八月に入り、まだ暑い日が続く。
 お盆に入る前には、毎年親子レクの行事がある。
 今年は閉校の年ということもあり、思い出づくりとして学校でキャンプをすることになった。
 親世代もほとんどの母校が姫乃森中学校だから、思い出に浸れることであろう。
 集合は夕方の四時、メインとなるのは夜の時間だ。

 集合して早速、テントを張る作業だ。
 校庭に割り当てられた場所に、親子で協力してテントを張った。
 その後は、バーベキューの準備だ。
 ほとんど、親達が準備をしてくれた。
 私たちは、お皿の準備や、テーブル、椅子を並べるくらいであった。
 親たちの手早い準備のお陰で、十八時前にはバーベキューを始めることが出来た。
 お腹いっぱい食べた後は片付けをし、その後が本番であった。

「さぁー、片付けも終わったし、夏の定番やりますかー!」

 明日香のお父さんが、みんなに呼びかけた。
 娘のほうは、またかというような顔をしている。

「みんなー、集まってー」

 中学校の中庭に椅子を並べて座った。

「これから肝試しをしまーす!」

 張り切っている……。
 それもそう。
 明日香のお父さんは、ヨットハーバーの職員を長年やってきた人である。
 古い建物なので、心霊現象がやたらと多いらしい。
 その恐怖体験は、昔から何度も聞いてきた。

「えぇー!」

 そういったのは、きらりとふーであった。
 靖朗と淳は楽しそうにしていた。
 明日香は何度も聞かされているせいか、他人事のような顔をしている。
 私は霊感があるから、毎日が肝試しみたいなものだ。
 そのせいか、人なのか霊なのか分からない時がある。

 ちなみに千秋も少し霊感がある。
 小さい頃から私と一緒にいるせいか、霊感が移ってしまったのかもしれない。
 私が人なのか霊なのか分からない時は、いつも教えてくれる。

「まず、準備運動でオレの心霊体験話から……」

 そういって、懐中電灯を消し、ろうそくに火を灯して地面に置いた。
 一本のろうそくだけの灯りは、なかなか雰囲気が怖くなる。

「俺がヨットハーバーで勤務していた時の話をしよう」

 そう言って、明日香のお父さんが語り始めた。

「一人で夜勤をやっていたんだけどね。見回りをしていたら、誰もいじっていない水道から、水の雫が落ちる音が聞こえたんだよ。しばらく使っていないのになんでかな? 水道壊れたのかな? って思って蛇口を締めて水を止めたんだ。その水道の前に鏡があるんだけど、水道止めた後にふとその鏡を見たら、髪の長い女の人が! 俺を見ていたんだよ!」
「ギャー!」
「もう、いいよー!」

 たまらず、きらりとふーが叫んだ。
 私と千秋がなだめていると、明日香のお父さんが私達の方を指差して、

「そこに人がッ!」

 と、言ってまた驚かせてきた。
 なだめているのに、更に恐怖を与えるの、やめてくれませんか?
 明日香のお父さん……。
 私と千秋は心の中でツッコんだ。

「ごめんごめん」

 明日香のお父さんは怯える二人に謝りながら、続きを語り始めた。

「オレもびっくりして逃げてさー。事務所に戻って気持ちを落ち着かせるためにテレビをつけたのね。そしたら……」

 妙に溜めてきている。
 そう思った瞬間。

「つけた番組で心霊写真コーナーやってたんだよーッ!!!」
「ギャーーー!!!」

 きらりとふーに加えて、靖郎と淳、明日香も騒ぎ始めた。
 私と千秋は冷静だった。
 というか呆れていた。
 なんだ、このオチは……。

「……という笑い話でしたー。ウォーミングアップできたかなー?」

 ウォーミングアップというか、みんな血圧と脈の変動がおかしくなっただけですけど。
 私と千秋はそう思った。

「では、くじ引いてー」

 明日香のお父さんの手には割り箸七本握っていた。
 肝試しを周るためのチーム分けをするようだ。

 チームは、靖郎と淳の男子チーム、きらりと明日香の女子チーム、そして私と千秋とふーの三年生チームに見事に分かれた。
 初めに靖朗と淳、十分後にきらりと明日香、また十分後に私達のチームが出発した。
 中庭から図書室が見えるが、そこではお母さん達が楽しそうにお茶をしていた。

 ということは、脅かし役は川村先生と内藤先生、お父さん達だとその時気づいた。
 次々と悲鳴が聞こえてくる。
 それを聞いたふーが怯えていた。

「大丈夫だよ、ふー」

 千秋はそう言って宥める。

「あんた達は見えるでしょ!? 余計なこと言わないでよね!」

 今にもふーは泣きそうな顔をしていた。

「それはなっつに言ってくれ」
「え? なんでよ。しょうがないでしょ? 見分けつかないんだもん」

 そう言っていると、私達のチームの出発の時間になった。
 コースは、中庭からスタートし校門を出てすぐ左に行く道がある。
 道なりに行くと、お墓があり、近くを通ると、中学校の校舎に出る草むらの坂がある。
 その坂を登って中学校の中庭に戻ればゴールとなる。

「んじゃー、ちゃっちゃと行きますかー」

 私が先頭で歩いていく。
 ふーは千秋にガッチリとくっついて歩いていた。
 校門を出て左に曲がると、人の気配がした。
 というか、草を踏む音が聞こえた。
 木に隠れている人がいる。
 私が木に懐中電灯を向けると、そこには川村先生がいた。

「川村先生、みーっけ」
「なんで分かったんだよ!」
「さっき動きましたよね? バレバレですよ」
「もう少しさー、肝試しって感じで来てよー。かくれんぼじゃないんだから」
「す、すみません」

 千秋とふーは、私と川村先生のやり取りを聞いて笑っていた。

「んじゃー、学校に戻ってるねー」
「お疲れ様でしたー」

 川村先生と別れて、道なりに進んでいく。
 お墓の前辺りまで行くと、ふーが明るい顔で言う。

「やっとゴールが見えてきた! 早く行こう!」

 そう言って、私と千秋を焦らせる。

「そうだねー」

 私がそう言って答えた途端。

「わぁー!!!」

 突然、男の人の声が聞こえた。
 聞こえたと思ったら、お墓がある方向から男の人が二人走ってきた。
 それにはさすがに私達もビビった。

「なに!?」

 思わず叫ぶと、その男の人達が、明日香と靖朗のお父さんであることに気づいた。

「どうしたんですか?」

 ふーが怯えながら聞いた。

「ヒトダマが見えてさー!」

 お墓の辺りに見えたということで、その方向を見るも何も見えない。

「何もないじゃないですかー。本当に見えたんですか?」

 千秋が聞くと、明日香のお父さんが、

「本当だって! オレ達、先に戻ってるね!」

 と話し、私達三人を置いてお父さん達は戻って行った。

「なんか三年生組だけ、夜の散歩になったな」

 私が呆れて話すとふーが、

「別にそれでいいじゃん! これ以上求めてないもん!」

 と言い張った。
 その時、お墓の方から白い着物を着たお婆さんが歩いてきた。

「あ、こんばんわー。今日も暑いですねー」

 私がそう言うと、ふーが

「だから! そういうのいいから早く戻ろうよ!」

 と言ってきた。
 千秋がまたかというような顔で、いつものように教えてくれた。

「なっつー。その人、人じゃないよー」
「あれ? また間違ったわ。えへへ」

 私は笑いながらいうと、老婆が話しかけてきた。
 しかし、ふーだけが見えなければ、全く聞こえていなかった。

「おめさん達が、この中学校の最後の卒業生だね」
「はい、そうです」

 私は淡々と老婆と会話をした。

「私もここの中学校の卒業生だよ。寂しいもんだねぇ、学校がなくなるってのは。おめさん達。胸を張って卒業しなよ。姫乃森中学校を卒業できることを誇りに思いなさい。残りの学校生活楽しむんだよ」

