流行りのラブソングなんて滅んでしまえばいい。幸福で満ちた世間を呪いながら、俺はベースの弦を爪弾いた。熱気に包まれたライブハウスのステージにいるのに、心はひどく冷めたまま。学校はおろか、ここでも一人ぼっちだ。
大抵の人間は恋愛を経験したことがあり、その経験と曲を重ね合わせて共感するケースが多い。だから、ラブソングは人気があるのだろう。しかし、俺には彼女ができたこともないし、夢中で恋をしていた時期もない。聞いていても虚しくなるだけだ。
そもそも、歌詞に共感できるだけの根拠がないだろう。『君にまた会えると信じて』とか。『ずっとそばにいるからね』とか。出会いがあれば別れもあるはずなのに、無責任に気休めの言葉を投げかけてさ。耳触りがいいだけの歌詞で、どうして感動できるのか。俺にはさっぱりわからない。
誰も思わないのだろうか。世の中、売れ線ばかりでつまらないって。
俺が好きな暗い青春ソング……例えば、教室で誰とも関わりを持たない陰キャぼっちの心の叫びとか、そういう曲が流行ればいいのに。まるで拗らせオタクの「メジャーはクソ。マイナーこそ至高」みたいな考えだなと自分でも思うけど。
これだけ嫌っておきながら、俺は今、ラブソングを演奏している。担当パートはベースだ。
赤髪坊主のボーカルが、恋だの愛だの叫んでいる。彼は「恋する気持ちをストレートに表現した歌詞は、聞く人の胸を打つんだぜ!」なんて、恥ずかしげもなく語っていたっけ。
正直、俺はそのノリについていけない。
だが、堂々と自己主張ができる彼が羨ましい、とは思う。
見よ。「NO」と言えない性格のせいで、嫌々サポートメンバーのバイトをしている、この俺を。反骨精神の欠片もない。俺の心に宿っていたロックンロールは死んだのだ。
中学生のときからだ。言いたいことも言えない自分になったのは。
俺が意見を述べたら、相手にどう思われるだろうか。嫌われたらどうしよう。みんなに迷惑をかけたらどうしよう。そんな後ろ向きなマインドが染みついてしまった。気づけば、捻くれ陰キャぼっち高校生の出来上がりである。
感情を言葉にするのは苦手だが、音楽を通じてなら伝えられる……そう思っているのに、どうして俺は気持ちを押し殺してベースを弾いているのだろう。これじゃあ、動機と行動が矛盾している。我ながら情けない。行動に移すだけの勇気がない意気地なしめ。
自嘲している間にサビが終わり、間奏に入った。
腕を振り下ろし、親指で弦を叩く。すぐさま左手で押弦し、テンポよくミュート音を鳴らす。また弦を叩く。その繰り返し。細分化されたリズムが心地よいグルーヴ感を生み出していく。
これはゴーストノートと呼ばれる技法だ。はっきりと鳴らす実音ではなく、パーカッションのように聞こえる幽霊音符……自己主張できず、声にならない声をあげる自分と似ている。
楽譜だけでは物足りない。ブッ、ブッ、カッ、と歯切れのよい音を実音の間に忍ばせた。ゴーストの音色に観客も大いに盛り上がっている。
……あー。早くライブ終わらないかなぁ。
そんなことを考えながら、音をかき鳴らすのだった。
◆
「お疲れー! 今日はめっちゃ盛り上がったな!」
ライブ後の控室。赤髪坊主がメンバーと盛り上がっている。俺以外、みんな大学生だ。
サポートメンバーの俺は完全に蚊帳の外。その輪に加わることもなく、出入り口のそばに立っていた。
……彼らに付き合うのも疲れる。仕事は終わったし、もう帰っていいよな?
