由美と玲は歳が5つ離れている。

 由美はお姉ちゃん子で、幼い頃から玲について離れない子だった。

 和昌は普段ほとんど家におらず、由美は母の燕とお手伝いの田村さん、玲の四人で武蔵野市の家に住んでいた。

 玲はこの家の姫だった。皆に愛され、皆の期待に応える理想の娘であり、佐伯和昌の娘として、恥ずかしくない容姿と修養を積んだ女子であった。

 けれども、玲がどうしても許せない時、その頑固さは、たびたび家族を困らせた。周囲の言葉には耳を貸さない。周りが強引に従わせようとすれば、徹底的に反抗する。

 母の買ってきたぬいぐるみは「いらない」と放り投げ、スカートは「穿きたくない」と言い、強要すると、屋根から飛び降りる。

 それでも、和昌を含め周囲の人々が玲を叱ることはなかった。そうでない時は、何もかも完璧にこなしたからこそ、強情とも映るワガママも許されていた。

 一方、由美には叱られている記憶しかなかった。褒められたことがなかったわけではない。だが、そのことに対して由美が覚えた感情は、上手にできた喜びではなく、叱られずに済んだ安堵だった。

 玲がやっても咎《とが》められなかったことが、自分がすると叱られる。

 そんなことがしばしばあった。その度に、玲と自分の差について考えた。

 由美は成長するにつれ、他人が玲を見る時と自分を見る時の違いに気づいた。人々が玲に向ける眼差しは、少女に向けるには違和感がある位、畏敬に満ちたものだった。

 由美は周囲を見て、そして、何より玲を見ていた。けれども、玲は由美のことなど眼中になく、それは和昌も同じだった。

 それなのに、由美の人生についてまわるのはいつもこの二人だった。佐伯和昌の「娘」、佐伯玲の「妹」――由美は二人を基準に値踏みされてきた。

 和昌は1972年、27歳の時に市議会議員となり、1976年には衆議院議員に初当選した。以降当選を重ね、2009年に引退するまで、大臣職や党の要職を歴任した。

 由美が生まれた時には、既に国会議員だった和昌を家で見かけた記憶はほとんどない。家庭のことは母と田村さんに任せきりで、たまに家にいても、大半を自室で過ごし、食事の時以外は家族の前に姿を見せなかった。

 また、和昌は玲の出産には立ち会ったが、由美の出産には立ち会わなかった。それ以外にも、玲の入園式、卒園式、小学校の入学式、卒業式に出席しても、由美のそれには一度も出席したことはなかった。

 由美は珍しく上機嫌で夕食の席にいた和昌に、「どうして自分の方には来てくれないのか」と尋ねたことがあった。

「そうですよ」と、母が助け船を出すも、その言葉を聞いた和昌は、「どうしてお前達に指図されなければならないんだ」と言い、空のグラスを壁に投げた。

 和昌がリビングから出て行った後、母は謝ってくれた。でも、何を話したかまでは覚えていない。覚えているのは、背後で割れたグラスの音、和昌の憤怒の表情と惨めな気持ち。あとは、夕食のおかずが和昌の好物の鰹のたたきだったことだ。