 そう老婆が言うと、すーっと消えてしまった。
 ふーが恐る恐る私に話しかけてきた。

「誰? 何言われたの?」
「知らないばあちゃんが、胸を張って卒業しろ、この中学校を卒業できることに誇りを持てってさー。なんか、OGだったみたい」
「へー……。わざわざそれを言いに来たの? ふしぎー」
「ばあちゃんも帰ったし、うちらも戻ろうか」

 千秋がそう言い、私達は学校へと歩き始めた。
 皆の所に戻ると、二年生が「おそーい」と口を揃えて言ってきた。
 もう既に、花火の準備が出来ていた。
 花火を見たふーが、一気にテンション上がり走り出した。

「花火!? やったー!」

 打ち上げ花火やと持ち花火。
 一気に周囲が明るくなった。
 花火の後はテントで寝るだけだ。
 田舎の夜空に魅了され、まだ寝くなかった私は星を眺めることにした。
 一人で見ていると、千秋とふーがやってきた。

「二年生のみんなは疲れたみたいで寝ちゃったよ。なにしてんの?」

 千秋が話しかけてきた。

「今夜は、星が凄い見えるなーって思って」
「わあー! ほんとだー!」

 ふーが夜空を見上げて言った。

「あれがはくちょう座とわし座だから……夏の大三角形だね!」

 ふーが興奮して言う。

「はぁ、夏休みも終わるなー」

 千秋が溜め息とつきながら言う。

「そうだねー。進路、ちゃんと決めないとなー」
「ねー。進む道が別々だとしても、あたし達ずっと友達だよ!」

 ふーが私と千秋の方を向いて言った。

「当たり前じゃん!」

 夏の終わり。
 そろそろ、進路を決定する時期だ。
「この用紙に受験する高校名と学科名を書いて、今週中に提出してねー」
「はーい」
「じゃー解散!」

 帰りのホームルームで、進路希望用紙が配布された。
 私は、小学校から続けていた和太鼓をやりたくて、和太鼓部がある農業高校に進学することを決めた。
 初めは、介護福祉士の勉強ができる高校に行こうか迷っていたが、親から、

「せっかく高校に行くなら、やりたいことがある高校に行け。介護福祉士の勉強なんて専門学校に行って勉強すればいい」

 と言われたため、農業高校に進学することを決心した。
 家に帰り、早速用紙に記入し、親に確認してもらい、翌日には提出できるように準備した。
 翌日、千秋とふーから用紙を書いたか聞かれて二人に見せた。

「隣町の農業高校かー。なっつらしいね」

 千秋が用紙を見ながら言う。

「お前こそ、決まったの?」

 私がそう言うと、千秋は用紙を見せてくれた。

「凄いじゃん。進学校かー。同じ隣町の高校だね」
「そうそう。通学の電車も途中まで一緒だよ。川村先生が『お前の成績ならここがいい』って推されてさー。終いには『オレの後輩になれ!』って言われたー。兄ちゃんも行った高校だし、別にいいかなって思って決めたー」
「そっかー。卒業してもちょこちょこ会えるねー。ふーは?」
「あたしは……推薦で高専に行くことにした」

 ふーは元気のない声で言った。

「高専って県外じゃん!」
「うん……だから、二人とは離れ離れになっちゃう……。でも、どうしても、その学校で最新技術のバイオ研究ができるらしくて。やってみたいって思って。だから、この学校に決めたんだど……」

 三人とも黙り込んでしまった。
 小学校の頃からずっと一緒だったため、一緒にいるのが当たり前だと思っていた。
 見事にバラバラの高校に行くことを決めて、思いを伝えあった今。
 自分達の将来のため、いつかはバラバラになってしまう現実を思い知った瞬間であった。

「でもさー!」

 ふーが突発的に言い出す。

「あたし達、進む道が違っても永遠の友達だよ!」
「そうだよ! また、テーマパークに行って高級ホテルに泊まって遊ぶんだもんね!」

 千秋も続けて言った。

「あと、タイムカプセル、掘りに帰ってこなきゃね!」

 私が、そう言うと、二人とも笑顔になってきた。

「三人無事に、第一志望校合格目指そー!」

 私は拳を掲げて言うと、

「おー!」

 と、千秋とふーが続けて拳を上げる。
 受験に向けて三人の気合が入った。
 三人とも進路希望用紙を提出し、川村先生からも頑張れと言われた。
 いよいよ、受験に向けての取り組みが本格的になる。

「あー! 勉強もそうだけど、面接練習もやんなきゃねー」
「そうだねー」

 私とふーが話していると、千秋が考えながら言う。

「うん、受験対策も大事なんだけど……」
「ん? 何?」

 私は千秋に聞いた。

「最後の一大イベント、もうすぐじゃん」
「あ! 文化祭……」
「忘れてた」

 私は思い出したが、ふーは忘れていたらしい。

「二人とも、しっかりして! 作品作りや劇と歌の練習に、太鼓と郷土芸能の練習。やることはいっぱいあるよ!」
「そうでした……。はぁ。また今年も、放課後や夜もキツキツのスケジュールになるなー」

 私は途方に暮れていた。
 だって、プラス宿題もあるのだから……。
 運動会は体力的な疲労が大きかったが、文化祭は体力的にも時間的にもハードで多忙なものであった。
 私達は、文化祭の準備に追われていた。
 学校生活の最後の大イベント。
 文化祭も運動会と同様、保育園と小学校、中学校、地域合同で行う。
 ステージ発表は保育園児と小学生、中学生が担当し、地域の方々は芸術作品を展示する。

 中学生は、習字、絵、工作の制作はもちろん、ステージ発表の劇、太鼓、合唱、郷土芸能の練習にも取り組んでいた。
 太鼓は、普段の授業や部活でやっているため、お手のものである。

 問題は劇だ。
 劇は姫乃森地区を舞台にした『桃太郎』をすることにした。
 劇中には、地区の馴染みのある姫乃森山や姫乃森湖などを設定にいれた。

 私は小さい頃からセリフを覚えるのが大の苦手。
 なので、台詞の少ない一瞬の出番の小さい頃の桃太郎役をかって出た。
 背が低いからピッタリの役だ。
 劇の練習は、総合的な学習の時間にやった。

 キャストは、おじいさん役は靖朗、おばあさん役はきらり。
 桃太郎役は千秋、犬は淳、キジは明日香、猿はふーが担当した。
 ちなみに鬼役は、川村先生と内藤先生がやることになった。

「なんで、オレが鬼なの~?」

 川村先生は桃太郎をやりたかったらしい。

「いやいや、普通に考えて先生が主役やっちゃダメでしょ」

 千秋がツッコんだ。
 内藤先生はノリノリで小道具の金棒をブンブン振り回している。
 体格が体格のせいで、洒落になってない。
 恐怖でしかない。

「じゃー、桃太郎と鬼が戦うところからやるかー」

 私は出番が最初だけなので、ほとんどの稽古の仕切り、いわば監督役をやることになった。

「スタートー」

 私が合図を出すと、千秋がセリフを言い出す。

「やい、鬼ども! この桃太郎が退治してやるー! 犬、猿、キジ! 行くぞー!」
「おー!」
「ばっちこーい!」
「やー! とー!」

 戦いが始まった。
 生徒達は演技として手加減をしているが……。

「手加減してくださいよー!」

 千秋が川村先生からの攻撃を必死に耐えている。

「手加減問答無用! 本気で来い!」

 傍から見えば、チャンバラに見える。
 いい大人が子供相手に必死だ。
 ひどい絵面だ。
 呆れていると、みんなはぁーはぁーと息を切らし始めた。

 この戦いのシーン、長すぎる。
 鬼が参ってくれないと千秋の『参ったか! 鬼どもめ!』のセリフが言えず、物語が先に進まない。
 私と、出番を終えた靖朗ときらりは顔を見合わせた。
 二人も同じことを思っているようだ。
 私は仕方なくカットをかけた。

