
手加減をしてもらいたいものだ。
着替え終わり、廊下に出ると、田植え踊りの衣装を着たふー達がいた。
鶏冠をかぶるためにメガネを外しているから、二人の姿がぼやけて見える。
「袴姿、かっこいいなー。なっつ似合うねー。あたし、笠が重くて大変」
ふーの声だが、笠で顔が隠れていてよく見えない。
「そうか? 帯でお腹締められて、お昼食べた物吐きそうで大変だよ」
そんな話をしていると、あっという間に時間になってしまった。
私達は急いで体育館へ移動した。
午後のトップバッターは田植え踊りからだ。
踊りと太鼓は小学生と中学生が行い、歌と笛は指導者のおじいちゃんとおばあちゃん達六人で行う。
練習の成果が出ていて、見事な踊りに見入ってしまう。
田植え踊りも高齢化が進み、後継者がいないため、これが見納めになってしまう。
とても寂しいが、有志が立ち上がって、伝えていってもらえる時がくるのを祈るのみである。
次は私達の出番だ。
ステージに移動しようと歩き出すと、観客席より地元の人達が、「頑張ってね!」「楽しみにしてるよ!」と声が聞こえた。
みんな、小さい頃からお世話になっている人達ばかりだ。
会釈し、ステージ袖まで急ぐ。
とても胸が熱くなってくる。
袖に行き、立ち位置に着こうとすると、指導者の人達が幕を張っていた。
その幕には、姫乃森神社の文字が書いてあった。
「おー! 本格的~」
私は興奮していた。
「最後だしよー。あと、いつまた見れるか分からねーから、引っ張り出してきた。これ飾れば、いくらかはかっこいいだろ?」
おじいちゃんはそう言っていたが、その目にはどこか寂しさが感じられた。
「ありがとう! 頑張って踊るね!」
「あとよー。先生にちょっと時間貰ったから、お前、最初に御神楽(みかぐら)叩け。権現さんも連れてきたし」
「えっ?」
「学校側は大歓迎だってよ」
なぜ私だけ演目が増えているんだ?
本人の許可は?
とってねーだろ。
だって聞いてねーもん!
「なっつ、良かったじゃん! 御神楽デビュー!」
千秋が私の肩を叩きながら言った。
どおりで指導者全員袴姿なわけだ。
幕の前には手桶に入った水と一升瓶に入った酒、権現様が置かれていた。
実は、神楽好きということもあり、練習の合間に御神楽の太鼓を叩かせてもらって覚えていたのだ。
人前で披露するのは今日が初めてだ。
ちなみに御神楽とは神様に捧げるお囃子みたいなものだ。
太鼓、笛、カネで演奏する。
「マジかよー。足痺れなきゃいいな……」
私は正座が苦手だ。
三分程で御神楽は終わるが、私にとってはバカにできない三分間だ。
時間がないため、さっさと準備をすることにした。
左からカネ、太鼓、笛の順に権現様の前に座り、二礼二拍一礼後、御神楽を奉納した。
奉納後、また二礼二拍一礼すると、水と酒、権現様を舞台袖に移動させるため、一度ステージの幕が閉じた。
「急だったけど、上手に叩けたな。良かった良かった。よし、整列せぇ」
おじいちゃんが褒めてきた。
まぁー、間違えることがなかったから良かった。
そう思い立ち上がろうとするも、上手く立てない。
見事に両足が痺れていた。
すると、みんなが私の足を突っついてきた。
まさに地獄。
しかし、本番中でもあるため、声を出せない。
逆に突っついてくれたお陰で、スピーディーに痺れから開放された。
その後、渋々整列した。
「間に合ってよかったじゃん。ありがたく思え」
「うるせー!」
千秋からからかわれ、私は溜め息をしながら言った。
アナウンスが流れ、ステージの幕が開いた。
同時に囃子が始まり、私達は囃子に合わせて踊り始めた。
練習以上にみんな上手く踊れている。
太鼓を叩いているおじいちゃんが楽しそうな顔をしているのが、チラチラと見えた。
おじいちゃんにとっては最後ではあるが、至福の十五分間であっただろう。
私達の出番が終わり、次は太鼓を叩くため、急いで控室である図書館に行き、太鼓の衣装に着替え始めた。
体育館に戻ると、神楽の太鼓を抱えて、おじいちゃんが帰ろうとしていた。
私は、おじいちゃんの傍に急いで駆け寄った。
「おじいちゃん! ありがとうね! 大人になって一人前になったら、また踊るから!」
「俺が生きているうちに、もう一回踊れよ。こちらこそありがとう。楽しかったよ」
そう言っておじいちゃんは帰って行った。
ちなみにこの一ヶ月後、おじいちゃんは老衰で亡くなってしまうのだ。
あの笑顔を、私は一生忘れることがないだろう。
太鼓を叩き終え、全体での合唱、そして閉会式となった。
文化祭が終わった。
これで学校行事も一段落。
「さあ、片付けようー」
先生方の合図で地域の人達も加わり片付けをした。
みんなでやれば早い。
あっという間にいつもどおりの体育館の姿になった。
教室に戻り、帰りの会をした。
「おつかれー! これで一段落だねー。明日明後日は、ゆっくり休んでねー」
「はーい」
「あと、これ。早めに配っておくねー」
川村先生が渡してきた一枚の紙。
それには、面接練習と書いてあった。
「高校の面接で聞かれそうな質問をまとめておいたので、考えておいてねー」
「あー! 受験かー! 現実に戻されるぅー!」
「そんな事言って。ふーは推薦だから一月が受験でしょ? 本気出していかないと」
千秋が、ふーに活を入れていた。
「二人はいいなー。二月の受験で」
「たった一ヶ月違いじゃん。たいした違いないじゃん」
「そうだけどさー」
千秋とふーのやり取りを聞いていると、川村先生が話しかけてきた。
「休み明けから本格的に受験対策するからねー。覚悟しててねー」
「はーい」
「じゃー、解散! おっつー!」
「先生、さようならー」
私達は川村先生に挨拶し、駐車場で待っている親の元へと急いだ。
今日は、なにかとドタバタした一日だった。
中野先生に提出物があったので、私は昼休みに職員室へ行った。
いつもは給食だが、今日は弁当の日。
先生達も、各々が弁当を持って出勤していた。
「失礼しまーす」
ノックをして職員室に入り、中野先生の席に向かった。
「先生、プリントまとめてきました」
「ありがとう、夏希さん」
まとめると言っても三枚だけど、端を揃えて中野先生に手渡した。
「では、失礼しま……」
「いただきま~す!」
職員室から出ようとしたら、川村先生の大きな声が聞こえた。
どうやら、カップラーメンを食べようとしていたようだ。
どんなラーメンか気になって、こっそりと近づいて覗き込んだ。
しかし、蓋がもう剥がされていて、何のラーメンか分からない。
「混ぜて混ぜてー。胡椒をかけてー」
川村先生は、よく分からない歌を口ずさみながら、ラーメンを箸でぐるぐるかき混ぜていた。
「ふーっ、ふーっ……ずずずっ……ん? んんっ!?」
麺をすすった川村先生が、妙な声を出した。
「かってぇー! なんだ、これ!」
顔をしかめた川村先生が、慌ててゴミ箱からラーメンの蓋を拾った。
「うわー、これ、三分じゃなくて五分じゃん!」
どうやら、お湯を入れてから待つ時間を間違えたようだ。
この様子だと、作り方の説明をよく読んでいなかったんだろう。
お気の毒さま……。
そんなことを思いながら、ふと窓の外を見た。
そのとき、職員用の駐車場で何かが動いているのを見つけた。
よく見ると、大きなカモシカが、川村先生の車のサイドミラーを美味しそうにペロペロと舐めている!
