「いってきまーす!」

 バタバタと準備をすませて玄関に向かうと、後ろから母が追いかけてきた。

「なっつ! 弁当忘れてるよー」
「ごめんごめん、ありがとー」

 母から弁当を受け取って、元気に外へ飛び出した。
 私、工藤夏希――あだ名はなっつ――の中学最後の一年が始まる。
 と言っても何か目新しいわけでもない、見慣れたド田舎の、のどかな風景が目の前に広がっている。
 通い慣れたバス停までの道を、小走りに駆けていく。
 このときは、いつもと変わらない、平凡な一日だと思っていた。

「夏希さん、おはようございます!」

 バス停でスクールバスを待っていると、女の子が手を振ってきた。
 ひとつ下の中学二年、伊藤きらり。
 めちゃくちゃ明るい後輩だ。
 その後ろには、同じ二年の菅野淳が歩いてくる。

「おいーっす」

 朝が弱い淳は片手を挙げ、とても眠そうな声で挨拶をしてくる。
 すかさず、きらりが淳の背中を引っ叩いた。

「あっつ! 夏希さんは先輩なんだから、敬語!」
「保育園から一緒なんだから、いまさらじゃんか……」

 この二人とは小さい頃からの付き合いで、保育園バス、スクールバスと、ずっと一緒に通う仲だ。
 保育園と小学校、中学校が同じ敷地にあるから、ほぼ毎日顔を合わせている。
 中学校に上がると、先輩には敬語を使うようにと先生に言われていた。
 だけど、子供の頃から一緒だから、淳はなかなか慣れないみたいだ。

「きらり、淳、おはよー。今日から新学期だねー」
「三年になっても、夏希さんは身長も声も変わりませんね」
「あっつ! なんてこと言うのよ!」
「きらり、別にいいよ。もう諦めているから……」

 身長140cmくらいの私は、学年はもちろん、中学校の中でも一番背が小さい。
 淳にも、きらりにも、あっという間に追い越されてしまった。
 ましてや、声が低いハスキーボイス。
 気にしたらキリが無いけど、やっぱり気にしちゃう。
 だから、話題を強引に変える。

「そんなことよりさー、新しい先生が来るんだってね? それも二人。どんな人かなぁ?」
「二人とも男の先生でしたよね? イケメンかな?」

 イケメン好きのきらりは、目をキラキラさせている。

「くだらねー。そんなことより、きらり、学校ついたら宿題見せて。まだ終わってねぇ」
「は? また!? 懲りないねえ。先生に怒られるよ?」

 このやり取りも、いつものことだ。
 宿題を忘れて怒られるのは、淳にとっては日常茶飯事。
 いつもどおりの通学、いつもどおりの会話。
 それも今年で終わるんだな……。
 今日から中学三年生、中学校生活最後の年だ。
 少し物思いにふけっていると、スクールバスがやってきた。
 学校までは、約二十分。
 その間に、私の同級生の小原千秋と、きらり達と同じ年の菊池靖郎と菅明日香が乗ってくる。
 その他、隣接する小学校や保育園の児童、園児も拾っていく。
 小さい子から中学生まで乗り合いになるから、バスの中はとてもやかましい。
 ぼーっとバスに揺られていると、隣に座った千秋が話しかけてきた。

「ねー、なっつ。進路決めた?」
「んー、迷ってるんだよねえ。介護福祉士の勉強ができる学校と、郷土芸能の部活がある学校でさー。受験生なんだよねー。全く実感ないわー」
「うちも。町内の高校が近いから、そこにしようと思ってたのに、二年後に閉校が決まって募集しないことになったでしょ? また一から考え直さなきゃいけないから焦ってる」

 少子高齢化のため、町内にあった唯一の高校が閉校となる。
 そうすると、普通に進学するには、隣の市の高校に行くしかないのだ。
 憂鬱な話をしているうちに、バスが学校に着いた。

