会場に着く。今夜バンドが出演するのは、清涼飲料水メーカー主催のイベントだった。

 ライブハウスの外には商品をPRするブースが多数出ていたが、人の姿はまばらで、キャンペーンガールも退屈そうにしている。

 受付で名前を伝えた由美は、ゲスト用のパスを受け取り会場に入る。

 一つ前のアーティストがライブをしていた。けれども、二階席まである会場は3割ほどの入り、しかも観客のほとんどはメーカーの社員と思われるスーツ姿のサクラで、全く盛り上がっていなかった。

 今演奏しているのは、海外でも有名な日本人DJのはずだが、イベントホームページに掲載されていた野外フェスでプレイする時の楽しそうな様子とは違い、笑顔はない。

 演奏が終わる。まばらな拍手。

 ステージ脇から男性のMCが登場し、「世界で活躍するアーティストの発掘と共演」というイベントの趣旨を説明するが、各々雑談に興じる観客からの反応はほとんどない。

 由美の目から見ても、イベントはあらゆる面で失敗していた。

 音楽好きには知られていても、一般的な知名度はほとんどないアーティスト。都心から少し離れた新木場という場所にも関わらず、平日18時の開演。さらに、ウェブから応募した人しか参加できない招待制。そして、以上の条件にも関わらず、会場に2000人以上収容のライブハウスを選んだこと。

 イベントが惨状を呈す中、セットチェンジが終わり、“the Yellow Clowns”が紹介される。

 柏木達はステージに現れると、すぐに楽器を構え、演奏を始める。

 クリーントーンで奏でられるギターフレーズに、別のギターが異なるフレーズを重ねることでハーモニーが生まれる。そこに、ドラムやベース、キーボードの演奏が加わっていくことで、ゆっくりと音の世界を醸成していく。

 最新アルバムからの楽曲。しかも、かなり複雑な構成の曲で、初めて音源を聴いた時は、「ライブできちんと再現できるのか」と心配したが、杞憂だった。

 ヨーロッパツアー前のウォームアップとして行われたアジアツアーを終えた段階で、バンドの演奏は完成していた。

 由美が静かに興奮する一方で、観客の反応は悲惨なものだった。

 演奏が始まり、雑談こそ止んだが、耳馴染みのない音楽に戸惑いを隠せずにいる。

 ギリギリまで音数を減らすことで生まれる緊張感すら、そういった音楽を耳にしたことのない人間には、単調としか捉えられない。そして、美しく吹き荒ぶギターノイズは、ただの騒音でしかない。

 ライブが進むにつれ、柏木以外のメンバーは苦笑していた。

 たちまち会場を覆う退屈な空気が演奏に流れ込む。

 一心不乱にギターを演奏していた柏木は、その時初めて顔を上げ、バンドメンバーを睨みつける。

 バンドはすぐに演奏を立て直したものの、一度露わになった退屈さは、少しずつバンドの音像を腐らせていく。その空気を誰よりも感じているであろう柏木だが、ギターノイズのパートが近づくにつれ、自分のギターの音量を上げるようPAに指差しで指示する。

 直後に鳴らされたギターノイズが大音量で会場に響く。ジェットエンジンの中にいるような轟音に、多くの聴衆が耳を塞ぎながら、フロアの外に出ていく。

 他のメンバーが全く動揺していない様子から、この演出はいつも通りなのだろう。そして、ここから最後まで10分近く続いた演奏が素晴らしかった。

 そのギターノイズは、正に道化の最後を表現していた。

 道化の苦しみと渦巻く感情、眼前に拡がる光景、走馬灯、遠のく意識、そして、全てを燃やし尽くす炎――天井の高い大きな会場だからこそ、一層響き渡る。

 轟音が最高潮に達した瞬間、演奏をピタリと止めた柏木は、ギターを置き、早々にステージの脇に消えた。キーボードによる静謐なピアノが鳴り響く中、演奏を止めたメンバーが一人ずつステージを去って行く。

 最後に残ったキーボードが演奏を終え、ステージ脇に消える。

 結局、柏木達はステージで一言も喋らなかった。

 代わりに出てきたMCが「さすが独特の世界観でした」と感想を述べたが、わずかに残った客席からの反応はまばらだった。

 会場を出た由美は新木場駅に向かう。耳鳴りがしていた。

 演奏は悪くなかった。ただ、会場の無関心が、素晴らしい音楽を台無しにした。

 主催企業も、出演者も観客も、誰一人幸せにならないイベントだった。