その後、由美は更に3名にインタビューを行い、弁護士事務所を後にした。電車の中で、記事の構成を考えながら編集部に戻る。
コンビニで買ってきた昼食兼夕食のサラダを食べた由美は、早速記事をまとめ始める。
推敲前の記事を書き上げたのは、23時過ぎだった。その頃には、編集部に残っている人間は数えるほどだったが、三人の記者が一人の記者の席に集まって何か話をしている。
「何かあったんですか」
由美も加わる。
パソコンの画面には、アイマスクと猿轡《さるぐつわ》をされた男性が映っていた。全く物がない殺風景な部屋の中央に敷かれたブルーシートの上で、両手両足を縛られ横になっている。
「東《あずま》さん、これどういう状況ですか?」
椅子に座る記者に訊ねる。
「このサイト、海外のSM専門ライブチャンネルなんだけど、普段は女の子が出るはずなのに、一時間以上この男が横になってるんだよ。それが『おかしい』ってそっち系の掲示板で騒がれてたから覗いてみたんだけど……」
「それだけですか?」
由美が訊ねた所で、画面横から紺《こん》の作業着姿の女性が現れた。
女性は、男性の口元のガムテープを乱暴に剥がすと、カメラの方を振り返り、英語で話し始める。
「こいつの名前は、小川裕太。もうほとんどの人間が忘れているだろうが、17年前に大宮で女子高生を仲間数人で拉致し、監禁した事件があった。こいつを含めた犯人達は、彼女を強姦し、拷問して死亡させた上に、遺体を焼却した。
母親に問い詰められ、こいつは警察署に出頭。犯行を自供するが、未だ服役中の『相馬一也が主犯で、自分は彼の指示に従っていただけ』と言い、更に『彼女が自分達に声をかけてきた』と仲間内で口裏を合わせていた言葉を口にし続けた。
また、警察官だった父親は週刊誌のインタビューに対し『息子は悪くない』と発言。別の週刊誌に至っては、被害に遭った女子高生は『非行少女』として擁護記事を書く始末。そのおかげか、こいつは懲役7年で出所し、今は――」
「中川、何て言ってる?」
由美の語学を知る同僚記者が尋ねる。
「17年前に大宮であった女子高生の監禁強姦死事件って知ってます?」
「ああ、“カナリアの翼”の時期とまるかぶりだったあれか。当時はカナリア一色だったこともあって、残忍な犯行の割にそこまで話題にならなかったけどな。たしか犯人の一人の父親が警察官だったこともあって」
「この男性が、その犯人の一人みたいですね」
「他は?」
「えっと――」
「誰かそこにいるのか! 助けてくれ!」
画面から男性の叫び声が聞こえる。
スピーチを中断した女性は、男性に近づくと、無言のまま何度も腹を蹴る。
男性が口からよだれを垂らし、おとなしくなる。画面外から、パチパチと数名の拍手が聞こえた。
男性の背中側にまわった女性は、そのままスピーチを続け、“We take the law into our own hands.”と宣言し、言葉を止めた。
カメラに映るショートヘアの女性は、大学生かと思える程に若かった。少なくとも、当時の事件の被害者や犯人達と同年代ではない。
今度は、日本語で話し始める。
「こいつらがその女子高生を攫ったのは19時頃だった。駅からの帰り道を一人で歩く女子高生を運転する車に複数人で押し込んだ。そこで、私たちは同じようにして今日こいつを攫ってきた。その時、車内でこいつが口にした言葉がこれ」
――何だ! 複数か! 卑怯者!