「お前ら、今日も頑張れよ!」

 バスから降りるとき、一人ひとりに声をかけて活を入れる運転手さん。
 保育園の頃からの顔馴染みで、私たちの成長を見守ってくれている。

「はい! ありがとうございました!」

 元気に返事をすると、運転手さんは笑って手を振ってくれた。
 姫乃森地区の子供たちは、挨拶をきちんとすることで有名だ。
 子供が少ないから、学校の授業はマンツーマンみたいなもの。
 だから、しっかり教えてもらえると言われることもあるが、そこは人による。
 私のように勉強が苦手であれば、普通にテストで0点を取ってしまう生徒もいるのだ。
 あと、小学校の頃から思っていることがある。
 大きな学校では、授業中に教科書を立てて寝ていてもバレないらしい。
 一度はやってみたかった。
 うちの学校のように少人数だと速攻で見つかってしまうから、とてもじゃないができない。

 バスから降りると、女の子が待っていた。
 同級生の加藤冬美だ。あだ名は、ふー。
 ふーは、私が小学校二年のときに転校してきた。
 もとは都会のマンモス校にいたのだが、父親の仕事の都合で、このド田舎に引っ越してきたのだ。
 なぜ、こんなド田舎にきたのか不思議だったが、ふーの家族は変わり者で、畑もしたいからこの地区を選んだらしい。

 そして、この地区にはもうひとつ魅力があったそうだ。
 とても空気がおいしいらしい。
 喘息持ちだったふーは、ここに越してきてから良くなったそうだ。
 ずっと住んでいると気づかないけど、他にも、同じような子は何人かいたらしい。

 店もなければ、病院も信号もない。
 携帯の電波も立たない。
 人に会うより、野生のシカに会うことのほうが多い。
 コンビニまで行くには車で片道30分もかかるという、緑豊かなこの地区。
 不便なことが多いが、良いところも一つくらいはあるようだ。

 ふーと合流し、バス停から学校まで、ゆるい坂の一本道を歩く。
 途中、保育園児、小学生の順に列から離れていく。
 一番奥の建物が、私が通う姫乃森中学校だ。
 
 去年までは複式学級だったが、三年生は受験ということもあり、今年は二年、三年と分かれたクラスになるらしい。
 ちなみに今年は、一年生になる子がいないため、入学式すらない。
 二年生が四人、三年生が三人の、計七人が全校生徒となる。

 朝のホームルームの前に、音楽室で赴任式がある。
 体育館では広すぎるから、全校集会や生徒会会議では、いつも音楽室を使っている。

 ちなみに会で使う演台は、私の父が作ったものだ。
 10歳離れた姉が卒業するときに、同級生と父兄が話し合って寄付をしたらしい。
 父は大工だから、買うより作ったほうが安いと、簡単に作ってしまったそうだ。
 台はとても重く、しっかりとしており、めちゃくちゃ丈夫だ。
 この台を見るたびに「うちのオヤジ、すごいだろ!?」と誇らしげに思ってしまう。

 生徒が揃うと、先生方が入室してくる。
 校長先生、去年まで担任だった中野修子先生、そして噂の新しい男性教師二人。
 一人は無精髭で茶髪の、ぱっと見はチャラ男。
 もうひとりは、大きなお腹のお相撲さんのような人。
 顔は強面で、一瞬ビビってしまう。

 中野先生の司会で、赴任式が始まる。
 校長先生から、赴任された先生の紹介が行われた。

「では、さっそく紹介します。川村正樹先生」
「はい。よろしくお願いしますー」

 例のチャラ男だ。
 よく見ると若そうで、ちょっとイケメンだ。
 きらりの方を見ると、目をキラキラとさせていた。
 もう顔に出ている。
 好みのイケメンであると……。

