普通クラスと特進クラスが交わる行事は二つしかない。球技大会と文化祭だ。そのうち、球技大会が迫っているある日のことだった。

「球技大会の希望種目決めた? 俺サッカーで書いてきた」
「お前サッカーやってたっけ?」
「それっぽく活躍できそうだから!」
 山田が言うのへ、小南さんが顔を出す。
「ようよう男子たちー。何にする? あたしバレー。だーやまは?」
「サッカー」
 仲いいなこいつら。僕は埋まりつつある黒板を見て、ため息をつく。運動は嫌だ、苦手だ。特別肥ってるわけでもないけど、特別痩せてる訳でもない。もちろん筋肉がついているわけでもないので、僕の体育の成績はつねに三か二の間を漂っている。
再現不可能なことを、パフォーマンスの質を落さず滞りなくやって見せろというのは無茶な話だ。練習しろって? 確かにそう。勉強に予習と復習があるように、体育にだってそれはある。だけど僕は体より頭の方が使いやすいし、頭を使う方が好きだ。ただそれだけだ。
「デルモとキングはバスケにするって!」
「キングって、バスケうまいよね。去年の球技大会すごかったじゃん?」
「バスケ、小学校の頃からやってるってほんと? 深角センセー」
小南さんと山田が口々に言う。
「ほんと。アイツは確か、……シューティングガード」
 清澄は小中とバスケをやっていた。だから僕は、高校でも清澄はバスケ部に入るものだとばかり思っていたのだけど。意外にも彼が選んだのは普通クラスではなく部活なしの特進クラスだった。
「だーやま、シューティングガードってなに?」
「わかんね。バスケのポジションかなんか?」
 こいつらほんとに仲いいな。
「まあそんなもんだよ」
 実のところを言うと、バスケ部時代の清澄はスリーポイントシュートを得意としていた。ばかすか得点を入れるので一時期は「大砲清澄」と呼ばれていた。今は腕が鈍っているかもしれないけど。
「清澄がいれば、万年ビリの特進クラスも、さすがにバスケでなら勝てるかもね」
 まあ僕の入るチームはおそらく僕のせいで負けるんだけど。なんて思ったけど、二人の楽しげな会話に水は差さずにおく。
「去年もバスケだけ準優勝だったよね。あのときのキングすごかったな」
小南さんが目を輝かせる。
「あたしなんとしてもバスケの試合の応援だけはしたいんだよね。できるかなあ」
「女子バレーと男子バスケが被らなければいけるんじゃないかな」
「今から確認してこよっと」
 小南さんは体育委員のところへ走って行った。思いたったら即行動。
「えー、小南さん男子サッカーは応援してくれないの」
「山田、調子乗りすぎじゃない? それとも心の声漏れちゃった?」
「わざと漏らしてんだよ! くそ、俺もキングになりてえ」
「清澄に頼んでみたら? キングにしてくださいって」
「無理」
 カーストだ何だと騒ぐくせに、こういうところは図々しい。山田の愛すべきところではあるが。
「盛り上がってるね」と谷垣くんが言う。
「谷垣くんはバスケ経験者なんですか?」
 僕は訊ねた。谷垣くんは苦い顔をして頬を掻いた。
「実は消去法。サッカーはてんでダメだし、卓球はやったことない。当たり前にやれるのがバスケだけっていうだけ」
「当たり前にやれるのってすごいことだと思うけど」

 なんて言ってる間に、キング清澄が黒板の前から戻ってきた。男子バスケの欄にはでかでかと「鉢谷清澄」の字が躍っている。その隣には控えめな谷垣くんの名前が。
 女子バレーのところに小南さんが名前を書き込んでいる。
 さっき言ったとおり山田はサッカーにすると言っていた。
 さて、僕はなんとしようか。

 と考えはじめる前に、体育委員の子が申し訳なさそうに、「深角くん、サッカーしか空きがないんだけど大丈夫?」と聞きに来た。
「あ、それでいいです、なんでも」
 なりゆきだけれど、山田と同じ、「なんとなく活躍できそうなサッカー」にしよう。本業の人に怒られそうだけど。
 清澄に見られている気配があったので、僕は黙って席を立ち、黒板の、男子サッカーの欄の空いたところに、小さな字で、「深角郁」と書いた。
 こうして、球技大会の種目が決まった。



