由美が現場近くの住宅街に着いた時には、既にテレビ局が規制線の外でカメラをまわしていた。

 由美は、捜査の様子をデジカメで撮影すると、顔馴染みの記者に挨拶し、一緒に取材を始める。

 ドアベルを押し、反応がないと次の住宅へ、を繰り返す。通り掛かる人に声をかけ、付近の住民かどうか確認し、そうであれば話を聞く。

 最優先で探すのは、事件を目撃した人物。次点で、事件前後の様子を知る人物。最後に、普段を知る人物。

 事件の様子は、警察からの発表でじき明らかになるが、それだけでは臨場感は生まれない。現場の声、それが報道に現実性を持たせる。

 幸いにも、事件を目撃したという男性が名乗り出たので、由美は他社の記者と一緒に事件の状況を知ることができた。

 男性によると、自宅前で車を止めた運転手が、後部座席のドアを開け、瀧川氏が車を降りた瞬間、歩道を歩いていた女性が急に駆け出し、瀧川氏にぶつかっていったという。そのまま二人は、地面に倒れ込んだが、すぐに運転手が女性を引き離し、取り押さえたとのことだった。

「本当に悲鳴を上げる暇すらない、一瞬の出来事でした」

 男性の一言が印象的だった。

 その後も、近所の住民からできるだけ話を聞いた所で、由美は現場を離れる。

 大通りに向かっていると携帯電話が震えた。

 富沢からのSMSだった。

“犯人の犯行声明らしきものがブログにアップされている”
 由美は貼られたURLにアクセスする。


 この記事が公開される頃、恐らく私はその成否に関係なく逮捕されていると思います。

 私は、取り調べや裁判の場でも、これから書くことと同じ内容を述べますが、マスコミの報道では、スポンサーなどの関係から、歪曲、省略されたものになるでしょう。

 私がここに自分の考えを記しておくのは、そのことを明らかにするためです。

 女性は美に脅迫されている存在です。

『女性は美しくなければならない』という観念によって、女性の第一の価値は美であると人々は信じて疑いません。

『目元クッキリ』
『ニキビ肌荒れをなくす』
『シミ・シワを隠す』
『劇的ダイエット』
『だらしない体型を矯正』
『薄くなった頭髪に』

 巷に溢れるこれらのコピーは醜を否定するものです。

 世の中のほとんどの女性は、醜にならないように生きています。

 ただ、私は女性ではありません。

 これは、私が醜に生まれついた存在ということです。

『クリーチャー』
『グレムリン』

 その他、あらゆる『怪物』『モンスター』を意味する言葉で呼ばれてきました。

 私に向けられる視線は、嫌悪、蔑み、嘲笑、憐れみ――最後は、無視でした。

 私はそこから自らの醜さを知りました。

 美の反対が醜というのは間違いです。

 正義の反対が別の正義であるように、美の反対は別の美であり、醜というのは、この世界では悪と同義です。

 容姿はなくとも自らの行動と実力で、地位や名誉を獲得できる男性とは違い、女性の前に常に立ちはだかるのは美です。

 まずは美しくなければ話になりません。

 世間が求める最低限の美の境界を越えていなければなりません。

 先日殺された佐伯議員もそうですし、女性のスポーツ選手が最初に注目されるのも実力より容姿です。

 社会がどれだけそうではないと言っても、それが建前であることは、誰もが理解しています。

 世界が美しいものを好み、それを自然の摂理として、人々が受け入れる限り、『クリーチャー』である私の将来は、人生ではなく、地獄でしかありません。

 だから、私は『グレムリン』として、それを拒否しようと思います。

 今回の事件に対して、多くの人々が「拒否するなら、目を背けろ」といった言葉を口にするでしょう。

 ただ、私に言わせれば、今回の犯行は、声すら聞いてもらえない、存在を認められない世界からの一撃なのです。

 その衝撃をできるだけ大きなものとするため、今回、瀧川クリニックの代表である瀧川氏を狙いました。

 最後に、私が最近撮った証明写真を投稿しておきます。

 あなたはこの写真を見てどう思いますか?


 由美は写真を見た。

 由美の印象は、彼女がブログで述べていた通りのものだった。残酷だが、由美もまた彼女の顔にはなりたくないと思った。

 そして、世間の反応もまた、彼女が書いている通りだろう。

「世間が認める価値観を否定するなら、おとなしく日陰者として生きろ」

「声を上げることすらせず、『わかってもらえない』なんてただの甘え」

 そういった上から目線の反応が思い浮かぶ。誰も寄り添おうとはしない。

 由美が考えていたのは、似たものとしての「女性らしさ」についてだった。

 週刊誌記者になった当初から由美に向けられてきた視線。
その視線を一言で言うと、「女性らしくない」というものだった。

 由美は、その立場をうまく利用することで仕事をこなしてきたが、この女性が晒されていたのは、それ以前の段階であり、どうすることもできないものだったのだろう。

 そして、それは由美が幼い頃から晒されてきた「佐伯和昌の娘」「佐伯玲の妹」として晒されてきた視線と同じだった。

 大通りに出た由美はそこで考えるのを止め、タクシーを拾うと、シートに身を沈めながら、富沢に取材が終わった旨を報告するメールを書いた。