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
それだけ言って、バンドメンバーに背を向けた。
「あっ! 待って、三崎くん!」
赤髪坊主が俺を呼び止め、笑顔で駆け寄ってくる。
「三崎くんのベース、すごくよかったよ。お客さんも盛り上がってたしさ」
「あはは。ありがとうございます」
「よかったら、今度またサポートに入ってくれない?」
「えっ……次もですか?」
「ああ、頼むよ。今度は青春ソングとかどう? 夢を追いかける少年少女の曲。よくね?」
全然よくない。そんなキラキラした曲、陰キャの俺には眩しすぎる。青春を謳歌できない負け犬の歌なら、ぜひやらせてほしいけど。
……なんて言えないのが、俺の駄目なところである。
「ははっ……いいですね。また機会があったら呼んでください」
愛想笑いして、控室をあとにした。
どうして「お断りします」と言えないのか。ダサい。ダサすぎる。全然ロックじゃない。
「はぁ……帰って寝よ」
ため息を漏らし、ライブハウスの外に出た。
昼のライブだったため、今はもう夕方である。西に沈む日の光が街全体を優しく包み込んでいた。
今日はゴールデンウイーク最終日。明日からまた学校が始まる。早く帰宅してライブの疲れを取りたいところだ。
駅へ向かって歩き出すと、
「あ、ベースの人! お疲れ様っ!」
「んあ、えっ?」
急に大声で呼び止められ、おもわず変な声が漏れてしまう。仕方ないだろう。突然声をかけられたとき、上手く声が出ないのは陰キャの性だ。
足を止めて、声の聞こえたほうに顔を向ける。
そこに立っていたのは小柄な少女だった。黒髪のショートヘアがよく似合っている。好奇心に満ちた目は、くりくりしていて可愛らしい。クラスの中心にいるであろう、明るく元気そうな子だ。
彼女は見覚えのある制服を着ている。というか、どう見てもうちの学校の制服だ。
……こんな目を引く美少女、学校にいたっけ?
それにしても、マズいことになったな。バイトは校則で禁止されているんだ。サポートのバイトがバレたら、停学とか普通にありえるのでは?
……とりあえず、話を聞いてみるか。
「あの、どちらさま?」
「あ、ごめんね。私、空町陽葵。高校二年生。制服でわかると思うけど、君と同じ学校に通ってるんだ」
同級生かよ。なおさら見たことがあってもいいはずなんだけどな……。
「ええっと、空町さんね。俺の名前は――」
「知ってるよ。三崎健くん。二年A組で、あんまり友達いない根暗なロックンローラーでしょ?」
いや失礼だろ。当たっているけども。
「根暗なロックンローラーである俺を知っているとは。恐れ入ったよ」
「でしょ? 私、記憶力と歌声には自信あるの」
得意気に胸を張る空町さん。駄目だ。嫌味が効かない。陽キャ強すぎだろ。
「えっと、空町さんは……」
「陽葵でいいよ。みんなそう呼ぶし」
距離の詰め方が強引かつ早い。駄目だ。陽キャ怖すぎる……。
「その……陽葵は今日のライブを観に来たの?」
「うん。三崎くんのバンド、超カッコよかった」
「ありがとう。でも、俺はあのバンドのメンバーじゃないんだ。サポートだから」
「実はそれも知ってたりして。三崎くん、無所属なんだよね?」
「政治家みたいな言い方だな……そうだよ。どのバンドにも属してない」
「やっぱりだ……完全にフリーなんだね」
えへへ、と陽葵は嬉しそうに笑った。俺がバイトしている弱みを握って喜んでいる……というのは考えすぎかもしれない。
というか、こいつ俺のこと知りすぎでは? ちょっと怖いんだが……。
「三崎くんのベース、すごかったね。あれ、なんていうの? かっちょいいアタック音」
「あー……ゴーストノートのこと?」
「ゴーストノートって言うんだ……へえ。なんかいい響き。親近感わく」
「なんの親近感だよ」
俺のツッコミを無視し、陽葵はエアベースを始めてしまった。唇をすぼませて「ぼっ、こすっ、ぼっ」と、独特なオノマトペを口ずさんでいる。