「カット! カット! すみません! 鬼役の方々……。降参して下さいませんか? エンディングを迎えられないんですけど……」
「だって負けたくないじゃん!」

 そういうことじゃない……。
 みんなそう思った。

「川村先生、適度にやって下さい! 内藤先生を見て下さい。バテてますよ?」

 内藤先生はフラフラになり、プスープスーと息切れをして座りっぱなしだ。

「川村先生のセリフがないから……。いつまで戦っていれば……良いんだろうと思って……」

 喋るのも大変そうなほどの息切れだ。
 内藤先生だけではなく、みんなも疲れていた。

「今日はこの辺にしましょう。次の時間は合唱練習だし。」

 合唱は小学生と中学生の合同で行う。

「あー、そうだった。練習は体育館でやるからねー」

 川村先生は金棒でバッティングの素振りをしながら言った。
 あんなにガチなチャンバラをやっていたのにまだ体力が有り余っているようだ。

「はーい」

 私達は小道具や台本を片付けて体育館へ移動して、合唱練習に参加した。
 合唱曲は「ふるさと」と「もみじ」だ。
 この合唱も来年からは小学生だけだと思うと寂しい。

 一日の授業がほぼ文化祭の準備で終わることもある。
 文化祭の準備が楽しすぎて、逆に授業を受けるのがダルく感じることもある。
 その分、文化祭準備のお陰で授業があまり進まないため、宿題が多い。
 家に帰って一時間で宿題を終わらせるのだが、その後もやることがある。
 それは、文化祭で地域の方々が一番楽しみにしている郷土芸能の発表練習である。
 地域の方々が一番楽しみにしているステージ発表がある。
 それは、郷土芸能だ。
 姫乃森には、お神楽と田植え踊りの二つが代々の伝統として残っている。
 お神楽は江戸時代末期、田植え踊りは鎌倉時代まで遡るほどの歴史がある。
 しかし、少子高齢化が進む中で継承していくのが難しくなり、今は、文化祭で子供達が踊りを披露することで、なんとか踊り続けている状況である。
 数年前までは中学生だけで踊っていたが、中学生の生徒数が年々、減少しているため、それ以降は小学校高学年も加わるようになった。

 お神楽と田植え踊りは、住んでいる地区で演目が決まっている。
 私と千秋、淳、きらりは、お神楽。
 ふーと靖郎、明日香は、田植え踊り。
 練習は夜に集まり、約一時間半くらいする。
 学校から帰って速攻で宿題を終わらせ、郷土芸能の練習で公民館という日々はハードすぎた。
 生徒達も大変だが、夕飯を準備したり公民館までの送り迎えをしたりと、子供達を支える親も大変だったろう。

 今夜も練習があるため、急いで宿題を終わらせて夕食をかきこみ、近所にある公民館へ母と向かった。
 公民館に着くと、ちょうどみんなが集まったところであった。
 私達、中学生四人と、小学生が四人。
 指導者は五人。
 三人はおじいちゃん、二人は中高年の男性だ。
 まともに踊れるのは中高年の男性二人だけだ。

 文化祭まであと一週間ということもあり、なかなかの出来栄えに仕上がっていた。
 今日は衣装を着て踊ることになっている。
 袴姿に、てっぺんに鶏冠をつけた兜を被る。
 ちなみに、オスとメスがあり、鶏冠が大きいのがオス、小さいのがメスとなっている。
 二人一組で踊るお神楽であるため、相棒との息も合わせながら踊らなければならない。
 ちなみに私の相棒は千秋である。
 母に手伝ってもらって衣装を着終わると、指導者の中の一人のおじいちゃんが話しかけてきた。

「やっぱ、おめーのじいさんそっくりだ。チビだけど。踊りもじいさんそっくりで格好が良い。チビだけど」

 私の祖父は私が生まれるずっと前に既に亡くなっており、自分自身じいちゃんがどんな人か全く分からない。
 じいちゃんはこのお神楽の舞手だったらしく、地元では有名人だったらしい。
 郷土芸能好きは、じいちゃんの血筋のようだ。

 指導者のおじいちゃんのように、じいちゃんのことを知っている人は、私の踊りを見てよく、じいちゃんとそっくりだと言ってきてくれる。
 じいちゃんのことを知らない私にとっては、じいちゃんのことを知ることが出来て嬉しいのだが、必ず「チビだけど」と言われるのは苛立ちしか覚えない。

 じいちゃんは百七十センチくらいの人だったらしい。
 身長なんて、どうにもならないのだから、しょうがない。
 だから、あまりチビと言わないでもらいたい。
 そういつも思っていた。

「どうもです」

 チビと言われて内心ブチギレながらも、褒めてくれているのだからと、一応お礼を言っておいた。
 衣装を着て踊ると、非常に身が引き締まる。
 袴姿は動きづらいのだが、それでも上手に踊ることができた。
 私のことをチビ呼びしていたおじいちゃんが、

「来年は小学生だけが踊るんだなー。そのうち、小学校もなくなるんだろうから、このお神楽もそろそろ潮時か……」

 と、寂しそうに呟いていた。

「大丈夫ですよ。私はこのお神楽を覚えてます。大人になっても、ずっと踊り伝えていきますよ。少なくとも私が生きている間は絶対に」

 そう言うと、おじいちゃんは微笑みながら頷いた。
 正直、思っている。
 いつかはこのお神楽も、ふー達が踊る田植踊りも、姫乃森から学校が失くなれば、いつか途絶えてしまう。

 学校がなくなることによって、地域の宝もなくなってしまう。
 あるものを失くすことは簡単だ。
 しかし、無いものを作ることはとても難しい。
 まだ中学生ながら、現実を思い知らされた。
 将来への不安は積もる一方だが、今の自分達ができることもいっぱいある。
 私は、それを一生懸命やるしかない。

「おじいちゃん! 文化祭で一生懸命踊るから、絶対に見に来てくださいね!」

 私がそう言うと、

「おう、楽しみにしてるよ」

 と言ってくれた。
 おじいちゃんの目は、期待なのか、泣いているのか、キラキラしていた。
 学校の行事ではあるが、地域の期待も背負った文化祭。
 本番まであと一週間だ。
 文化祭当日。
 体育館には、保護者や地域の人たちが集まっている。
 それを横目に、私たちは最後の準備をしていた。
 文化祭でも、係の仕事がある。
 放送は、ふーと明日香。
 照明は、靖朗と淳。
 舞台袖で大道具を準備したり幕を開閉したりする係を、私と千秋、きらりが担当する。
 各係に分かれて確認後、開会式のため整列した。

 開会式では、生徒会長の千秋が挨拶をした。
 生徒会の仕事も、この文化祭で終わりだ。
 緊張していたようだけど、堂々と挨拶をしていた。
 プログラムは順調に進んでいく。
 保育園児の合唱、小学生の演劇。
 そして、私達の出番。
『姫乃森版オリジナル桃太郎』だ。

 ――昔々あるところに、おじいさん(靖朗)とおばあさんが(きらり)がおりました。おじいさんは姫乃森山へ芝刈りに。
 おばあさんは姫乃森湖へ洗濯に。
 おばあさんが洗濯をしていると、大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。
 その桃を拾ったおばあさんは、えっちらおっちらと家に帰ってきました。

「おばあさんや、こんな大きな桃、いったいどうしたんじゃ?」
「湖で洗濯していたら、流れてきたんじゃ!」
「うーむ。美味しそうな桃じゃ。早速、割って食べてみるかのう」

 おじいさんが包丁で桃を割ると、桃の中から「オギャー!」と元気な男の子(夏希)が出てきました。
 おじいさんとおばあさんは、この男の子を桃太郎と名付けて大切に育てることにしました。
 桃太郎はたっぷりと愛情を受けて、大きく逞しく育ちました。

 ――この時点で、私は役を終えて音響の方に入っている。
 私の出番は「オギャー!」と飛び出しただけ。
 あとは、音響をやるのだ。
 なんて楽なんだろう!
 桃太郎の役は、千秋にバトンタッチ。
 