『逃がさないからね』の言葉通り、清澄は毎日家に来る。
「郁、球技大会で俺がスリーポイントシュートを決めるから」
「急にどうした」
 大真面目な顔で清澄が言うから、僕はシャープペンを持つ手を止めてまじまじと清澄をのぞき込んだ。
「脈絡、皆無なんだけど……?」
「脈絡はどうでもいいんだよ。だから、その、球技大会でスリーポイント決めて、男子バスケ勝たせるから、そうしたらご褒美くれよ」
「……ご褒美?」
 僕はぽかんとする。清澄の顔面から想像できない言葉だったから。
「たとえば?」
「例えばチューとか、あと、ラブラブなチューとか。めっちゃえっちなチューとか」
「キスしか選択肢ないじゃん⁉」
「いや、キスじゃなくても。なんでもいいんだけどさ。郁からもらえるもんならなんでもいいの」
 何でもいい、といってから、清澄は照れたように頬を掻いた。
「日ごとに欲張りになってくの、俺。いま、めちゃめちゃ郁からの特別がほしい」
 とんでもない殺し文句を言われてることはなんとなく肌で感じ取れた。遅れて、心音がまたうるさくなっていく。
ドッ。
 僕の生理現象。清澄の一挙手一投足に魅せられて、清澄の言葉に振り回されて、どうしようもなくこらえがたい胸の高鳴り。まだ理解不能で、名前を付けられない「それ」。
「……僕からの特別って何の価値が?」
「価値はある。大あり」
 清澄は手を伸ばして、親指で僕の唇にふれる。いつも通り冷たい指だ。
「俺は、もっともっと郁の特別になりてえの、わかる?」
「とく、べつ……」
 見つめ合うことしばし、時計の音と、突然割り込んできたみたいな心音が交互に鳴り響く。僕の心音、静まれ。

『人を好きになるのに、理由なんか必要ある?』

静まれ。静まれ。うるさい、静まれ。
 畳の床に手をついて、近づいてくる清澄の顔から目がそらせない。アイスブルーの瞳が近くなる。唇が近くなる、吐息が近くなる――僕はぎゅっと目を閉じた。完全に覚悟を決めて。
「こういうのは、勝ったときのためにとっとくか」
 清澄は僕の頭をぎゅっと抱き寄せた。照れくさそうに笑う顔が近くにある。
「覚悟しとけよ」



 予想通りというか予定通り惨敗したサッカーのあとで、僕と山田は体育館を訪れた。
 キュッ、キュッと体育館の床を擦るシューズの音が響き渡っている。
 特進クラスのキングの出番とあって応援席は満員御礼だ。はみ出た僕らは体育館の入り口あたりでたむろしていた。
「見えない、なにも見えない」
 僕は背の高いほうではないので、背の高い女子に前に来られると視界が塞がれてしまう。見えるのは球技大会仕様のはちまきを身につけた女子の後ろ姿ばかりだ。華やかな視界ではあるけど、僕が見たいのは清澄だ。
「どっかに小南さんいるかな?」
 キングより何より小南さんの姿を真っ先に探し始める山田の背中に、僕は声を掛ける。
「山田はさ――」
「んー?」
「誰かの特別になりたいと思ったことある?」
「なに、急にどうした、ポエムか?」
 あ、山田だもんな。聞くんじゃなかった。そう僕が後悔しかけた時、山田はどこか遠い目をした。
「いや、あるよ。当たり前にある。普通じゃね?」
「へ?」
「でも俺みたいなのがあの人に釣り合うのかなって思ったりもする。するじゃん? そんでもさ、それでも……それでもあの人の隣に居られたらいいなって、思うんだよな。それって誰かの特別になりたいって事じゃん、要するに。普通にあるよ」
「……ポエム?」
 山田からこんな話が聞けるなんて思わなかった。
「うるせえ、俺だって恋くらいするわ」
「意外だった」
「俺にしてみれば数学ラブの学年トップ様から恋愛がらみの話が出るのが驚きだわ」
「……うん、そうだよね、僕もそう思う」
「自覚あったのかよ、深角」
恋愛なんかするものじゃない。恋愛は僕に必要ない。恋愛は――人を変えてしまう。
 でも。
「向き合わなきゃいけないときが、来たみたいなんだよな……」