「かわいそうに」
女性の声が冷たく響く。
「出所後、養子縁組して過去を隠して生きて……。自分がやったことも忘れ、自分が同じ目に遭うとは微塵も考えずのうのうと過ごして……。仲間と家の離れに彼女を連れ込んだ後は、嫌がる彼女を殴りながら、腰を動かし続け――」
「やったのは俺だけじゃない!」
男性が叫ぶ。
女性は男性の顔を何度も踏みつける。全く躊躇う様子はない。再び画面外から拍手が起こり、男性は口から血を流して動かなくなる。
「虫は静かに」
右足で男性の頭を押さえつけながら、吐き捨てるように言う。
「彼女が失神する度に、虐待を加えた結果、もはや誰だかわからないくらいに腫れあがった姿に、ようやくこいつらは犯すのを止めた」
女性が一度画面の外へ消える。身体を丸め、全身で大きく呼吸する姿は巨大な芋虫のようだ。
女性はプラスチックのバケツを手に戻ってくると、小さなスコップで灰色のものを男性の口に押し込んでいく。
「何だあれ?」
「生コンか?」
正体を巡って記者達の間でも声が上がる。
女性が男性の口をガムテープで塞ぐ。
「あなた達、彼女にビー玉とかガラスの破片を飲み込ませてたんでしょ? また、『助けて』『止めて』『許して』という懇願には一切耳を貸さず、笑いながら腰を振り続けた」
そう言うと、容赦なくスコップで頬を殴る。
彼女が殴る度、画面外からは「いーち」「にー」「さーん」と間延びした声で数え上げる声が聞こえる。
男性の頬は切れ、鼻血が出ている。無抵抗だった。
「これ誰か通報してるんですかね」
由美が疑問を口にするが、誰も答えない。
10まで数え終えると、女性は立ち上がり、再度こちらを向いて演説を始める。
「こいつが仲間とやった残忍な行為。その根底にあったものは何か。それはどんな存在も、力で押さえつければ、自分の意思に従うと
いう『やった者勝ち』に近い思想だ。彼女の恐怖や苦しみを想像できなかったこいつらは獣《けだもの》ですらない。虫だ。罪と罰という赦しは、虫ケラには必要ない」
女性の背後で、男性は全身を左右に揺する。
由美は、生コンを口に入れられた男性が窒息もせず、まだこれだけ動き回れることに、生への執着を感じた。
一瞬、画面外に消えた女性が、針と糸を持って戻ってくる。
男性の頭を左足で押さえつけながら、口元のガムテープを剥ぎ取り、唇を縫い始める。
男性は、一瞬痙攣したように身体を震わせた後、手足をばたつかせる。けれども、息苦しいのか、全てを諦めたのか、徐々に力を失
っていく。
白い糸がみるみる赤黒くなる。
由美は見ているだけで、唇がむず痒くなる。
端まで縫い終える。
再度、画面外に消えた女性が、ヘッドホンを手に戻ってくる。
男性の耳に当て、外れないようガムテープを巻き付けて固定する。
――あいつらを許すことなんてできないです
直後、別の男性の声がスピーカーから聞こえる。
――本当は一人ずつ同じ目に遭わせて殺してやりたい。取り調べや裁判で涙を流して反省した? あいつらが流したものと、娘が恐怖と苦痛と恥辱《ちじょく》で流した涙を、同じ言葉で一括りにするなんておかしい。自分の身が可哀相になった鬼畜の排泄物と、娘が流した涙では全てが異なる
続いて、女性の声。
――どうしてあんたみたいな子が生まれてきたのか
――あんたのせいで私たちの人生は滅茶苦茶よ
――本当、早く死んでくれたらいいのに
――このゴミ!
――少しでも親を思う気持ちがあるなら、さっさと死ね
――要らない
この声の後、スピーカーから様々な人の「要らない」が響き渡る。
――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない
音量が徐々に上がっていき、ノートパソコンのスピーカーが音割れする。
男性は、苦悶の表情を浮かべながら、身体をくねらせ、何とかしてヘッドホンを外そうとするが、うまくいかない。少し身体を休めてから、両足の踏ん張りを聞かせ、頭を地面にこすりつけて外そうとするも外れない。
女性がドライバードリルを手に男性に近づく。
