イライラした気持ちを抱えたまま俺は学校へと向かう。自転車に跨がり、いつもは苦痛と感じる上り坂すら辛いとも感じない。
ついさっき父が話していたことが、頭の中でぐるぐる回転していた。
俺は、どうしたってイギリスに住むつもりはない。だが、決してイギリスが嫌いというわけじゃない。むしろ国自体は好きだ。
レンガ造りの古きよき建物が並ぶロンドンの風景や、アフタヌーンティー文化はイギリスならではと言える。
最も問題なのは、俺を「イギリス人のなり損ない」と罵ったあいつらがいることだ。
自転車を漕ぎながら、不意に過去を思い出してしまう。
あれは俺が小さい頃──小学校に上がる前の話だ。両親と共に父の故郷へ帰省した際、親戚が集うホームパーティに参加したんだ。祖父母の家で、何十人も参加していたのを覚えている。
その頃の俺は日本語を優先的に覚えていて、英語があまり話せなかった。いとこたちが話す内容は理解できたから、俺は知っている単語を駆使してコミュニケーションを取ろうとしていた。
しかし、こんな俺を冷ややかな目で見る奴らもいた。
俺と歳が近いいとこたちが、寄ってたかってこの赤い髪色をバカにしてきたんだ。
どうしてやたらと突っかかってくるのか、さっぱりわからなかった。
でも小学校高学年のとき、ある物語を読んで俺はその理由を知った。
小学校の図書室で出会った、一冊の本。朝読書の時間に、夢中になって読んだ記憶がある。自分自身と重なる部分があり、忘れられないストーリーなんだ。
物語の主人公は、赤毛の少女。俺と同じ、生まれつき赤い髪を生やしていた。彼女は、周囲の人間たちに髪の色をバカにされながら生きていた。なにも悪いことをしていないのに、ただ赤髪ということだけでいじめられる。
悔しくて、彼女は一時的に髪を緑に染めたのだが、どうしようもないほどみっともない色になってしまった。「こんなことなら、赤髪のほうがマシ」と嘆き、彼女はもう一度赤毛に戻すのだった。
物語の一部に過ぎないが、その内容を読んで俺はとても驚いた。どうやら赤毛というのは、国によっては敬遠されるものらしい。
今の欧米社会ではどうか知らないが、少なくとも数人のいとこたちは俺を煙たがっている。「お前はジンジャーだ」と言われたことがあるからわかる。
欧米で赤毛を「ジンジャー」と呼ぶのは、侮辱の意が込められているらしい。日本ではあまり赤毛であることを咎める人はいないから、この事実を知ったときはかなりの衝撃だった。
しかも、赤毛に加えて、俺の英語はイギリス人とは思えないほどカタコトなんだ。
正真正銘、英国人の血を受け継いでいるのに、イギリスのことをよく知らない。「恥ずかしい奴」「イギリス人のなり損ない」と罵られた。
幼かった俺は、ものすごく傷ついた。国籍や人種というものを深く理解していなかった。日本語しか話せないことは恥ずかしいものなのかと、ものすごくショックを受けた。
パーティーのさなか俺に罵声を浴びせてきた奴らは、鬼のような形相で俺を見下ろしていた。
今でもはっきりと当時の光景を覚えている。思い出すだけで、息が苦しくなるほどに。
異常事態に気づいた俺の両親や親戚の大人たちが、慌てて止めに入った。
母さんも駆けつけてきて、泣きそうな顔で俺を抱きしめたんだよな。
パーティーがその後どうなったのかは忘れてしまったが、暗黙の了解により、家庭内であの日の出来事を話題に出すのはタブーとなっている。
その件があってからは、イギリスへ帰省したとしても、親戚が集まるパーティーに俺はほとんど参加しなくなった。そのせいで、俺は祖父母ともすっかり疎遠になってしまった。
あれだけ貶されたら自信なんてなくなる。英語を話そうという気など、一切なくなった。
なによりも、俺が育った場所は日本だ。あいつらがいる国で暮らすなんてこと、考えられない。会うたびに俺の英語力とこの赤毛について、嫌味を言われるのだから。
それなのに……
日本の永住許可権を持っている父が、まさかイギリスへ帰国すると言い出すなんて信じられなかった。
それなら勝手にしてくれ。俺は絶対に向こうには行かない。
胸中で毒づいていると──いつの間にか俺は学校の前に到着していた。自転車から降りて校門へと向かう。
俺がこの春入学した、市立村崎高等学校。横浜市内にある、偏差値五十ほどの高校だ。授業は選択制で、五教科のうち三教科を選んで勉強ができる。
それが決め手となり、俺はここを受験した。選択制なら英語の授業を受けずに済むんだからな。
今日も、村高には多くの生徒が登校してくる。連休明けでも変わらない日常が流れていた。
「イヴァンくんー!」
生徒たちに紛れ、俺の名を呼ぶ甲高い声が響いてきた。
振り向くと、そこには、こちらに向かって大きく手を振る女子生徒──杉本アカネがいた。中学からの友人で、高校に入ってからもクラスが同じになった。
満面の笑みを浮かべ、アカネは俺の隣まで歩み寄ってくる。
「おっはよ!」
「ああ……おはよう」
「あれー? イヴァンくん。なんか元気ない?」
「えっ。そ、そんなことないけど」
適当に誤魔化そうとした。元気がないというか、朝の件で未だにイライラが収まらないだけだ。
