「お姉様、いろいろ突っ走ってごめんなさいっっ!!」

ぱあんと勢いよく手のひらを合わせて頭を下げた妹に、つぼみは鷹揚に微笑んだ。

「いいのよ。夫が他の女性と親しげに話していたんですもの。怒るのが当たり前でしょう」
「え、ええと、夫ではない、かなー? と」

土下座する勢いだった上体をそろそろと上げて首を傾げた梢に、つぼみは白い指を頬に当てて花のように笑う。

「何言ってるの。あの時のふたりは正式に離縁してなかったんだから、夫婦に決まってるじゃない。夫の裏切りにはそれ相応の報いを受けさせないといけないわ。もう済ませた?」

食後の薬は飲んだ? のノリで尋ねられて、姉妹喧嘩の見物に来ていた晶がむせこんだ。

「もう! そんなこと言われたって夫婦だとかそういう自覚、ないし……」

もじもじと視線を泳がせた先には左手の薬指。そこには何も嵌っていない。
一度はつぼみに譲ろうとしたそれは晶の手で処分された。梢が高校を卒業してから改めて贈られることになっている。

「そう? 梢ちゃんがいいならそれ以上口は出さないけど……晶さん」
「はい」
「梢ちゃんを泣かせたら……わたし、少し困ったことになると思うから。お願い、ね?」

にこやかに凄まれて、晶は背筋に薄ら寒いものを感じながら姿勢を正して顎を引いた。
この妹にしてこの姉ありである。

「私だって、お姉様を泣かせたら火邑燎を灰にする覚悟はできてる……」
「もう、まだ会ってない相手を燃やさないで。わたしのお婿さんになる人なのよ」

結婚前の姉妹がする会話か、というツッコミをなんとか胸におさめた晶のポケットがヴヴと唸り、スマホの着信を告げる。目を通せば藍玉から仕事の用件だった。

「すまない、少し外す。しばらく姉妹水入らずにしてやるから、思い出を作っておけ」
「いいの? ありがとう!」

ぱあっときらめく、雨上がりの空より晴れた笑顔を向けられ、晶の頬が戸惑いと照れ臭さの境界で引き攣った。

「……人の気も知らないで」
「え?」

無防備な笑顔を向けたままの頬を包む。
寄せた唇を触れるだけに留めたのは、物足りなさに梢を焦らすためであり、姉に遠慮したわけではない……と晶は自分で自分を納得させた。

「夫婦の自覚くらい、しておけ」

捨て台詞のように言い残して、すぐに離れようとした袖がくんと引かれる。
見下ろせば、目元まで朱に染まった梢が何か言おうと口を開いては閉じ、終いには目を伏せてしまった。
断りもなしにキスしたことへの抗議だろうと見越した晶は、首をわずかに傾けて言葉の続きを待った。

「…………行ってらっしゃい、だ、旦那、様」

晶が言葉の意味を飲み込んでから、次の行動までにどれ程の空白があったのか、梢にも晶にも意識する余裕はなかった。

「もう一度呼べ」
「え? だ、旦那様」
「もう一度」
「旦那、様」
「やっぱり名前で呼べ」
「へ? あ、晶様? 晶さん?」
「さんなんかいらない」
「あ、あき……んうッ」

一言ごとに距離を詰められ、遂にはゼロになったふたりを横目で見ながら、つぼみはおもむろにスマホを取り出すと電話をかけ始めた。
繋がったタイミングで席を立ってドアへと歩き出す。

「……もしもし、燎さん? なんだかお会いしたくてたまらないの。今からお伺いしてもよろしいかしら」

ドアを静かに押しつけるようにして閉めると、晶を迎えにきた藍玉と鉢合わせした。
通話を終えたつぼみは、人さし指をぴんと立てて唇に寄せる。

「夫婦水入らずにしてあげましょう」
「…………かしこまりました」

慇懃に頭を下げた藍玉は、つぼみの後ろについて歩き出す。
ドアの向こうでは、新婚夫婦がぎこちなくも互いを求め始めた頃合だった。