私は言葉を失い、その光景を呆然と眺めていた。
すると、中野先生が私を見て声をかけてきた。
「夏希さん、どうしたの?」
「あの……川村先生の車をカモシカが舐めてます」
「えっ……?」
中野先生はびっくりして、窓の外を見た。
「えっとー……シカ?」
「そうですね。あれはカモシカですね」
「初めて見たわ! あれがカモシカなのね。よく見ると可愛いわね」
中野先生は都会出身だから、動物を見慣れていないようだ。
「でも、あれ成獣ですねー。基本、おとなしいですけど、驚かさないように温かく見守りましょう」
「あっ、そうなのね。夏希さんは驚かないのね」
「ええ、見慣れてますから。うちの庭にも出ますし、子どものカモシカと遊んだこともあります」
中野先生は、目を丸くして私を見つめた。
「すごいわね! たくましいのねえ」
私はふと我に返り、川村先生に声をかけた。
「あのー、お食事中失礼します」
「どうした、なっちゃんー」
川村先生は、不味そうにラーメンをすすりながら答えた。
「あのー、大変申し上げにくいんですが……。先生の車なんですけど……カモシカにサイドミラー舐められてますよ」
「ははは、そんなわけ……」
川村先生はそう言いながら、自分の車を見た。
「うわあぁぁぁ! 何じゃありゃぁぁ!」
大声をあげた川村先生は、ラーメンを放置して外に出ようとしていた。
慌てて私は川村先生を止めた。
「下手に手を出すと驚いてしまって、先生の車がどうなってしまうか分かりませんよ!」
「じゃあ、どうしろっていうんだ!? 俺の愛車がー! 洗車したばっかりなのに!」
「更にきれいになって良かったじゃないですかー。まぁ、そのうちいなくなりますよ。温かく見守ってましょう」
「温かくって、お前……」
そんな私と川村先生のやり取りをよそに、内藤先生はニヤニヤしながら、カモシカが川村先生の車を舐める様子を携帯で撮影していた。
「内藤先生! そんなことしている場合じゃないよ! なに写真撮ってんだよ!」
「……あっ」
「えっ……?」
内藤先生の視線の先を追うと、カモシカが舐めていたサイドミラーが見当たらない。
そして、カモシカもいなくなっていた。
「川村先生、サイドミラーひとつ無いですよ?」
私が呟くと、川村先生は「なにぃ!」と言って、自分の車に走っていった。
職員室の窓を開けて、私は「先生、大丈夫ですかー」と叫んだ。
すると、川村先生が何かを拾って、こっちにやってきた。
「これ……」
カモシカにへし折られてしまったサイドミラーを手にしている。
川村先生は言葉を失い、それ以上の台詞が出てこない。
内藤先生は、
「あー、これはやられましたねー。車屋に電話したほうがいいですよー」
と、川村先生の肩を叩きながら言う。
川村先生は、しょんぼりしながら、携帯を取り出して電話をかけようとした。
私はすかさず声をかける。
「あっ、川村先生。ここ、圏外です。学校の電話使うしかないですよ」
「田舎って、怖いなあ……」
電話機に手を伸ばした川村先生にお辞儀をして、教室に帰った。
かわいそうに……と思いながら。
次の時間は数学だ。
数学は内藤先生の担当だ。
いつもどおり、のどかな授業が進む。
お相撲さん並の体型の内藤先生は、いつもと変わらないパッツンパッツンのジャージ姿だ。
私達はもう見慣れているので、黙々と授業に集中していた。
「それで、このXにYを移乗して……あっ」
ポキッと音がして、内藤先生が持っていたチョークが折れた。
力が強いから、いつもチョークを折ってしまうのだ。
「またやっちゃった……よいしょっと」
落ちたチョークを拾おうと、内藤先生がしゃがんだ。
その瞬間……。
ビリッ……。
私の耳に、何かが破けたような音が聞こえた。
「ねえ、いま、何か破ける音しなかった?」
「えー? 何も聞こえなかったよ」
ふーは聞こえなかったらしい。
それを聞いていた千秋も、分からないというふうに首を横に振っている。
「どうしたのー?」
私達が喋っているので、内藤先生が尋ねてきた。
「いやー……何かビリッて破ける音が聞こえたので……」
「えー? 何も聞こえなかったけどなー。授業進めるよー」
「すみません。でも、確かに……」
内藤先生は、再び黒板に向かって、公式を書き始める。
すると、内藤先生のお尻の部分が、縦にパックリと裂けていた。
その瞬間、生徒三人は同時に吹き出した。
笑いを堪えるのが大変だ。
お尻の裂けたところから、真っ赤なパンツが見えている。
「三人とも、笑っちゃって、どうしたの?」
内藤先生は全く気づいていなくて、不思議そうに聞いてきた。
「いや、あの、えーっと」
千秋は、どう言っていいか分からずに、口ごもっている。
ふーは、お腹を押さえて笑っていて、テーブルに伏せていた。
「先生、今日は赤色のパンツ穿いていますか?」
私が直球で言うと、千秋とふーが慌てて止めようとした。
「ちょっと、なっつ! あんたには配慮ってもんがないの!?」
「そうだよ! そんなストレートに言っちゃダメだよ!」
「え、なにが?」
私がきょとんとしていると、内藤先生が慌ててお尻を押さえた。
「うわっ! ズボンが裂けている! どうしよう……。まず、みんなは自習してて!」
内藤先生は、お尻を押さえながら走って教室を出ていった。
まるで、トイレを我慢しているみたいだ。
教室には、残された私達の笑い声が盛大に響いていた。
今日最後の授業は、中野先生が担当する国語だ。
「きりーつ、れいー、ちゃくせーき」
私が号令をかけ、席につく。