しかし、顔に出てしまっていたなんて。
いい加減、切り替えないとな……。
ついさっき父が話していたことが、頭の中でぐるぐる回転していた。
俺は、どうしたってイギリスに住むつもりはない。だが、決してイギリスが嫌いというわけじゃない。むしろ国自体は好きだ。
レンガ造りの古きよき建物が並ぶロンドンの風景や、アフタヌーンティー文化はイギリスならではと言える。
最も問題なのは、俺を「イギリス人のなり損ない」と罵ったあいつらがいることだ。
自転車を漕ぎながら、不意に過去を思い出してしまう。
あれは俺が小さい頃──小学校に上がる前の話だ。両親と共に父の故郷へ帰省した際、親戚が集うホームパーティに参加したんだ。祖父母の家で、何十人も参加していたのを覚えている。
その頃の俺は日本語を優先的に覚えていて、英語があまり話せなかった。いとこたちが話す内容は理解できたから、俺は知っている単語を駆使してコミュニケーションを取ろうとしていた。
しかし、こんな俺を冷ややかな目で見る奴らもいた。
俺と歳が近いいとこたちが、寄ってたかってこの赤い髪色をバカにしてきたんだ。
どうしてやたらと突っかかってくるのか、さっぱりわからなかった。
でも小学校高学年のとき、ある物語を読んで俺はその理由を知った。
小学校の図書室で出会った、一冊の本。朝読書の時間に、夢中になって読んだ記憶がある。自分自身と重なる部分があり、忘れられないストーリーなんだ。
物語の主人公は、赤毛の少女。俺と同じ、生まれつき赤い髪を生やしていた。彼女は、周囲の人間たちに髪の色をバカにされながら生きていた。なにも悪いことをしていないのに、ただ赤髪ということだけでいじめられる。
悔しくて、彼女は一時的に髪を緑に染めたのだが、どうしようもないほどみっともない色になってしまった。「こんなことなら、赤髪のほうがマシ」と嘆き、彼女はもう一度赤毛に戻すのだった。
物語の一部に過ぎないが、その内容を読んで俺はとても驚いた。どうやら赤毛というのは、国によっては敬遠されるものらしい。
今の欧米社会ではどうか知らないが、少なくとも数人のいとこたちは俺を煙たがっている。「お前はジンジャーだ」と言われたことがあるからわかる。
欧米で赤毛を「ジンジャー」と呼ぶのは、侮辱の意が込められているらしい。日本ではあまり赤毛であることを咎める人はいないから、この事実を知ったときはかなりの衝撃だった。
しかも、赤毛に加えて、俺の英語はイギリス人とは思えないほどカタコトなんだ。
正真正銘、英国人の血を受け継いでいるのに、イギリスのことをよく知らない。「恥ずかしい奴」「イギリス人のなり損ない」と罵られた。
幼かった俺は、ものすごく傷ついた。国籍や人種というものを深く理解していなかった。日本語しか話せないことは恥ずかしいものなのかと、ものすごくショックを受けた。
パーティーのさなか俺に罵声を浴びせてきた奴らは、鬼のような形相で俺を見下ろしていた。
今でもはっきりと当時の光景を覚えている。思い出すだけで、息が苦しくなるほどに。
異常事態に気づいた俺の両親や親戚の大人たちが、慌てて止めに入った。
母さんも駆けつけてきて、泣きそうな顔で俺を抱きしめたんだよな。
パーティーがその後どうなったのかは忘れてしまったが、暗黙の了解により、家庭内であの日の出来事を話題に出すのはタブーとなっている。
その件があってからは、イギリスへ帰省したとしても、親戚が集まるパーティーに俺はほとんど参加しなくなった。そのせいで、俺は祖父母ともすっかり疎遠になってしまった。
あれだけ貶されたら自信なんてなくなる。英語を話そうという気など、一切なくなった。
なによりも、俺が育った場所は日本だ。あいつらがいる国で暮らすなんてこと、考えられない。会うたびに俺の英語力とこの赤毛について、嫌味を言われるのだから。
それなのに……
日本の永住許可権を持っている父が、まさかイギリスへ帰国すると言い出すなんて信じられなかった。
それなら勝手にしてくれ。俺は絶対に向こうには行かない。
胸中で毒づいていると──いつの間にか俺は学校の前に到着していた。自転車から降りて校門へと向かう。
俺がこの春入学した、市立村崎高等学校。横浜市内にある、偏差値五十ほどの高校だ。授業は選択制で、五教科のうち三教科を選んで勉強ができる。
それが決め手となり、俺はここを受験した。選択制なら英語の授業を受けずに済むんだからな。
今日も、村高には多くの生徒が登校してくる。連休明けでも変わらない日常が流れていた。
「イヴァンくんー!」
生徒たちに紛れ、俺の名を呼ぶ甲高い声が響いてきた。
振り向くと、そこには、こちらに向かって大きく手を振る女子生徒──杉本アカネがいた。中学からの友人で、高校に入ってからもクラスが同じになった。
満面の笑みを浮かべ、アカネは俺の隣まで歩み寄ってくる。
「おっはよ!」
「ああ……おはよう」
「あれー? イヴァンくん。なんか元気ない?」
「えっ。そ、そんなことないけど」
適当に誤魔化そうとした。元気がないというか、朝の件で未だにイライラが収まらないだけだ。
しかし、顔に出てしまっていたなんて。
いい加減、切り替えないとな……。