 桃太郎は大きくなり、ある日、おじいさんとおばあさんに告げた。

「鬼が悪さをしていると耳にしました。私は、その鬼を退治するために鬼の村へ行きます」
「本当に行くのかい? 気をつけて……。必ず帰ってくるのじゃよ」
「ありがとう、おじいさん。必ず鬼を退治して帰ってきます」
「桃太郎、お待ち。この草餅を持っておゆき。旅路は長いから、飽きないように、こしあんと粒あんに分けておいたからね」
「ありがとう、おばあさん。ボク、おばあさんが作った草餅大好物だからとても嬉しい!」

 その瞬間、客席から、

「草餅はこの地区の郷土菓子だからな―」
「随分こった、桃太郎だな」

 というツッコミが聞こえて、私は吹き出しそうになりながら音響の仕事に励んだ。

「では、おじいさん! おばあさん! 行ってきます!」
「気をつけてなー」

 桃太郎は元気よく出発した。
 少し歩くと、犬(淳)がやってきた。

「桃太郎さん、桃太郎さん。そのお腰につけた草餅を一つ私に下さいな」
「いいとも。犬よ、お前はこしあんと粒あん、どちらがいいのだ?」
「粒あんです。粒あんのあの食感、歯ごたえが大好きです!」
「いいとも。どうぞ」

 桃太郎が、粒あんの草餅を犬にあげると、犬は嬉しそうに食べた。
 ちなみにこの草餅は本物である。
 一口サイズの餅なので、すぐに食べ終わることができる。

「ありがとう、桃太郎さん! お礼にお供します!」
「大歓迎だ、犬よ。さあ、鬼の村へ行こう!」
「はい!」

 犬が仲間になり、旅路を急ぐ。
 すると次に猿(ふー)が現れた。

「桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけた草餅をお一つ下さいな」
「いいとも。猿よ、こしあんと粒あん、どちらがいいのだ?」
「粒あんです。食べごたえ抜群で大好きです!」
「やっぱりな、猿も粒あんの良さを分かってるな」

 犬がそう呟いた。

「いいとも、どうぞ召し上がれ」
「ありがとう、桃太郎さん。お礼にお供します!」
「よしよし、猿よ。さぁー、先を急ごう」
「はい!」

 お供に猿も加わり、再出発すると、次にキジ(明日香)が現れた。

「桃太郎さーん。そのお腰につけた草餅一つ下さいなー」
「いいとも。キジよ、こしあんと粒あん、どちらがいいのだ?」
「こしあんです! 歯がないのでこしあんの方が食べやすいです」

 その瞬間、粒あん好きの犬と猿は、顔を見合わせてやれやれというポーズをとる。

「粒あんの良さが分からないなんて、かわいそうだなあ」
「歯がないんだから、しかたないでしょ!」

 桃太郎は3匹をなだめながら、キジに草餅を手渡した。

「どっちもおいしいよね。ほら、どうぞ」
「ありがとう、桃太郎さん。お礼にお供します!」
「さぁー、みんな! 鬼村までもうすぐだ! 準備はいいか!?」
「おー!!!」

 そして、桃太郎達は鬼村に辿り着きました。
 すると、恐ろしい鬼が待っていました。
 赤いジャージを着た赤鬼(川村先生)と、青いジャージを着た青鬼(内藤先生)です。

「村の人から奪った物を返せ!」
「なんだとー! 青鬼行くぞ―!」
「サーイェッサー!」

 桃太郎達と鬼達の激しい戦いが始まった。
 練習通りガチで……。
 とても長い。
 会場は大盛り上がり。
 盛り上がりと比例して戦いのシーンも延長していく。
 場のテンションのお陰で、ノリノリの赤鬼。
 一向にセリフを言ってこない。
 青鬼はもうリタイヤして降参のポーズをして、犬、猿、キジにやられている。
 赤鬼と桃太郎の一騎打ちだ。
 桃太郎も限界のようだ。
 というか、とても迷惑な顔をしている。

 桃太郎が、私の方を見て訴えてきている。
 赤鬼が調子にノっていると……。
 いくら最後の文化祭とは言え、やりすぎだ。
 私は急いで舞台袖に行き、小声で、川村先生に訴える。

「川村先生! みんな限界! セリフー、セリフー!」

 何度も呼びかけたら、やっと気づいたようで先生は頷いてくれた。
 慌てて体を丸めて、セリフを言う。

「降参だー! 降参! もう悪いことはしません。許して下さい!」

 そして桃太郎が、

「はぁ……はぁ……。まったく……。犬、猿、キジ、もういいだろう。やめてやれ」

 と声をかけた。

「鬼ども、もう悪いことはしないと誓え!」
「もう悪いことはしません! 申し訳ありませんでした!」
「よし、それでは村の人達から奪ったものを返せ!」
「ははー!」

 鬼達は、村の人達から奪ったゲーム機、マンガ本、洗濯機、テレビ、電子レンジ、コロコロ、衣類、牛、馬、鶏など出してきた。

「桃太郎さん、量が多いので私達が責任持って村まで運びます!」
「ありがとう。では、村に帰ろう」

 桃太郎達は村へ帰っていきました。
 村に着くとおじいさんとおばあさんがやってきました。

「桃太郎、ありがとう。これでテレビで時代劇を見れるわい!」
「よく、生きて帰ってきてくれた。ありがとう、桃太郎。これで、姫乃森湖で洗濯せず、家で洗濯機を回して洗濯できるわい。村の人たちも喜ぶわい」
「おじいさん、おばあさん。よかったよかった」

 その後も赤鬼、青鬼は村の人達のために働き、お供の犬、猿、キジも桃太郎とおじいさん、おばあさんと一緒に仲良く暮らしましたとさ。
 めでたし、めでたし。
 
 キャスト全員ステージに並び、お辞儀をして、幕は閉じた。
 盛大の拍手をもらった。
 幕が下りるとすぐ、みんなで川村先生に抗議をした。

「ちょっと川村先生! やりすぎだって! みんな疲れてたよ! これから太鼓叩いたり、郷土芸能を踊ったりしなきゃいけないのに!」
「ごめんごめん! まぁー、終わり良ければ全て良し!」

 まったく迷惑な先生だ。
 目立ちたいだけだろうに。
 もっと言ってやりたいけど、争っている場合ではない。
 次の演目のための準備があるのだ。
 文化祭も後半戦へと続く……。
 お昼時間になったけど、ゆっくり食べている暇はない。
 親と作品を見に行ったり、バザーで買い物をしたりと以外に忙しい。
 そして、午後一発目の演目は郷土芸能だ。
 これまた、衣装に着替えるのに時間と手間がかかる。
 控室となっている図書室に行き、母に手伝ってもらって着替えた。
 袴姿はカッコよくて良いが、お腹を締められるのが億劫だ。
 しかし、きつく締めないと、踊りのときに衣装が緩んでしまう。
 だから、これでもかと言わんばかりにキツく締められるので、とても苦しい。
 手加減をしてもらいたいものだ。

 着替え終わり、廊下に出ると、田植え踊りの衣装を着たふー達がいた。
 鶏冠をかぶるためにメガネを外しているから、二人の姿がぼやけて見える。

「袴姿、かっこいいなー。なっつ似合うねー。あたし、笠が重くて大変」

 ふーの声だが、笠で顔が隠れていてよく見えない。

「そうか? 帯でお腹締められて、お昼食べた物吐きそうで大変だよ」

 そんな話をしていると、あっという間に時間になってしまった。
 私達は急いで体育館へ移動した。

 午後のトップバッターは田植え踊りからだ。
 踊りと太鼓は小学生と中学生が行い、歌と笛は指導者のおじいちゃんとおばあちゃん達六人で行う。
 練習の成果が出ていて、見事な踊りに見入ってしまう。
 田植え踊りも高齢化が進み、後継者がいないため、これが見納めになってしまう。
 とても寂しいが、有志が立ち上がって、伝えていってもらえる時がくるのを祈るのみである。

 次は私達の出番だ。
 ステージに移動しようと歩き出すと、観客席より地元の人達が、「頑張ってね!」「楽しみにしてるよ!」と声が聞こえた。
 みんな、小さい頃からお世話になっている人達ばかりだ。
 会釈し、ステージ袖まで急ぐ。
 とても胸が熱くなってくる。
 袖に行き、立ち位置に着こうとすると、指導者の人達が幕を張っていた。
 その幕には、姫乃森神社の文字が書いてあった。

「おー! 本格的~」

 私は興奮していた。

「最後だしよー。あと、いつまた見れるか分からねーから、引っ張り出してきた。これ飾れば、いくらかはかっこいいだろ?」

 おじいちゃんはそう言っていたが、その目にはどこか寂しさが感じられた。

「ありがとう! 頑張って踊るね!」
「あとよー。先生にちょっと時間貰ったから、お前、最初に御神楽(みかぐら)叩け。権現さんも連れてきたし」
「えっ?」
「学校側は大歓迎だってよ」

 なぜ私だけ演目が増えているんだ?
 本人の許可は? 
 とってねーだろ。
 だって聞いてねーもん!