空町陽葵……苦手なタイプだ。
初対面の相手にもグイグイくるし、何がしたいのかもわからない。やかましくて、無駄に元気だし。やっぱり陽キャは苦手だ。
「それで? 陽葵は俺に何か用?」
「あ、うん。実は君にお願いがあるの」
陽葵は俺に顔を近づけてきた。
彼女の大きな瞳には、焦る俺のマヌケ面が映し出されている。
「ち、ちかっ……何?」
「三崎くん! 私とバンドやろうぜ!」
おおっ……なんだか少年漫画にありそうなセリフだ。実際に言われると、なんかこう、ときめくものがある。まるで主人公になったみたいだ。胸が熱くなって、ちょっとドキドキしているのも事実。
もちろん、俺の中で答えは決まっていた。
「他を当たってください……」
「即決かよぅ!」
陽葵は驚き、後ろに下がった。
「なんでよぉ! 今、同級生バンド結成の流れだったじゃん!」
「いや流れとかないだろ」
自己主張が苦手な俺でも、さすがに初対面の人の誘いには乗らん。知らない人にはついて行ってはいけない。これ常識。
「三崎くんさぁ。一瞬でも悩んだりしないの? 私とバンド組めるチャンスだよ?」
「君とバンドを組むメリットでもあるの?」
「なんと! ぼっちの三崎くんにお友達ができます!」
真芯でデメリットだった。余計なお世話だっての。
「あの、俺もう帰っていいかな?」
「クックック……三崎くん。私に反抗的な態度を取っていいのかな?」
「なんだよ、その小悪党を思わせる笑みは」
「うちの学校、バイトは禁止されてるはずだけど?」
「ちょ、このタイミングで脅すつもりか!?」
「ふふっ。そんな物騒なこと言わないよ。ただ、私とバンドやってくれないと、担任にチクっちゃうってだけ」
「人はそれを脅しって言うんだ!」
「あ、なんか反抗的な言い方ぁ。うっかり口が滑りそうだなー?」
「すみません、ごめんなさい」
反射的に謝ってしまった。負け犬根性が染みつき過ぎていて悲しくなる。
……どうする? 陽葵とバンドやるか?
どう考えても、俺と陽葵では住む世界が違う。日蔭と日向。月と太陽。こんな騒々しいヤツと音楽をやる自信がない。
そもそも、パートすら聞いてないぞ? さっき歌声に自信があると言っていたけど、ボーカルなのか? だとしたら、ギターとドラムは? 他のメンバーは? どんなバンドを目指している? 好きな楽曲は?
俺は彼女について何一つ知らない。こんな状態でバンドなんて組めっこないだろう。
でも、弱みを握られているし……まいったな。
考えていると、陽葵の表情がわずかに強張った。
「お願い。私にはもう時間がないの」
「時間……?」
何の話だろう。
時間がないってことは……ライブの日程の話か?
陽葵は曇りのない真っ直ぐな瞳で俺を見た。
「三崎くん。君のベースで私を救って?」
「俺のベースが、君を……?」
救う、なんて大げさだ。それこそ漫画のヒロインみたいなセリフじゃないか。だとすれば、俺はやっぱり主人公で、ヒロインを救うヒーローってところか? ムリムリ。ただの陰キャには荷が重いって。俺はただ、相手の顔色を窺って生きているだけの臆病者だ。
……だから、今回もまた断り切れない。
鬼気迫る陽葵の表情を見て、断ったら可哀そう、なんて思ってしまっている……彼女が何故そこまで本気なのかも知らないのに。
「バンド……メンバー足りないなら入ってもいいよ」
本気で困っているから、仕方なく手伝うだけ。
そんなかっこつけた言い訳で、『NO』と主張できない自分を言いくるめる。
「えっ、いいの!?」
「ただし、条件がある。俺は陽葵と他のメンバーのことをよく知らない。とりあえず、仮で参加して、続けるかどうかはあとで決めさせてほしい」
「それでいいよ! ありがとう、三崎くん!」
陽葵は俺の手を取り、ぶんぶんと上下に振った。そんな簡単に異性の手を握るな。俺は女子に免疫がないんだ。ドキッとするだろ。
「おい。離してくれ」
「あ、照れてる。三崎くん可愛い」
「怒っていい?」
「あはは、冗談だよ。ごめんね、嬉しくて舞い上がっちゃった」