中野先生も教壇で椅子に座り、授業が始まるかに思えた。
「はぁ……」
中野先生は、座った瞬間、大きな溜め息をついた。
心なしか、元気がないように見える。
「先生、どうしたんですか? 溜め息なんてついて」
千秋が聞くと、中野先生は重い口を開いた。
「それがねー。最近、体重が全然減らなくて……」
何かと思えば……また始まったか。
私達は心の中で、盛大にズッコケた。
中野先生は、こういう無駄話で授業をつぶしてしまうことが多々ある。
「先生、この間の運動器具はどうなったんですか?」
ふーが手を挙げて聞くと、中野先生は溜め息交じりに言う。
「あー、あれね……。三日も持たなかったわ……。足が疲れちゃってね」
この間の授業で、中野先生は通販で買ったという、足踏みする器具のことを自慢気に話していたのだ。
色々買っているみたいだけど、だいたい三日坊主で終わる。
「どうしたらいいのかしらねえ。みんなはどう思う?」
どう思うも何も、思春期の私達に聞かれても困る。
呆れている私と千秋をよそに、ふーだけはノリノリで質問を繰り返していた。
「他にどんなダイエットしてるんですか? 参考までに聞かせてください」
ふーは、ダイエットに興味があるらしい。
「あとはねー。食事を減らしたり、ヘルシーなものを食べたりしてるわね。今日もゼリーしか食べてないの。だから、さっきお菓子食べちゃった」
だから減らないのじゃないかと、私は思った。
時計の針を見ると、開始から十五分が過ぎていた。
私達は、授業が始まる気配は無いなと思い、広げていた教科書とノートを閉じて、中野先生の話に耳を傾けた。
「食事だけですか? 運動はしないんですか?」
「えーっと、あとは休みの日にジムへ通ったり、インターネットで痩せるダンスを見つけてやってみたりしているのよ」
ダンスをしている中野先生……。
あの美貌を保つのも大変なんだなあ。
中野先生はアラフォーの美人で、スタイルも抜群だ。
ダイエットなんて、する必要がないように思える。
「あなた達もアラフォーになれば分かるのよ。減らそうと思っても、そのときには既に遅いのよねー」
中野先生は、延々とダイエットの苦労話を続けていく。
ふと時計を見ると、授業が終わる五分前になっていた。
私達は教科書とノートをしまい、帰る準備を始めた。
その間も、中野先生は淡々とダイエットについて喋っていた。
キーン……コーン……カーン……コーン……。
チャイムが鳴り、中野先生はハッとしたように顔を上げた。
「あら、もうこんな時間! 時間が経つのは早いわねえ。今日はこれで授業を終わりにしまーす。日直さん、号令お願いします」
号令をかけるも、私は授業なんてやってたっけと思った。
中野先生はスッキリしたのか、上機嫌で職員室へ戻っていった。
「さっきの授業、何だったけ?」
私が呟くと、千秋が、
「国語でしょ?」
と、冷静に答えた。
「そうだっけ? ダイエットの授業じゃないの?」
ふーは真顔で言っていた。
ダイエットの授業って何だよ。
私は呆れながら、掃除に向かった。
放課後の掃除は、分担して行う。
自分の持ち場が終わると、私は職員室に報告しに行く。
「失礼します。中野先生、音楽室の掃除終わりました」
「はい、お疲れ様」
すると、校庭からパーン、パーンと運動会のスターターのような音が聞こえた。
「この音、なんですか?」
「あー、これね。なんか、有線放送が流れて、この周辺に熊が出たらしいのよ。それで、校長先生が追い払うためにスターターを使っているの」
「えー、怖い。どうしよう」
そこに、隣の小学校の校長先生がやってきた。
「お疲れさまですー。あ、なっちゃん、今日も頑張ってるねえ」
「お疲れ様でーす」
「ところで、スターターの音が聞こえたんですけど、どうされましたか?」
中野先生が、事情を説明する。
「あー、あの有線の件ですか。あれは、ここじゃなくて、隣の学区ですよ」
「そうなんですか! 校長先生ー! 小学校の校長がお見えですー!」
中野先生は、窓を開けて校庭に向かって叫んだ。
校長先生が気づいて、周りを警戒しながら戻ってきた。
「あー、お疲れさまですー。どうされましたか?」
「校長先生、熊はここじゃないそうです。隣の学区だそうですよ」
「ええっ、そうなんですか! 私はてっきりここだと思って……ご迷惑をおかけしました」
校長先生は、ほっとしたようにスターターを片付けにいった。
こうして、生徒達の安全は守られたのであった。
「中野先生、校長先生は一人で行ったんですよね。怖かったでしょうね」
私が言うと、中野先生はくすくす笑った。
「それがね。放送を聞いてすぐに、スターターを持ってパンパン鳴らし始めたの。私、行ってきます、とか言ってね。すごく勇敢で頼もしかったのよ」
「そうなんですか。さすが校長先生ですね」
いつも草刈り、草取り、花壇の掃除と、のんびりしている印象だったけれども、やるときにはやるんだなと、私は感心した。
姫乃森中学校は、こんな愉快な先生達に守られている。
だから、生徒達は楽しく一日を過ごせるのだ。
文化祭も終わり、私達は余韻に浸っていた。
「学校行事の一大イベントが終わると、なんか気が抜けちゃうよねー」
ふーが呑気に話していた。
「ほんとだね~」
「ちょっとあんた達、受験のことも考えなよ。面接練習が始まるんだから」
「余韻に浸るくらい良いじゃ~ん、ねーなっつー」
「ねー、ふーうー」
「まったく……あんた達は……」
「ところで、次の時間なんだけど……。授業内容変更してまでホームルームやるなんて、なんかあったのかなー?」
