七回が終わった所で、二人は球場を後にした。

 柏木と駅で別れ、家に帰った由美は、少しお酒の入った頭をシャワーで冷ましてから、もう一度パソコンの前に座る。

 野球観戦は、十分気分転換になっていた。

 今なら書くのを躊躇っていたテーマに向かうことができる気がした。

『オンナの末路』の取材で必ず質問をしていたが、記事では大きく取り扱わないようにしてきたことに、性生活があった。

 由美がそうしたのは、彼女達の境遇や環境を書くことに重点を置いたためだった。性生活を書くと、どうしても読者の関心がそちらに集中してしまう。それを避けたかった。

 加えて、いざ書くとなると、取材を受けてくれた女性達の顔が浮かんだ。

 書くからには、覚悟が必要だった。

 彼女達を裏切ることになるかもしれない。だが、もし書籍として刊行されることで、これまで以上の読者に届く可能性があり、その反応を、1割の共感と3割の嫌悪、6割の無関心と見積もっても、ものすごく大きな力になる。

 信じるしかなかった。


 あの人が私を抱きたくなるのは、決まって仕事などで何かあった時でした。

 私の気持ちなどお構いなしに、妻として当然の勤めと言わんばかりに、私の布団に入ってきて身体をまさぐる。パジャマのボタンを外し、下着を脱がし、乳房を痛いほど乱暴に掴む。

 粗暴で、自らの性欲を発散する道具としか考えていない。

 早く終わらせたい私は、敢えて奉仕をします。感じなくても声を出し、気持ちを盛り上げる。手つきや態度であの人が何を求めているかを推測し、その通りに振る舞う。これは、最も重要で、最も屈辱的な勤めでした。

 射精したあの人が、スッキリとした面持ちで布団に戻り、いびきをかき始めてから、私は自らを取り戻すように、ゆっくりと身体に触れます。いつも覚えるのは、汚されたという感覚でした。私は静かに部屋を出て、濡らしたタオルで身体を拭いてから布団に戻ります。


 私たちはお互いの部屋で親密な時を過ごしてきました。衣服を脱がし、お互いの肌にキスを与え、子どものようにじゃれ合う。肌も髪も、どちらかが飽きるまで愛撫を続け、休憩を挟んだ後も、唐突に始まる。

 彼女は温もりを持った映し鏡で、私が彼女を抱きしめると、彼女もまた私を抱きしめてくれました。互いの中にあるとろ火のような熱で互いを温め続ける。決して拒否することのないその関係は、自然に肌を重ね合う遊戯のようでした。

 彼女と出会う前にした男性とのセックスでは見出すことのできなかった喜びが、彼女との行為の中にはありました。

 それは対等で認め合う関係です。

 セックスを終えた男性は、まるで私を征服したかのように振る舞う。例え苦痛しかなくても、男性の精を受けとめたことは、愛の証と讃えられる。

 彼女との行為は違いました。そこにあるのは、苦痛も服従もない、互いへの敬意と純粋な奉仕です。

 でも、私たちの関係は、世間から、愛と認められることが難しい秘密の関係です。

 思えば、私はただ秘密の虜になっていただけなのかもしれません。実際、隠すことが日常になると、後ろめたさだけが大きくなっていく……。

 結局、私たちは蛸でした。壺の中で身を絡ませた蛸。どちらかが窮屈さを感じ、逃げ出そうとする時には、絡まった足を食べなければならなかった。


 毎日何時間も水中にいる消費カロリーを補うだけでなく、身体を大きくするための食事を摂らなければなりませんでした。

 そうして大きくなった身体も、選手を諦めると、ただの重荷にしかなりません。けれども、形成された肉体をなかったことにはできません。

 速く泳ぐための身体は、水と一体になりながらも、水の抵抗を切り裂いて前に進むためのものです。その肉体は、アスリートの世界では美しくても、世間から見たら不格好なものです。

 彼はそんな私の身体を「美しい」と言ってくれました。それは私にとって、二重の意味で喜びでした。一つは女性として、もう一つは、もっと根本的な部分での承認として。

 たしかに彼は、セックスの時やそれ以外の時に、私に暴力を振るうことがありました。けれども、昔から男性のように育てられてきた私にとって、その暴力に従うことが、自分が女性であることを思い出させました。