陽葵は満面の笑みを浮かべた。反省している様子はまるでない。
……眩しすぎるんだよなぁ、この笑顔。
眩しいのは笑顔だけじゃない。性格もだ。初対面の人に「バンドやろうぜ!」なんてよく誘えるよな。俺には絶対に真似できない。
俺と陽葵とでは、やはり住む世界が違いすぎる。本当にバンド活動なんてできるのだろうか。今から不安しかない。
「三崎くん! 明日からよろしくね!」
「……うん。よろしく」
この日は連絡先を交換して解散となった。
別れ際、陽葵は夕陽を背にして、手をぶんぶん振った。
「三崎くーん! 今日は本当にありがとう! ばいばーい!」
茜に染まりゆく街に陽葵の大声が響く。
彼女のすべてが生命力に満ちていて、ますます自分とは真逆の存在だなと思い知らされるのであった。
大抵の人間は恋愛を経験したことがあり、その経験と曲を重ね合わせて共感するケースが多い。だから、ラブソングは人気があるのだろう。しかし、俺には彼女ができたこともないし、夢中で恋をしていた時期もない。聞いていても虚しくなるだけだ。
そもそも、歌詞に共感できるだけの根拠がないだろう。『君にまた会えると信じて』とか。『ずっとそばにいるからね』とか。出会いがあれば別れもあるはずなのに、無責任に気休めの言葉を投げかけてさ。耳触りがいいだけの歌詞で、どうして感動できるのか。俺にはさっぱりわからない。
誰も思わないのだろうか。世の中、売れ線ばかりでつまらないって。
俺が好きな暗い青春ソング……例えば、教室で誰とも関わりを持たない陰キャぼっちの心の叫びとか、そういう曲が流行ればいいのに。まるで拗らせオタクの「メジャーはクソ。マイナーこそ至高」みたいな考えだなと自分でも思うけど。
これだけ嫌っておきながら、俺は今、ラブソングを演奏している。担当パートはベースだ。
赤髪坊主のボーカルが、恋だの愛だの叫んでいる。彼は「恋する気持ちをストレートに表現した歌詞は、聞く人の胸を打つんだぜ!」なんて、恥ずかしげもなく語っていたっけ。
正直、俺はそのノリについていけない。
だが、堂々と自己主張ができる彼が羨ましい、とは思う。
見よ。「NO」と言えない性格のせいで、嫌々サポートメンバーのバイトをしている、この俺を。反骨精神の欠片もない。俺の心に宿っていたロックンロールは死んだのだ。
中学生のときからだ。言いたいことも言えない自分になったのは。
俺が意見を述べたら、相手にどう思われるだろうか。嫌われたらどうしよう。みんなに迷惑をかけたらどうしよう。そんな後ろ向きなマインドが染みついてしまった。気づけば、捻くれ陰キャぼっち高校生の出来上がりである。
感情を言葉にするのは苦手だが、音楽を通じてなら伝えられる……そう思っているのに、どうして俺は気持ちを押し殺してベースを弾いているのだろう。これじゃあ、動機と行動が矛盾している。我ながら情けない。行動に移すだけの勇気がない意気地なしめ。
自嘲している間にサビが終わり、間奏に入った。
腕を振り下ろし、親指で弦を叩く。すぐさま左手で押弦し、テンポよくミュート音を鳴らす。また弦を叩く。その繰り返し。細分化されたリズムが心地よいグルーヴ感を生み出していく。
これはゴーストノートと呼ばれる技法だ。はっきりと鳴らす実音ではなく、パーカッションのように聞こえる幽霊音符……自己主張できず、声にならない声をあげる自分と似ている。
楽譜だけでは物足りない。ブッ、ブッ、カッ、と歯切れのよい音を実音の間に忍ばせた。ゴーストの音色に観客も大いに盛り上がっている。
……あー。早くライブ終わらないかなぁ。
そんなことを考えながら、音をかき鳴らすのだった。
◆
「お疲れー! 今日はめっちゃ盛り上がったな!」
ライブ後の控室。赤髪坊主がメンバーと盛り上がっている。俺以外、みんな大学生だ。
サポートメンバーの俺は完全に蚊帳の外。その輪に加わることもなく、出入り口のそばに立っていた。
……彼らに付き合うのも疲れる。仕事は終わったし、もう帰っていいよな?
