(こずえ)様、お茶のおかわりは如何ですか?」
「梢様、こちらのお菓子は旦那様より賜りました! こちらはお手紙でございます」
「まあ、梢様ったらそのようなこと、ご遠慮なさらず私共にお申し付けくださいませ」

「梢様は、旦那様の大切な、ただひとりの奥方様でいらっしゃいますから!」

満面の笑みで告げられるユニゾンに、多少なりとも罪悪感を覚え始めて一ヶ月。
ひとりで過ごすには広すぎる部屋だが、常に付きっきりの侍女三人娘がいるおかげで、寂しさを覚えたことはない。
ふかふかの絨毯に足を埋もれさせ、ゆったりとしたソファに身を預ける。
おさげを揺らしてシンプルな前掛けを纏い、てきぱきと立ち働く侍女達の献身につど頭を下げていた斎樹梢(いつきこずえ)は、手渡された手紙に目を通す。

“恙無くお過ごしでしょうか。結婚したというのに、貴女に一目逢うことも叶わず、お役目から帰れずにいるこの身が口惜しい。せめてもの詫びに心ばかりの品をお送りします。寂しさを紛らわせてくださいね”

流麗な筆蹟で記された文面に頷き、丁寧に折り畳んで封筒にしまう。
目を閉じて深呼吸をひとつ。
心は決まった。
旦那様──久金晶(くがねあきら)なら、お姉様を幸せにしてくれる。
斎樹梢との婚姻を《なかったことにして》、斎樹つぼみが嫁入り《したことにする》のだ。
左手の薬指に光る指輪をちらりと眺めて抜き取り、ポケットにしまう。音ひとつたてずに決別は成された。

す、と立ち上がった梢を侍女達が見上げる。

「梢様?」
「いかがなさいました?」
「何かご入用のものなどございますか?」

そろって尋ねてくる彼女達は三つ子のように息がぴったりだ。
仕事が手早く、丁寧。
温和な性格というのもポイントが高い。
梢の野望など何も知らぬ彼女達を欺くのは気が引けたが、仕える人間が変わるだけだ。きっと姉を支えてくれるはず。

「家に戻ってよろしいかしら」
「ご実家に?」
「“妹”が体調を崩しているの。お見舞いに行かなくては」

言うが早いか、部屋を横切りドアノブに手をかけた梢に、侍女達は面食らって取縋る。

「お待ちくださいませ。そのような時は、ご実家に医師をお呼びするように仰せつかっております」
「ありがとう。でも斎樹の家に主治医がおりますし、何より“妹”は私の顔を見ないと落ち着きませんので」

埒が明かない問答を繰り返していても時間の無駄だ。
梢はポケットに手を入れると、手のひらに収まる長さの細竹でできた笛を取り出し、唇に押し当てた。
唇を尖らせふっと息を吹く。
甲高い音と共に、三人娘の動きが徐々に鈍くなっていく。
そのうちのひとりは、茶器を乗せたトレイを持ったままだったので、次第に傾いでいくそれをさっと受け取ってテーブルに置き直した。

「よーし、御三方、そのままゆっくり座りましょうか」

三人娘は操り人形のように梢の言葉に従い、ソファに並んで腰を下ろす。
仕える主のソファだというのに、それを気にかけるそぶりはない。ただ淡々と命じられるままに動くのみである。

紅玉(こうぎょく)さん、黄玉(おうぎょく)さん、翠玉(すいぎょく)さん」

赤ん坊をあやすように呼びかけながら、梢はソファの前に膝を着く。
名前を呼ばれた彼女達は、不思議なものでも見るように首を傾げてぼんやりと梢を見た。
揃いのピアスをつけているのか、それぞれの名前に因んだ色の石がちかりと瞬いた。

「この一ヶ月、あなた方がお仕えしていたのは斎樹家の長女、つぼみです。彼女は久金家の当主、晶様と結婚されています。これからもつぼみを大切に支えてください」

噛んで含めるようにゆっくり言い聞かせると、彼女達はそれを復唱した。澄んだ声のユニゾンが心地よい。
梢は深く頷いた。

「よし、上書き完了」

独り言を呟きながら、梢は身支度を整える。
元々、姉のつぼみを嫁がせるつもりで過ごしていた部屋なので、私物はほとんどない。
調度品も姉の好みを基準に用意してもらったものだし、まだ見ぬ夫の久金晶からいくつか贈られていた品物も、そっくり姉に譲り渡すつもりだったので名残惜しさはなかった。

「すぐに意識は戻るだろうけど、このままじゃ冷えるね」

畳んでいたブランケットを広げ直して三人娘の膝にかけてやる。ひとりには大きいそれも、流石に三人分となると小ぶりだったので、クローゼットからもう一枚拝借してかけておいた。
せっかくなので、ソファの片隅にあったクッションも背中と背もたれの間に差し入れる。

「わあ、お人形さんみたい」

ぱちぱちと小さく拍手して彼女たちを眺める。
美しい顔立ちの少女がお行儀よく並んで座る様を楽しむのは、幼い頃の人形遊びを思い起こさせた。

「これでよし。お世話になりました。これからは姉をよろしくお願いします」

深く頭を下げ、ぱっと上げる。今度こそここから出るのだ。
母屋から距離のある離れに居たことが功を奏した。このまま渡り廊下から庭に出れば、木々の加護が梢にとっては天然の結界となるだろう。

「旦那様と顔を合わせることはなかったけど、両家の奥様ごっこは楽しかったわ。噂と違って優しそうだし、ここならお姉様も安心して過ごせるわね」

庭に出て木々の合間から屋敷を見渡す。
腕組みして深く頷いた梢は、もう一度笛を吹き鳴らした。
竹笛の音色が梢を中心に、敷地内を同心円状に泳いで染みていく。
立派な枝振りの木々を労るように手をかざす。
静かに梢は久金家を後にした。