私は不思議そうに言った。
あまりに急過ぎて訳が分からない。
グダグダとしていると川村先生が教室に入ってきた。
「お待たせー! んじゃー、号令よろしく~」
日直の千秋が号令を掛けた。
「起立! 礼!」
「お願いしまーす」
「着席」
「いやいや、何をお願いするのか分からないんですけどね」
着席すると、千秋がすぐにツッコミを入れた。
「だよねー。授業内容変更することしか言ってなかったからねー。実は、明日のことなんだけど……。まず、プリント配るからプリント見ながら説明するね」
そう言って川村先生が一枚のプリントを私達に配った。
その紙には、『美術館見学・テーブルマナー教室について』と書いてあった。
「そのプリントに書いてある通り、明日の授業は一日外で授業しまーす。全校生徒でね」
「ほんと、急ですね」
私は川村先生に言った。
「そうなんだよねー。ほら、三月で閉校しちゃうじゃん? それで、学校の予算を使い切っちゃおーってことで、急遽だけど高級レストランでお昼食べながらの野外学習をやることに決めました! やったね!」
「やったぁー!」
「はぁ……」
「へぇー」
飛び跳ねて喜ぶふーと川村先生とは裏腹に、私と千秋は至って平常心だった。
「おいおい、二人ともー。嬉しくないの? 一日中授業潰れるんだよ?」
「いやいや、先生がそんなこと言っちゃダメでしょー」
私は思わずツッコんだ。
「オレはハッキリ言う! 嬉しいぞ!」
「川村先生、ちょっといいですか? 渡し忘れたプリントがありましてー」
「あっ! 校長先生……」
嬉しいと川村先生が叫んだ直後、校長先生が教室に顔を出した。
川村先生の顔色が一気に青ざめる。
私と千秋は、思わず吹き出してしまった。
ふーは上機嫌にプリントを黙読していて、校長先生が来たことに気づいていないようであった。
テンションが上っているふーと、上っていない私と千秋を見て温度差を感じた校長先生は、ニッコリ笑いながら声を掛けてくれる。
「受験対策も始まるけど、大きな学校行事が終わったし、みんな今まで頑張ったんだから、少し羽目を外してゆっくりするのもいいんですよ。美味しいレストランを予約したので明日はあまり授業だと思わず楽しんで下さいね。一日中授業が潰れるわけですからね。ですよね? 川村先生?」
「あ……はぃ……」
校長先生の耳にちゃんと川村先生が喜んでいた声が聞こえていたらしい。
でも、校長先生からは怒っている雰囲気が全く感じられない。
というか、「全くこの子はー」と我が子に対して笑いながら呆れているように見えた。
校長先生は怒ることがあるのだろうか?
この心の広さを見習いたいものだ。
校長先生は追加のプリントを川村先生に渡すと職員室へ戻って行った。
不意に川村先生の顔を見ると汗を拭いていた。
私はそっと、川村先生に話し掛けた。
「先生……。大丈夫ですか?」
「まぁー、校長先生は怒らない人なんだけど……。罪悪感がヤバい……」
「ですよねー」
私と千秋が口を揃えて言った。
「気を取り直して、明日の予定についてお話しますね」
いきなり、川村先生がガチガチの敬語で話し始めた。
全然、気を取り直していない……。
というか、いつもと違う話し方で気持ち悪い。
私だけじゃなく、千秋もふーも顔が引きつっていた。
たぶん、校長先生にまだ聞かれているんじゃないかと心配しているんだろうけど……。
教師って、大変だな~。
私は呑気にそう思った。
「明日は普通に登校して下さい。朝の会が終わったら、バスに乗り込んで美術館へ向かいます。美術館の見学が終わったら、近くの高級レストランにバスで移動して、昼食です。その後、学校に帰ってきます。みんなはこの日、三時で下校して良いです。以上が明日のスケジュールです。ここまで質問ありますか?」
最後の最後まで、頑なに敬語で話した川村先生。
「無いでーす」
「美術館見学のレポートとかは敢えて準備はしていません。気楽にその日を楽しみましょー。まぁー、今までの行事のご苦労さん会ってな感じで」
「はーい」
「じゃー、ちょっと早いけどこの時間は終わりにしまーす。日直、号令お願いしまーす」
「起立! 礼!」
「ありがとうございましたー」
「着席」
いつもはこのまま川村先生は職員室へ向かうのだが……。
「あぁー! 職員室に戻りたくねー! 絶対に校長先生に怒られるぅー!」
川村先生が教卓にへばりつきながら言った。
「校長先生怒ってる感じしていませんでしたから、大丈夫ですってー」
千秋が川村先生のことを宥めていた。
なんと情けない姿。
どっちが生徒で先生なのか、これじゃ分からない。
結局、川村先生は校長先生に怒られることはなかったそうだ。
こうして私達は明日、先生達からのご褒美として、美術館見学と高級レストランで食事をすることになった。
今日は、美術鑑賞と高級レストランで食事をすることになっている。
私達は、朝の会を済ませ、校舎前に止まっていたバスに乗った。
バスに乗り込むと、既に二年生達がバスの中にいた。
三十人乗りのバスに、生徒七人と教師四人が乗り込む。
なんと贅沢だ。
高速を使いながらバスに揺られること一時間半。
公園のような敷地に立つ、県立美術館に到着した。
美術専門でもある川村先生のあとについて、私達は美術館の中に入って行った。
「じゃあ、自由に見学しましょうー。時間になったら、この玄関前に集合でー」
てっきり川村先生が作品の解説をしながら回るのかと思っていたら、まさかの野放し。
川村先生は、本当に美術の先生なのだろうか。