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
それだけ言って、バンドメンバーに背を向けた。
「あっ! 待って、三崎くん!」
赤髪坊主が俺を呼び止め、笑顔で駆け寄ってくる。
「三崎くんのベース、すごくよかったよ。お客さんも盛り上がってたしさ」
「あはは。ありがとうございます」
「よかったら、今度またサポートに入ってくれない?」
「えっ……次もですか?」
「ああ、頼むよ。今度は青春ソングとかどう? 夢を追いかける少年少女の曲。よくね?」
全然よくない。そんなキラキラした曲、陰キャの俺には眩しすぎる。青春を謳歌できない負け犬の歌なら、ぜひやらせてほしいけど。
……なんて言えないのが、俺の駄目なところである。
「ははっ……いいですね。また機会があったら呼んでください」
愛想笑いして、控室をあとにした。
どうして「お断りします」と言えないのか。ダサい。ダサすぎる。全然ロックじゃない。
「はぁ……帰って寝よ」
ため息を漏らし、ライブハウスの外に出た。
昼のライブだったため、今はもう夕方である。西に沈む日の光が街全体を優しく包み込んでいた。
今日はゴールデンウイーク最終日。明日からまた学校が始まる。早く帰宅してライブの疲れを取りたいところだ。
駅へ向かって歩き出すと、
「あ、ベースの人! お疲れ様っ!」
「んあ、えっ?」
急に大声で呼び止められ、おもわず変な声が漏れてしまう。仕方ないだろう。突然声をかけられたとき、上手く声が出ないのは陰キャの性だ。
足を止めて、声の聞こえたほうに顔を向ける。
そこに立っていたのは小柄な少女だった。黒髪のショートヘアがよく似合っている。好奇心に満ちた目は、くりくりしていて可愛らしい。クラスの中心にいるであろう、明るく元気そうな子だ。
彼女は見覚えのある制服を着ている。というか、どう見てもうちの学校の制服だ。
……こんな目を引く美少女、学校にいたっけ?
それにしても、マズいことになったな。バイトは校則で禁止されているんだ。サポートのバイトがバレたら、停学とか普通にありえるのでは?
……とりあえず、話を聞いてみるか。
「あの、どちらさま?」
「あ、ごめんね。私、空町陽葵。高校二年生。制服でわかると思うけど、君と同じ学校に通ってるんだ」
同級生かよ。なおさら見たことがあってもいいはずなんだけどな……。
「ええっと、空町さんね。俺の名前は――」
「知ってるよ。三崎健くん。二年A組で、あんまり友達いない根暗なロックンローラーでしょ?」
いや失礼だろ。当たっているけども。
「根暗なロックンローラーである俺を知っているとは。恐れ入ったよ」
「でしょ? 私、記憶力と歌声には自信あるの」
得意気に胸を張る空町さん。駄目だ。嫌味が効かない。陽キャ強すぎだろ。
「えっと、空町さんは……」
「陽葵でいいよ。みんなそう呼ぶし」
距離の詰め方が強引かつ早い。駄目だ。陽キャ怖すぎる……。
「その……陽葵は今日のライブを観に来たの?」
「うん。三崎くんのバンド、超カッコよかった」
「ありがとう。でも、俺はあのバンドのメンバーじゃないんだ。サポートだから」
「実はそれも知ってたりして。三崎くん、無所属なんだよね?」
「政治家みたいな言い方だな……そうだよ。どのバンドにも属してない」
「やっぱりだ……完全にフリーなんだね」
えへへ、と陽葵は嬉しそうに笑った。俺がバイトしている弱みを握って喜んでいる……というのは考えすぎかもしれない。
というか、こいつ俺のこと知りすぎでは? ちょっと怖いんだが……。
「三崎くんのベース、すごかったね。あれ、なんていうの? かっちょいいアタック音」
「あー……ゴーストノートのこと?」
「ゴーストノートって言うんだ……へえ。なんかいい響き。親近感わく」
「なんの親近感だよ」
俺のツッコミを無視し、陽葵はエアベースを始めてしまった。唇をすぼませて「ぼっ、こすっ、ぼっ」と、独特なオノマトペを口ずさんでいる。
空町陽葵……苦手なタイプだ。
初対面の相手にもグイグイくるし、何がしたいのかもわからない。やかましくて、無駄に元気だし。やっぱり陽キャは苦手だ。
「それで? 陽葵は俺に何か用?」
「あ、うん。実は君にお願いがあるの」
陽葵は俺に顔を近づけてきた。
彼女の大きな瞳には、焦る俺のマヌケ面が映し出されている。
「ち、ちかっ……何?」
「三崎くん! 私とバンドやろうぜ!」
おおっ……なんだか少年漫画にありそうなセリフだ。実際に言われると、なんかこう、ときめくものがある。まるで主人公になったみたいだ。胸が熱くなって、ちょっとドキドキしているのも事実。
もちろん、俺の中で答えは決まっていた。
「他を当たってください……」
「即決かよぅ!」
陽葵は驚き、後ろに下がった。
「なんでよぉ! 今、同級生バンド結成の流れだったじゃん!」
「いや流れとかないだろ」
自己主張が苦手な俺でも、さすがに初対面の人の誘いには乗らん。知らない人にはついて行ってはいけない。これ常識。
「三崎くんさぁ。一瞬でも悩んだりしないの? 私とバンド組めるチャンスだよ?」
「君とバンドを組むメリットでもあるの?」
「なんと! ぼっちの三崎くんにお友達ができます!」
真芯でデメリットだった。余計なお世話だっての。
「あの、俺もう帰っていいかな?」
「クックック……三崎くん。私に反抗的な態度を取っていいのかな?」
「なんだよ、その小悪党を思わせる笑みは」
「うちの学校、バイトは禁止されてるはずだけど?」
「ちょ、このタイミングで脅すつもりか!?」
「ふふっ。そんな物騒なこと言わないよ。ただ、私とバンドやってくれないと、担任にチクっちゃうってだけ」
「人はそれを脅しって言うんだ!」
「あ、なんか反抗的な言い方ぁ。うっかり口が滑りそうだなー?」
「すみません、ごめんなさい」
反射的に謝ってしまった。負け犬根性が染みつき過ぎていて悲しくなる。
……どうする? 陽葵とバンドやるか?
