世田谷男児虐待死事件 30歳ヒルズ族妻「この子のせいで」

「私はダメな父親でした」

 川下南容疑者の父親は、憔悴した様子でそう口にした。娘の逮捕により、長年勤めた会社を辞めることになった男性は、記者の勧めで頼んだビールを口にすると、深いため息をついた。

 町工場の技術職だった父親の一人娘として生を受けた、川下南容疑者。決して裕福とは言えない家庭で育った彼女が、都内IT企業で副社長を勤める男性Aさんと出会ったのは、大学時代の友人に誘われて参加した合コンだったという。

 友人はその日の彼女を覚えていた。
「(川下南容疑者は)いつもそんなに派手な色の服を着ないんですけど、あの日はここぞとばかりに胸の大きく開いたカットソーにミニスカートという格好で現れたので、何とかしていい男を捕まえようと必死なんだな、って思いました」

 川下容疑者が必死だったのには理由《わけ》がある。彼女には、幼い頃から繰り返し聞かされてきた言葉があった。中学時代の友人は語る。

「試験終わりの帰り道、『お母さんにこんな答案見せられない』と話していました。私は彼女の頭の良さは知っていたので、『そんなに悪い点じゃないでしょ』と聞くと『こんな点しかとれないようじゃ将来お父さんのような男しか捕まえられない、って言われる』と言ってました」

 この話について尋ねると、父親は「その通りです」と答え、冒頭の言葉を漏らした。

 それでも猛勉強の末、なんとか都内の名門私立女子大学に合格した川下南容疑者だったが、今度は、同級生との生活レベルの違いに苦しむこととなる。同級生の父親は、大企業の重役、開業医、弁護士といった職業ばかりで、同級生達の身なりも生活もかけ離れていた。

 川下南容疑者は、両親には内緒で、キャバクラやガールズバーでアルバイトをし、ブランド物の服やバッグを買い揃え、内部進学生達の「仲間」になれるよう努力した。

 だが、アルバイトのせいか、学業は芳《かんば》しくなく、就職氷河期も重なって、就職活動はうまくいかなかった。それでも、大学のキャリアセンターの紹介で、川下南容疑者は輸入雑貨会社の事務として勤め始める。給料は安かったが、同級生達との生活レベルの差は落とさないようにと週三日ほど、キャバクラでの仕事は続けていた。

 そして同級生に誘われた先ほどの合コンで知り合ったAさんに猛アプローチした川下南容疑者。Aさんも彼女を気に入り、二人は交際を深めていった。

 交際を始めて一年半、川下南容疑者は妊娠し、二人は入籍した。だが、Aさんの両親は、妊娠さえなければこの結婚には反対だった。

 理由は、挨拶に来た彼女とその両親の身なりを見て感じた生活レベルの違いだった。

 それでも、Aさんは両親の反対を押し切ると、川下南容疑者が安定期に入った後、親しい友人だけを招待して軽井沢で結婚式を挙げた。

 Aさんも、警察の事情聴取後に会社を辞めており、現在、その行方はわからなくなっている。

 翌年産まれた勤君を、川下南容疑者は、Aさんと同じ都内の名門私立S大学の初等科に入学させるため、お受験に励んだ。一方、ITバブルが弾け、会社の業績が急速に悪化する中、Aさんの帰りは遅くなり、彼女と勤君が二人きりで過ごすことも多くなっていった。

 生活の悪化と共に、川下南容疑者の苛立ちは大きくなっていき、その捌け口は勤君となった。同じお受験対策の塾に通っていた母親も、川下南容疑者の異変に気づいていた。

「ママ友として彼女から相談を受けました。ですが、それは相談と呼べるようなものではなく『どうしてうちの勤は他の子のようにできないのか』といった言葉ばかりで、私は『もう少し肩の力を抜いたらどうですか』とアドバイスしました。子どもは親の空気に敏感に反応しますから。でも彼女は、『いや、勤は合格しなくちゃいけない。そうでないと、私がダメな母親になってしまう』と言いました。私はあまりに勤君がかわいそうだったので、その後も色々と言葉を変えてアドバイスしたのですが……。結局、彼女には伝わらなかったようです」

 そして、S大学の初等科は不合格となり、それから半年後の今年五月、事件は起きた。川下南容疑者が箸の持ち方を注意した際、勤君は彼女をじっと見つめたという。川下南容疑者は、それが勤君の不合格を旦那の両親に伝えた時の眼差しに見えたと供述している。彼女にはそこから先の記憶がない。気づいた時には、部屋は滅茶苦茶になっていて、彼女の足


