マンションに帰った由美は、化粧を落とし、シャワーを浴びると、携帯電話のアラームを朝8時にセットしてベッドに入る。

 玲の死から二日、ほとんど眠れない状態が続いていた。今日こそは、と目を瞑ったものの、校了日とアルコールの力を以てしても、変わらなかった。

 真っ暗な部屋に置かれたベッドで眠る私。その周りを複数の人間が取り囲み、一斉に覗き込む――そんな短い夢を見た由美は、ゆっくりと身体を起こし、ベッドライトを点ける。

 暖色の明かりに照らされた寝室。

 ブラウンで厚めの生地がお気に入りのカーテン。同系統の色で揃えた本棚とチェスト。チェストの上に置かれた鏡の傍には、アクセサリーを入れる小物入れと、リキッドルージュや香水、ファンデーションなどのメイク道具が置いてある。

 備え付けのクローゼット。上段には、ハンガーに掛けられたジャケット、パンツ、シャツ、ブラウスが。下段の引き出しには、下着が収納されている。

 そして、ベッド。一人暮らしを始める時に買いに行き、選んだ初めての家具。

「私の部屋」

 由美は呟き、ベッドから降りると、リビングに向かう。

 37型の液晶テレビ。その前に置かれたガラステーブルとこだわりの白いソファ。敷かれたラグとカーテン、その上の壁時計は、ソファに合わせて選んだ。

 ソファに座る。蛍光色に光る文字盤に照らされた壁時計は、4時22分を指していて、銀の長針と短針がピタリと重なっている。

「ここは私の部屋」

 もう一度呟く。

 由美は本棚の最下段からスクラップブックを取り出すと、ベッドに腰掛けて、最初のページを開く。

 そこには、玲が舞踊集団に所属後、最初に出演した公演のフライヤーが挟んであった。出演者一覧の端に小さく白抜きされた“Rei”という文字。

 舞踊家“Rei”の活躍はここから始まった。


 高校に入学してすぐ、玲は10年間続けたバレエと日本舞踊を止め、吉祥寺で活動する舞踊集団に所属した。その舞踊集団の公演に何度か出演した後、たまたま公演を観に来ていた世界的ファッションデザイナーの目に留まり、玲は16歳の頃からブランドのコレクションにモデルとして出演するようになった。

 その頃には幾つかのモデル・エージェンシーから声がかかっていたが、玲はその全てを断り、17歳の時に、自らの事務所を立ち上げた。

 高校卒業の少し前に一人暮らしを始めてからは、他ブランドのコレクションにも出演するようになり、海外での仕事を積極的に増やしていった。

 玲が舞踊家として、最初に注目されたのは、IDM《インテリジェント・ダンス・ミュージック》と呼ばれるジャンルで有名なイギリス人アーティストのミュージック・ビデオへの出演だった。

 その作品で、玲はコンピュータで複雑にプログラミングされたサウンドの一音一音と完璧にシンクロさせた踊りを披露した。あまりに人間離れした複雑な動きに、音楽メディアだけでなく一般メディアまでが「CGかスロー再生によるシンクロではないか?」と取り上げた程だった。反響の大きさに、レコード会社が、原曲のまま一発録りで撮影されたものであることを証明する別角度からの映像を公開したことで、舞踊家“Rei”の名は広く知られるようになった。

 以後、玲はモデルとしての活動と平行しながら、海外アーティストのミュージック・ビデオにも多数出演した。

 その中でも、最も話題になったのが、フランスの黒人女性DJ作品への出演だった。このビデオで、玲はチェロのリフレインが印象的なドラムンベースの流れる中、閉鎖病棟から脱走する女性を演じた。パリ市街を素足でパルクールする玲の躍動美は勿論のこと、映像の最後、朝陽の中、Banlieue《バンリュー》と呼ばれる低所得世帯向けの公営住宅団地の屋上から、玲のあげた30秒に及ぶ長い哮《たけ》り――これが大きな話題となった。

 実際の音源にも収録された玲の叫びは、イギリスの音楽誌によって“ダンスミュージックが規則的快楽性を追究した結果、蔑ろにしてきたとも言える「野生」の復権を宣言するもの”と評された。同曲は、その後、他の音楽メディアからも高く評価され、その年に発表された年間ベストソングランキングの上位にランクインした。

