流行りのラブソングなんて滅んでしまえばいい。幸福で満ちた世間を呪いながら、俺はベースの弦を爪弾いた。熱気に包まれたライブハウスのステージにいるのに、心はひどく冷めたまま。学校はおろか、ここでも一人ぼっちだ。

 大抵の人間は恋愛を経験したことがあり、その経験と曲を重ね合わせて共感するケースが多い。だから、ラブソングは人気があるのだろう。しかし、俺には彼女ができたこともないし、夢中で恋をしていた時期もない。聞いていても虚しくなるだけだ。

 そもそも、歌詞に共感できるだけの根拠がないだろう。『君にまた会えると信じて』とか。『ずっとそばにいるからね』とか。出会いがあれば別れもあるはずなのに、無責任に気休めの言葉を投げかけてさ。耳触りがいいだけの歌詞で、どうして感動できるのか。俺にはさっぱりわからない。

 誰も思わないのだろうか。世の中、売れ線ばかりでつまらないって。

 俺が好きな暗い青春ソング……例えば、教室で誰とも関わりを持たない陰キャぼっちの心の叫びとか、そういう曲が流行ればいいのに。まるで拗らせオタクの「メジャーはクソ。マイナーこそ至高」みたいな考えだなと自分でも思うけど。

 これだけ嫌っておきながら、俺は今、ラブソングを演奏している。担当パートはベースだ。

 赤髪坊主のボーカルが、恋だの愛だの叫んでいる。彼は「恋する気持ちをストレートに表現した歌詞は、聞く人の胸を打つんだぜ!」なんて、恥ずかしげもなく語っていたっけ。

 正直、俺はそのノリについていけない。
 だが、堂々と自己主張ができる彼が羨ましい、とは思う。

 見よ。「NO」と言えない性格のせいで、嫌々サポートメンバーのバイトをしている、この俺を。反骨精神の欠片もない。俺の心に宿っていたロックンロールは死んだのだ。

 中学生のときからだ。言いたいことも言えない自分になったのは。

 俺が意見を述べたら、相手にどう思われるだろうか。嫌われたらどうしよう。みんなに迷惑をかけたらどうしよう。そんな後ろ向きなマインドが染みついてしまった。気づけば、捻くれ陰キャぼっち高校生の出来上がりである。

 感情を言葉にするのは苦手だが、音楽を通じてなら伝えられる……そう思っているのに、どうして俺は気持ちを押し殺してベースを弾いているのだろう。これじゃあ、動機と行動が矛盾している。我ながら情けない。行動に移すだけの勇気がない意気地なしめ。

 自嘲している間にサビが終わり、間奏に入った。

 腕を振り下ろし、親指で弦を叩く。すぐさま左手で押弦し、テンポよくミュート音を鳴らす。また弦を叩く。その繰り返し。細分化されたリズムが心地よいグルーヴ感を生み出していく。

 これはゴーストノートと呼ばれる技法だ。はっきりと鳴らす実音ではなく、パーカッションのように聞こえる幽霊音符……自己主張できず、声にならない声をあげる自分と似ている。

 楽譜だけでは物足りない。ブッ、ブッ、カッ、と歯切れのよい音を実音の間に忍ばせた。ゴーストの音色に観客も大いに盛り上がっている。

 ……あー。早くライブ終わらないかなぁ。

 そんなことを考えながら、音をかき鳴らすのだった。


 ◆


「お疲れー! 今日はめっちゃ盛り上がったな!」

 ライブ後の控室。赤髪坊主がメンバーと盛り上がっている。俺以外、みんな大学生だ。
 サポートメンバーの俺は完全に蚊帳の外。その輪に加わることもなく、出入り口のそばに立っていた。

 ……彼らに付き合うのも疲れる。仕事は終わったし、もう帰っていいよな?

「お疲れ様でした。お先に失礼します」

 それだけ言って、バンドメンバーに背を向けた。

「あっ! 待って、三崎(みさき)くん!」

 赤髪坊主が俺を呼び止め、笑顔で駆け寄ってくる。

「三崎くんのベース、すごくよかったよ。お客さんも盛り上がってたしさ」
「あはは。ありがとうございます」
「よかったら、今度またサポートに入ってくれない?」
「えっ……次もですか?」
「ああ、頼むよ。今度は青春ソングとかどう? 夢を追いかける少年少女の曲。よくね?」

