二週間が過ぎ、退院する日がやってきた。
十一月中旬、紅葉の綺麗な季節だ。
窓の外を見ると、病院の前のイチョウ並木はすでに色をつけて落ち葉が増え、通路は黄色い絨毯のようになっている。
篠さんは、まだ入院している。
面会は可能だったので挨拶に行ったら、この間一日だけ外出許可が出て、迫河と一緒に出かけたということを、嬉しそうに教えてくれた。元気そうでなによりだ。
「お世話になりました」
ナースセンターの前で鳴沢先生と秀実先生、看護師さんに挨拶をする。
「まだ通院は続くけど……。 今日は、ひとまず退院おめでとう」
「くれぐれも、気をつけてね」
「はい、ありがとうございました」
平日の昼間のため、手伝いはるきあに頼めなかった。
タクシーを呼ぶつもりだったけれど、特別に山本先生が車で迎えに来てくれることになっていた。
退院手続きを済ませて外へ出ると、黄色いイチョウの絨毯をさくさくと踏みしめて感触を楽しむ。
ドイツにも紅葉はあるだろうか、そんなことを考えながら飛び跳ねていると、病院前のロータリーに山本先生の車が到着した。
「退院おめでとう」
車を運転しながら、山本先生が言った。
「ありがとうございます。いろいろとお世話になりました」
「リモート延長の件は、伝えておいたよ。期末テストだけは、学校に来てもらわないといけないけどね」
「はい」
本当は退院したら、学校へ行くつもりだった。
しかし、万一のことを考えてリモート授業を延長してもらった方がいいと、秀実先生に言われて診断書も書いてもらった。
クラスのみんなに会いたかったが、あの発作の原因がはっきりとわからない以上、仕方がない。
十二月上旬、期末テストを一人で受けた。
空き教室で女性の先生に監査役をやってもらい、先生の都合がつかない時は保健室でやった。
テストが終わった日、るきあと帰ろうとすると靴箱に見覚えのある紙袋が入っていた。
るきあと二人で「あっ」と小さく声を上げる。
『テストお疲れ様でした』
と一言だけ書かれたメモと、バナナミルクプリンが入っていた。
「本当に、誰なんだろうこの子」
*
期末テストが終わって翌週の日曜日、オレは遊園地に来ていた。
そう、例の神楽さんとのデートである。
一応、何かあるといけないから、るきあには話しておいたが……。
心配性だから、ついて来やしないかと辺りを見回す。
「どうしたの、香西くん。早く早く!」
「あ、うん」
神楽さんは、楽しそうにオレの手を引いて歩く。
デートなんて初めてで、何もわからない。
るきあや晶とこの遊園地には来たことがあるので、同じように楽しめばいいだろう。
最初は、この遊園地でイチオシのジェットコースターに乗った。
少しでも遅れると一時間以上は待たされる、人気アトラクションだ。
朝早くから来た甲斐があって、スムーズに乗れた。
宙返りはないが、角度が急なコースがあるため、安全バーも上から降りてくるタイプである。
発進の警告音が鳴り、ガタガタと揺れながらゆっくりと坂を上がっていく。
このスリルがたまらない。
ちらりと横を見ると、神楽さんは怖がる風でもなく、目を輝かせてワクワクしているようだ。
頂上へ辿り着き一気に急降下すると、周りから「キャー!」と悲鳴がわく。
神楽さんは、楽しそうな悲鳴を上げていた。
その後、ぐるぐる回ったり、体を動かしたり、いろんなアトラクションに乗って、あっという間に午前中が終わろうとしていた。
「あーっ、楽しかった! そろそろ、お昼にしない?」
「いいよ、どこに行く?」
混み合うフードコートでなんとか席を確保し、ハンバーガーを頬張る。
「おいしーっ♪」
「ほんと、イケるな、このバーガー!」
少々値段は張ったけれど、いつも食べているものとは一味違っていた。
「次はどうする?」
「うーん、そうだなぁ……。あっ、あそこがいい!」
神楽さんが指を差して向かった場所は……。
「こ、ここはまさか……!」
「そう、泣く子も黙るお化け屋敷!」
「いや、黙らないでしょ!? 余計に泣いちゃうでしょ!?」
遊園地の片隅にひっそりと佇むお化け屋敷。
不気味な雰囲気を醸し出し、そばにあるスピーカーからは、おどろおどろしいBGMが流れている。
絶叫マシンの後に選ぶアトラクションとしてはいいと思う……が。
「ほら、行くよ!」
手を引っ張られて、半ば強引に入らされた。
お化けの彷徨う暗闇に翻弄されて、オレはついに叫んでしまった。
「わーーーーーーーーーーッッ!!!!!!」
そして、神楽さんの手を握ったまま、早足で出口まで向かった。
「もーっ、怖いなら、正直に言えばいいのに」
お化け屋敷から出てきた後、ぐったりとベンチにもたれかかってしまった。
神楽さんは、けらけら笑いながらドリンク買ってを渡してくれた。
みんな勘違いするんだけど、お化けが怖いわけではない。
いつからか、暗闇が怖くなってしまったのだ。
おそらく、両親が事故で亡くなってからだと思う。
オレと兄貴を引き取ってくれた親戚の家では、寝る時に部屋の電気が完全に消され、両親がいない寂しさで兄貴の手をいつも握っていた。
今は一人暮らしなので、寝る時はタイマーで消える電気にしている。
「神楽さんは、平気なんだな」
「私? 私は、慣れてるから」
「慣れてる?」
「うーん……。 私、視えちゃう人なんだよね……」
「それって……」
一瞬、背筋がゾワっとなり、自分の肩の上に何かいるような気がして、軽く払った。
「ま、見たくないものまで視えちゃうこともあるけどね!」
見たくないものって……恐ろしい怪異とか?