 清澄に。そして、逃げ続けている僕に。

 女子たちの声が黄色い。
「キング~! 頑張って~!」
「清澄くーん!」
「鉢谷くん! 鉢谷くん! いけえー!」
 どうやら試合が盛り上がってるみたいだ。僕は試合運びがどうなっているかも、清澄がどんな活躍をしているのかも分からない。
 そのとき、女子の垣根を縫って、小南さんが姿を現した。
「センセー! 早く! こっち!」
「わ、小南さん⁉」
「センセーが見てあげなきゃキングがかわいそうだよ! センセーは試合見なきゃダメ!」
「わっ!」
 山田が「小南さん」とうわずった声を上げるのを聞いたと思ったら、僕は女子と女子の間に引きずり込まれていた。
 制汗剤と柔軟剤の匂いを抜けていくと――。

 コート上では、体育着の上に赤いビブスを着た清澄がボールを手に立ち回っていた。
 人垣の一番前に押し出された僕は、目の前でそれを見た。
 劣勢なのか優勢なのかはさておき――体格の大きな普通クラスの青ビブスを避けて、敵陣ゴールめがけて走って行く清澄は別人のようだ。
「谷垣ぃ!」
 囲まれて出したパスは谷垣くんに渡る。ボールは手から手へ、着実に敵陣へ攻め込んでいき、中央の線を行ったり来たりしたあと、また清澄に渡った。清澄は敵をかわし、ゴールの遙か彼方から長いシュートを放つ。
 がこんっ!

 ゴールリングをくぐるボールの音が小気味よく響くと、僕らA組の点数板に三点が加算された。
 僕の後ろで黄色い歓声が爆発する。隣で小南さんが腕を振り回している。僕にちゃっかりついてきた山田は、小南さんと一緒になって跳ねていた。
「俺らのキングかっけえ~! ッひょお~!」
「でしょ! でしょ! あたしたちのキングは最高! メッチャ最高!」
 手を握り合って喜び合っている。本当に仲いいな。

 そのときだ。
 凜とした女の子の声が響き渡った。

「キヨ! やっちまえ!」
 見ると一年のナナちゃん――綾瀬ナナが長袖の袖を余らせた手で、前のめりに声を上げていた。
「そのまんま目にもの見せてやれー!」

 流れる汗を拭っていた清澄は、僕の姿を認めてふにゃりと笑い、ピースサインをこちらへ向けた。背後の女子がまた爆発したように盛り上がる。
「今のあどけない表情なに? 見たことないんだけど!」
「キング可愛かった! ちょう可愛かった!」
「誰に向けてピースサインしたのかな?」
「今の一年の子? あの子かわいいよね」

 ささやきを聞いた小南さんは明らかにむすっとして僕を見た。
「センセーも応援して。めっちゃ目立つように応援して。ナナになんか負けないで!」
「勝つとか負けるとかじゃなくない? そういう勝負じゃ……」
「あたしが嫌だ!」
 小南さんは拳を握って、それから僕の肩をばしばし殴った。
「キングはすきですきですきですきですきな子のために頑張ってんだよ! その子が、何にも気づかないですって顔してぼんやりしてるのがやだ!」
 横っ面をひっぱたかれた訳でもないのに、頭に衝撃がはしった。

 ボールは青に渡っている。清澄は相手のエースを相手取って妨害を繰り広げ、ボールが自陣ゴールに近づかないように牽制している。
「……きよすみ」
 汗が飛び散るコート上で、縦横無尽に走り回る清澄の残像を目で追う。ボールを捕らえ損ねる指先の、その影を追いかける。追いつけない。追いつけないけど。
 清澄。追いついてみせる。肉体の速度を超えて。

