俺たちの存在に気づくと、中年男性はこちらへ駆け寄ってくる。血相を変えて俺の両肩を掴んで叫ぶんだ。
「なにがあったんだ。涵涵はどうなった!?」
涵涵……? どういう意味だろう。もしかして、彼女のことか?
取り乱している彼を前に、俺も動揺しそうになったが、どうにか声を絞り出す。
「サエさんは今、止血するための手術を受けています」
「刃物で襲われたと聞いたぞ!」
「そ、そうです……」
「なぜこんなことに……! どうしてうちの娘が……」
頭を抱える彼女の父親は、俺から背を向けて大きく嘆いた。
──どうしてこんなことになったのか、俺が聞きたいくらいだ。
彼の隣に立つ女性も、中国語でなにか喋っていた。たぶん、父親と同じようなことを言っている気がする。
暗い雰囲気の中、アカネは彼らの前に立ち尽くした。目元はすっかり腫れてしまい、メイクも落ちていた。
「あの……サエさんのお父さんとお母さんですよね?」
そのひとことに、二人は小さく頷く。
彼らに向かって、アカネは深く頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい……。あたしのせいで、サエさんが危険な目に遭ったんです……! 知らない女の人に襲われそうになっていたところを、サエさんがかばってくれて……。でも、そのせいでサエさんは──」
アカネの言葉に、俺は思わず眉間にしわを寄せた。
悪いのは刃物を持って襲おうとした奴に決まってる。これ以上アカネに責任を感じてほしくない。
俺が否定しようとしたその直前、彼女の母親が口を開いた。
「アナタ誰?」
ほんの少しカタコトの日本語だが、鋭い口調でアカネに問いかける。
「涵涵のお友だちですか?」
「いえ。あたしは……その。サエさんと同じ高校に通ってる杉本アカネです」
「わかりました。それじゃあ、アナタは誰?」
母親は、今度は俺に向かって問い出す。なんとなく、ピリピリした空気が流れた。
「俺も村崎高校です。イヴァン・ファーマーと言います。サエさんとはいつも仲良くさせてもらってます」
こんな形で彼女の両親と対面するとは思わなかったが、礼儀を忘れてはいけない。この場にいる全員が困惑している中でも、俺はしっかりと辞儀をした。
でも、返ってきたのは、なんとも冷たい言葉だったんだ。
「アナタ、娘と仲良くしているのですね。それは、やめてくれますか?」
「……え?」
ハッとして、俺は顔を上げる。
母親の冷たい眼差しが俺の心を凍らせた。
「娘は将来、上海の大学へ行きます。そのために、毎日勉強をしています」
「そのお話は彼女から聞きました」
「でしたらわかるでしょう? 娘の邪魔しないでください。あの子は勉強に集中するから、お友だちは必要ないです。ですから、あの子と仲良くするのはやめてください」
丁寧な話し方をしているつもりだろうが、言っていることは無茶苦茶だ。
ありえないだろ、そんなの。大学受験のために、彼女は友だちも作ってはならないのか。この母親、頭おかしいんじゃないのか?
父親は、何にも言わない。口を堅く結び、手術室の扉をじっと見つめているだけ。
こんな状況に、俺はなんだか怒りを覚えてしまう。
「すみませんが、それとこれとは話は別じゃないですか。たしかに勉強は大変だと思いますが、だからといって友だち関係にまで親御さんが口出しするのは間違ってますよ」
「はい? 間違っていません。娘は、上海交通大学を目指します。アナタが考えるより大変です。たくさん勉強をしないと、受からないんです。学歴は、この世界を生きていく上でとても重要なものですから」
──なんという学歴至上主義な母親なんだ。まったく価値観が合わない相手だと思った。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。バカみたいにしつこい男なんだからな、俺は。
「それは、彼女が望んでいることなんですか?」
「……なんですか?」
「彼女は友だち想いの人なんだ。心優しくて、他人にも手を差し伸べる勇敢な人。けど実はちょっと寂しがり屋なところがあって、友だちが必要ないなんて彼女は思っていない」
俺の話に、母親の顔が険しくなった。今まで手術室の方ばかり眺めていた父親も、こちらへ体を向けた。
「進路について俺がどうこう口出しできる立場じゃないし、彼女が上海の大学を目指しているのなら俺も応援したい。だけど、関わるなと言われたらそれすらできなくなってしまう。孤独の中で、ひたすら勉強することだけが彼女のためになりますかね? 彼女を縛らずに、離れたところから見守ってあげた方が親としてもいいと思いますけどね」
自分でも生意気な発言だと自覚している。
俺は彼女の家庭事情はよく知らないし、口出しもできない。でも。見るからにこの母親は考え方は偏っている。
許せなかった。完全に俺個人の気持ちの問題で。
しばらく黙り込んでいた父親が、両腕を組みながら俺に言う。
「……娘に、君みたいな友人がいたとはな」
ひとことだけ残すと、すぐにまた口を結び、体を背けた。彼の声色は、どことなく柔らかくなった気がした。
けれど、母親はいつまで経っても、鋭い目つきを俺に向けてくるんだ。
「なにがあったんだ。涵涵はどうなった!?」
涵涵……? どういう意味だろう。もしかして、彼女のことか?
