「……ああ、あなたね。驚かせないで」
さりげなく本を閉じ、イヤホンを外すと、彼女はそれらを素早く鞄の中へしまう。
びっくりさせてしまったのは悪かった。でも俺は、彼女を見つけられた喜びが止まらないのだから仕方がない。
「ずっと探してたよ」
「は? どうして」
「ええっと。礼が、言いたくて」
キョトンとするも、数秒だけ間を空けてから彼女は小さく息を吐いた。
「……まさか、今朝のこと? 私は風紀委員なんだから別に気にすることないのに」
「いやいや。あのガチ鬼に対して全然動じず、俺をかばってくれたんだ。感謝してます」
俺の言葉に対し、彼女は戸惑っているようだった。物珍しい人間を見ているような眼差しを向けてくる。
でも俺は、引かれたって気にしないぜ。
「マニーカフェでもあなたの中国語に助けられた。カッコいいなぁ、外国語を喋れるなんて。俺なんかこんな見た目のクセして日本語しか話せないんだ。ははは」
わざと空笑いしてみせた。自分で喋っていて、虚しくなる。
いつものことだ。初めて会った人たちには、あえて伝えている。俺は英語なんて話せないんだと。
『イヴァンはイギリス人だから、英語ができて当然』
そんな偏見ともいえる言葉を、幾度となく浴びせられてきた。大抵は「英語のできないイギリス人」として残念な顔をされる。
うんざりだ。彼女にも、くだらない偏見や先入観で俺を見てほしくない。
身構える俺の前で、彼女はベンチからスッと立ち上がる。ふと笑みをこぼし、こんなことを口にした。
「ここは日本なんだから、日本語が喋れれば充分でしょ」
彼女はさらりと俺から背を向け、校門の方へ歩いていく。
……あれ? 今、普通に流されたか?
これまでにないリアクションに、俺は目を見開いた。
いや、茫然としている場合じゃない。
彼女が行ってしまう。礼を言っただけじゃダメだ。
俺はあわてて彼女のそばへ駆け寄る。
「待って」
俺の呼びかけに、彼女は無表情でこちらを見上げた。なんか、大人っぽい雰囲気だけど、意外に背は高くないんだよな。
そんなどうでもいいことを思いながら、俺は続けた。
「君の名前を知りたい。学年も」
「どうしてあなたに教えないといけないのよ」
やはり、冷めたい眼差しを向けられた。
「君と、友だちになりたいと思って」
「……私と? 友だちになりたいなんて、変わった人なのね」
含み笑いをすると、彼女は小さく息を吐いた。
どうしてそんなリアクションをされるのか、俺には理解できない。変なことを言った覚えもないんだが?
戸惑う俺の目を見つめ、彼女はゆっくりとその名を口にする。
「私は──玉木よ。玉木サエ。二年六組」
「玉木サエさん。そうか、サエさんというんですね! やっぱり先輩だ。俺は一年一組のイヴァン・ファーマーです!」
「知ってるわよ」
「あ……そっか。俺の届け出、ちゃんと確認してくれていたんですもんね」
「じゃないと委員会活動なんてできないわ」
「すげぇな、サエさんは。超真面目!」
俺が言うと、彼女は頬をほんのり赤くしてそっぽを向いてしまった。
「もういいでしょ? 帰っていい?」
「あっ、すみません、呼び止めてしまって」
本当はもう少し話がしたかった。だが、彼女はあまり長居したくないようで早歩きで校門へと歩いていく。
西の陽に照らされる刹那、彼女の後ろ姿には切なさが醸し出されている気がしたんだ。
もうひとことだけ、いいか。彼女に言葉を向けてもいいかな。
「サエさん!」
歩みを止め、彼女はゆっくりと俺の方を振り返る。やっぱりその瞳は冷たかった。
「なによ?」
「またマニーカフェに来てください。抹茶フラッペでもなんでも作るよ。しかも俺の奢りで!」
この言葉に、彼女は口角を僅かに上げた。
「別にいらない」
このときの彼女の口調だけは、あの西陽のように明るく感じた。
俺は彼女の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を見つめ続ける。胸がいっぱいになり、頬が熱くなった。校舎の窓ガラスに映る自分の顔が、妙に上機嫌に見えたのは俺の気のせいではないはず。