「――清澄ィ!」

 ひっくり返った声で叫んだとき、清澄の手がさっとボールを掬い取った。大きな声を出した後の喉のひりつきが、痛くて、苦しくて、それがそのまま心臓まで落ちていって、五月蠅いほどの鼓動になった。
 ドッ。ドッ。
 鼓動とともにゲームは進んでいく。コートを駆け抜けた清澄は、ラインの外側からまたシュートを放つ。ゴールリングに吸い込まれたボールとともに、歓声が響き渡る。響き渡るんだけど、僕の鼓動の方が五月蠅い。
 規則的な心音の中で、清澄と目が遭う。アイスブルーの瞳が僕だけを見つめる。彼は僕を見たまま、人差し指に唇をあて、指をこちらへ向けて寄越した。

『俺は、もっともっと郁の特別になりてえの、わかる?』

 瞬間、黄色い悲鳴というか、本格的な悲鳴が響き渡った。
「投げキッス来たあああああああ⁉」
「誰に向けたのあれ⁉ なにあれ⁉ 見ていいものだったのあれ⁉」
「ナナちゃん向けじゃない? 前付き合ってたって言ってたし!」
「いやでも方向がちがくない?」
 背後で交わされる憶測の嵐。僕はへなへなとうずくまり、落ちた膝を投げ出して頭を抱えた。

「どうしよ……」

――何で僕なんだ。なんで。よりにもよってなんで。僕はさ、僕は、清澄と一緒に勉強できるだけで幸せだったんだよ。なのに。

 どんな声より、どんな音より、今は記憶の中の清澄の言葉だけ聞こえている。
『好きだよ、俺は』
『郁、かわいい』
――何で僕だったんだ。清澄、なんで。あらゆる可愛い女の子を差し置いて僕なんかを好きになったんだ。なんで。

 顔が熱い、涙が出そうなくらい熱い。心臓がさっきからうるさく存在を主張している。

「どうしよう……!」
「大丈夫? センセー。どうしたの」
小南さんが僕の顔をのぞき込んだ。僕は苦しさのあまり、彼女の顔を見ることも敵わず、うつむいたまま、打ち明けた。

「どうしよう、僕、清澄の事が好きかもしれない……!」





 準優勝に終わった特進Aクラスの男子バスケットボールチームは、悔しげな清澄とそれをなだめる谷垣くんの姿が印象的だった。やはり現役バスケットボール部員を含むバスケチームは強かったらしい。僕はただ清澄を見つめていた。まだ心臓はうるさいままで、平常心はどこかへ行ったまま戻ってこなかった。
 アルキメデスが「エウレカ!」と叫んだときもこんな気持ちだったのかもしれない。我発見せり。

 僕はついさっきのやりとりを思い出してる。
『好き、かもしれないぃ⁉』
 小南さんがのけぞって山田が僕の後ろ頭をひっぱたいた。
『かもしれないじゃなくてはっきり言い切れるようになれよ!』
『山田も小南さんも、……清澄のこと、いつから知ってたの⁉』
『だいぶ前じゃない? ていうか割とみんな知ってるよ? だーやまもデルモも気づいてるよ? 気づいてないのセンセーだけだよ?』
『嘘じゃん……』

 一軍の連中は清澄を持ち上げてちやほやし、球技大会男子バスケ二位の賞状をかかげてみたり、明るい言葉を掛けて清澄を慰めるんだけど、清澄は仏頂面のまま表情筋を緩めない。いかめしいキングの心の中は僕だけが知っている。
 郁の特別がほしい、だっけ。僕は現実みのわかない、ヴェールごしの現実をのぞき見るように清澄を見て、それからようやくポケットの中のスマホを取り出した。

『話があるから、あとでいえ来て』

 変換忘れるくらい、頭がぼうっとして。僕が内側から作り変わってしまう音がしてる、気がする。

『すぐいく』

 返信がすぐきた。王様はいつもの調子を取り戻し、ようやく表情を緩めて会話を始めた。周囲の張り詰めた空気がようやく和む。
「わかりやすいやつ……」
 こんなにわかりやすいのに、なんで気づかなかったんだろう。