「なっつ、良かったじゃん! 御神楽デビュー!」

 千秋が私の肩を叩きながら言った。
 どおりで指導者全員袴姿なわけだ。
 幕の前には手桶に入った水と一升瓶に入った酒、権現様が置かれていた。
 実は、神楽好きということもあり、練習の合間に御神楽の太鼓を叩かせてもらって覚えていたのだ。
 人前で披露するのは今日が初めてだ。
 ちなみに御神楽とは神様に捧げるお囃子みたいなものだ。
 太鼓、笛、カネで演奏する。

「マジかよー。足痺れなきゃいいな……」

 私は正座が苦手だ。
 三分程で御神楽は終わるが、私にとってはバカにできない三分間だ。
 時間がないため、さっさと準備をすることにした。
 左からカネ、太鼓、笛の順に権現様の前に座り、二礼二拍一礼後、御神楽を奉納した。
 奉納後、また二礼二拍一礼すると、水と酒、権現様を舞台袖に移動させるため、一度ステージの幕が閉じた。

「急だったけど、上手に叩けたな。良かった良かった。よし、整列せぇ」

 おじいちゃんが褒めてきた。
 まぁー、間違えることがなかったから良かった。
 そう思い立ち上がろうとするも、上手く立てない。
 見事に両足が痺れていた。
 すると、みんなが私の足を突っついてきた。
 まさに地獄。
 しかし、本番中でもあるため、声を出せない。
 逆に突っついてくれたお陰で、スピーディーに痺れから開放された。
 その後、渋々整列した。

「間に合ってよかったじゃん。ありがたく思え」
「うるせー!」

 千秋からからかわれ、私は溜め息をしながら言った。
 アナウンスが流れ、ステージの幕が開いた。
 同時に囃子が始まり、私達は囃子に合わせて踊り始めた。
 練習以上にみんな上手く踊れている。
 太鼓を叩いているおじいちゃんが楽しそうな顔をしているのが、チラチラと見えた。
 おじいちゃんにとっては最後ではあるが、至福の十五分間であっただろう。

 私達の出番が終わり、次は太鼓を叩くため、急いで控室である図書館に行き、太鼓の衣装に着替え始めた。
 体育館に戻ると、神楽の太鼓を抱えて、おじいちゃんが帰ろうとしていた。
 私は、おじいちゃんの傍に急いで駆け寄った。

「おじいちゃん! ありがとうね! 大人になって一人前になったら、また踊るから!」
「俺が生きているうちに、もう一回踊れよ。こちらこそありがとう。楽しかったよ」

 そう言っておじいちゃんは帰って行った。
 ちなみにこの一ヶ月後、おじいちゃんは老衰で亡くなってしまうのだ。
 あの笑顔を、私は一生忘れることがないだろう。
 太鼓を叩き終え、全体での合唱、そして閉会式となった。
 文化祭が終わった。
 これで学校行事も一段落。

「さあ、片付けようー」

 先生方の合図で地域の人達も加わり片付けをした。
 みんなでやれば早い。
 あっという間にいつもどおりの体育館の姿になった。
 教室に戻り、帰りの会をした。

「おつかれー! これで一段落だねー。明日明後日は、ゆっくり休んでねー」
「はーい」
「あと、これ。早めに配っておくねー」

 川村先生が渡してきた一枚の紙。
 それには、面接練習と書いてあった。

「高校の面接で聞かれそうな質問をまとめておいたので、考えておいてねー」
「あー! 受験かー! 現実に戻されるぅー!」
「そんな事言って。ふーは推薦だから一月が受験でしょ? 本気出していかないと」

 千秋が、ふーに活を入れていた。

「二人はいいなー。二月の受験で」
「たった一ヶ月違いじゃん。たいした違いないじゃん」
「そうだけどさー」

 千秋とふーのやり取りを聞いていると、川村先生が話しかけてきた。

「休み明けから本格的に受験対策するからねー。覚悟しててねー」
「はーい」
「じゃー、解散! おっつー!」
「先生、さようならー」

 私達は川村先生に挨拶し、駐車場で待っている親の元へと急いだ。
 今日は、なにかとドタバタした一日だった。
 中野先生に提出物があったので、私は昼休みに職員室へ行った。
 いつもは給食だが、今日は弁当の日。
 先生達も、各々が弁当を持って出勤していた。

「失礼しまーす」

 ノックをして職員室に入り、中野先生の席に向かった。

「先生、プリントまとめてきました」
「ありがとう、夏希さん」

 まとめると言っても三枚だけど、端を揃えて中野先生に手渡した。

「では、失礼しま……」
「いただきま~す!」

 職員室から出ようとしたら、川村先生の大きな声が聞こえた。
 どうやら、カップラーメンを食べようとしていたようだ。
 どんなラーメンか気になって、こっそりと近づいて覗き込んだ。
 しかし、蓋がもう剥がされていて、何のラーメンか分からない。

「混ぜて混ぜてー。胡椒をかけてー」

 川村先生は、よく分からない歌を口ずさみながら、ラーメンを箸でぐるぐるかき混ぜていた。

「ふーっ、ふーっ……ずずずっ……ん? んんっ!?」

 麺をすすった川村先生が、妙な声を出した。

「かってぇー! なんだ、これ!」

 顔をしかめた川村先生が、慌ててゴミ箱からラーメンの蓋を拾った。

「うわー、これ、三分じゃなくて五分じゃん!」

 どうやら、お湯を入れてから待つ時間を間違えたようだ。
 この様子だと、作り方の説明をよく読んでいなかったんだろう。
 お気の毒さま……。

 そんなことを思いながら、ふと窓の外を見た。
 そのとき、職員用の駐車場で何かが動いているのを見つけた。
 よく見ると、大きなカモシカが、川村先生の車のサイドミラーを美味しそうにペロペロと舐めている!
 私は言葉を失い、その光景を呆然と眺めていた。
 すると、中野先生が私を見て声をかけてきた。

「夏希さん、どうしたの?」
「あの……川村先生の車をカモシカが舐めてます」
「えっ……?」

 中野先生はびっくりして、窓の外を見た。

「えっとー……シカ?」
「そうですね。あれはカモシカですね」
「初めて見たわ! あれがカモシカなのね。よく見ると可愛いわね」

 中野先生は都会出身だから、動物を見慣れていないようだ。

「でも、あれ成獣ですねー。基本、おとなしいですけど、驚かさないように温かく見守りましょう」
「あっ、そうなのね。夏希さんは驚かないのね」
「ええ、見慣れてますから。うちの庭にも出ますし、子どものカモシカと遊んだこともあります」

