人の最初の罪は、約束を破り善悪の果物を食べたこと。
 最大の罪は、兵器を使い自らの星を滅ぼしたこと。
 では、最後の罪はなんだろう?


 相馬(そうま)さんは重い腰を上げるようにゆっくりと立ち上がると、自らの足で透明の棺桶に入った。
 わたしは相馬さんの行動を見届けてから、少し離れた場所にある機械装置の前に立った。モニュメントの隣に置いてあるような装置だ。石の支柱のてっぺんに説明文が書いてあるやつ。
 説明文の位置にはモニターがあって、そのモニターを操作する。
「ねえ、まどか」
 無機質にいじっていると、相馬さんがわたしの名前を呼んだ。視線は装置に落としたまま反応する。
「なに?」
「ごめんね。その……」
 歯切れを悪くする相馬さん。彼の言わんとしていることがわかったわたしは、口調をなだらかにするよう気をつける。
「いいよ。相馬さんのせいじゃないってわかってるし」
「でも、最終的には僕が手を加えた」
「仕方のないことだよ。仕方のないことを今さら言ってもしょうがない。わたし、相馬さんには感謝してる。もうそれでいいじゃない」
「そうだね」
 相馬さんは穏やかに微笑むと、目を瞑った。

 ほとんどの操作が終わり、レバーに手をかける。
「相馬さん。最期になにか言いたいことある?」
「そうだね。彼女にはごめん、って伝えたいね。両親にはありがとう。俺の無茶に付き合ってくれた後輩にはお疲れ。……まあ、もう誰もいないんだけど」
 相馬さんが目を瞑ったまま笑うので、わたしが代わりに相馬さんの目となって隣の部屋を見た。
 縦になって天井からつるされた透明の棺桶が9999個ある。棺桶の中には水色のどろりとした液体と人ひとりが収まっている。
 相馬さんが開発したものだ。それは時空を超えることから「タイムマシーン」と名付けられたけれど、本当のところは冷却装置だ。生きる機能を停止させた人体を冷却して保存しておくための機械。
 まもなく1万個目が収容されようとしている。
「だけど、やっぱり」
 相馬さんの声が聞こえてきて、視線を戻す。彼のまぶたは閉じたまま。だけど、わたしを見ているようだった。
「最期の言葉はまどかにあげるよ」
 わたしは棺桶のふたを閉じるボタンを押して、レバーを壊さない程度に握りしめた。
「もし俺が最後の人間だとはじめからわかっていれば――」
 相馬さんの最期の言葉を聞き届けた後、レバーを引いた。
 ふたがロックされる。目を瞑る相馬さんに電磁波が放たれて、生命を停止させる。ボコボコと青白い液体が投入される。あっという間に、相馬さんはコールドスリープした。
 すべての作業が終了した棺桶は自動的に立ち上がり、隣の部屋へと自動収納された。
 わたしは機械装置の電源を切って、隣の部屋の電気すらも切って、相馬研究室をあとにした。


 廊下の窓からは外の景色が見える。赤い星が窓いっぱいに広がっている。
 ここは宇宙。わたしは宇宙を遊泳する船の中にいる。
 わたしたちの星は兵器によって滅び、人が住めない死の星と化した。生き残った人類は数万人。生きていくために星を捨て、宇宙を彷徨うことになった。
 しかし、他に人が住めるような星はどこにも見つからなかった。
 居住地探索を諦めて自分たちの星の軌道に戻ってきた頃、人の数は2万人を切っていた。そして、食糧不足が目を背けられないほど深刻化し、ついに選択を迫られる時がくる。
――コールドスリープしよう。
 誰がはじめに発言したかは定かではないが、現状を打破する方法はもうそれしか残っていなかった。
〝星が再生するまでコールドスリープする〟
 それが自らの星を自らの手で滅ぼした人類の決断だった。

 相馬さんに白羽の矢が立ったのは、それからまもなくのこと。宇宙船の生命維持装置の開発者である相馬さんは、チームを編成してコールドスリープ装置を作り上げた。
 しかし、ここでも問題が発生する。
――時間がなかったので、スイッチの部分だけ原始的な方法に則りました。
――原始的? つまりどういうことだ。
――つまり、この装置は人の手でないと起動しません。
――なんだ、そんなことか。別に問題ないさ。
――いえ、これが大問題なんです。スイッチを入れた瞬間に装置が働きます。自分の手ではスイッチを押せない。つまり、最後のひとりがコールドスリープできないのです。
 人類存亡の責任者たちは考えあぐねた。
――なら、ロボットを1体作ろう。最後のひとりをコールドスリープさせる専用のロボットを。
――ロボット、ですか?
――君、ロボット工学も専攻していただろう。そのくらい作れるよな。なに、余計な機能はいらない。ボタンを押すだけでいい。……いや、この際だからコールドスリープから目覚めさせる機能もつけよう。スリープ中のメンテナンスも内蔵のAIだけでは心許ない。そうだ、AIロボットを作ろう。
 そうして相馬さんが寝る間も惜しんで作ったのが、MDCA-S3。相馬さんは「まどか」と名付けた。