 父親が国会議員であっても、玲も由美も小学校は地元の公立校に進んだ。これは和昌が決めた。

 二人とも放課後には、水泳、ピアノ、バレエ、日本舞踊と様々な習いごとがあった。これは佐伯家の娘として恥ずかしくない教養を身につけるようにという母の方針だった。

 同じく母の方針で、佐伯家では、ゲームや漫画、テレビはNHK以外禁止されていた。そのため、由美はクラスメイトの話題に全くついていけず、友達はほとんどできなかった。

 それでも、由美には一人だけ仲の良い女の子がいた。「よっちゃん」と呼んでいたその子とは、小学校の一年二年と同じクラスで、彼女もピアノをやっていたため仲良くなった。

 由美が学校で先生以外に会話を交わすのも、遠足で一緒にお弁当を食べるのも、よっちゃんだった。

 ある日、登校した由美がいつものように話しかけるも、よっちゃんは素っ気ない返事で席を立ってしまった。

 由美は何が何だかわからなかった。昨日までの日常が一変していた。

 教室を出たよっちゃんを追いかける。

「わたし、何かした?」
「もし、してたのなら謝るから。教えて」
 何度も話しかけ、ようやく事情を聞いた。

「朝、おとうさんとおかあさんと食事をしていたら、おとうさんが急に『クラスに佐伯由美って子がいるだろう』ってわたしに訊いたの。わたしが『うん』って答えると、『なかよしか?』って訊くから『そう』って言った。そしたら、おかあさんから『もう仲良くするのは止めなさい』って言われた。『どうして?』って訊くと『その子のおとうさんは、人々を苦しめる悪い人だから』って」

 おとうさんは悪い人――“こわい”とは思っていたが、“悪い”とは思っていなかった由美にとって、その言葉は衝撃だった。

「わたしも言ったの。『けど、由美ちゃんはとてもいい子よ』って。でも、おとうさんは『そんなわけない。とにかく、もう仲良くしないこと。いいな』って、本当に怖い顔で話したの」

 よっちゃんは何度も「ごめんね」と謝ってくれたが、由美は「わかった」と答え、教室に戻った。

 その日の午後、小学校から帰った由美が靴を脱いだ所で、自宅の電話が鳴った。

 電話機を見る。基本的に佐伯家の電話を取るのは田村さんの仕事だったが、今は近くにいないようだった。

 ランドセルを背負ったまま由美は「はい、佐伯です」と、田村さんの口調を真似て電話に出た。

 受話器の向こうからは何も聞こえなかった。

 不思議に思った由美が「あの……」と口にした瞬間、
――この売国奴め! 火の始末には気をつけろよ

 男性の怒鳴り声が聞こえ、電話は切れた。

 呆然とする由美に「どうされました?」と田村さんが話しかける。

 由美の手から受話器を取り、耳に当てた田村さんは、「どなたでした?」と訊ねる。

「すぐに切れた」と答え、由美は自室に向かう。

 一変した環境に困惑していた。

 由美は布団にくるまった。夕食に呼びに来た田村さんには「食欲がない」と答え、「おとうさんが悪い人になったばかりに、私まで悪い人になってしまった」と枕に顔を埋めた。

 すぐに階段を上がる母の足音が聞こえた。

「大丈夫? 学校で何かあった?」

 ベッドの傍で膝をついた母に、「何でもない」と答える。

「学校から帰ってきた時にかかってきた電話で何か言われたんじゃない?」

 布団の上から由美を撫でる母の声は優しかった。

「そう……話したくないならいい。けど、そのままお母さんの話を聞いて。世の中には、お父さんのことを色々言う人がいる。でも、お父さんのせいでどんなことを言われたとしても、あなたは決して悪くない」

 母は無言のまましばらく由美の上に手を置いてから、言葉を継ぐ。

「それから、このことも覚えておいて。由美ちゃんには、まだ世の中のことがよくわからないかもしれないけど、お父さんも決して悪くない」

 母が腰を上げる。

「食欲がないなら、田村さんにおかゆを作って持ってきてもらうから、食べられる時にゆっくりと食べなさい。それから、好きな時にお風呂に入りなさい。あったかいお湯に浸かって歯を磨いて寝る。わかった?」

 それから由美は、母の言葉通り、田村さんの持ってきてくれたおかゆを食べ、田村さんと一緒にお風呂に入ると、歯を磨いて寝た。

 翌日、由美はいつも通り教室に入った。一晩の内によっちゃんとの関係も元に戻るかもしれないという淡い期待もあったが、そうはならなかった。けれども、由美は堂々としていた。

 これは大きくなってから知ったことだが、ちょうどこの時期、和昌は棚橋内閣の一人として消費税増税を閣議決定したのだった。