 中野先生は、目を丸くして私を見つめた。

「すごいわね! たくましいのねえ」

 私はふと我に返り、川村先生に声をかけた。

「あのー、お食事中失礼します」
「どうした、なっちゃんー」

 川村先生は、不味そうにラーメンをすすりながら答えた。

「あのー、大変申し上げにくいんですが……。先生の車なんですけど……カモシカにサイドミラー舐められてますよ」
「ははは、そんなわけ……」

 川村先生はそう言いながら、自分の車を見た。

「うわあぁぁぁ! 何じゃありゃぁぁ!」

 大声をあげた川村先生は、ラーメンを放置して外に出ようとしていた。
 慌てて私は川村先生を止めた。

「下手に手を出すと驚いてしまって、先生の車がどうなってしまうか分かりませんよ!」
「じゃあ、どうしろっていうんだ!? 俺の愛車がー! 洗車したばっかりなのに!」
「更にきれいになって良かったじゃないですかー。まぁ、そのうちいなくなりますよ。温かく見守ってましょう」
「温かくって、お前……」

 そんな私と川村先生のやり取りをよそに、内藤先生はニヤニヤしながら、カモシカが川村先生の車を舐める様子を携帯で撮影していた。

「内藤先生! そんなことしている場合じゃないよ! なに写真撮ってんだよ!」
「……あっ」
「えっ……?」

 内藤先生の視線の先を追うと、カモシカが舐めていたサイドミラーが見当たらない。
 そして、カモシカもいなくなっていた。

「川村先生、サイドミラーひとつ無いですよ?」

 私が呟くと、川村先生は「なにぃ!」と言って、自分の車に走っていった。
 職員室の窓を開けて、私は「先生、大丈夫ですかー」と叫んだ。
 すると、川村先生が何かを拾って、こっちにやってきた。

「これ……」

 カモシカにへし折られてしまったサイドミラーを手にしている。
 川村先生は言葉を失い、それ以上の台詞が出てこない。
 内藤先生は、

「あー、これはやられましたねー。車屋に電話したほうがいいですよー」

 と、川村先生の肩を叩きながら言う。
 川村先生は、しょんぼりしながら、携帯を取り出して電話をかけようとした。
 私はすかさず声をかける。

「あっ、川村先生。ここ、圏外です。学校の電話使うしかないですよ」
「田舎って、怖いなあ……」

 電話機に手を伸ばした川村先生にお辞儀をして、教室に帰った。
 かわいそうに……と思いながら。


 次の時間は数学だ。
 数学は内藤先生の担当だ。
 いつもどおり、のどかな授業が進む。
 お相撲さん並の体型の内藤先生は、いつもと変わらないパッツンパッツンのジャージ姿だ。
 私達はもう見慣れているので、黙々と授業に集中していた。

「それで、このXにYを移乗して……あっ」

 ポキッと音がして、内藤先生が持っていたチョークが折れた。
 力が強いから、いつもチョークを折ってしまうのだ。

「またやっちゃった……よいしょっと」

 落ちたチョークを拾おうと、内藤先生がしゃがんだ。
 その瞬間……。

 ビリッ……。

 私の耳に、何かが破けたような音が聞こえた。

「ねえ、いま、何か破ける音しなかった?」
「えー? 何も聞こえなかったよ」

 ふーは聞こえなかったらしい。
 それを聞いていた千秋も、分からないというふうに首を横に振っている。

「どうしたのー?」

 私達が喋っているので、内藤先生が尋ねてきた。

「いやー……何かビリッて破ける音が聞こえたので……」
「えー? 何も聞こえなかったけどなー。授業進めるよー」
「すみません。でも、確かに……」

 内藤先生は、再び黒板に向かって、公式を書き始める。
 すると、内藤先生のお尻の部分が、縦にパックリと裂けていた。
 その瞬間、生徒三人は同時に吹き出した。
 笑いを堪えるのが大変だ。
 お尻の裂けたところから、真っ赤なパンツが見えている。

「三人とも、笑っちゃって、どうしたの?」

 内藤先生は全く気づいていなくて、不思議そうに聞いてきた。

「いや、あの、えーっと」

 千秋は、どう言っていいか分からずに、口ごもっている。
 ふーは、お腹を押さえて笑っていて、テーブルに伏せていた。

「先生、今日は赤色のパンツ穿いていますか?」

 私が直球で言うと、千秋とふーが慌てて止めようとした。

「ちょっと、なっつ! あんたには配慮ってもんがないの!?」
「そうだよ! そんなストレートに言っちゃダメだよ!」
「え、なにが?」

 私がきょとんとしていると、内藤先生が慌ててお尻を押さえた。

「うわっ! ズボンが裂けている! どうしよう……。まず、みんなは自習してて!」

 内藤先生は、お尻を押さえながら走って教室を出ていった。
 まるで、トイレを我慢しているみたいだ。
 教室には、残された私達の笑い声が盛大に響いていた。


 今日最後の授業は、中野先生が担当する国語だ。

「きりーつ、れいー、ちゃくせーき」

 私が号令をかけ、席につく。
 中野先生も教壇で椅子に座り、授業が始まるかに思えた。

「はぁ……」

 中野先生は、座った瞬間、大きな溜め息をついた。
 心なしか、元気がないように見える。

「先生、どうしたんですか? 溜め息なんてついて」

 千秋が聞くと、中野先生は重い口を開いた。

「それがねー。最近、体重が全然減らなくて……」

 何かと思えば……また始まったか。
 私達は心の中で、盛大にズッコケた。
 中野先生は、こういう無駄話で授業をつぶしてしまうことが多々ある。

「先生、この間の運動器具はどうなったんですか?」
 
 ふーが手を挙げて聞くと、中野先生は溜め息交じりに言う。

「あー、あれね……。三日も持たなかったわ……。足が疲れちゃってね」

 この間の授業で、中野先生は通販で買ったという、足踏みする器具のことを自慢気に話していたのだ。
 色々買っているみたいだけど、だいたい三日坊主で終わる。

「どうしたらいいのかしらねえ。みんなはどう思う?」

 どう思うも何も、思春期の私達に聞かれても困る。
 呆れている私と千秋をよそに、ふーだけはノリノリで質問を繰り返していた。

「他にどんなダイエットしてるんですか? 参考までに聞かせてください」

 ふーは、ダイエットに興味があるらしい。

「あとはねー。食事を減らしたり、ヘルシーなものを食べたりしてるわね。今日もゼリーしか食べてないの。だから、さっきお菓子食べちゃった」

 だから減らないのじゃないかと、私は思った。
 時計の針を見ると、開始から十五分が過ぎていた。
 私達は、授業が始まる気配は無いなと思い、広げていた教科書とノートを閉じて、中野先生の話に耳を傾けた。

「食事だけですか? 運動はしないんですか?」
「えーっと、あとは休みの日にジムへ通ったり、インターネットで痩せるダンスを見つけてやってみたりしているのよ」

 ダンスをしている中野先生……。
 あの美貌を保つのも大変なんだなあ。
 中野先生はアラフォーの美人で、スタイルも抜群だ。
 ダイエットなんて、する必要がないように思える。

「あなた達もアラフォーになれば分かるのよ。減らそうと思っても、そのときには既に遅いのよねー」

 中野先生は、延々とダイエットの苦労話を続けていく。
 ふと時計を見ると、授業が終わる五分前になっていた。
 私達は教科書とノートをしまい、帰る準備を始めた。
 その間も、中野先生は淡々とダイエットについて喋っていた。

 キーン……コーン……カーン……コーン……。

 チャイムが鳴り、中野先生はハッとしたように顔を上げた。

「あら、もうこんな時間! 時間が経つのは早いわねえ。今日はこれで授業を終わりにしまーす。日直さん、号令お願いします」

 号令をかけるも、私は授業なんてやってたっけと思った。
 中野先生はスッキリしたのか、上機嫌で職員室へ戻っていった。

「さっきの授業、何だったけ?」

 私が呟くと、千秋が、

「国語でしょ?」

 と、冷静に答えた。

「そうだっけ? ダイエットの授業じゃないの?」

 ふーは真顔で言っていた。
 ダイエットの授業って何だよ。
 私は呆れながら、掃除に向かった。


 放課後の掃除は、分担して行う。
 自分の持ち場が終わると、私は職員室に報告しに行く。

「失礼します。中野先生、音楽室の掃除終わりました」
「はい、お疲れ様」

 すると、校庭からパーン、パーンと運動会のスターターのような音が聞こえた。

「この音、なんですか?」
「あー、これね。なんか、有線放送が流れて、この周辺に熊が出たらしいのよ。それで、校長先生が追い払うためにスターターを使っているの」
「えー、怖い。どうしよう」