 その翌年、玲は舞踊家として世界各国で公演を行った。海外の演劇祭や劇場に招待されて行われた“Crow in the Darkness《暗闇のカラス》”という題の公演には、各国の批評家、ミュージシャン、アーティスト、セレブリティが多数来場し、激賞された。

 有名ファッション・ブランドの広告写真を数多く手がけ、その後映画監督としてアカデミー監督賞を二度受賞しているAndrew《アンドリュー》氏は、MoMA《ニューヨーク近代美術館》で行われた公演評をニューヨークタイムスに寄稿した。


 6月18日にMoMAで行われた舞踊家“Rei”の公演“Crow in the Darkness”は、これまで彼女が様々な場で披露してきた魅力が、一部に過ぎないことを示す素晴らしいステージだった。

 その素晴らしかった公演の詳細を書く前に、挙げておかなければならないことが一つある。それはこれまでのReiの表現とは大きく違う「立場」についてだ。

 これまで、彼女の出演してきたコレクションやミュージック・ビデオの場合、あくまで彼女は、デザイナーやミュージシャンの思想を体現するための存在だった。だが、今回の公演は演目・衣装・舞台環境の隅々にまで、彼女の美学が顕れていて、それがReiという表現者の魅力を、これまで以上に伝えるものになっていた。

 私は会場に入ると、空いている席に座り、隣にいた妻と話をしていた。ステージは、黒バッグの舞台と極端に落とされた照明という非常にシンプルなものだった。

 開演のアナウンスもない中、Reiはいつの間にか舞台にいた。そのことに気づかずにいる観客のお喋りは続いていたが、それは会場の暗さに加え、Reiが黒のドレスを身に纏い、黒塗りの化粧を施していたこともあった。

 かくいう私も妻に言われ、初めてステージのReiに気づいた。彼女の姿を捉えた瞬間、まずはシルエットの美しさに目を奪われた。

 これまでの仕事を通じて、トップモデルと呼ばれる男女の様々な肉体を見てきたが、彼女の肉体は、完璧な骨格に最適な肉を纏うことでしか現れないもので、闇に紛れることなく自己を主張していた。

 Reiの存在に気づいた観客が一人また一人とお喋りを止めていき、会場が静かになる。しかし、Reiはそのまま数分間、微動だにすることなくポーズを取り続けた。その後、唐突に流れ出した音楽に合わせて、彼女は踊り始めた。

 Reiの踊りは、(彼女の映像を見たことがある人ならばご存知の通り)本能の美しさに満ちていた。音楽は、IDMからテクノ、アンビエント、ジャズ、クラシックもあれば、ドローン音や雅楽、ガムランといった民族音楽、果ては「無音」まで様々にミックスされていたが、彼女の舞いは、音楽のリズムや旋律をほとんど無視していた。

 だが、そのことに対して、観客が違和感を覚えることはなかった。

 なぜなら、この公演における音楽が、伴奏として用いられていないことが明白だったから――それが一番表れていたのは、曲の繋ぎ《ミックス》で、テクノからクラシック、民族音楽からアンビエントといった脈絡のない繋がり《ミックス》からは、一切の起承転結とそれに伴う劇性が剥奪されており、あくまで音楽は、時代や場所といった様々な世界を設定する記号として用いられていた。

 Reiの舞いは、暗闇の中、その時代その場所に生きる人々を表現する。ある時は時流と共に生き、ある時はそれに背き、またある時はその奔流に呑みこまれる。時代や場所が変わっても、人々の生き方の根源は変わらない。

 観客は、彼女を追いかけることで、我々の日常は、いつ、どんな時も暗闇であるという事実と対峙することになる。

 舞台は、無音となった世界を切り裂くReiの咆哮で終わる。その長い叫びは、これまで彼女が舞ってきた世界を否定し無に帰す叫びであった。そして、純粋な暗闇だけが残った空間で、観客を睨みつけるようにして立つReiは、そこに“Hero”として君臨する。

「英雄とは時代である」ということを表現する彼女の叫びに震えながら、私は圧倒的な興奮と共に席を立ち、美しい暗闇へ拍手を送った。