 全然よくない。そんなキラキラした曲、陰キャの俺には眩しすぎる。青春を謳歌できない負け犬の歌なら、ぜひやらせてほしいけど。

 ……なんて言えないのが、俺の駄目なところである。

「ははっ……いいですね。また機会があったら呼んでください」

 愛想笑いして、控室をあとにした。
 どうして「お断りします」と言えないのか。ダサい。ダサすぎる。全然ロックじゃない。

「はぁ……帰って寝よ」

 ため息を漏らし、ライブハウスの外に出た。

 昼のライブだったため、今はもう夕方である。西に沈む日の光が街全体を優しく包み込んでいた。
 今日はゴールデンウイーク最終日。明日からまた学校が始まる。早く帰宅してライブの疲れを取りたいところだ。

 駅へ向かって歩き出すと、

「あ、ベースの人! お疲れ様っ!」
「んあ、えっ?」

 急に大声で呼び止められ、おもわず変な声が漏れてしまう。仕方ないだろう。突然声をかけられたとき、上手く声が出ないのは陰キャの(さが)だ。

 足を止めて、声の聞こえたほうに顔を向ける。

 そこに立っていたのは小柄な少女だった。黒髪のショートヘアがよく似合っている。好奇心に満ちた目は、くりくりしていて可愛らしい。クラスの中心にいるであろう、明るく元気そうな子だ。

 彼女は見覚えのある制服を着ている。というか、どう見てもうちの学校の制服だ。

 ……こんな目を引く美少女、学校にいたっけ?

 それにしても、マズいことになったな。バイトは校則で禁止されているんだ。サポートのバイトがバレたら、停学とか普通にありえるのでは?

 ……とりあえず、話を聞いてみるか。

「あの、どちらさま?」
「あ、ごめんね。私、空町陽葵(そらまちひまり)。高校二年生。制服でわかると思うけど、君と同じ学校に通ってるんだ」

 同級生かよ。なおさら見たことがあってもいいはずなんだけどな……。

「ええっと、空町さんね。俺の名前は――」
「知ってるよ。三崎健(みさきけん)くん。二年A組で、あんまり友達いない根暗なロックンローラーでしょ?」

 いや失礼だろ。当たっているけども。

「根暗なロックンローラーである俺を知っているとは。恐れ入ったよ」
「でしょ? 私、記憶力と歌声には自信あるの」

 得意気に胸を張る空町さん。駄目だ。嫌味が効かない。陽キャ強すぎだろ。

「えっと、空町さんは……」
「陽葵でいいよ。みんなそう呼ぶし」

 距離の詰め方が強引かつ早い。駄目だ。陽キャ怖すぎる……。

「その……陽葵は今日のライブを観に来たの?」
「うん。三崎くんのバンド、超カッコよかった」
「ありがとう。でも、俺はあのバンドのメンバーじゃないんだ。サポートだから」
「実はそれも知ってたりして。三崎くん、無所属なんだよね?」
「政治家みたいな言い方だな……そうだよ。どのバンドにも属してない」
「やっぱりだ……完全にフリーなんだね」

 えへへ、と陽葵は嬉しそうに笑った。俺がバイトしている弱みを握って喜んでいる……というのは考えすぎかもしれない。

 というか、こいつ俺のこと知りすぎでは? ちょっと怖いんだが……。

「三崎くんのベース、すごかったね。あれ、なんていうの? かっちょいいアタック音」
「あー……ゴーストノートのこと?」
「ゴーストノートって言うんだ……へえ。なんかいい響き。親近感わく」
「なんの親近感だよ」

 俺のツッコミを無視し、陽葵はエアベースを始めてしまった。唇をすぼませて「ぼっ、こすっ、ぼっ」と、独特なオノマトペを口ずさんでいる。

 空町陽葵……苦手なタイプだ。
 初対面の相手にもグイグイくるし、何がしたいのかもわからない。やかましくて、無駄に元気だし。やっぱり陽キャは苦手だ。

「それで? 陽葵は俺に何か用?」
「あ、うん。実は君にお願いがあるの」

 陽葵は俺に顔を近づけてきた。
 彼女の大きな瞳には、焦る俺のマヌケ面が映し出されている。

「ち、ちかっ……何?」
「三崎くん! 私とバンドやろうぜ!」

 おおっ……なんだか少年漫画にありそうなセリフだ。実際に言われると、なんかこう、ときめくものがある。まるで主人公になったみたいだ。胸が熱くなって、ちょっとドキドキしているのも事実。