 そこに、隣の小学校の校長先生がやってきた。

「お疲れさまですー。あ、なっちゃん、今日も頑張ってるねえ」
「お疲れ様でーす」
「ところで、スターターの音が聞こえたんですけど、どうされましたか?」

 中野先生が、事情を説明する。

「あー、あの有線の件ですか。あれは、ここじゃなくて、隣の学区ですよ」
「そうなんですか! 校長先生ー! 小学校の校長がお見えですー!」

 中野先生は、窓を開けて校庭に向かって叫んだ。
 校長先生が気づいて、周りを警戒しながら戻ってきた。

「あー、お疲れさまですー。どうされましたか?」
「校長先生、熊はここじゃないそうです。隣の学区だそうですよ」
「ええっ、そうなんですか! 私はてっきりここだと思って……ご迷惑をおかけしました」

 校長先生は、ほっとしたようにスターターを片付けにいった。
 こうして、生徒達の安全は守られたのであった。

「中野先生、校長先生は一人で行ったんですよね。怖かったでしょうね」

 私が言うと、中野先生はくすくす笑った。

「それがね。放送を聞いてすぐに、スターターを持ってパンパン鳴らし始めたの。私、行ってきます、とか言ってね。すごく勇敢で頼もしかったのよ」
「そうなんですか。さすが校長先生ですね」

 いつも草刈り、草取り、花壇の掃除と、のんびりしている印象だったけれども、やるときにはやるんだなと、私は感心した。
 姫乃森中学校は、こんな愉快な先生達に守られている。
 だから、生徒達は楽しく一日を過ごせるのだ。
 文化祭も終わり、私達は余韻に浸っていた。

「学校行事の一大イベントが終わると、なんか気が抜けちゃうよねー」

 ふーが呑気に話していた。

「ほんとだね~」
「ちょっとあんた達、受験のことも考えなよ。面接練習が始まるんだから」
「余韻に浸るくらい良いじゃ~ん、ねーなっつー」
「ねー、ふーうー」
「まったく……あんた達は……」
「ところで、次の時間なんだけど……。授業内容変更してまでホームルームやるなんて、なんかあったのかなー?」

 私は不思議そうに言った。
 あまりに急過ぎて訳が分からない。
 グダグダとしていると川村先生が教室に入ってきた。

「お待たせー! んじゃー、号令よろしく~」

 日直の千秋が号令を掛けた。

「起立! 礼!」
「お願いしまーす」
「着席」
「いやいや、何をお願いするのか分からないんですけどね」

 着席すると、千秋がすぐにツッコミを入れた。

「だよねー。授業内容変更することしか言ってなかったからねー。実は、明日のことなんだけど……。まず、プリント配るからプリント見ながら説明するね」

 そう言って川村先生が一枚のプリントを私達に配った。
 その紙には、『美術館見学・テーブルマナー教室について』と書いてあった。

「そのプリントに書いてある通り、明日の授業は一日外で授業しまーす。全校生徒でね」
「ほんと、急ですね」

 私は川村先生に言った。

「そうなんだよねー。ほら、三月で閉校しちゃうじゃん? それで、学校の予算を使い切っちゃおーってことで、急遽だけど高級レストランでお昼食べながらの野外学習をやることに決めました! やったね!」
「やったぁー!」
「はぁ……」
「へぇー」

 飛び跳ねて喜ぶふーと川村先生とは裏腹に、私と千秋は至って平常心だった。

「おいおい、二人ともー。嬉しくないの? 一日中授業潰れるんだよ?」
「いやいや、先生がそんなこと言っちゃダメでしょー」

 私は思わずツッコんだ。

「オレはハッキリ言う! 嬉しいぞ!」
「川村先生、ちょっといいですか? 渡し忘れたプリントがありましてー」
「あっ! 校長先生……」

 嬉しいと川村先生が叫んだ直後、校長先生が教室に顔を出した。
 川村先生の顔色が一気に青ざめる。
 私と千秋は、思わず吹き出してしまった。

 ふーは上機嫌にプリントを黙読していて、校長先生が来たことに気づいていないようであった。
 テンションが上っているふーと、上っていない私と千秋を見て温度差を感じた校長先生は、ニッコリ笑いながら声を掛けてくれる。

「受験対策も始まるけど、大きな学校行事が終わったし、みんな今まで頑張ったんだから、少し羽目を外してゆっくりするのもいいんですよ。美味しいレストランを予約したので明日はあまり授業だと思わず楽しんで下さいね。一日中授業が潰れるわけですからね。ですよね? 川村先生?」
「あ……はぃ……」

 校長先生の耳にちゃんと川村先生が喜んでいた声が聞こえていたらしい。
 でも、校長先生からは怒っている雰囲気が全く感じられない。
 というか、「全くこの子はー」と我が子に対して笑いながら呆れているように見えた。

 校長先生は怒ることがあるのだろうか?
 この心の広さを見習いたいものだ。
 校長先生は追加のプリントを川村先生に渡すと職員室へ戻って行った。
 不意に川村先生の顔を見ると汗を拭いていた。
 私はそっと、川村先生に話し掛けた。

「先生……。大丈夫ですか?」
「まぁー、校長先生は怒らない人なんだけど……。罪悪感がヤバい……」
「ですよねー」

 私と千秋が口を揃えて言った。

「気を取り直して、明日の予定についてお話しますね」

 いきなり、川村先生がガチガチの敬語で話し始めた。
 全然、気を取り直していない……。
 というか、いつもと違う話し方で気持ち悪い。
 私だけじゃなく、千秋もふーも顔が引きつっていた。
 たぶん、校長先生にまだ聞かれているんじゃないかと心配しているんだろうけど……。
 教師って、大変だな~。
 私は呑気にそう思った。

「明日は普通に登校して下さい。朝の会が終わったら、バスに乗り込んで美術館へ向かいます。美術館の見学が終わったら、近くの高級レストランにバスで移動して、昼食です。その後、学校に帰ってきます。みんなはこの日、三時で下校して良いです。以上が明日のスケジュールです。ここまで質問ありますか?」

 最後の最後まで、頑なに敬語で話した川村先生。

「無いでーす」
「美術館見学のレポートとかは敢えて準備はしていません。気楽にその日を楽しみましょー。まぁー、今までの行事のご苦労さん会ってな感じで」
「はーい」
「じゃー、ちょっと早いけどこの時間は終わりにしまーす。日直、号令お願いしまーす」
「起立! 礼!」
「ありがとうございましたー」
「着席」

 いつもはこのまま川村先生は職員室へ向かうのだが……。

「あぁー! 職員室に戻りたくねー! 絶対に校長先生に怒られるぅー!」

 川村先生が教卓にへばりつきながら言った。

「校長先生怒ってる感じしていませんでしたから、大丈夫ですってー」

 千秋が川村先生のことを宥めていた。
 なんと情けない姿。
 どっちが生徒で先生なのか、これじゃ分からない。

 結局、川村先生は校長先生に怒られることはなかったそうだ。
 こうして私達は明日、先生達からのご褒美として、美術館見学と高級レストランで食事をすることになった。
 今日は、美術鑑賞と高級レストランで食事をすることになっている。
 私達は、朝の会を済ませ、校舎前に止まっていたバスに乗った。
 バスに乗り込むと、既に二年生達がバスの中にいた。
 三十人乗りのバスに、生徒七人と教師四人が乗り込む。
 なんと贅沢だ。