「そして、こちらが、内藤和行先生」
「皆さん、よろしくお願いします」

 お相撲さんだ。
 でも、見た目の割には優しい話し方だ。

「んじゃー、みんなさんが気にしている担任紹介をこのままやりますか」

 行儀よく先生の話を聞いていた私たちだが、校長先生の言葉を聞き、ちょっとそわそわし始めてしまう。

「まず、二年生の担任は、内藤先生です」
「よろしくお願いします」

 二年生一同、声を揃えてお辞儀をした。
 イケメン先生が担任じゃないと知って、きらりは凹み気味であった。

「そして、三年生の担任は川村先生です」
「よろしくお願いします」

 三年生の三人も、そう言ってお辞儀をした。
 チャラ男が担任かよ!? 
 うちら受験生だぞ!
 頼りなさそうで不安だ……。
 そう思ったのは私だけでなく、他の二人もそうだろう。

「あと、中野先生は二年生と三年生の副担任として、みなさんと関わっていただきます。以上で職員の紹介を終わります。始業式は、ホームルームをした後に行いますので、各自教室に戻ってください」

 こうして赴任式が終わった。
 教室に戻ろうとすると、きらりが猛ダッシュで追いかけてきた。

「なんで、うちらはあのデブが担任なの!? イケメンの担任いいなあ!!」
「きー、落ち着いて。逆にラッキーだよ? あの頼りなさそうな先生が担任じゃなくて」

 そう宥めたのは明日香だ。
 きらりは明日香に慰められながら教室に戻ったが、隣同士だから騒いでる声がはっきりと聞こえる。

「なんか、頼りなさそうだったね」

 そう呟くと、千秋とふーも大きく頷く。

「やっぱりそう思った? 三人とも同じこと思ってるね」

 そんなことを言っていると、川村先生が入ってきた。

「おまたせ、おまたせ。いやー、出席簿探してて遅くなったよ」

 頭をかきながら笑っている。
 そのとき、三人は同じことを思った。
 私たちだけでも、しっかりしようと。

「んじゃー、さっそく、みんなの自己紹介をお願いしようかなー。夢と、好きなことを話してもらおう。それじゃ、工藤夏希さん?」

 出席簿を見ながら、川村先生は私の名前を呼んだ。

「はい。私です」
「ん? 風邪ひいてるのかな?」
「地声です」
「あっ……、ごめんなさい」

 初めて会う人から、よく言われることだ。
 もう慣れているから謝らないでくれ。

「工藤夏希です。将来の夢は、介護福祉士として、お年寄りの方のお世話をして、福祉を通して今まで育ててくれた地域に恩返しすることです。好きなことは、太鼓と、神楽を踊ることです。よろしくお願いします」
「夏希さんは優しい方なんだね。はい、じゃあ、次の人。加藤冬美さん」
「はーい。加藤冬美です! 将来の夢は、あの有名なネコ型ロボットを作ることです! 好きなことは、読書です!」

 ふーは頭が良すぎるから、いつか本当にネコ型ロボットを作るんじゃないかと思っている。

「夢は大きいほうがいいよね。最後、小原千秋さん」

 このチャラ男、本気に思っていないようだ。

「はい。小原千秋です。将来の夢は、漫画家になることです。好きなことは、漫画を読んだり、絵を描いたりすることです」
「俺、美術専門だから、絵のことはなんでも相談して。さて、次は俺の紹介だな」

 そう言って、先生は黒板に『川村正樹』と書き始めた。

「川村正樹です。こんな少人数の学校に赴任するのは初めてです。仲良くしてねー。そう言えば、この学校、来年の三月には閉校するんでしょ? 受験もあって大変だろうけど、最後の一年、一緒に楽しもう!」
「………………」

 この先生、なんちゅう自己紹介してんだ……?
 すかさず、千秋が口に出す。

「いずれかは無くなるでしょうね。この学校、人少ないし。でも、今年じゃないですよね?」
「いや、教育委員会で言っていたから、本当だよ? あれ……? 俺、余計なこと言った?」
「えーーーー!!!!」

 三人が悲鳴を上げたと同時に、隣の二年生の教室からも悲鳴が聞こえた。
 何も聞いてない。
 決まったのはいつ? 
 なぜ急に?
 そういえば、一年前、親が学校で集会があると言って出掛けて行ったのを思い出した。