「と、いうわけで。やることのない三学期の終わりから春休みを使って一ヶ月留守にしました。でも成果はバッチリよ!」
「もう……梢ちゃんたら大胆すぎるわ。聞いているだけでドキドキしちゃった」
「ごめんなさい、つぼみお姉様」
「わたしを思ってくれるのは嬉しいけれど、少しやりすぎよ」
白く細い指が、肩を竦めた梢の額をそっと弾く。
デコピンをしたかったんだろうなと察した梢はわざと「うわあ痛い」とおどけて、傍らの座布団を抱きしめた。遠慮深い姉の優しさがまた一段と好きになった瞬間でもある。
ところ変わって斎樹家──梢の実家である。
馴染んだ藺草の匂いを吸い込みながら、梢はこのひと月に得た知見を滔々と姉に述べていた。
「政略結婚なのは百も承知だけれど、顔も知らない私にあの待遇だったんだもの。久金様っていろいろ噂は聞くけれど、実は優しいお方なのよ。筆まめだし、お菓子は美味しかったし。きっと幸せになれるわ。仮嫁入りしてきた私のレビューを信じて」
「部活の仮入部じゃないんだから……」
ほう、とため息をついた姉の薄い手のひらが頬にあたる角度を見るのが梢は好きだ。
昔の少女漫画に描かれるヒロインの仕草めいてきて、こんなに素敵なひとが姉なんだと世界中に自慢したくなる。
にょきにょきとたけのこのように育った自分と違って、深層の姫君といった表現がぴったりな、ひと回り小柄なつぼみ。五歳も離れているとは思えない。
「梢ちゃんたら過保護よ。嬉しいけれど。本来ならわたしが姉らしく梢ちゃんを守らなきゃいけないのに」
「なぁに言ってるの。充分守ってくれてる。叔父様からの嫌味に耐えて、私を高校に入学させてくれたのはお姉様でしょ」
口を尖らせると、つぼみの白い顔にふと影がさす。
叔父のことを話にするのではなかったと梢は肩をすぼめた。
「あれは当然です。斎樹の家を背負って立つ梢ちゃんにはわたしと同じ、いえ、わたし以上にきちんと学んでもらわないと」
「もう斎樹の家なんていいじゃない。叔父様が好きなようにするでしょ。お姉様が久金家に嫁げば、斎樹の嫡流はそこで終・わ・り」
「ちょっと、梢ちゃん? あなた自分のことを勘定に入れてないじゃない。せめて来年、高校を卒業するまでは斎樹の庇護に居なさい。これは姉として、いいえ、保護者としてのお願いよ」
おっとりした口調が急いてくる。ちゃぶ台に身を乗り出した姉の鼓動が早まっていくのを感じ取って、梢はその背をさすりながら座り直させた。
「わかってる。折角お姉様が勝ち取った学費だもの。使わなきゃ損」
「わかってるなら、いい、けど……」
浅くなってきた呼吸を感じ取り、手早く予めブレンドしてある薬草茶の葉を濾す。抽出液を湯呑みに注ぐと、つぼみの唇に押し当てた。
こくん、こくんと飲み下すのを確認し、ひと息つく。
「あ、りがと……自分で調合してるのに、情けない……」
「いいから。少し休みましょ」
膝掛けを広げてつぼみの背と膝にそれぞれかける。
呼吸は落ち着いてきたようだ。
植物の加護を持って役目を果たす斎樹家の長女らしく、つぼみは薬草への造形が深い。
斎樹家の技は「覆い隠す」ことだ。
異変を、不調を、怪我を、不安をすべて平らかに収めてしまう治癒の技は、比類無きものと称されている。
姉を羨望のまなざしで見つめる梢には、この能力は備わっていない。彼女には彼女の「覆い隠す」能力があるのだから。
梢がぴたりと寄り添って姉の背を撫でていると、座布団の下に違和感を感じた。
畳と座布団の間に手を突っ込む。紙──少し厚いもののようだ。
「あれ? ごめん、私、何か敷いちゃってるかもしれない」
引っ張ってつまみ出すことはせずに、ぼかした言葉で見つけたことを伝えれば、つぼみは落ち着いてきた呼吸で応えた。
「……ええっと、そうそう。さっき薬の調合をしている時に、畳を汚さないように紙を敷いておいたの。後でまた調合するから、そのままにしておいて、ね?」
「はあい」
けろりと返事をした梢はつぼみを抱え込むように寄り添いながら、自分も姉にもたれかかる。
太極図のような、互いが互いに混じり合う姿勢。
少し薬草の混じった、鼻につんとくる、それでもどこか甘い姉の香り。くふんと鼻を鳴らしてそれに浸りながら、梢は瞼を閉じつつも思いを巡らせていた。
──封筒の厚みだった。
つぼみにも、梢にもプライバシーはある。
何でもかんでも姉のことを管理したいわけではない。
しかし、姉が誰かと手紙のやりとりをしており、それを自分に知らせる気がないという事実は、梢の心を少し重くした。
「……大丈夫。つぼみお姉様は、私が絶対守るから」
「何言ってるの。梢ちゃんを暴走させるわけにはいかないわ。だから、わたし……」
その続きを聞きたいような、聞きたくないような。
甘美な秘密に呑まれないように、梢は白く細い手を握りしめる。