 僕は補足とばかりに付け足す。

『勉強道具はいらないから』

 メッセージを見た清澄が僕の方を見た。僕はかっかと燃えるような頬を隠すためにうつむいた。



「話したい事ってなに」
 開口一番直球を投げてきた清澄に対して、僕は黙って座布団を示した。
 清澄はシャワーでも浴びたのか、ほんのりと甘い香りがした。髪の毛も整髪料がとれて、いつもはセットしている前髪が前へ下りている。

「あの」
 僕は切り出してから考えた。言いたいことは一つなのに、そこにたどり着くことが酷く困難に思えた。
「……その。惜しかったな」
「勝てなかったな。単純に、経験値不足だよ」
 清澄は前髪を掻き上げてそう言った。「俺がカバーできなかったからだ」
「でも、準優勝じゃん」
「準優勝じゃ、勝ったって言えない」

 清澄はあぐらをかいて背を丸めた。
「あーあ。郁の特別なご褒美、ほしかったな」
「それ、なんだけど――、その」
 それきり、僕は唇を引き結んで、なにも言えなくなってしまった。
「なに、ご褒美くれるの?」
 清澄が小さく笑う。その笑顔にすらどきどきする。僕は変わってしまった。変わりたくなかった――だけど。
 この気持ちに嘘をつくのは、清澄に対する背信だ。
「……僕は、」
 続きを待つように清澄が僕を見てる。頬へ血が上ってきて、僕は思わず顔を覆った。
「や、やっぱむり」
「なに? なんだいったい」
「いえない……」
 清澄が好きかもしれないって気づいちゃったって言えない。
「何を?」
「い、いえない、」
 喉元まででかかってるそれを吐き出せずに困っている僕を心配そうに見ていた清澄は、不意に僕の顔色に気づいて声を上げた。
「顔真っ赤じゃん。熱でもあるの」
 手を伸ばして額に触れられる。あの激しい試合の後でも清澄の手はひやりとする。僕は思わず飛び退いてしまった。
「さ、わんないで」
「郁?」
「……どうしよう、どうしていいかわかんない、わかんない」
「何が分からない? 教えて?」
 
 それは、僕がいつも誰かにものを教えるときの台詞だ。

「……なんて言って良いか、わかんないんだ……」
「何か言いたいことがある?」
「うん」
「それは俺に関すること?」
「……うん」
 清澄は僕の髪に触れた。梳くように撫でられて、心臓の鼓動が早くなる。
 そんなにされたら、もう何も言えなくなってしまう。
「俺がどうした?」
「……い、えない」

 好き。かも。……なんて。

「いえない、どうしていいか、わかんない」
「困ったな。俺はどうすればいい?」
「……わかんない」

 迷子の子供みたいに首を横に振る僕は、それを言葉にしようとなんとか頑張るのだけど。

「清澄が、……清澄が僕に言ったみたいに、清澄の特別が、僕だったみたいに、僕は、その……僕は」
 清澄の顔がどんどん変わっていく。驚愕から、穏やかな笑みへ。
「……続き、言ってみ?」
「言えない……!」
 僕は発火しそうなほど熱い頬を押さえて後ずさった。自分の部屋の隅っこに追い詰められて、もうどこにも行き場所がないのに、清澄ときたら距離を詰めてくる。真っ赤な頬に触れられて沸騰しそうになっている僕は、顔を隠して、首をゆるゆる横に振ることしかできなくなった。
「どうしたら、いいのか、……どうしたら、ぜんぶいえるのか、わかんないんだ……」
「顔を上げて」
 清澄が囁いた。「郁。今はそれだけで良い」

 僕は素直な生徒のように顔をあげる。清澄は僕の顎に指を滑らせて、そしてそのまま、触れるみたいに――キスをした。斜めに傾いた清澄の睫毛が視界に入ってくる。僕はゆっくり、目を閉じて、清澄の唇のあたたかさを感じていた。

――好きかも。好き、かも。

 見つけてしまった自分の本心が、芽吹く。