どう考えても、俺と陽葵では住む世界が違う。日蔭と日向。月と太陽。こんな騒々しいヤツと音楽をやる自信がない。
そもそも、パートすら聞いてないぞ? さっき歌声に自信があると言っていたけど、ボーカルなのか? だとしたら、ギターとドラムは? 他のメンバーは? どんなバンドを目指している? 好きな楽曲は?
俺は彼女について何一つ知らない。こんな状態でバンドなんて組めっこないだろう。
でも、弱みを握られているし……まいったな。
考えていると、陽葵の表情がわずかに強張った。
「お願い。私にはもう時間がないの」
「時間……?」
何の話だろう。
時間がないってことは……ライブの日程の話か?
陽葵は曇りのない真っ直ぐな瞳で俺を見た。
「三崎くん。君のベースで私を救って?」
「俺のベースが、君を……?」
救う、なんて大げさだ。それこそ漫画のヒロインみたいなセリフじゃないか。だとすれば、俺はやっぱり主人公で、ヒロインを救うヒーローってところか? ムリムリ。ただの陰キャには荷が重いって。俺はただ、相手の顔色を窺って生きているだけの臆病者だ。
……だから、今回もまた断り切れない。
鬼気迫る陽葵の表情を見て、断ったら可哀そう、なんて思ってしまっている……彼女が何故そこまで本気なのかも知らないのに。
「バンド……メンバー足りないなら入ってもいいよ」
本気で困っているから、仕方なく手伝うだけ。
そんなかっこつけた言い訳で、『NO』と主張できない自分を言いくるめる。
「えっ、いいの!?」
「ただし、条件がある。俺は陽葵と他のメンバーのことをよく知らない。とりあえず、仮で参加して、続けるかどうかはあとで決めさせてほしい」
「それでいいよ! ありがとう、三崎くん!」
陽葵は俺の手を取り、ぶんぶんと上下に振った。そんな簡単に異性の手を握るな。俺は女子に免疫がないんだ。ドキッとするだろ。
「おい。離してくれ」
「あ、照れてる。三崎くん可愛い」
「怒っていい?」
「あはは、冗談だよ。ごめんね、嬉しくて舞い上がっちゃった」
陽葵は満面の笑みを浮かべた。反省している様子はまるでない。
……眩しすぎるんだよなぁ、この笑顔。
眩しいのは笑顔だけじゃない。性格もだ。初対面の人に「バンドやろうぜ!」なんてよく誘えるよな。俺には絶対に真似できない。
俺と陽葵とでは、やはり住む世界が違いすぎる。本当にバンド活動なんてできるのだろうか。今から不安しかない。
「三崎くん! 明日からよろしくね!」
「……うん。よろしく」
この日は連絡先を交換して解散となった。
別れ際、陽葵は夕陽を背にして、手をぶんぶん振った。
「三崎くーん! 今日は本当にありがとう! ばいばーい!」
茜に染まりゆく街に陽葵の大声が響く。
彼女のすべてが生命力に満ちていて、ますます自分とは真逆の存在だなと思い知らされるのであった。