一人でも平気だという人は世の中にはいる。他人と関わるよりもよっぽど楽だという人が。
 けれど、彼女はそうじゃない。彼女の後ろ姿は、いつだって寂しいと叫んでいた。孤独と戦い続ける彼女は、闇の中から抜け出す方法を知らずもがいていたんだ。
 周りと違う部分があると、それだけで偏見を持たれることがある。差別を受けることがある。勘違いをされることがある。
 それは国籍や人種、見た目に限らない。性別や年齢、病気や障害、宗教など様々な場面で起こり得る話だ。
 俺もよく勘違いされるし、偏見を持たれる。
 解決策がなかなか見つからない難しい問題だ。
 彼女が経験した辛い出来事を考えると、どれだけ傷ついてきたか計り知れない。

 でもな──ひとつだけ言わせてほしい。なにひとつ彼女を、知らなかった俺だからこそ言えること。「高校二年生」の彼女の姿しか知らない俺だからこそ伝えたいことがあるんだ。

 彼女を抱きしめたまま、俺は耳元でそっと囁いた。

「俺の気持ちに、嘘はないよ」
「私の話を聞いたでしょ……?」
「ああ、聞いたよ」
「私と関わると、よくない。不幸になるわ。わからないの? 私は……」

 それ以上言わせないように、俺は更に抱きしめる力を強めた。
 どんな表情をしているか見えないが、彼女の耳が赤くなっている。
 もう、自分で自分を蔑まないでほしい。

「サエさんはなにか、勘違いしてないか?」
「……え?」
「生まれた場所のせいで、みんなに嫌われると思ってるのか?」
「……」

 彼女は言葉に詰まっているようだった。
 構わずに、俺は続ける。

「たしかに偏見を持つ奴とか、差別してくれる輩もいると思う。俺もそういう経験は死ぬほどしてきた。未だに周りの奴らのなんでもない言動に、敏感に反応して勝手に落ち込むことだってある。……でもさ、そんな俺の心の支えになってくれた人が現れたんだよ。玉木サエさんっていう、俺よりひとつ年上の人なんだけど」

 俺のひとことに、彼女の肩がぴくりと動いた。
 体は正直だ。本人には言えないが、可愛いなと密かに思う。

「出会って間もないのに、サエさんは言ってくれたよな。俺のことを『どこにでもいる普通の高校生』って。あれ、すごい嬉しかったんだ」
「それは……そうよ。特別なことなんて言ったつもりもない」
「いいや。俺にとっては超貴重な言葉だった」

 だから、言わせてもらうよ。俺の気持ちを、まっすぐに。

「俺にとっても、サエさんはどこにでもいる普通の女子高生だ。それどころか、魅力的な人と思ってる。いつもクールぶってるけど本当のサエさんは繊細で、寂しがり屋で、でも友だち想いで。他人にもさりげない優しさで手を差し伸べてくれる、素敵な女性だ」

 俺の想いは、止まらない。彼女にはいいところがたくさんあるから、自信を持ってほしいんだ。国籍だとか、出生地だとか、環境なんかで自分自身を決めないでほしい。

「イヴァンは……日本に来たばかりの頃の私を知らないからそんな風に言えるの」
「今のサエさんしか知らないからこそだよ。国籍関係なく、この国で生きるサエさんにも、いいところがいっぱいある。その魅力を知れば、他の奴らもどれだけサエさんが素敵な人かわかるはず。だから、あまり自分を下げたりしないで。人と関わりを持つのが怖くても、俺やリュウジさんみたいに、今のサエさんのいいところをちゃんと見てる人間もいる。それだけはわかってほしいんだ」
「……イヴァン」

 彼女は涙声になると、そっと俺の腕に手を伸ばした。
 細長い指先が俺の肌に触れると、なんともいえない安らぎを感じた。

「イヴァンは……私が『玉木サエ』じゃなくなっても、好きでいてくれるの?」
「当たり前だろ。キョウさん……だっけ? キョウさんがこれからどんな選択をしたとしても、俺の中ではこの先もずっとサエさんはサエさんのままだ」
「本当に……? 嫌いにならない……?」
「何回言わせる気だよ。そんなに信用ならないなら、態度で示すけど。いいのか?」

 俺の言葉に、彼女は無言になった。
 窓の外からは、変わらず雨音が鳴り響く。
 小さく頷くと、彼女はこちらに顔を向けた。頬は赤い薔薇のような色に染まり、とても美しい。おもむろに瞳を閉じると、じっと俺を待っていてくれた。

 ──これで、信じてくれるんだな。

 俺はゆっくりと、彼女の唇に自分の想いを重ねた。
 雨が降る昼下がり。俺と彼女は、初めて口づけを交わしたんだ。