半ば呆れながら、みんなと一緒に美術館の中を歩いていく。
ちょうど、地元にゆかりのある画家の展示会が行われていたので、そこを中心にゆっくりと見て回った。
ただ、絵心がないので、正直、作品を見てもよく分からない。
「千秋は真剣に見てるね。分かるの? 私はさっぱり分からないや」
「あんたは絵が下手だからね。この良さが分からないとは、もったいない」
「そんなストレートに言わないでよ。ちょっと傷ついた」
「まあ、難しく考えないで、感じるままに観ればいいんだよ。それに、このあと豪華なレストランで食事なんだから、そこで癒やされよ」
他人事だと思って、千秋はひどい言い様だ。
まあ、これも幼馴染の仲だからこその漫才みたいなものだ。
ふーは分かっているのか分かっていないのか「すごい! すごい!」と言いながら見ている。
絵の大きさなのか、作品の素晴らしさで言っているのか、さっぱり分からない。
「ねえ、見て見て! ほらー! そっくりでしょー!」
ふーは彫刻作品のポーズを真似て、得意げに私達を見る。
「公共の場でなにしてんの!」
千秋に注意されて、ふーは「それほどでも……」と照れている。
いや、褒めてないから……。
そんなこんなで、美術館の見学時間はあっという間に過ぎていった。
私達は、時間通りに玄関で集合した。
「じゃあ。これからレストランに向かいます。バスに乗り込んでくださーい」
どこから現れたのか、川村先生が指示を出した。
全然見かけなかったけど、どこにいたんだろう。
でも、手には重そうな袋を抱えていた。
「先生、それ何ですか?」
ふーが興味を持ったのか、川村先生に聞いた。
「これはね、美術館でしか手に入らないポストカードとか画集だよ。いやー、貴重なものがいっぱいあったー。来て良かったよ」
どこにいたかと思えば、ずっと売店にいたようだ。
美術館に来て、一番楽しんでいたのは川村先生であった。
バスに乗り、少し離れた高級レストランに向かう。
「腹減ったー!」
靖郎と淳が、だるそうに言った。
私達もお腹がぺこぺこであった。
レストランに着くと、予約席に案内された。
大きなテーブルに、立派なテーブルクロスがかかっている。
それぞれの席に、ナイフやフォークが準備されていた。
「今日は、フルコースのテーブルマナーを勉強します」
内藤先生が指示を出し、私達は学年ごとに席に座った。
そのタイミングで、レストランのスタッフが、私達の前に進み出る。
「今日はようこそおいでくださいました。テーブルマナーとは言いますが、皆さん、リラックスして食事を楽しんでいただければ幸いです」
スタッフの説明を受けながら、私達はナプキンをつけて食事が来るのを待った。
最初に出てきた料理を見て、生徒達はポカーンとしていた。
「えっ、これだけ……?」
男子達が、小さな声で呟いた。
最初はオードブルとのことだったが、丸いお皿の上にスモークサーモンで巻かれた野菜が、ちょこんと置かれている。
とても美味しかったけど、男子には物足りないようだ。
次はコーンポタージュが出てきた。
スプーンを使い、音を立てないように飲むのだが、みんなズズズ、ズズズと音を立てて飲んでいる。
スタッフは、吹き出しそうになりながら、私達を温かい目で見守っていた。
次に、魚、肉とコースが続いていったが、みんな口を揃えて、
「白米が食べたい……」
と、呟いていた。
私達の田舎癖が炸裂していったのであった。
教えてもらったとおりにナイフやフォークを使っていたが、みんなぎこちない動きで食事をしている。
フォークではなくナイフで刺して食べようとしたり、上手く肉が切れなくて、そのままフォークを刺して丸ごと食べてしまったりしている。
挙げ句のはてに、箸で食べたいという人もいた。
なんと、川村先生もその一人だった。
隣に座った内藤先生に、必死で食べ方を教わっていた。
デザートを食べたあと、グラスの水を飲んで料理の余韻にひたる。
「美味しかったねー。もう一生食べれないね、こんな料理」
ふーが満足そうに言った。
確かに、すごく美味しかった。
家で食べる大皿料理とは段違いだ。
そんなことを言っていると、どこからかガリゴリガリゴリという音が聞こえる。
前を見ると、靖郎と淳が、口をもぐもぐと動かしていた。
「何食べてるの?」
「氷ですー」
男子二人は、グラスに残った氷まで食べていた。
ふと見ると、明日香もガリゴリと食べていて、それを見ていたきらりが呆れて、恥ずかしそうに下を向いている。
「あんた達、行儀悪いよ」
千秋が注意したが、男子と明日香は口を揃えて、
「姫乃森中学校のモットーは、最後まで綺麗に残さず食べましょうですよ! 先輩達も氷残ってますよ! 食べないと!」
そこまでしなくたって……。
私が呆れていると、隣から似たような音が聞こえた。
「やっぱり氷って美味しいよねー」
ふーが、氷を頬張って、ガリゴリガリゴリと音を立てながら食べていた。
「ふーはほんと、氷好きだねー。いつもジュース飲むとき、氷と一緒に飲んでるよね。ていうか、あんたも先輩なんだから、きちんとしなさいよ。二年生が真似するでしょ」
「えー、私悪くなーい。私にとって、氷は食べ物だもん。それに、二年生の方が先に食べてたじゃーん」
私と千秋は呆れてしまい、きらりと同じく恥ずかしくなって下を向いていた。
ようやく氷を食べる音が無くなり、顔を上げた。
すると、私や千秋、きらりのグラスの氷まで、みんな食べられてしまっていた。
「お前ら、いつの間に……」
「だって、もったいないじゃーん」
どうやら、私と千秋の氷を食べたのは、ふーの仕業のようだ。