さりげなく本を閉じ、イヤホンを外すと、彼女はそれらを素早く鞄の中へしまう。
びっくりさせてしまったのは悪かった。でも俺は、彼女を見つけられた喜びが止まらないのだから仕方がない。
「ずっと探してたよ」
「は? どうして」
「ええっと。礼が、言いたくて」
キョトンとするも、数秒だけ間を空けてから彼女は小さく息を吐いた。
「……まさか、今朝のこと? 私は風紀委員なんだから別に気にすることないのに」
「いやいや。あのガチ鬼に対して全然動じず、俺をかばってくれたんだ。感謝してます」
俺の言葉に対し、彼女は戸惑っているようだった。物珍しい人間を見ているような眼差しを向けてくる。
でも俺は、引かれたって気にしないぜ。
「マニーカフェでもあなたの中国語に助けられた。カッコいいなぁ、外国語を喋れるなんて。俺なんかこんな見た目のクセして日本語しか話せないんだ。ははは」
わざと空笑いしてみせた。自分で喋っていて、虚しくなる。
いつものことだ。初めて会った人たちには、あえて伝えている。俺は英語なんて話せないんだと。
『イヴァンはイギリス人だから、英語ができて当然』
そんな偏見ともいえる言葉を、幾度となく浴びせられてきた。大抵は「英語のできないイギリス人」として残念な顔をされる。
うんざりだ。彼女にも、くだらない偏見や先入観で俺を見てほしくない。
身構える俺の前で、彼女はベンチからスッと立ち上がる。ふと笑みをこぼし、こんなことを口にした。
「ここは日本なんだから、日本語が喋れれば充分でしょ」
彼女はさらりと俺から背を向け、校門の方へ歩いていく。
……あれ? 今、普通に流されたか?
これまでにないリアクションに、俺は目を見開いた。
いや、茫然としている場合じゃない。
彼女が行ってしまう。礼を言っただけじゃダメだ。
俺はあわてて彼女のそばへ駆け寄る。
「待って」
俺の呼びかけに、彼女は無表情でこちらを見上げた。なんか、大人っぽい雰囲気だけど、意外に背は高くないんだよな。
そんなどうでもいいことを思いながら、俺は続けた。
「君の名前を知りたい。学年も」
「どうしてあなたに教えないといけないのよ」
やはり、冷めたい眼差しを向けられた。
「君と、友だちになりたいと思って」
「……私と? 友だちになりたいなんて、変わった人なのね」
含み笑いをすると、彼女は小さく息を吐いた。
どうしてそんなリアクションをされるのか、俺には理解できない。変なことを言った覚えもないんだが?
戸惑う俺の目を見つめ、彼女はゆっくりとその名を口にする。
「私は──玉木よ。玉木サエ。二年六組」
「玉木サエさん。そうか、サエさんというんですね! やっぱり先輩だ。俺は一年一組のイヴァン・ファーマーです!」
「知ってるわよ」
「あ……そっか。俺の届け出、ちゃんと確認してくれていたんですもんね」
「じゃないと委員会活動なんてできないわ」
「すげぇな、サエさんは。超真面目!」
俺が言うと、彼女は頬をほんのり赤くしてそっぽを向いてしまった。
「もういいでしょ? 帰っていい?」
「あっ、すみません、呼び止めてしまって」
本当はもう少し話がしたかった。だが、彼女はあまり長居したくないようで早歩きで校門へと歩いていく。
西の陽に照らされる刹那、彼女の後ろ姿には切なさが醸し出されている気がしたんだ。
もうひとことだけ、いいか。彼女に言葉を向けてもいいかな。
「サエさん!」
歩みを止め、彼女はゆっくりと俺の方を振り返る。やっぱりその瞳は冷たかった。
「なによ?」
「またマニーカフェに来てください。抹茶フラッペでもなんでも作るよ。しかも俺の奢りで!」
この言葉に、彼女は口角を僅かに上げた。
「別にいらない」
このときの彼女の口調だけは、あの西陽のように明るく感じた。
俺は彼女の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を見つめ続ける。胸がいっぱいになり、頬が熱くなった。校舎の窓ガラスに映る自分の顔が、妙に上機嫌に見えたのは俺の気のせいではないはず。