取り乱している彼を前に、俺も動揺しそうになったが、どうにか声を絞り出す。
「サエさんは今、止血するための手術を受けています」
「刃物で襲われたと聞いたぞ!」
「そ、そうです……」
「なぜこんなことに……! どうしてうちの娘が……」
頭を抱える彼女の父親は、俺から背を向けて大きく嘆いた。
──どうしてこんなことになったのか、俺が聞きたいくらいだ。
彼の隣に立つ女性も、中国語でなにか喋っていた。たぶん、父親と同じようなことを言っている気がする。
暗い雰囲気の中、アカネは彼らの前に立ち尽くした。目元はすっかり腫れてしまい、メイクも落ちていた。
「あの……サエさんのお父さんとお母さんですよね?」
そのひとことに、二人は小さく頷く。
彼らに向かって、アカネは深く頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい……。あたしのせいで、サエさんが危険な目に遭ったんです……! 知らない女の人に襲われそうになっていたところを、サエさんがかばってくれて……。でも、そのせいでサエさんは──」
アカネの言葉に、俺は思わず眉間にしわを寄せた。
悪いのは刃物を持って襲おうとした奴に決まってる。これ以上アカネに責任を感じてほしくない。
俺が否定しようとしたその直前、彼女の母親が口を開いた。
「アナタ誰?」
ほんの少しカタコトの日本語だが、鋭い口調でアカネに問いかける。
「涵涵のお友だちですか?」
「いえ。あたしは……その。サエさんと同じ高校に通ってる杉本アカネです」
「わかりました。それじゃあ、アナタは誰?」
母親は、今度は俺に向かって問い出す。なんとなく、ピリピリした空気が流れた。
「俺も村崎高校です。イヴァン・ファーマーと言います。サエさんとはいつも仲良くさせてもらってます」
こんな形で彼女の両親と対面するとは思わなかったが、礼儀を忘れてはいけない。この場にいる全員が困惑している中でも、俺はしっかりと辞儀をした。
でも、返ってきたのは、なんとも冷たい言葉だったんだ。
「アナタ、娘と仲良くしているのですね。それは、やめてくれますか?」
「……え?」
ハッとして、俺は顔を上げる。
母親の冷たい眼差しが俺の心を凍らせた。
「娘は将来、上海の大学へ行きます。そのために、毎日勉強をしています」
「そのお話は彼女から聞きました」
「でしたらわかるでしょう? 娘の邪魔しないでください。あの子は勉強に集中するから、お友だちは必要ないです。ですから、あの子と仲良くするのはやめてください」
丁寧な話し方をしているつもりだろうが、言っていることは無茶苦茶だ。
ありえないだろ、そんなの。大学受験のために、彼女は友だちも作ってはならないのか。この母親、頭おかしいんじゃないのか?
父親は、何にも言わない。口を堅く結び、手術室の扉をじっと見つめているだけ。
こんな状況に、俺はなんだか怒りを覚えてしまう。
「すみませんが、それとこれとは話は別じゃないですか。たしかに勉強は大変だと思いますが、だからといって友だち関係にまで親御さんが口出しするのは間違ってますよ」
「はい? 間違っていません。娘は、上海交通大学を目指します。アナタが考えるより大変です。たくさん勉強をしないと、受からないんです。学歴は、この世界を生きていく上でとても重要なものですから」
──なんという学歴至上主義な母親なんだ。まったく価値観が合わない相手だと思った。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。バカみたいにしつこい男なんだからな、俺は。
「それは、彼女が望んでいることなんですか?」
「……なんですか?」
「彼女は友だち想いの人なんだ。心優しくて、他人にも手を差し伸べる勇敢な人。けど実はちょっと寂しがり屋なところがあって、友だちが必要ないなんて彼女は思っていない」
俺の話に、母親の顔が険しくなった。今まで手術室の方ばかり眺めていた父親も、こちらへ体を向けた。
「進路について俺がどうこう口出しできる立場じゃないし、彼女が上海の大学を目指しているのなら俺も応援したい。だけど、関わるなと言われたらそれすらできなくなってしまう。孤独の中で、ひたすら勉強することだけが彼女のためになりますかね? 彼女を縛らずに、離れたところから見守ってあげた方が親としてもいいと思いますけどね」
自分でも生意気な発言だと自覚している。
俺は彼女の家庭事情はよく知らないし、口出しもできない。でも。見るからにこの母親は考え方は偏っている。
許せなかった。完全に俺個人の気持ちの問題で。
しばらく黙り込んでいた父親が、両腕を組みながら俺に言う。
「……娘に、君みたいな友人がいたとはな」
ひとことだけ残すと、すぐにまた口を結び、体を背けた。彼の声色は、どことなく柔らかくなった気がした。
けれど、母親はいつまで経っても、鋭い目つきを俺に向けてくるんだ。