校了日翌日の編集部に、デスクの平井が出社してきたのは15時過ぎだった。平井は何も言わず席に着くと、出社途中に買ってきた新聞と週刊誌に目を通し始める。

「おはようございます」

 由美が挨拶する。

「おはよう」と応じた平井は新聞に目を戻す。

「高木瑠香の記事を書きたいのですが」

「どうして」
 新聞を開いたまま平井が訊ねる。

「今回の事件は、『オンナの末路』シリーズのラストを飾るのにふさわしい事件ではないかと考えます。AV女優という点で、徹底的にオンナであった高木瑠香が、政治家という男性的な仕事をしていた女性、佐伯玲を殺す。その動機は、報道で流れている嫉妬ではないと思います」

 平井が新聞を閉じる。

「裏付けはあるのか? 精神科医による分析なら今日売りの誌面で『週刊現実』がやってるぞ」

「この事件にキーパーソンはいません。彼女の両親は早くに亡くなってますし、その後、彼女を引き取った親戚夫婦も既に鬼籍に入ってます。ですので、高木瑠香の仕事の関係者、同級生、最終的には本人の証言から記事にします」

 説明するも、平井の表情は険しい。

 元々、平井と由美の間には溝があった。平井は長年スポーツ誌の記者だったが、由美が入社するすこし前に『週刊プレス』に異動してきた。だが、週刊誌とスポーツ誌では、記者としての振る舞いが全く異なる。「そういった点がわかっていない」と、編集部内での評判は悪かった。

「おれは立場の違いからきた嫉妬による犯行というのは、案外的を射ていると思うが、違うのか?」

「それだと事件について何も語っていないも同然です。この事件で書かなければならないのは、二人があの瞬間に出会うまでについてです」

「でも、うちの読者層にはそれで十分だろ?」

「独自性の欠片もありませんが」

「自分なら違うものが書けるってか」

 ムッとした様子で訊ねた平井だったが、由美が答える前に「まあ、ちゃんと他の企画の記事も出すというなら好きにすればいい。編集長にはこちらから伝えておく。一応、展開によっては独自シリーズも考えられるからな」と続けた。

 由美は平井に頭を下げると、すぐに席を立ち、知り合いのライターである山井に電話をかける。

――高木瑠香と共演経験のあるAV男優に話を聞きたい

――心当たりはあるから、確認して連絡する

 続いて、今週号の記事を書いた先輩記者の笹塚に電話をかけ、高木瑠香についてもう少し詳しい話を聞く。

 記事について雑談をした後、――そういえば記事には書かなかったけど、と言って笹塚が切り出した話に、由美は耳を傾ける。 

――事件の翌日には、高木瑠香の作品を多数発売していたAV制作会社が商品の回収と動画配信の停止を発表している。その影響について、メーカーの担当に聞くと、事件当日に店頭在庫のほとんどが捌けてて、ほとんど回収はできないそうだ。あとは、配信動画のダウンロード数も、事件以降過去に例を見ない数字を達成したと

 由美の相槌に、笹塚は続ける。

――海外のアダルト動画サイトにも、事件直後から多数違法アップロードされていて、世界中の言語で『この子が人殺しだと思うとゾクゾクする』とか『彼女になら殺されてもいいわ』といったコメントで溢れてる。マジ頭おかしいよな

 最後の一言は、吐き捨てるような口調だった。

 由美がお礼を言い、電話を切ろうとしたところで、――この事件書くのか? と笹塚が訊ねた。

――デスクには話しましたけど何とも……。ご存知の通り、編集長からはこの事件から外されてるので

 由美の答えに、――そうか、とだけ応え、笹塚は電話を切った。

 すぐに山井から、“渋谷出てこれる?”と、ショートメッセージが届く。

 由美は、“行けます”と返信すると、カバンを手に編集部を出る。

 会社を出る前に化粧室に寄る。

 鏡に映る顔は、普段より血色が良くない。由美は、少し明るめのリキッドルージュを取り出し、はみださないよう丁寧に塗る。

 会社のトイレは、あの時のトイレよりずっと広くて明るかったが、由美は玲の事件の一報を知った瞬間を思い出してしまう。

 改めて、事件からまだ三日しか経っていないことに、由美は軽く驚きを覚えながらも、「私には仕事しかない」と心の中で呟き、化粧室を後にする。