 どう言えばいいでしょう。私の身体は彼よりも立派です。肩幅は彼よりも広く、筋肉も固い。

 ですが、男性の肌、それから骨格は女性とは違う気がします。

 言うならば、男性の肌が傷ついてでも奪うためのものであるとすれば、女性の肌は身体を守るためのものでしかない。

 女性って、小さい時から「その身体は、あなただけの身体ではない」って言われますよね。「あなたの身体は、将来子どもを産むための身体。だから大切にしなさい」って。

 彼は、私をアスリートではない一人の女性として見てくれていました。

 だけど、父はそうではなかった。父が望んでいたのはオリンピックでメダルを獲った娘のコーチとしての称賛だった。そのために私を支配し続けようとした。それが許せなかった。


 由美はそこから3日間かけて完成させた原稿を担当の金子に渡した。副題を“囚われた魔女”に改めた原稿は、金子のチェックと校正を終え、中山の判決後に書くあとがきを残して校了となった。

 由美は金子と飲みに出かけた。

「お疲れ様でした」と、ビールで乾杯してからはずっと仕事の話。最近の書籍や週刊誌事情についてひとしきり情報交換した後、話題は富沢になった。

「編集長になる前はどんな感じだったんですか?」

 由美の問いに、金子は当時を振り返りながら話す。

「本当に何でも屋だった。基本は事件班だけど、政治からアイドルのスキャンダルまで、書けるものは何でも書いた。それが、世間と真っ向から対立する記事、つまりは売れない記事であっても、自分の書きたいものを書き続けた。デスクや編集長と記事の掲載可否を巡って揉めることなんてしょっちゅうだった」

 由美には、その様子が容易に想像できた。
「特に、“カナリアの翼”のエピソードが有名かな。彼らが東名阪の地下鉄で同時多発サリン散布事件を起こして、テレビ、新聞、週刊誌全てが“カナリア”への批判一色になっていた時、富沢さんは団体の広報担当に手紙送って、施設に入り、信者達の日常に迫る記事を書いた。その記事の掲載については、当時の編集長だけでなく、会社とも大揉めした。結局、別の出版社から変名で書籍にしたけど、読んだことある? 『篤信《とくしん》の照明』って」

「あれ編集長だったんですか?」

「それ以外にも、ゴーストライターとして、アスリートからタレント本までいっぱい書いてる。本人曰く『編集長になってからは書いていない』って言うけどね。で、会社とは散々やり合ったけど、記者としての嗅覚は編集部内でも随一だった。だから、会社は富沢さんをデスクにして、二年後には編集長にした。元々は、富沢さんが現場は若い人間に任せて、落ち着いた環境に身を置きたいと伝えていたこともあったけど、会社としても、富沢さんを責任あるポストに就けることで自制を働かせつつ、記者としての嗅覚を会社の利益のために使うことができるって点でWin-Winの話だったみたい」

 由美が頷く。

「でも、未だにあの人の嗅覚はすごいよ。去年うちが出した新書で三十万部超えた『聖職者の告白』ってあったでしょ?」

 その本は、全国の名物先生と呼ばれる教師達にインタビューした本だった。モンスターペアレンツやイジメといった教育問題以外にも、昨今の学生達への印象、家庭における自身の子育てまでを語った内容で話題となった。本を書いた教育社会学の大学教授は、今ではテレビのワイドショーでコメンテーターを勤めながら、『週刊プレス』で子育て相談の連載をしている。

「あれも、元々は夕刊に掲載された小さな記事だった。その夜には、先生に連絡入れて、翌朝一番に自分と一緒に会いに行った。先生に会った時には、本の構想も話していて、『まずは書き下ろし。その後は雑誌連載をして、それも本にしましょう』と伝えて話を取ってきた。

 あとで打ち合わせ中に先生から聞いた話だけど、その翌日には、他社からも出版の話があった。でも、どこも一冊出した後の話まではしてくれなかったって」

「さすがですね」

「実は、自分が中川さんの記事を読むきっかけになったのも、喫煙所で会った富沢さんから『うちで今度面白い連載始まるから』って紹介されたからなんですよ」

「そうだったんですか」

「もちろん、一連の事件を受けて出版したいと思ったのは、編集者としての自分の意志です。でも、だからじゃないですが、この本は売れると思います」

 金子は、そう言うと、ジョッキに残ったビールを飲み干した。