——そう? 私は結構好きだけどなぁ、りほちゃんのこと。
 ——ごめん、その日はお父さんと出かける約束しててさ。また誘って!



 どこからか声が聞こえてくる。

 なんだか勘に障る、耳障りな声だ。

 少し低くて、そのくせキンキンうるさくて、鬱陶しい。声だけでその人の表情まで頭の中に映し出されるみたい。

 あぁ、そうだ。

 この声は、私だ。

 私の声。

 小さいころ、私はこういう喋り方をしていた。誰にでも同じ対応をして、同じ言葉遣いをして、同じ振る舞いをしていた。

 嫌だ。嫌だ。

 そんな、勝手なことしないで。
 みんなに明るく振る舞わないで。

 そんなことをしたら、終わってしまう。楽しい学校生活が、穏やかな家での生活が、全部終わってしまう。

 もうやめて。

 お願いだから、もう、なにも言わないで……。

「——佑唯(ゆい)、おはよ!」

 不意にどこからか声がして、現実の世界へ引き戻された。

 顔を上げると、(あん)ちゃんが私の真横の席に座っていた。

 あどけないという言葉がよく似合う、明るい笑顔。まだ中学生みたいな幼い眼差しが私の顔へと向けられている。

 脈打つ心臓を押さえて、私もなんとか彼女を見返した。

「あー……、……おはよ、杏ちゃん」
「佑唯、また寝てたぁ。まだ二駅しか進んでないのにウケる」
「あ、ほんとだ……」
「そんなに寝れちゃうのって、一種の才能じゃない?」

 外に目をやると馴染みの駅のホームがあった。杏ちゃんが住む駅。ドアが唸り、電子音とともに閉まる。

 電車が動きはじめても頭はなかなか動かなくて、夢の中で聞こえた声がまだ体の内側で反射している。

「佑唯って結構夜更かししてるの? 夜中にチャットしてもいつも返ってこない感じするけど」

 まだ半分閉じかけている私の目を、杏ちゃんが覗き込んできた。
 ピンクのアイシャドウがきらきら輝いて、ようやく私を覚醒させた。

「ううん……してない。布団には早めに入るよ。でも、電車に乗るとなんか眠くなっちゃうんだよね」
「あー、あったかいしね、足のとこ。ほわってする」
「ね。癒される」
「ここから出てくる空気、睡眠増幅効果あるのかも」

 言いながら杏ちゃんがケラケラ笑う。静かな車内に杏ちゃんの声が響く。杏ちゃんは朝イチでも元気で、すごいなぁと思う。

 杏ちゃんと朝、この車両で待ち合わせるようになったのは高校生になってからだった。

 中学が一緒だった杏ちゃん。一年生と三年生のときに同じクラスになって、そのときはほとんど話すことはなかったけれど、高校が同じになってからは一緒に行動するようになった。

 朝の電車、8両目が私たちの落ち合う場所。降りるときに階段が一番近いから。

 でも日によって、杏ちゃんはいたりいなかったりする。

「杏ちゃん、今日は寝坊しなかったんだね」

 朝に杏ちゃんと会うのは三日ぶりだった。
 杏ちゃんは夜ベッドに入るとコスメ系の動画を見漁るのがルーティンで、気づいたら三時や四時になっているらしい。

「そうなのぉ! お母さんが起こしてくれて! さすがに三日連続遅刻はまずいんじゃないって」
「お母さん、やさしいね」
「そうそう。杏のお母さん、神なの。何回寝坊しても怒んないし、成績悪くてもがんばったねって褒めてくれるし、服もたくさん買ってくれるし」

 杏ちゃんの手が私の腕に絡んで密着する。それだけで女性の私までどきどきしてしまうのだから、杏ちゃんのパワーはすごい。

 杏ちゃんが自分のことを「杏」と呼ぶのが、私は密かに好きだった。

 高校生になって自分を名前呼びしてるとあざといなんて思われがちだけれど、杏ちゃんに関しては自然体。背が低くて、いつもかわいくて、子どもっぽい杏ちゃんの一人称は「杏」以外に思いつかない。

 私が「佑唯はねぇ」なんて言ったら、まわりの人に引かれてしまいそうだけど。

「お互い眠がりだし、私たちってほんと似てるよねぇ」

 杏ちゃんが私の腰あたりに体を寄せながらつぶやく。

 似てる、のかな。

 杏ちゃんはたしかに朝が弱いけど、一度起きたら一日中元気だ。

 一方で、私はというと変な場所で寝がち。でも遅刻はしない。眠くなる理由っていうのも夜更かしというか別のことが要因だから、杏ちゃんとは少し違う。

 それに、私たちは根本的な性格のところは似ても似つかない。
 私は杏ちゃんみたいにきらきらしてないし、メイクもファンデだけ。杏ちゃんみたいな女子高生らしい元気さもない。

 私は本来なら、杏ちゃんよりも大人しめの女子グループに属する人間だと思う。

 でも、杏ちゃんが似てるって言うのなら似てるってことにしておけばいいかな、って思う。

「あーあ。今日体育あるんだったぁ」

 杏ちゃんが天をあおいだ。その言葉の先を想像しながら、私はそっと車内のモニターに目を向ける。

 高校の最寄駅に着くまで、あと五駅。
 あと、二十分くらい。

「もうやだよぉ。マラソンってなんのためにあるの? あれ、ただの拷問だよね」
「ね。四キロとか、女子高生の走れる距離じゃないよ」
「走ったあと、疲れちゃってなんもできないし! 筋肉痛しんどいし! 杏の足、ムキムキになったらどうしよう」

 杏ちゃんが頭を私の肩に乗せる。足をじたばたさせている、その白い太ももが光を発しているみたいに眩しくて、なんだか照れてしまった。

 杏ちゃんは、かわいい。

 スイーツでいうなら、王道のショートケーキ。声は甘くて、振る舞いはなんだか小さな子どもみたい。

 でもだからって、女子から嫌われることもなく友達は多い。
 誰にでも愛されて、みんなから憧れられる。もちろん私も憧れてる。

 そんな杏ちゃんが、私は好き。

 ただ、本当はマラソンが得意な私とはちょっと性格が違うなとは思うのだけど。

 車内でも声のボリュームが大きくなっちゃうところも、少しだけ、少しだけ、苦手なのだけれど。

「ねぇ、今日一緒に走って」

 上目遣いで頼まれて、つい胸がきゅっとしてしまった。

 杏ちゃんの、丁寧にカールしたまつ毛の一本一本の中に〝女の子〟が詰まっていた。

「いいよ。私も杏ちゃんと一緒なら乗り切れるかも」
「わーん、ありがと。親友と同時ゴールとか、ちょっと青春かも!」

 親友。

 親友って、なんだろう。

 友達よりもっと親密な人。心が通じ合っている相手。

 杏ちゃんとは中学が同じなうえ、高校に入った今も同じクラスだ。そういう状況には運命みたいなものを感じるし、付き合いは長いから、親友と呼べる間柄なのかもしれない。

 杏ちゃんは、一番親しい友達。

 杏ちゃんのことは好き。

 好き、なんだけど。

 ……杏ちゃんと話していると、ちょっとだけ、疲れてしまう。