それから8年後の2002年3月。度重なる失言で支持率低迷に苦しむ上森《うえもり》内閣に対し、民貴党内で倒閣運動が起きた。“川田の乱”と呼ばれた動きに対し、党内きっての武闘派として知られた和昌は、先頭に立ち、切り崩し工作を行った。

 後に、本で知ったが、切り崩し策は一つだけだった。

「採決を欠席した者、賛成票を投じた者には、次の選挙で党からの公認を与えない」

 そう告げると、ほとんどの議員が党に従い、結果、内閣不信任案は否決された。

 議会場から出てきた和昌は、「国民の多くは川田議員を応援していたようだが?」という記者の質問に、「ロマンで政《まつりごと》を語るな」と答えた。

 この発言は、“政界のホープ”と言われていた川田議員の志を叩き潰した“老害”としてのイメージを人々に与えた。

 その頃にかかってきた電話は、――もうあなたには投票しない、といったものから、――老害はさっさと引退しろ、――夜道には気をつけろ、まで様々だった。

 中学を卒業したばかりの由美は、時たま出た電話でこういった言葉を浴びせかけてくる人達を可哀想と思うようになった。和昌のことは嫌いだが、匿名で電話をかけてくる人達は卑怯だった。

 4月、由美は私立の女子高に入学した。

 入学式が終わり、教室で席に座っていると、早速、内部進学組のグループに囲まれた。

 正面にいた女子が「あなたのお父さんって民貴党の佐伯和昌?」と、他のクラスメイトにも聞こえるような大声で訊ねる。
 由美は頷く。

「あなたもリアリスト?」

 この言葉に、他のメンバーがクスクスと笑う。

「ごめん、怒った? ちょっとでも仲良くなれればと思って」

 何も答えずにいる由美にそう言うと、「これから一年間よろしく」と声をかけ、彼女達は離れていった。

 一週間も経つと、クラスには外部進学組と内部進学組で、幾つかのグループができ、由美も外部進学組の一つに加わった。

 入学式後の出来事を見ていた彼女達は、和昌の事には触れないようにしてくれていたが、ある日、グループの中で姉弟の話になった。

「佐伯さんは?」と、訊かれた由美は、5つ歳が離れた姉がいることだけ伝えた。

 数日後、実験の授業で化学室に向かう由美に、それまでほとんど話をしたことのなかったクラスメイトが声をかけてきた。

「佐伯さんのお姉さんってモデルか何かやってる?」

 彼女の顔を見る。眼は好奇心で輝いていた。

「そうみたい。今どこで何をしているのか知らないけど」

 嘘じゃなかった。玲が家を出てから二年以上経つが、海外にいるらしいということ以外何も知らなかった。

「そうなんだ」と答えた彼女は、それ以上訊かなかった。けれども、化学の授業が終わる頃には、既にクラス中に知れ渡っていて、早速、あの内部進学組のグループが教室に戻る由美を取り囲んだ。

「芸名は?」「雑誌とかには出てるの?」

「知らない」

 何度由美が答えても、彼女達の常識ではありえないようで、
「信じられない。姉妹なのにどうして?」と、驚いた反応しかされない。

「もういいでしょ」
 彼女達の間を抜ける。

 背中に注がれる白けた視線を感じながら、由美は「父親が政治家であろうが、姉がモデルであろうが、それは私ではない」と考えていた。同時に、周囲がそうは考えないことも、この頃の由美は知っていた。


 高校生活の三年間、イジメに近いこともあったが、由美は絶対に卑屈な態度を取らなかった。ある種の弱さを見せることで、嫌がらせを抑えることもできたと思う。だが、それよりも、自分で自分を不幸な人間に見せ、同情を買うことの方が許せなかった。

 今はまだ、佐伯和昌の「娘」、佐伯玲の「妹」という立場から逃れることはできない。そういった立場と切り離して評価されるだけの結果を残していないから。

 結果を残していない人間が一人でいることを人は“孤立”と蔑む。だが、結果さえ残せば、それは“孤高”と尊ばれる。

 結果を残すことのできる能力が個性であり、由美は自らを称えられる魅力を見出したいと思っていた。今はまだ、自らを恥じていないこと、それだけが唯一の魅力だった。だが、それがある限り、下を向く必要などなかったし、もっと努力しなければと思うことができた。


 翌年、和昌は上森内閣退陣後の民貴党総裁選に立候補するのではないかと噂された。けれども、立候補はせず、新総裁には、共に“川田の乱”の切り崩し工作を行った大沢忠寿が就任した。和昌は立候補を見送る代わりに、党幹事長に就任するものとされていたが、結局、何の役職にも就かなかった。