口を真一文字に引き結んだ。
「もう……梢ちゃんたら大胆すぎるわ。聞いているだけでドキドキしちゃった」
「ごめんなさい、つぼみお姉様」
「わたしを思ってくれるのは嬉しいけれど、少しやりすぎよ」
白く細い指が、肩を竦めた梢の額をそっと弾く。
デコピンをしたかったんだろうなと察した梢はわざと「うわあ痛い」とおどけて、傍らの座布団を抱きしめた。遠慮深い姉の優しさがまた一段と好きになった瞬間でもある。
ところ変わって斎樹家──梢の実家である。
馴染んだ藺草の匂いを吸い込みながら、梢はこのひと月に得た知見を滔々と姉に述べていた。
「政略結婚なのは百も承知だけれど、顔も知らない私にあの待遇だったんだもの。久金様っていろいろ噂は聞くけれど、実は優しいお方なのよ。筆まめだし、お菓子は美味しかったし。きっと幸せになれるわ。仮嫁入りしてきた私のレビューを信じて」
「部活の仮入部じゃないんだから……」
ほう、とため息をついた姉の薄い手のひらが頬にあたる角度を見るのが梢は好きだ。
昔の少女漫画に描かれるヒロインの仕草めいてきて、こんなに素敵なひとが姉なんだと世界中に自慢したくなる。
にょきにょきとたけのこのように育った自分と違って、深層の姫君といった表現がぴったりな、ひと回り小柄なつぼみ。五歳も離れているとは思えない。
「梢ちゃんたら過保護よ。嬉しいけれど。本来ならわたしが姉らしく梢ちゃんを守らなきゃいけないのに」
「なぁに言ってるの。充分守ってくれてる。叔父様からの嫌味に耐えて、私を高校に入学させてくれたのはお姉様でしょ」
口を尖らせると、つぼみの白い顔にふと影がさす。
叔父のことを話にするのではなかったと梢は肩をすぼめた。
「あれは当然です。斎樹の家を背負って立つ梢ちゃんにはわたしと同じ、いえ、わたし以上にきちんと学んでもらわないと」
「もう斎樹の家なんていいじゃない。叔父様が好きなようにするでしょ。お姉様が久金家に嫁げば、斎樹の嫡流はそこで終・わ・り」
「ちょっと、梢ちゃん? あなた自分のことを勘定に入れてないじゃない。せめて来年、高校を卒業するまでは斎樹の庇護に居なさい。これは姉として、いいえ、保護者としてのお願いよ」
おっとりした口調が急いてくる。ちゃぶ台に身を乗り出した姉の鼓動が早まっていくのを感じ取って、梢はその背をさすりながら座り直させた。
「わかってる。折角お姉様が勝ち取った学費だもの。使わなきゃ損」
「わかってるなら、いい、けど……」
浅くなってきた呼吸を感じ取り、手早く予めブレンドしてある薬草茶の葉を濾す。抽出液を湯呑みに注ぐと、つぼみの唇に押し当てた。
こくん、こくんと飲み下すのを確認し、ひと息つく。
「あ、りがと……自分で調合してるのに、情けない……」
「いいから。少し休みましょ」
膝掛けを広げてつぼみの背と膝にそれぞれかける。
呼吸は落ち着いてきたようだ。
植物の加護を持って役目を果たす斎樹家の長女らしく、つぼみは薬草への造形が深い。
斎樹家の技は「覆い隠す」ことだ。
異変を、不調を、怪我を、不安をすべて平らかに収めてしまう治癒の技は、比類無きものと称されている。
姉を羨望のまなざしで見つめる梢には、この能力は備わっていない。彼女には彼女の「覆い隠す」能力があるのだから。
梢がぴたりと寄り添って姉の背を撫でていると、座布団の下に違和感を感じた。
畳と座布団の間に手を突っ込む。紙──少し厚いもののようだ。
「あれ? ごめん、私、何か敷いちゃってるかもしれない」
引っ張ってつまみ出すことはせずに、ぼかした言葉で見つけたことを伝えれば、つぼみは落ち着いてきた呼吸で応えた。
「……ええっと、そうそう。さっき薬の調合をしている時に、畳を汚さないように紙を敷いておいたの。後でまた調合するから、そのままにしておいて、ね?」
「はあい」
けろりと返事をした梢はつぼみを抱え込むように寄り添いながら、自分も姉にもたれかかる。
太極図のような、互いが互いに混じり合う姿勢。
少し薬草の混じった、鼻につんとくる、それでもどこか甘い姉の香り。くふんと鼻を鳴らしてそれに浸りながら、梢は瞼を閉じつつも思いを巡らせていた。
──封筒の厚みだった。
つぼみにも、梢にもプライバシーはある。
何でもかんでも姉のことを管理したいわけではない。
しかし、姉が誰かと手紙のやりとりをしており、それを自分に知らせる気がないという事実は、梢の心を少し重くした。
「……大丈夫。つぼみお姉様は、私が絶対守るから」
「何言ってるの。梢ちゃんを暴走させるわけにはいかないわ。だから、わたし……」
その続きを聞きたいような、聞きたくないような。
甘美な秘密に呑まれないように、梢は白く細い手を握りしめる。
口を真一文字に引き結んだ。