 ここまで書いた所で、由美は編集部のテレビから聞こえてきた「無念です」という声にキーボードを叩く手を止めた。
 テレビでは父の和昌《かずまさ》が、母の燕《つばめ》に支えられながら、報道陣の取材に答えていた。

「玲は本当に私にはもったいない娘でした。私がこんな姿になった事故の後すぐ、『お父さん、もう休みなよ。大丈夫。私がお父さんの代わりをするから』と言ってくれ……。その言葉があったから私は……議員を辞め、ゆっくりと余生を過ごそうと思った。それが……こんな……」

 これまで由美が聞いたことのない弱々しい声。和昌は下を向き、嗚咽を漏らす。多くのフラッシュが焚かれ、和昌の額に寄った皺を浮かび上がらせると同時に、マイクが口元に伸ばされる。

「私は悔しい……。自分が許せない。自分がこんな姿にならなければ、あの子が殺されることはなかった。そして、何よりこのテロを起こした犯人が憎い。私の娘を返してくれ……返してくれ……」

 そう言うと、車椅子に腰を落としてうなだれる。かつて「政界の渡世人」と呼ばれ、「豪傑」「鉄面皮《てつめんぴ》」と呼ばれた男の弱りきった姿を捉えようと、さっきよりも多くのフラッシュが、和昌の小さくなった姿を照らす。

「娘さんへ何か言葉はありますか?」と女性レポーターが質問するも、一向に顔を上げない和昌を見るにつけ、一本、また一本と、マイクが引かれていき、画面に映るのは、ライトに照らされた老人の背中だけになる。

 カメラがスタジオに切り替わったタイミングで、編集部のソファに座っていたフリーの記者が「いや~、コイツも人の親だったんだね~」と口を開く。

「コイツが中心になって執られた政策が、その後どれだけの若者を自殺に追い込んだかって考えたら、今回の事件もわからなくはないだろうに。とはいえ、やっぱり我が子となると違うね~」と周囲に同調を求めた様子で続ける。

 しかし、締め切り直前の編集部で、その言葉に応じる者は誰もいなかった。

 テレビはただ点けてあるだけで、そこにいる人間は、目の前のキーボードを叩くか、電話で誰かと話すか、印刷した原稿片手に忙しく歩き回るかといった様子で、締め切りの刃《やいば》から逃れることしか考えていない。

 フリーの記者も、特に気にすることなく、テレビに目を向けたまま、缶コーヒーを啜る。

 由美も原稿を仕上げるため、モニタに目を落とし、指を動かした。


 神保町の会社を出たのは、とうに日付を跨いだ時刻だった。由美は大通りでタクシーを拾うと、運転手に「新宿までお願いします」と告げ、すぐに鞄からプライベートの携帯電話を取り出す。

 携帯電話には実家からの着信が数件あった。最初の着信が、玲の葬儀からおよそ四時間後にあり、以降は一時間毎に一回ずつかけられていて、19時過ぎの最後の着信に、小さな声で母からのメッセージが残されていた。

――母です。先程玲ちゃんの葬儀が終わりました。あなたが玲ちゃんの通夜にも葬儀にも出なかったのは、それがあなたの仕事である以上、仕方がないのかもしれません……。が、少し薄情すぎやしませんか。あなたの仕事がそういったものであることは、わからなくはないです。ですが、あなたは週刊誌の記者である前に、佐伯家の一員であり、玲ちゃんはあなたの姉でしょう。……まあいいです。用件を言います。明日、玲ちゃんのマンションの荷物の整理をあなたと一緒にしたいと思っています。これを聞いたら一度連絡をください

 母にしては珍しく、控えめながらも怒りを露わにしたメッセージだった。由美はメッセージを消去すると、車外に目を向ける。

 タクシーは市谷見附の交差点を左に折れ、靖国通りを進んでいく。等間隔に並んだ街灯が由美の顔を照らし、背後に消えていく。

「やっぱり何もわかっていない。私が葬儀に出ることがどういうことか」

 由美は目を瞑る。街灯が通過するたび、ぼんやりとした明るさと仄かな闇が点滅する。

 今の由美にとって、玲の死は、その一瞬の闇のような出来事であった。

 由美は五つ歳の離れた姉の生涯を、ある時までは近くで、以降は離れた場所からずっと見てきた。

 その姉の二日前の死――由美は死してなお輝き続ける玲の燐光《りんこう》を感じていた。その光は眼を瞑っても私の視界を追いかけてくる。

 新宿に着くまでの間、由美は瞳の奥で舐《ねぶ》られる闇を感じていた。