先端を左耳に当てる。無機質な音と同時にヘッドホンから血と肉が溢れる。出口のない悲鳴が体内で反響するように、男性は身体を激しく震わせる。
非現実性に満ちた画面に、由美は言葉を失うしかなかった。記者ならば、目を背けてはいけないのかもしれない。一方で、誰かがブラウザを閉じてくれれば良いと思ったし、できることならば、手を伸ばしてノートパソコンの画面を閉じたかった。
ドリルが抜かれる。先端から垂れた血がブルーシートに跡をつける。
女性がアイマスクの上に構えたドリルを下ろしていく。
突如、映像が途切れる。
誰も何も言わず、真っ暗になった画面を眺める。
「警察に電話しますか」
由美が口にする。
「ああ、そうだな……」
東が答える。
携帯電話を手に、由美がその場を離れる。
背後で残りの記者達も無言のまま自席に戻っていく。
深夜、犯人達は男性の遺体とともに警察に出頭した。
コンビニで買ってきた昼食兼夕食のサラダを食べた由美は、早速記事をまとめ始める。
推敲前の記事を書き上げたのは、23時過ぎだった。その頃には、編集部に残っている人間は数えるほどだったが、三人の記者が一人の記者の席に集まって何か話をしている。
「何かあったんですか」
由美も加わる。
パソコンの画面には、アイマスクと猿轡《さるぐつわ》をされた男性が映っていた。全く物がない殺風景な部屋の中央に敷かれたブルーシートの上で、両手両足を縛られ横になっている。
「東《あずま》さん、これどういう状況ですか?」
椅子に座る記者に訊ねる。
「このサイト、海外のSM専門ライブチャンネルなんだけど、普段は女の子が出るはずなのに、一時間以上この男が横になってるんだよ。それが『おかしい』ってそっち系の掲示板で騒がれてたから覗いてみたんだけど……」
「それだけですか?」
由美が訊ねた所で、画面横から紺《こん》の作業着姿の女性が現れた。
女性は、男性の口元のガムテープを乱暴に剥がすと、カメラの方を振り返り、英語で話し始める。
「こいつの名前は、小川裕太。もうほとんどの人間が忘れているだろうが、17年前に大宮で女子高生を仲間数人で拉致し、監禁した事件があった。こいつを含めた犯人達は、彼女を強姦し、拷問して死亡させた上に、遺体を焼却した。
母親に問い詰められ、こいつは警察署に出頭。犯行を自供するが、未だ服役中の『相馬一也が主犯で、自分は彼の指示に従っていただけ』と言い、更に『彼女が自分達に声をかけてきた』と仲間内で口裏を合わせていた言葉を口にし続けた。
また、警察官だった父親は週刊誌のインタビューに対し『息子は悪くない』と発言。別の週刊誌に至っては、被害に遭った女子高生は『非行少女』として擁護記事を書く始末。そのおかげか、こいつは懲役7年で出所し、今は――」
「中川、何て言ってる?」
由美の語学を知る同僚記者が尋ねる。
「17年前に大宮であった女子高生の監禁強姦死事件って知ってます?」
「ああ、“カナリアの翼”の時期とまるかぶりだったあれか。当時はカナリア一色だったこともあって、残忍な犯行の割にそこまで話題にならなかったけどな。たしか犯人の一人の父親が警察官だったこともあって」
「この男性が、その犯人の一人みたいですね」
「他は?」
「えっと――」
「誰かそこにいるのか! 助けてくれ!」
画面から男性の叫び声が聞こえる。
スピーチを中断した女性は、男性に近づくと、無言のまま何度も腹を蹴る。
男性が口からよだれを垂らし、おとなしくなる。画面外から、パチパチと数名の拍手が聞こえた。
男性の背中側にまわった女性は、そのままスピーチを続け、“We take the law into our own hands.”と宣言し、言葉を止めた。
カメラに映るショートヘアの女性は、大学生かと思える程に若かった。少なくとも、当時の事件の被害者や犯人達と同年代ではない。
今度は、日本語で話し始める。
「こいつらがその女子高生を攫ったのは19時頃だった。駅からの帰り道を一人で歩く女子高生を運転する車に複数人で押し込んだ。そこで、私たちは同じようにして今日こいつを攫ってきた。その時、車内でこいつが口にした言葉がこれ」
――何だ! 複数か! 卑怯者!