 高速を使いながらバスに揺られること一時間半。
 公園のような敷地に立つ、県立美術館に到着した。
 美術専門でもある川村先生のあとについて、私達は美術館の中に入って行った。

「じゃあ、自由に見学しましょうー。時間になったら、この玄関前に集合でー」

 てっきり川村先生が作品の解説をしながら回るのかと思っていたら、まさかの野放し。
 川村先生は、本当に美術の先生なのだろうか。
 半ば呆れながら、みんなと一緒に美術館の中を歩いていく。

 ちょうど、地元にゆかりのある画家の展示会が行われていたので、そこを中心にゆっくりと見て回った。
 ただ、絵心がないので、正直、作品を見てもよく分からない。

「千秋は真剣に見てるね。分かるの? 私はさっぱり分からないや」
「あんたは絵が下手だからね。この良さが分からないとは、もったいない」
「そんなストレートに言わないでよ。ちょっと傷ついた」
「まあ、難しく考えないで、感じるままに観ればいいんだよ。それに、このあと豪華なレストランで食事なんだから、そこで癒やされよ」

 他人事だと思って、千秋はひどい言い様だ。
 まあ、これも幼馴染の仲だからこその漫才みたいなものだ。
 ふーは分かっているのか分かっていないのか「すごい! すごい!」と言いながら見ている。
 絵の大きさなのか、作品の素晴らしさで言っているのか、さっぱり分からない。

「ねえ、見て見て! ほらー! そっくりでしょー!」

 ふーは彫刻作品のポーズを真似て、得意げに私達を見る。

「公共の場でなにしてんの!」

 千秋に注意されて、ふーは「それほどでも……」と照れている。
 いや、褒めてないから……。
 そんなこんなで、美術館の見学時間はあっという間に過ぎていった。
 私達は、時間通りに玄関で集合した。

「じゃあ。これからレストランに向かいます。バスに乗り込んでくださーい」

 どこから現れたのか、川村先生が指示を出した。
 全然見かけなかったけど、どこにいたんだろう。
 でも、手には重そうな袋を抱えていた。

「先生、それ何ですか?」

 ふーが興味を持ったのか、川村先生に聞いた。

「これはね、美術館でしか手に入らないポストカードとか画集だよ。いやー、貴重なものがいっぱいあったー。来て良かったよ」

 どこにいたかと思えば、ずっと売店にいたようだ。
 美術館に来て、一番楽しんでいたのは川村先生であった。
 バスに乗り、少し離れた高級レストランに向かう。

「腹減ったー!」

 靖郎と淳が、だるそうに言った。
 私達もお腹がぺこぺこであった。
 レストランに着くと、予約席に案内された。
 大きなテーブルに、立派なテーブルクロスがかかっている。
 それぞれの席に、ナイフやフォークが準備されていた。

「今日は、フルコースのテーブルマナーを勉強します」

 内藤先生が指示を出し、私達は学年ごとに席に座った。
 そのタイミングで、レストランのスタッフが、私達の前に進み出る。

「今日はようこそおいでくださいました。テーブルマナーとは言いますが、皆さん、リラックスして食事を楽しんでいただければ幸いです」

 スタッフの説明を受けながら、私達はナプキンをつけて食事が来るのを待った。
 最初に出てきた料理を見て、生徒達はポカーンとしていた。

「えっ、これだけ……?」

 男子達が、小さな声で呟いた。
 最初はオードブルとのことだったが、丸いお皿の上にスモークサーモンで巻かれた野菜が、ちょこんと置かれている。
 とても美味しかったけど、男子には物足りないようだ。

 次はコーンポタージュが出てきた。
 スプーンを使い、音を立てないように飲むのだが、みんなズズズ、ズズズと音を立てて飲んでいる。
 スタッフは、吹き出しそうになりながら、私達を温かい目で見守っていた。
 次に、魚、肉とコースが続いていったが、みんな口を揃えて、

「白米が食べたい……」

 と、呟いていた。
 私達の田舎癖が炸裂していったのであった。

 教えてもらったとおりにナイフやフォークを使っていたが、みんなぎこちない動きで食事をしている。
 フォークではなくナイフで刺して食べようとしたり、上手く肉が切れなくて、そのままフォークを刺して丸ごと食べてしまったりしている。
 挙げ句のはてに、箸で食べたいという人もいた。
 なんと、川村先生もその一人だった。
 隣に座った内藤先生に、必死で食べ方を教わっていた。
 デザートを食べたあと、グラスの水を飲んで料理の余韻にひたる。

「美味しかったねー。もう一生食べれないね、こんな料理」

 ふーが満足そうに言った。
 確かに、すごく美味しかった。
 家で食べる大皿料理とは段違いだ。
 そんなことを言っていると、どこからかガリゴリガリゴリという音が聞こえる。
 前を見ると、靖郎と淳が、口をもぐもぐと動かしていた。

「何食べてるの?」
「氷ですー」

 男子二人は、グラスに残った氷まで食べていた。
 ふと見ると、明日香もガリゴリと食べていて、それを見ていたきらりが呆れて、恥ずかしそうに下を向いている。

「あんた達、行儀悪いよ」

 千秋が注意したが、男子と明日香は口を揃えて、

「姫乃森中学校のモットーは、最後まで綺麗に残さず食べましょうですよ! 先輩達も氷残ってますよ! 食べないと!」

 そこまでしなくたって……。
 私が呆れていると、隣から似たような音が聞こえた。

「やっぱり氷って美味しいよねー」

 ふーが、氷を頬張って、ガリゴリガリゴリと音を立てながら食べていた。

「ふーはほんと、氷好きだねー。いつもジュース飲むとき、氷と一緒に飲んでるよね。ていうか、あんたも先輩なんだから、きちんとしなさいよ。二年生が真似するでしょ」
「えー、私悪くなーい。私にとって、氷は食べ物だもん。それに、二年生の方が先に食べてたじゃーん」

 私と千秋は呆れてしまい、きらりと同じく恥ずかしくなって下を向いていた。
 ようやく氷を食べる音が無くなり、顔を上げた。
 すると、私や千秋、きらりのグラスの氷まで、みんな食べられてしまっていた。

「お前ら、いつの間に……」
「だって、もったいないじゃーん」

 どうやら、私と千秋の氷を食べたのは、ふーの仕業のようだ。
 そんなに氷を食べたら、お腹を壊さないか心配になる。
 スタッフが食器を片付けて、再び話し始めた。

「本日のコースはこれで終了となります。皆さん、何もかも残さず食べていただけて、とても嬉しいです」

 スタッフは笑顔で言っていたけど、私は恥ずかしくて仕方なかった。
 身も心も満たされた私達は、帰りのバスに乗り込んだ。
 お腹がいっぱいになったのか、氷をかじった四人はいびきをかきながら寝ていた。
 学校に着き、私と千秋はふーを、きらりは靖郎と淳、明日香を叩き起こした。

「ほら、学校に着いたよー。起きてー」
「もう着いたのー?」

 私達はバスを降りて、運転手さんに挨拶をして見送った。
 川村先生が、生徒を集めて指示を出す。

「じゃあ、今日はこれでおしまいです。三時のバスまで、部活をして過ごしましょう」
「はーい!」

 すると、靖郎と淳と明日香、そしてふーが、走って校舎に入って行った。

「どうしたのー?」

 千秋が叫ぶと、振り向いたふーが青い顔をして叫んだ。

「お腹が……ちょっと……ヤバい! トイレ!」

 四人は必死の顔で、トイレに向かって走っていった。

「だから言わんこっちゃない……。あんなに氷食べるからだよ。自業自得だね」

 千秋の呆れたような呟きに、私ときらりはただ頷くだけであった。
 自分達のグラスだけで我慢していれば良かったのに、欲張って私達の氷まで食べるからだ。
 ふーなんて、私と千秋の分まで食べたのだから、そりゃお腹も痛くなる。
 欲張らなかった私達は、バスの時間まで楽しく部活をして過ごした。
 他の四人は、バスが来るギリギリの時間まで、トイレから出てくることはなかった。