——いやいや。絶対ロングよりショートのほうが似合うよ!
 ——別におそろいじゃなくてもいいんじゃない? 私、こっちの色のが好きだし。



「……起立!」

 どこからか怒号のような日直の声がして、反射的に立ち上がった。

 静かな授業中、突然響き渡る号令はさながら自衛隊や警察官の世界みたいだな、と思う。

 そのひと声で夢から覚めて、一気に現実に引き戻される。だから私にとっては便利なかけ声。ただ、体は当然驚くから、ストレスではあるのだけれど。

 ありがとうございました、とみんなが声をそろえる。
 先生がいなくなると、みんなは呪縛から解き放たれたみたいに自由気ままに動き出す。

「桂木さん、ちょっといい?」

 椅子に座ると、有村さんに背中をつつかれた。

 いつも声の小さい有村さんだけれど、今はさらに小声になっていた。

「次の数学、私当たりそうで……。一応答え見せてもらってもいいかなぁ」
「あ……うん。どうぞどうぞ」

 机からノートを取り出す。たしかに今日は有村さんが当たりそうだった。数学の竹田先生はいつも、今日の日付を席順に置き換えて答えさせる。

 ありがとう、と有村さんがノートを受け取ると、一瞬の間を置いて笑い出した。

「……桂木さん、もしかして、寝てた?」

 半分瞼が閉じている私に気づいたみたいだった。

「ちょっとだけ」
「ふふ。気づかなかった。先生も怒らなかったよね」
「私、隠れて寝るの得意みたい」

 先生には従順な私でいたい。なのにどうしても意識が途切れてしまうから、バレないように眠るのが特技になってしまった。

 半分寝ていてもなんとなくシャーペンを動かしてるし、自然と先生から見えない角度に顔を傾けてるし、号令には勝手に体が反応する。先生の話を聞き逃したとしても、予習と宿題は完璧にこなす。

 そのおかげなのか、どの教科も成績は平均より上。自分の努力というよりは、自動的にそうなった、だけだけど。

 有村さんのノートをぼんやりと見つめていると、教室のどこかでどっとした笑い声が聞こえた。

 思わず目を向ける。笑っているのは杏ちゃんたちだった。

 杏ちゃんは派手なグループの女の子たちとスマホを囲んで盛り上がってた。

 みんなでなにかの歌を口ずさんでいるから、最近杏ちゃんがよく聴いているというボカロの曲を流しているのかもしれない。

「桂木さんって、西井さんと仲いいよね」

 私の不自然な視線の動きを感じたのか、有村さんも杏ちゃんのほうを見ていた。

 有村さんは杏ちゃんのことを〝西井さん〟と呼ぶ。
 私も中学のころは杏ちゃんと親しくはなくて、苗字と呼んでいたことを思い出す。

「あ……うん。中学が同じだったからかな」
「そうなんだ! なんか、すてきだね」

 すてき、という言葉の真意をうまく読み取れなくて、有村さんの目を見返した。

 有村さんは目を合わせてにこりと笑い、また窓際の杏ちゃんに視線を戻す。

「長く付き合ってる友達って、友達の中でも特別な感じがして憧れるんだ」

 宿題の解答を確認し終えたようで、有村さんがノートをこちらへ寄せた。

「うちのお母さんもね、小学校のころからずっと仲がいい親友がいるの。お互いに結婚してからはなかなか会えなかったみたいだけど、私が中学生になったくらいから家に来るようになって、よく盛り上がってる。きっとおばあちゃんになっても一緒に遊ぶんだろうなぁって思って、ふたりを見てるとほっこりするの」
「そうなんだ。そういうの、いいね」

 たしかに、すてき。環境が変わってもずっと付き合いを続けられる友達。

 そうなれる人たちは、きっとすごく波長が合ってるんだろうなって思う。

 ……ただ、側から見る分には仲よく見えても、本当のところはわからない……とも、思う。

「有村さんはそういう友達、いないの?」

 聞き返してみると、有村さんはうーんと鼻から息を吐いた。

「いないかなー……。昔の友達はみんな疎遠。この高校にも同じ中学の子はいるんだけどね、クラスが離れたから話さなくなっちゃった。結局その場限りの関係なんだよね、私。ずっと付き合っていきたいと思えるほど楽しい人間じゃないのかも」

 自嘲気味に笑う。その笑みが少しだけ寂しく見えて、胸が詰まる。

 その不安や寂しさは、私にも理解できる。

「……私は、どの場所に行っても友達を作れてる有村さんがすごいと思うし、私にとって有村さんは落ち着く存在だよ」

 気恥ずかしくて小声でつぶやくと、有村さんはふふっと笑いながら、両手で口元を押さえた。

 有村さんの控えめな仕草が、私は好きだ。

「親友ってすてきだなとは思うけど、それがいいとも限らないよ。……単に新しい友達を作るのが面倒なだけなのかもしれないし、お互いに弱くて依存し合ってるだけかもしれないし。長い付き合いになったかなんとなく、関係を途切れさせるのがもったいなくなっただけかも……」

 ……あとは、時間が経つほどに遠慮がなくなって、都合のいい存在になったから連れ回してる……とか。

 杏ちゃんを見つめる。

 杏ちゃんには、私よりよっぽど気の合いそうな友達がいる。私よりももっと楽しく過ごせそうな、おしゃれで明るい女の子たち。

 実際、中学のころの杏ちゃんはそういう子たちとつるんでいたはずだ。

 だから、私とは関わらなかった。住む世界が違うって思ってた。でも高校生になって、唯一同じ中学出身だった杏ちゃんに声をかけられて。

 なんで杏ちゃんは、私を選んだんだろう……。

 ふと有村さんを見ると、先ほどとは打って変わって真剣な顔をしていた。

 変な空気を作ってしまったことに慌ててしまう。

「……なんて。ごめん。有村さんのお母さんたちを否定してるわけじゃないよ。別に誰のことってわけでもなくて、親友がいなくてもいいんじゃないかなって思っただけ」
「うん。わかってる」

 ありがとう、という有村さんの声はやさしくて、心の奥深くにゆっくりと染み込む。

 有村さんといると、なんだかやさしくなれる気がする。

 穏やかで、静かで、波がなくて。ふたりで海に浮かんでぼうっとしてるみたい。

 有村さんの前なら、少しだけ、気持ちが出せるんじゃないかって思うことがある。

 有村さんを励ますための言葉じゃなくて、いつか、自分の言葉で話せそうな気がしてくる。

 ……だからと言って、私は生き方を変えることはできないのだけれど。