そんなに氷を食べたら、お腹を壊さないか心配になる。
スタッフが食器を片付けて、再び話し始めた。
「本日のコースはこれで終了となります。皆さん、何もかも残さず食べていただけて、とても嬉しいです」
スタッフは笑顔で言っていたけど、私は恥ずかしくて仕方なかった。
身も心も満たされた私達は、帰りのバスに乗り込んだ。
お腹がいっぱいになったのか、氷をかじった四人はいびきをかきながら寝ていた。
学校に着き、私と千秋はふーを、きらりは靖郎と淳、明日香を叩き起こした。
「ほら、学校に着いたよー。起きてー」
「もう着いたのー?」
私達はバスを降りて、運転手さんに挨拶をして見送った。
川村先生が、生徒を集めて指示を出す。
「じゃあ、今日はこれでおしまいです。三時のバスまで、部活をして過ごしましょう」
「はーい!」
すると、靖郎と淳と明日香、そしてふーが、走って校舎に入って行った。
「どうしたのー?」
千秋が叫ぶと、振り向いたふーが青い顔をして叫んだ。
「お腹が……ちょっと……ヤバい! トイレ!」
四人は必死の顔で、トイレに向かって走っていった。
「だから言わんこっちゃない……。あんなに氷食べるからだよ。自業自得だね」
千秋の呆れたような呟きに、私ときらりはただ頷くだけであった。
自分達のグラスだけで我慢していれば良かったのに、欲張って私達の氷まで食べるからだ。
ふーなんて、私と千秋の分まで食べたのだから、そりゃお腹も痛くなる。
欲張らなかった私達は、バスの時間まで楽しく部活をして過ごした。
他の四人は、バスが来るギリギリの時間まで、トイレから出てくることはなかった。
秋が終わる頃。
だいぶ寒くなってきた。
私達は今、面接練習に励んでいる。
今日も放課後には面接練習がある。
先生たちがローテーションで面接官役をし、実戦的な練習をしている。
「あー! 今日も面接練習かー。飽きたぁー!」
「私もー。まだ部活やっていた方が楽だわ」
「二人とも! 集中しなよ。あとになって困るのは自分なんだからね!」
私とふーに喝を入れる千秋。
「あたしの今日の練習、校長先生とだー」
「うちは内藤先生」
「私は川村先生だ」
練習は十六時から始まる。
それぞれ指定された教室に移動する。
私は自分の教室で面接練習を行うため、川村先生を待つだけだ。
何度も練習を重ねてきたからか、気持ちに余裕を持って質問に答えられるようになった。
もはや、おさらいといったところだ。
いま一度、予想された質問をまとめた用紙を見返しながらイメージトレーニングをしていた。
少しすると、川村先生が教室に入ってきた。
「おまたせー。じゃー、始めようか」
「はい。宜しくお願いします」
私は一度教室から出た。
入室するところから面接練習が始まる。
私は教室の扉をノックした。
川村先生の「どうぞ」という声が聞こえてから、入室する。
私は静かに歩き、椅子の横に立つ。
「それでは、学校名と名前を言って下さい」
「姫乃森中学校から参りました、工藤夏希です。宜しくお願いします」
「はい、ではお掛け下さい」
「失礼します」
ここでようやく椅子に座る。
そして、面接官からの質問が始まる。
「では、我が校を受験しようと思った理由をお聞かせ下さい」
「はい。私は、小さい頃から郷土芸能が好きで、貴校の郷土芸能部に憧れを抱いていました。貴校でしか出来ない郷土芸能に魅力を感じ、受験することを決めました」
「中学校生活の中で何か郷土芸能をやっていましたか?」
「太鼓と神楽をやっていました」
ここまでは良かった。
「あなたの長所は何ですか?」
「何事にも挑戦する積極性があることです」
「あなたの担任の先生の長所は何ですか?」
「優しくて、いつも生徒のために尽くしてくれるところです」
ニヤついている!
先生!
顔に出ていますよ!
「次に、毎週土曜日の十八時からやっているロボットアニメについてお聞きします。あなたは、あのロボットアニメは好きですか?」
「はい。よく見ています」
「あのロボットアニメは何期が好きですか?」
「今放送されている五期が好きです」
「初代は?」
「すみません。初代は私が生まれる前に放送されていたものであるため、見たことがありませんので、分かりません」
「主人公のカズヤについてどう思いますか?」
「すみません。初代はよく分からないので……」
「はい、分かりました。これで面接を終わります。お疲れさまでした」
「ありがとうございました。失礼いたします」
私は教室から出て、戸を閉めた。
少しすると、「入っていいよー」と川村先生の声が聞こえた。
入室し、講評をもらい、次に活かすのだが……。
「はい、おつかれー」
「お疲れじゃないです! 何ですか最後の質問! 私、食品科を受ける人なのに! ロボってなんですか!? 私、工業科を受けるんじゃないんですけどッ! そして、自分のことを聞いておいて、ニヤニヤするのやめて下さい!」
「ごめん、ごめん。面接練習パーフェクトだからさー。ちょっと遊んでみたの。あとさー、やっぱ褒められると嬉しいじゃん。そりゃー、ニヤつくよ」
ヒドイ!
こっちは第一志望校受験合格をかけているのに!
遊ぶなよ!
てか、川村先生の反省会になってる!
「んじゃー、本番もさっきみたいに堂々と出来るようにねー。バスの時間まで、勉強してていいよー。お疲れさーん」
軽すぎる!
このチャラ男!
「はい……。お疲れさまでした」
あとは勉強を頑張るのみか。
六十点以上は当たり前に取れるようになった。
もうひと頑張りだ!