 大沢と和昌は、年齢も近く、初当選の時期も同じ。二人とも無派閥の一匹狼として知られ、“OSコンビ”と呼ばれる程、永田町では有名な盟友関係だった。それだけに、今回の人事に関しては、二人の不仲や確執を疑う声が出た。それに対し、和昌は「一人の変人でも大変なのに、二人もいたら党が倒れる」と一笑し、実際、大沢の総理在任中の5年間を裏方として奔走した。

 2005年、由美は、高校を卒業し、四谷にある上信大学に進学した。

 高校の成績は、付属の女子大に特別奨学生として進めるくらい優秀だった。けれども、由美は外部受験を選択した。

 それもこれも、由美が、まだ特別な何かを持たない他人との競争を望んだからだ。模試を受け、予備校の特別講習に通い、センター試験を受験。志望校の赤本を何度も解き、試験を受けた。第一志望の合格通知を電話で聞いた時には、田村さんと抱き合って喜んだ。

 大学に進んだ由美は、信頼できる友人もでき、平穏な大学生活を送っていた。が、大学二年の冬、玲のRoom社のCM出演で、再び周辺が騒がしくなる。

 世界中で映像が流れた後、最初に判明したのは、そこに出演する女性が舞踊家のReiであることだった。日本では、父親が民貴党の大物議員、佐伯和昌であるという情報が追加され、強面の和昌から玲のような美女が生まれたことを揶揄して「蛙が姫を生んだ」と大騒ぎになった。

 玲はキャンペーン開始前に自らの事務所を畳んでいたこともあり、マスコミ、芸能関係、広告代理店から、これまでの比にならない量の問い合わせが佐伯家に殺到した。

――本人はいますか?
――今どこにいるんですか?
――連絡先を教えていただけますか?

「知らない」と伝えると、決まって相手は騒ぎ立てた。

――これはお姉さんにとって大きなチャンスです
――ふざけんじゃねえ、隠すな
――君は妹さん? 芸能界には興味ある? もしお姉さんがうちに所属したら、君も芸能人にしてあげる

 事情を知った玲が弁護士を通じ、家族への過度な取材や問い合わせを控えるよう通達しても状況は変わらなかった。

 和昌は囲み取材で玲について質問した記者に「娘が今何の関係がある? 質問したお前言ってみろ」と敵意を剝き出しにし、その様子はワイドショーで大写しになった。自宅周辺には張り込みの車が何台も止まり、出入りを逐一チェックしていたので、由美は自宅からタクシーで通学するようになった。

 それでも一度、由美は大学の構内で知らない男性に詰め寄られた。

 記者といった雰囲気でもなく、どちらかというとチンピラのような風貌で、玲の連絡先をしつこく訊ねてきた。

「知りません」と言って、校舎に引き返そうとする由美の腕を掴み「知らないわけねえだろ」と凄む。

 抵抗する由美が、周囲に助けを求めても、先程までこちらを見ていた全員が目線を下に向け、見て見ぬ振りをする。

 強引に振りほどき、校舎へと駆け出したその時、後ろで「バッ」という音がした。

 駆けながら一瞬振り返る。ギターバックを肩にかけた男性が傘を開いていた。

「危ねえだろ」と怒鳴るチンピラに「ごめんなさい」と謝る声が聞こえる。

 由美は学部の事務室に駆け込むと、すぐに職員と現場に引き返した。けれども、そこにチンピラと男性の姿はなかった。

 近くを歩く学生に尋ねても、誰も「知らない」と答えるので、由美は職員にお礼を言った後、学内にいた友人と連絡を取って、駅まで送ってもらった。

 電車に乗った由美は、つり革に掴まりながら、助けてくれた男性のことを思い出す。

 ゲームに登場する黄色いキャラクターのぬいぐるみがぶら下がったギターバックに見覚えがあった。

 あれは一年生の時に大教室で行われたマクロ経済学の授業だった。同じ長机で、由美との間に置かれたギターバッグがそうだった。
顔はよく覚えていないが、黒いフレームの眼鏡をかけていて、ノートも取らず文庫本に眼を落としていた。

 そのこと自体は別に珍しくもない。ただ、暖房を入れるような時期にも関わらず裸足でビーチサンダルを履いていたことにぎょっとした記憶があった。

「私を助けてくれたのだろうか。でもどうして?」

 由美は横を向き、週刊誌の中吊りを見上げる。“話題のモデル佐伯玲の行方”と書かれた文の下に、こちらを見つめる玲の顔があった。