会社に着いた由美は、すぐに早刷り原稿の中から玲の事件に関する原稿に目を通す。速報扱いの記事は、玲と月野ルカが抱き合った瞬間の写真をメインに、事件の様子や会見でうなだれる和昌の写真を据えた3ページのグラビア記事だった。


“劇的”な死

 白昼の中央線武蔵小金井駅前で、佐伯玲衆議院議員は凶刃《きょうじん》に倒れた。

 佐伯議員は、同日14時から街頭演説を武蔵小金井駅前で開始。彼女の演説はマイクを通さずに、有権者の人々と歓談を行うものだった。元世界的モデルの美人議員と気軽にお話しできる――それが、今回の事件に繋がったとするならば、運命は残酷だ。

 近づく女性と抱擁し、口づけを交わした瞬間、女性が隠し持っていた刃渡り30㎝のサバイバルナイフが、議員の右脇腹を貫通した。すぐに救急搬送された佐伯議員だったが、出血性ショックのため搬送先の病院で死亡した。

 現行犯逮捕されたのは、元AV女優の月野ルカこと本名高木瑠香容疑者。18歳から2年間、AV女優として約120本の作品に出演し活躍するも、半年前に引退を発表。つい先月、引退作を発売したばかりであった。

 佐伯議員は、モデル時代にアメリカのIT企業Room社の広告モデルとして起用されたことにより世界的に有名だが、広告で闇の中に君臨していた彼女が、白昼抱擁した女性に刺殺されるというまるで映画の1シーンのような“劇的”な死の衝撃は、世界中に広がっている。

 もう一人の主人公――高木瑠香容疑者とは一体何者なのか。(詳しくは本誌記事をお読みください)


 由美はそのまま高木瑠香の記事に目を通す。


緊急取材! 佐伯議員を刺殺した元AV女優月野ルカの“履歴書”

「どこにでもいる若い女の子といった感じで、彼女がそういった仕事に就いていたなんて知りませんでした」

 そう話すのは、元AV女優月野ルカこと、本名高木瑠香容疑者と同じアパートに住む女性だ。

 どこにでもいる様子の彼女がどうしてAV女優になり、そして佐伯議員を殺したのか――本記事では高木容疑者がそこに至るまでの半生を速報する。

 高木容疑者は、北陸地方の田舎町で育った。父親は絵本作家、母親はフルート奏者だったが、高木容疑者が6歳の時に交通事故で亡くなっている。

 その後、近くの町に住む叔父夫婦の元に預けられるが、一年後に叔母は癌で亡くなり、叔父もまた彼女が17歳の時に、心臓麻痺で亡くなっている。

 中学・高校の同級生は当時の彼女についてこう語る。

「真面目な性格で、物静かな子でした。『家事をしなくちゃいけない』とかで、部活動にも入らず、授業が終わるとまっすぐ家に帰るくらい」

「(AV女優であったことを聞いて)びっくりですね。全然想像できない」

 叔父の死後、高木容疑者は卒業を前に高校を中退、市内の風俗店に勤務するも、3ヶ月後には店を辞め、上京。18歳になったタイミングでAV女優となった。

 デビュー後、すぐに“ロリ巨乳”キャラを売りに人気女優となった彼女は、2年間でおよそ120本の作品に出演したが、半年前に引退を発表、先月発売となった引退作の撮影後は、特に仕事もせず、都内のアパートで過ごしていた。

 そのアパートは、事件の現場となった武蔵小金井駅から徒歩15分ほどの所にあり、間取りは6畳の1K、家賃は5万2千円で、高木容疑者は上京してからずっと、この部屋で一人暮らしをしている。

 彼女の暮らし向きに関する詳細は不明だが、事件後の捜索で判明した事実として、部屋にはテレビもパソコンもなく、ほとんど物がなかった。また携帯電話も解約されていた。
 そんな高木容疑者が、この部屋で何を考え、犯行に至ったのか。殺害方法含め、謎は尽きない。

 現在、犯行時の怪我で治療中の高木容疑者だが、今後彼女が取り調べや裁判で一体何を語るのか。その発言に注目が集まる。


 由美は状況を整理する。

 男でも女でも刃傷《にんじょう》沙汰の原因となるのは「金」と「色」であり、その引き金《トリガー》を引くのが、「嫉妬」という自己正当化だ。

 だが、この記事から推測する限り、今回の事件では、そのどちらの要素も抜け落ちている。借金についてはすぐに調べがつくので、記述がないとすれば彼女にそういったトラブルはないのだろう。

 では「色」の問題はどうか。その場合、玲と高木瑠香の間に何らかの接点があったということになるが、二人のあまりにも違いすぎる環境からは考えにくい。

 とにかく動機が不明――それから、同じくらいの謎として、現場で取った玲の行動が挙げられる。

 高木瑠香に玲を惹きつける魅力があったのか。由美は数日前に見た瑠香の映像を思い出す。この記事にも書いてあるように“ロリ巨乳”という幼い顔立ちに似合わぬ豊満な肉体。

 玲のセクシュアリティは知らないが、もしその行動が、彼女の性的魅力に屈した衝動だとすれば、話は簡単だ。いや、私の知る玲から判断する限り、周囲にあれだけの人間がいる中で、彼女が衝動的な行動を取るとは思えない。

 由美はそこまで整理して、改めてこの事件の難しさを感じる。合理性がないから、ではない。むしろ、高木瑠香にある種の計画があったとするなら、どうしてここまで彼女の計画通りに進んだか。そこが謎だった。

 また、多くの報道がこういった点を無視して、事件の動機を、元世界的モデルに対する元AV女優の嫉妬として取り扱おうとする現状。その報道は、極めて安直で、何も説明していないに等しい。それだけで答えを出した気になっている各紙の報道に由美は歯痒さを感じる。

 もちろんジャーナリズムが商売であり、特に速報性が重視されることは理解している。それから、できるだけ倫理・道徳に則《のっと》った視点で伝えることで、人々が感情的に反応できるようにすることも。

 もし、今回の事件を記事にするなら、別の視点からの仮説が必要になる。それがなければ、デスクと編集長を説得できない。

 由美には、この事件をきちんとまとめたら、売れる記事になるという予感があった。

 由美は取材用のノートにこれまでの概略と疑問点を書き出してみる。それから、無意識に二人の共通点を考えたが、そう考えた自分自身に驚いた。

“極右・極左の怖さと市民団体の怖さに似たおどろおどろしさ”

“女性政治家とAV女優というオンナ”

“女とオンナの邂逅《かいこう》”

 もちろん取材を通じて変わることがあるにせよ、取っ掛かりとしては十分、と考えた由美は、“女とオンナの邂逅”に丸をつけた。