そう思っていると、千秋とふーが教室に戻ってきた。
「おつー」
「おっつー。どうだった?」
「あたしはオッケイ! 校長先生に褒められた!」
「良かったね。千秋は?」
「うちもバッチリ! なっつは?」
「パーフェクトらしいけど……。ヒドい練習だった。面接というより、雑談?」
「あー分かるー。川村先生、最近、練習が雑談になってるもんね。うちは逆に気楽で楽しかったよ」
「あたしは、アニメとかよく分からないから、毎回困ってるんだよねー」
「川村先生の時は、やっぱり雑談なのか。他の三人の先生方はしっかりしているから安心だけど」
「まぁーねー。あ、時間まで三人で受験勉強しよーよ」
「いいねー!」
ふーの提案で三人で時間まで受験勉強をして過ごしたのであった。
いつも通りのバス停でバスを待つ朝。
もうすぐ冬が来る。
朝はちょっと寒い。
「おはようございます」
「おはよー、きらり。寒いねー」
「寒くなってきましたねー」
いつもと変わらない会話。
そしてバスが来る。
「やっときたー。バスの中は温かいんだろうなー」
「あれ? きらり、淳は?」
「え? そういえば、来ていないですね」
「車で行くのかなー? ま、乗っちゃおうか」
「そうですね。また寝坊でもしてるんでしょうね」
私達は淳を置いてバスに乗った。
まもなく千秋がいるバス停に着くのだが、バス停には誰もいない。
バス停に人が立っていない時は、停車することなく通り過ぎる。
「夏希さん、千秋さんから何か聞いてます?」
「いや、電話すらなかった。千秋がバスに乗らないとか珍しいなー。風邪でも引いたかな?」
すると、靖郎が待つバス停でも靖朗は乗車して来ず、小学生だけが乗車してきた。
小学生に聞いてみたが誰も分からない様子であった。
明日香はちゃんと乗車してきた。
「おっはよーございまーす! あれ? 人少なッ!」
「そうなのよ。なんでだろう?」
きらりが明日香に聞いた。
しかし明日香も
「分かんねー。ズル休み?」
と答えるだけであった。
学校前のバス停に着き、学校まで歩く。
ふーも来ないようだ。
また時間ギリギリに登校する気だなと思っていた。
教室に着いた。
三年生の教室には私一人だけしか居ない。
朝のホームルームの予鈴のチャイムが鳴った。
結局、千秋とふーは登校して来なかった。
すると、隣の二年生の教室からきらりと明日香が様子を見にやってきた。
きらりが心配そうに話しかけてきた。
「結局、男子二人来なかったんですけど。三年生はどうですか?」
「二人とも来てないよ」
「えー。もう帰っていいかな?」
明日香は学校閉鎖を期待しているようだ。
すると、内藤先生と川村先生が教室に来た。
「朝のホームルームするよー」
「はーい。夏希さん、またねー」
そう言うときらりと明日香は教室に戻って行った。
私は席に着いた。
「おはよー」
「おはようございます」
「ご覧の通り、二人は欠席です。二人ともインフルエンザです。夏希も気をつけてねー」
「はい。あのー、これでも授業するんですか?」
「う~ん。さっき職員室でも話があったんだけど、どうしても給食止めれなくてさー。その代わりに、三時のバスで帰って良いことになったよ」
三時のバスは主に保育園児と小学校低学年が乗るバスだ。
六時間授業をする学年は五時のバスに乗っていた。
「ちなみにさー、二年生男子も来なかったでしょ? あの二人もインフルエンザで欠席ね」
「はぁ……」
もはや、学校閉鎖になってもおかしくないのに、これでも授業をやるとは……。
「今日の授業はほとんどプリントやるから気楽にやってよー」
「マンツーマンの授業とか嫌です!」
「がんば~」
今日は憂鬱だ。
朝のホームルームで言われた通り、授業ではプリントを配られ自習をした。
そして給食の時間になった。
人数のぶん量も少ないかと思ったが、鍋を開けてみると普段どおりの量が入っていた。
「よっしゃー! 食うぞー!」
明日香が変な気合いを入れ始めた。
「え? これ全部食べる気?」
「当たり前です! 姫乃森の学校のモットーは『残さず食べましょう!』ですよ!」
「えー」
私もきらりも絶望しかなかった。
そして、明日香は先生まで巻き込んでいった。
「内藤先生! 食べてくださいね!」
「いやぁ……、もうお腹いっぱい……」
「先生! カレーは飲み物ですよ! まだまだいけますよ!」
明日香が鬼に見えてきた。
なかなかの量であったが、なんとか全部の鍋を空にすることが出来た。
お陰でみんな、お腹が苦しくて動くことが出来ないでいた。
「食べたー、食べたー」
明日香は満足していた。
きらりが校長先生に質問しだした。
「なんで学校閉鎖にならなかったんですかー?」
「給食を止めれなかったことも理由の一つなんだけど、大きな理由は全校生徒数が元から少ないからだよ。一人でも登校すれば授業をやらなきゃいけないんだよー」
「給食とか大変じゃん!」
明日香が驚いて言った。
驚く所はそこか?
「午後は自習でもいいよ。三時のバスには遅れないで帰ってね」
「はーい」
「自習はもったいないなー。午後の授業、体育として卓球やろうか!」
川村先生がいきなり言い出した。
「えー! もう動けない」
みんなブーイングした。
しかし、
「食べた分、動くよー!」
「マジか……」
結局、午後の授業は体育で卓球をした。
川村先生を恨むかのように私達は、川村先生をこてんぱんにやっつけ、フルセットで試合に勝ったのであった。
そういや、千秋とふーがいない学校って初めてだ。
でも、来年の四月からは、二人がいない学校生活が当たり前になっていく。
そう思うと寂しくなってきた。
明日、明後日は土日で学校はお休み。
来週の月曜日は二人に会えるかな?
