——ねぇ、服見に行くならほかの子も誘わない? 人数多いほうが楽しいでしょ!
 ——これ、分けっこしようよ。両方食べたい!



 どこからか声が聞こえてくる。

 私の声だ。

 いつもの、私の声。

 これは夢。いつも見ている、小さいころの私の夢。

 夢の中の私は楽しそうで、言葉の上にたくさんの感情が乗っているのがわかる。

 うれしい。楽しい。心地よい。

 この先の未来に地獄が待ってるなんて、一ミリも思っていない。あっけらかんとした声だ。

 やめて。
 やめて。

 なんでそうやって、無邪気に振る舞うの。

 なんでそうやって、今の私を責めるの。

 私はもう、変わったの。あのころみたいには戻らない。明るくて奔放だった私はもう、どこにもいないんだから。

 だから、やめて。

 思い出させないで。

 うるさい、うるさい……!

 ガチャ、とドアが開く音がして、目を開けた。

 視界には自分の部屋の、真っ白な天井が映し出されていた。

 ゆっくりと体を起こす。体が重くてゆらゆらしてる。まるで、頭に残っていた憂鬱さが膨らんでぎちぎちに詰まっているみたい。

 いつのまに寝てしまったんだろう。
 時計を見ると、二十分ほど経っていた。

 家に帰ってきて、晩ご飯を作って食べて、なんとなくベッドに横になったのは覚えてる。けど、寝る気なんてなかったのに。

 こんな時間に寝たら、夜眠れなくなっちゃうのに。
 ……なんて。

 眠れないのは、いつものことか。

「……おかえりなさい!」

 自室を出ると、私はスイッチを切り替えていつもより大きい声を出す。

 リビングには会社から帰ってきたお父さんがいて、上着を脱いでいるところだった。

「ただいま。なんだ、起きてたのか。もう寝ててよかったのに」
「あは。九時に寝る高校生なんていないよ。子どもじゃないんだから」

 お父さんの前にいるときは、一番元気な私を引っ張り出す。それが私の中の決まりだった。

 理由はほかでもない、明るくてお喋りな私がお父さんは好きだから。

 私が杏ちゃんくらい元気な性格だったらそのままの自分でいいんだろうけど、そうじゃないから、意識して元気でいなければならない。根暗な自分が嫌になる。

 お父さんがスーツを置きにリビングを出る。
 その隙に、私は台所でお味噌汁を温める。

 すると私の動きを察知したのか、お父さんがネクタイを解きながら戻ってきた。

「いいよ、自分でやるから。早くお風呂入っておいで」
「すぐ終わるからやっちゃうよ。今日はお父さんの好きなメニュー。なんでしょう」
「肉じゃが?」
「正解!」

 お父さんが笑顔になる。表情は困り眉のままだけれど、その笑顔はいつも私をほっとさせる。

 お父さんが着替えている間、お味噌汁をよそって肉じゃがをチンして、買ってきたお惣菜をテーブルに並べた。お風呂にお湯を溜めていると部屋着に着替えたお父さんが廊下を通り抜けたので、私もうしろについていく。

 ご飯を見てありがとうと言うお父さんに、どういたしましてー、と歌うように答えた。

「学校は変わりないか?」

 そう聞くときのお父さんはいつも、なんでもないふうを装っている、と思う。

「うん。楽しいよ。今日の昼休み、みんなで動画撮ったの」
「どんな?」
「音楽に合わせて変顔するの。流行ってるんだ」
「そう。よくわからないけど、そういうのをネットに上げたりはしないでくれよ」

 お味噌汁をすするお父さんに、私は学校であったエピソードを話す。かなり誇張した、というか、ほとんど嘘しかないエピソード。

 日課のようなものだ。

「仲よくやれてるんだな」

 お父さんが念を押すようにつぶやくのも、いつものこと。

 私はその言葉に笑顔で頷く。

「うん」

 私のお母さんは、私を産んだものの育児が嫌になって家を出て行ったんだって、近所のおばさんが話していた。

 それからお父さんは、自分の命よりも大切に私を育ててくれた。お母さんに捨てられたという事実は少なからず私に傷を負わせたけれど、私は元気だった。日々の中にお母さんという存在がいないのは当たり前だったし、その分お父さんが二倍私を愛してくれたから寂しくはなかった。

 それくらい私のことを大事にしてくれたお父さんだから、私が保健室登校になったときは本当に落ち込んでしまった。

〝ごめんな、佑唯。俺のせいで〟
〝俺がおまえのこと、ちゃんと見てやれなかったから〟

 違うよ。違う。

 お父さんは関係ない。全部私が悪いんだよ。

 私が勝手なことして、勝手にみんなに嫌われただけなんだよ……。

 でもそう答える気力もなくて、私はただただお父さんの懺悔を浴び続けた。

 今のお父さんは、安心して私と接してる。

 でもその笑顔は、私の言葉ひとつで消えてしまうことも、知ってる。

 私は元気だよ。
 楽しくやってるよ。

 呪文のように唱え続けた。

 お父さんの前では明るくいなきゃ。誰よりも元気で、クラスの中心で笑っている娘を演じなきゃ。

 ……でもね、お父さん。

 もしかしたら私、まただめになるかもしれない。

 話せないけど。私。私ね。

 また、人に嫌われてしまったの。