それとも別の何かだろうか?
いずれにせよ、大変そうだ……。
*
「……ここだ!」
位置を見定め、ボタンを押す。
クレーンゲームのアームが、ぬいぐるみを捕える。
ぬいぐるみは、アームに押されて、ころんと穴に落ちた。
ゲームコーナーをぶらぶらしていたら、今にも取れそうな景品が視界に入ったので、挑戦してみたら一発で取れてしまった。
「わーっ、すごいすごい!」
「あげるよ、神楽さんに」
「えっ、いいの!?」
「俺が持っていても、しょうがないし」
体長三十センチはある大きめのぬいぐるみを、神楽さんに渡す。
すると神楽さんは、ちょっと困った顔をした。
「香西くんの、本当に好きな子にあげなくていいの……?」
「えっ? どういう意味?」
もしかして、まだるきあとの関係を勘違いしているのだろうか?
「……好きな子、いるんでしょ?」
「ええっ? いないけど!?」
勘違いをしているわけではなさそうだ。
でも、どうしてそこまで言い切れるんだろう?
オレには、好きな人なんて……。
「香西くん」
神楽さんは、なんとなく寂しそうな顔でオレの手を取り、
「行こ」
と言った瞬間には笑顔になっていて、そのままゲームコーナーを後にした。
外に出ると、辺りはすっかり夕焼け空だった。
閉園時間が近づき、出口へ向かう人も見られる。
神楽さんはオレの手を引っ張って前を歩いて、こちらを向こうとしない。
ひと気のない隅の方へ移動して、こちらを見ないまま、ようやく手を離した。
「神楽さん……?」
「香西くん。私、さっき“見たくないものまで視えてしまう”って言ったよね」
「うん」
「私が香西くんのことを気になっていたのは、香西くんが、綺麗なオーラだったからなの」
「綺麗な……オーラ?」
言われて思い浮かべるのは、漫画などでよくある、体全体を覆う『気』のようなものだった。
綺麗ということは、色があるのだろうか? それとも、形?
「私、生まれつき霊感が高くて、お化けとか視えるんだけど……。人のオーラのようなものも視えるの」
オレは、黙って神楽さんの話を聞いていた。
「それでね。恋してる人は、そのオーラの色が少し変わるの。香西くんは、色が変化してる。最初は、落合さんなのかなって思ってたけど……それなら、私が告白した時から色が変わってないと、おかしいなって」
色が変わる……。
にわかには信じがたいが、神楽さんの言うことには、なぜか引き込まれるような感覚だった。
「注意して視てたわけじゃないから、いつからかわからないけど──。お見舞いに行った時には、香西くんのオーラの色は変わってた」
「えっ……?」
神楽さんに言われて、頭のモヤモヤが、さあっと晴れた気がした。
今まで引っかかっていたこと。
あの大きな発作が起きたのが、鳴沢に会った時。
病室で発作が起きそうになった時──画面に映っていたのは──。
そこでまた、胸がズキリと痛む。
「……だめだ!」
「ど、どうしたの……?」
大声を出したので、驚かせてしまった。
でも、この話はこれ以上できない。
「ごめん、神楽さん。この話は、ここでおしまいにしよう」
「えっ、ごめん……。何か、気に障ったかな……?」
神楽さんは、慌てて口を噤んだ。
「違うんだ……。オレは、認めちゃダメなんだ……」
せっかく気持ちに気づけたのに。
想うことすら許されないなんて。
「認めちゃ……ダメなんだ……」