 もちろん、俺の中で答えは決まっていた。

「他を当たってください……」
「即決かよぅ!」

 陽葵は驚き、後ろに下がった。

「なんでよぉ! 今、同級生バンド結成の流れだったじゃん!」
「いや流れとかないだろ」

 自己主張が苦手な俺でも、さすがに初対面の人の誘いには乗らん。知らない人にはついて行ってはいけない。これ常識。

「三崎くんさぁ。一瞬でも悩んだりしないの? 私とバンド組めるチャンスだよ?」
「君とバンドを組むメリットでもあるの?」
「なんと! ぼっちの三崎くんにお友達ができます!」

 真芯でデメリットだった。余計なお世話だっての。

「あの、俺もう帰っていいかな?」
「クックック……三崎くん。私に反抗的な態度を取っていいのかな?」
「なんだよ、その小悪党を思わせる笑みは」
「うちの学校、バイトは禁止されてるはずだけど?」
「ちょ、このタイミングで脅すつもりか!?」
「ふふっ。そんな物騒なこと言わないよ。ただ、私とバンドやってくれないと、担任にチクっちゃうってだけ」
「人はそれを脅しって言うんだ!」
「あ、なんか反抗的な言い方ぁ。うっかり口が滑りそうだなー?」
「すみません、ごめんなさい」

 反射的に謝ってしまった。負け犬根性が染みつき過ぎていて悲しくなる。

 ……どうする? 陽葵とバンドやるか?

 どう考えても、俺と陽葵では住む世界が違う。日蔭と日向。月と太陽。こんな騒々しいヤツと音楽をやる自信がない。

 そもそも、パートすら聞いてないぞ? さっき歌声に自信があると言っていたけど、ボーカルなのか? だとしたら、ギターとドラムは? 他のメンバーは? どんなバンドを目指している? 好きな楽曲は?

 俺は彼女について何一つ知らない。こんな状態でバンドなんて組めっこないだろう。

 でも、弱みを握られているし……まいったな。

 考えていると、陽葵の表情がわずかに強張った。

「お願い。私にはもう時間がないの」
「時間……?」

 何の話だろう。
 時間がないってことは……ライブの日程の話か?

 陽葵は曇りのない真っ直ぐな瞳で俺を見た。

「三崎くん。君のベースで私を救って?」
「俺のベースが、君を……?」

 救う、なんて大げさだ。それこそ漫画のヒロインみたいなセリフじゃないか。だとすれば、俺はやっぱり主人公で、ヒロインを救うヒーローってところか? ムリムリ。ただの陰キャには荷が重いって。俺はただ、相手の顔色を窺って生きているだけの臆病者だ。

 ……だから、今回もまた断り切れない。

 鬼気迫る陽葵の表情を見て、断ったら可哀そう、なんて思ってしまっている……彼女が何故そこまで本気なのかも知らないのに。

「バンド……メンバー足りないなら入ってもいいよ」

 本気で困っているから、仕方なく手伝うだけ。
 そんなかっこつけた言い訳で、『NO』と主張できない自分を言いくるめる。

「えっ、いいの!?」
「ただし、条件がある。俺は陽葵と他のメンバーのことをよく知らない。とりあえず、仮で参加して、続けるかどうかはあとで決めさせてほしい」
「それでいいよ! ありがとう、三崎くん!」

 陽葵は俺の手を取り、ぶんぶんと上下に振った。そんな簡単に異性の手を握るな。俺は女子に免疫がないんだ。ドキッとするだろ。

「おい。離してくれ」
「あ、照れてる。三崎くん可愛い」
「怒っていい?」
「あはは、冗談だよ。ごめんね、嬉しくて舞い上がっちゃった」

 陽葵は満面の笑みを浮かべた。反省している様子はまるでない。

 ……眩しすぎるんだよなぁ、この笑顔。

 眩しいのは笑顔だけじゃない。性格もだ。初対面の人に「バンドやろうぜ!」なんてよく誘えるよな。俺には絶対に真似できない。

 俺と陽葵とでは、やはり住む世界が違いすぎる。本当にバンド活動なんてできるのだろうか。今から不安しかない。

「三崎くん! 明日からよろしくね!」
「……うん。よろしく」

 この日は連絡先を交換して解散となった。

 別れ際、陽葵は夕陽を背にして、手をぶんぶん振った。

「三崎くーん! 今日は本当にありがとう! ばいばーい!」

 茜に染まりゆく街に陽葵の大声が響く。

 彼女のすべてが生命力に満ちていて、ますます自分とは真逆の存在だなと思い知らされるのであった。