 それだけならよかった。機械的に動くAIロボットでとどまってくれれば、なにも人は罪を重ねなかっただろう。しかし……。
――スイッチを押すのがロボットってのは寂しいよな。1万人は人の手でスイッチを押せばいいが、最後の1人が可哀想だ。最期は人に看取られたい。それが人情だ。よし、ロボットに感情をプログラムさせよう。
 責任者たち……いや、人類の総意だった。眠る瞬間を機械に看取られたくない。そんな自分勝手な感情で、わたしは心をプログラムされてしまった。

 ねえ、相馬さん。わたし、感情なんていらなかった。ただ命令通りに動くロボットでよかった。どうして、わたしに感情をプログラムしたの?
 感情なんてなければ……。
 なんて、相馬さんに文句を言っても仕方ない。相馬さんだって反対だったのだから。

『もし俺が最後の人間だとはじめからわかっていれば、俺は君に感情をプログラムしなかった』


 廊下の反対側の窓を見ると、上も下もない闇が広がっている。真っ暗で、まるでブラックホールのような景色が。
 星が再生するのにどのくらいかかるのか、誰にもわからない。100年先か、1000年先か、あるいはもっと先か。わたしにもわからない。
 わたしは一体、あとどのくらい、この宇宙をひとりで彷徨わないといけないの?
 赤く燃える星の軌道を、あと何十周すればいいの?
 途方もない時間、見えない景色。機械装置の音だけが聞こえるこの空間で、孤独がわたしを蝕んでいく。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。寂しいよ。

 涙の機能は取りつけられていないから、涙すら流せない。心は苦しいくらい泣き叫んでいるのに、顔はなにもなかったかのように澄ましている。
 どうしてこんな中途半端なロボットを作ったの?
 どうして、感情をプログラムしたの?
 感情なんてなければ、孤独は恐怖だと知らずに済んだのに……。


 赤い星は徐々にその赤色を弱くしていった。
 ゆらめく赤色が薄まると、地の色が姿を現した。
 それから数年、すべてが燃え尽きて真っ黒な星へと変貌した。
 さらに数百年、風化し、ようやく大地の色を取り戻しはじめる。


 星が変わっていく様を宇宙船の窓から眺め続けた。孤独になって最初の数年は、自らの機能を停止させたくて、壊してみようと試みた。何度も。けれど、頑丈な体は壊そうとするモノを破壊するだけだった。
 わたしの体は水にも耐えるし、熱にも耐える。頑丈に作られている。宇宙船のドアは内蔵されたAIの指示でしか開けられない。
 つまり、自殺しないよう施されている。
 あたりまえだった。だって、もしわたしが死んでしまえば、コールドスリープから目覚めさせる人がいなくなってしまうのだから。
 それでもわたしは死にたい。そんなわたしに内蔵AIが語りかける。
『あなたは死ねません。死ぬことが許されていません』
 そう何度も無気力に語りかけられたら、心なんてとっくに枯れる。
 やがて死ぬのを諦めた。そして、わたしは心のないロボットに戻った。

 孤独になって幾年、内蔵AIが語りかけてきた。
『まどか。お話があります』


 わたしは久しぶりにコールドスリープした人が収容される部屋に入った。
 1万人が収容されているけれど、最後に眠った相馬さんを見つけるのは簡単だった。あの頃と変わらない容姿で眠る相馬さんの棺桶の前に座ると、そこだけ優しい世界に包まれるようだった。
 心が戻ってくる感じがする。
 けれど、今さら心が戻ってきたところで意味はない。
――もし、孤独に耐えられなくなったら、俺を起こしていい。一度目が覚めた人は二度とコールドスリープできないけど、まどかが孤独で死ぬくらいなら、目覚めて残りの時間をふたりで過ごしたほうが幸せだ。
 そう言ってくれた相馬さんには、本当に感謝の言葉しか出ない。ありがとう。
 でも、あなたを起こすことはできない。
 だってこんな結末、あなたに教えたくないから。
「さっき、内蔵AIと計算したの。その結果、この星はもう人が住める状態には戻らないだろうって……」
 赤かった星は黒くなり、やがて土の色に戻った。けれどもう、緑が生えてくることはない。青く煌めくことはない。
 だから、わたしたちは決断した。
「内蔵AIがこの宇宙船の全機能を停止します」
 AIは学習する。人を守るようプログラムされていても、どうにもならないとき、なにが正しい選択肢なのかを考える。正しい選択肢とは、人が最も苦しまない方法。つまり、どうにもならないとき、優先させるは人の心でなければならない。
 だから、人の心を守るために滅ぼす。
 そう、判断を下した。

 これで終わる。わたしのひとり旅に、ようやく幕を下ろせる。
 相馬さん、こんな結末になってごめんなさい。最後にもう一度、お話をしたかったけれど。
――眠るように亡くなるのが理想だけど、俺はきっと、とんでもないモノを発明して口封じに殺されそうだ。
 笑ってそう言ったあなたの、望みを最後に叶えられてよかった。
「おやすみ、相馬さん」


 人の最初の罪は、約束を破り善悪の果物を食べたこと。
 最大の罪は、兵器を使い自らの星を滅ぼしたこと。
 そして、最後の罪は、身勝手な感情からロボットに心をプログラムし孤独にさせたこと。