「かわいそうに」
女性の声が冷たく響く。
「出所後、養子縁組して過去を隠して生きて……。自分がやったことも忘れ、自分が同じ目に遭うとは微塵も考えずのうのうと過ごして……。仲間と家の離れに彼女を連れ込んだ後は、嫌がる彼女を殴りながら、腰を動かし続け――」
「やったのは俺だけじゃない!」
男性が叫ぶ。
女性は男性の顔を何度も踏みつける。全く躊躇う様子はない。再び画面外から拍手が起こり、男性は口から血を流して動かなくなる。
「虫は静かに」
右足で男性の頭を押さえつけながら、吐き捨てるように言う。
「彼女が失神する度に、虐待を加えた結果、もはや誰だかわからないくらいに腫れあがった姿に、ようやくこいつらは犯すのを止めた」
女性が一度画面の外へ消える。身体を丸め、全身で大きく呼吸する姿は巨大な芋虫のようだ。
女性はプラスチックのバケツを手に戻ってくると、小さなスコップで灰色のものを男性の口に押し込んでいく。
「何だあれ?」
「生コンか?」
正体を巡って記者達の間でも声が上がる。
女性が男性の口をガムテープで塞ぐ。
「あなた達、彼女にビー玉とかガラスの破片を飲み込ませてたんでしょ? また、『助けて』『止めて』『許して』という懇願には一切耳を貸さず、笑いながら腰を振り続けた」
そう言うと、容赦なくスコップで頬を殴る。
彼女が殴る度、画面外からは「いーち」「にー」「さーん」と間延びした声で数え上げる声が聞こえる。
男性の頬は切れ、鼻血が出ている。無抵抗だった。
「これ誰か通報してるんですかね」
由美が疑問を口にするが、誰も答えない。
10まで数え終えると、女性は立ち上がり、再度こちらを向いて演説を始める。
「こいつが仲間とやった残忍な行為。その根底にあったものは何か。それはどんな存在も、力で押さえつければ、自分の意思に従うと
いう『やった者勝ち』に近い思想だ。彼女の恐怖や苦しみを想像できなかったこいつらは獣《けだもの》ですらない。虫だ。罪と罰という赦しは、虫ケラには必要ない」
女性の背後で、男性は全身を左右に揺する。
由美は、生コンを口に入れられた男性が窒息もせず、まだこれだけ動き回れることに、生への執着を感じた。
一瞬、画面外に消えた女性が、針と糸を持って戻ってくる。
男性の頭を左足で押さえつけながら、口元のガムテープを剥ぎ取り、唇を縫い始める。
男性は、一瞬痙攣したように身体を震わせた後、手足をばたつかせる。けれども、息苦しいのか、全てを諦めたのか、徐々に力を失
っていく。
白い糸がみるみる赤黒くなる。
由美は見ているだけで、唇がむず痒くなる。
端まで縫い終える。
再度、画面外に消えた女性が、ヘッドホンを手に戻ってくる。
男性の耳に当て、外れないようガムテープを巻き付けて固定する。
――あいつらを許すことなんてできないです
直後、別の男性の声がスピーカーから聞こえる。
――本当は一人ずつ同じ目に遭わせて殺してやりたい。取り調べや裁判で涙を流して反省した? あいつらが流したものと、娘が恐怖と苦痛と恥辱《ちじょく》で流した涙を、同じ言葉で一括りにするなんておかしい。自分の身が可哀相になった鬼畜の排泄物と、娘が流した涙では全てが異なる
続いて、女性の声。
――どうしてあんたみたいな子が生まれてきたのか
――あんたのせいで私たちの人生は滅茶苦茶よ
――本当、早く死んでくれたらいいのに
――このゴミ!
――少しでも親を思う気持ちがあるなら、さっさと死ね
――要らない
この声の後、スピーカーから様々な人の「要らない」が響き渡る。
――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない――要らない
音量が徐々に上がっていき、ノートパソコンのスピーカーが音割れする。
男性は、苦悶の表情を浮かべながら、身体をくねらせ、何とかしてヘッドホンを外そうとするが、うまくいかない。少し身体を休めてから、両足の踏ん張りを聞かせ、頭を地面にこすりつけて外そうとするも外れない。
女性がドライバードリルを手に男性に近づく。
先端を左耳に当てる。無機質な音と同時にヘッドホンから血と肉が溢れる。出口のない悲鳴が体内で反響するように、男性は身体を激しく震わせる。
非現実性に満ちた画面に、由美は言葉を失うしかなかった。記者ならば、目を背けてはいけないのかもしれない。一方で、誰かがブラウザを閉じてくれれば良いと思ったし、できることならば、手を伸ばしてノートパソコンの画面を閉じたかった。
ドリルが抜かれる。先端から垂れた血がブルーシートに跡をつける。
女性がアイマスクの上に構えたドリルを下ろしていく。
突如、映像が途切れる。
誰も何も言わず、真っ暗になった画面を眺める。
「警察に電話しますか」
由美が口にする。
「ああ、そうだな……」
東が答える。
携帯電話を手に、由美がその場を離れる。
背後で残りの記者達も無言のまま自席に戻っていく。
深夜、犯人達は男性の遺体とともに警察に出頭した。