千秋とふーの回復を祈りつつ、二人に会える日を楽しみにしていた。
今日は大晦日。
今年もあと四時間あまりで終わってしまう。
毎年、大晦日には父と母と三人で近所の神社へ元朝参りに行くのが恒例だ。
出かける時間まで、居間で紅白歌合戦を見ながら受験勉強をしていた。
年末でも受験勉強は欠かせない。
もう既にラストスパートに差し掛かっているのだ。
私は黙々と勉強をしていた。
一区切りしてコーヒーを飲んでいると、母が「元朝参りに行くよー」と声をかけてきた。
時間をみると既に時計の針は二十三時三十分を指していた。
神社には一月一日の零時までに行き、零時になった瞬間に神社に集まった人達に挨拶してお参りをする。
私は急いでコーヒーを飲み干してトイレを済ませ、元朝参りへ行く準備を始めた。
田舎の冬は雪深いが、今年は十センチくらいの積雪だった。
例年だと三十センチは積もっていたが、暖冬ということもあるのだろう。
とは言え、夜中の気温はマイナス十度ほどにもなる。
神社は山の中なので、長靴を履き、しっかり防寒をして外に出た。
今日はとても寒い。
鼻のてっぺんが冷たくなってきた。
「よし、行くか!」
父を先頭に、私と母も歩き出した。
神社までは徒歩で、片道十五分ほどかかる。
途中、雪道で滑りながらも、ようやく神社に辿り着いた。
定刻の五分前には到着することが出来た。
神社には既に、十人ほど集まっていた。
その中の三人は神社の係の人で、ラジオをつけながら焚き火をしていた。
きらりと淳の姿も見えた。
――ピッピッピッポーン。
ラジオから零時の時刻のお知らせが流れた。
零時に鳴った瞬間、周囲では、
「あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」
と、新年の挨拶を交わす声が聞こえた。
「夏希さん! あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」
きらりが私に声を掛けてきた。
「こちらこそ、よろしくねー」
「あけおめー、ことよろー」
淳は新年の挨拶を省略して、私ときらりに声を掛けてきた。
こいつは年が明けてもいつも通りだ。
神社に来た順にお参りが始まった。
まもなくして、私達一家の順番が周ってきた。
三人で賽銭箱の前まで行き、お賽銭を入れて、鐘を鳴らして柏手を打つ。
願い事はもちろん、第一志望校合格!
お参りの後は、署名を書き、みかんを貰った。
飲酒できる人は、お神酒を貰って飲んで帰る。
家に戻った私達は、年越しそばを食べた。
時間は既に一時半になっていた。
布団の中に入るとふと考えてしまう。
中学校生活もあと三ヶ月。
そして、閉校まであと三ヶ月。
受験のことで頭がいっぱいになっていたが、卒業と閉校のことを考えると、寂しい気持ちでいっぱいになる。
三月末までやらなければならないことがたくさんある。
悔いの残らないようにやり遂げよう。
そう思う年末年始であった。
今年の冬は暖冬であった。
しかしある日、大雪警報が出るほどの積雪があった。
いわゆるドカ雪である。
この日は冬休みに行う、奉仕活動の日であった。
奉仕活動は二ヶ所に分かれて行う。
近所にある公民館と、学校のバス停だ。
私と千秋、きらり、淳は公民館を担当し、ふーと明日香、靖郎は学校のバス停の担当だ。
玄関を開けると六十センチくらいの積雪があり、機械じゃないと雪かきが出来ないほどであった。
そして更に、最悪な事態になっていた。
大雪のせいで姫乃森地域は停電になっていたのだ。
千秋達に連絡しようにも、どうにもできない状態であった。
「どうしよう……」
そう言っていると、母が心配そうに話し掛けてきた。
「これじゃー無理なんだ。先生も分かってくれるでしょ」
「うーん。でもみんな来てたら……」
「こんな雪で来れるわけないでしょ」
母の言う通りだ。
しかし、公民館の鍵も借りてきていたし、学校の活動だから必ずやらなければならないという責任感もある。
結局、スコップで雪をかき分けながら公民館に向かった。
いつもなら徒歩で三分なのに、今日は二十分もかかってしまった。
冬なのに、結構な汗をかいてしまっている。
公民館に着くと、きらりと淳が玄関までの道を雪かきしていた。
「おーい!」
私は二人に向かって声を掛けた。
すると二人は私に気づいてくれたようで、手を大きく振ってくれた。
「夏希さーん! 雪ヤバいですー!」
きらりが大声で言った。
「早く玄関開けて下さーい!」
淳が雪を払いながら言った。
「分かってるってー!」
私は、公民館の玄関を開けた。
「やっと着いた~」
後ろを振り向くと、ヘトヘトになりながら歩く千秋がいた。
「頑張ったねー。さぁー、ちゃっちゃと終わらせて帰ろう」
そう言って私は、掃除道具が入っている倉庫に入っていった。
千秋は箒で和室の掃除、きらりはテーブルの拭き掃除、淳はホールのモップがけをやりだした。
私は掃除機をかけようと準備し、スイッチを押した。
しかし、掃除機が作動しない。
「あれ? どうして?」
「なっつ、停電してんだから、掃除機使えるわけないじゃん」
千秋がツッコんできた。
「あ、そっか。忘れてた」
「夏希さーん! モップ掛けたから、掃除機でゴミ吸って下さーい!」
「あっつー、停電してて使えなーい!」
「あ、そっか」
淳も停電していたことを忘れていたようだ。
「夏希さーん! 電気つかなーい!」
「停電してるからつかないよー!」
「あ、そっか」
きらりも忘れていたようだ。
「あんた達……」
千秋は呆れていた。
適当に掃除を終わらせて私達は解散した。
みんな、汗と雪で濡れてビショビショになってしまっていた。
お陰で、みんな家に帰ると親に怒られたのであった。
後にふー達に奉仕活動の日のことを聞くと、バス停組もみんな揃って掃除をしたという。
「大雪で大変だったよねー。でもやんなきゃいけなかったし、しょうがないけどね」
そう、ふーは言った。
あとで、先生達から停電するくらいの大雪の日は危険であるため、無理にやらなくて良いことを言われた。
終いには、バカ真面目にも程があるとまで言われてしまった。
しかし、私達は満足していた。
奉仕活動は今回で最後。
ちゃんと掃除をしてきたことに胸を張っていたのであった。