──過去の経験から、彼女は人間不信になってしまった。
リュウジさんがそう確信したのは、高校に入学してからすぐのことだ。
「村高で、サエと同じ小中に通っていたのはオレだけだ。あいつをいじめてきた奴らと、やっと離れることができたんだよ。だからオレは、これでサエが苦しみから解放されると思った」
リュウジさんは、切ない瞳を俺に向ける。
「だけど、なぜかサエは高校に入ってからもろくに他人と関わろうとしなかった。サエを苦しめてきた奴らとは無関係なのに、あからさまな態度でみんなを避けていた。だから放課後、誰もいない教室で問いつめたんだ。なんでみんなと関わろうとしないのか、と」
少しの間を置いて、リュウジさんはゆっくりと続きの言葉を並べていく。
「そしたらあいつ、こう言ったんだよ。『他人と関わるのが怖い』って……」
そのひとことを聞いて、俺の心臓が低く唸り声を上げた。目の奥が熱くなって、寒気が走った。
「サエの心の傷はものすごく深いものになっちまった。他人を避けるだけじゃなく、オレとも距離を置こうとする。オレが関わろうとすればするほど、サエは嫌がるんだ。またオレがバカな奴らに傷つけられると心配してるんだろうな。だから何度も離れようとした。でも、離れらない。まさか高校も同じになるとは思わなかった。クラスもずっと同じ。近くにいるのに……オレじゃサエを守れないんだ」
彼は震えながらもそう語り紡いだ。
なんて悲しいきっかけなんだろう。
彼女は、日本の習慣を知らずに日本で暮らしはじめた。クラスメイトと理解し合えずに人間関係にひびが入り、やがて彼女は他人と関わることすら恐れるようになってしまった。
どれだけ辛い想いをしてきたのだろう。あの切ない後ろ姿は、彼女の苦悩の表れだったんだ。
「そんな事情があったなんて、全然知りませんでした……。俺はなんてことを……」
今までの行いを振り返ると、自分自身を殴りたくなるくらい後悔の念に駆られる。
なにも知らずに、俺は彼女に声をかけ続けていた。
しかも俺は「支えになりたい」と軽々しく彼女に言った。それすら彼女にとっては負担だったに違いない。
リュウジさんに正直に話そう。彼は赤裸々に事実を教えてくれたんだ。
「リュウジさんの言う通りです。俺は彼女に付きまとっていました。サエさんは俺の強引さに、断れなかっただけ。俺、こんなんだから……諦め悪いし、強情だし、周りが見えなくなる。意地を張って、サエさんと仲良くなりたいがために、リュウジさんの忠告を無視してサエさんに近づきました。そうしていたら、俺も彼女に言われてしまったんです。『関わるな』って。泣きながら彼女に突き放されたんですよ。だから俺も避けられているんです。連絡は繋がらないし、校内でも全然会えなくなりましたし……」
あの日を思い出しては、俺の胸が鋭い刃物に刺されたように痛くなる。
『お願いイヴァン。これ以上、私に構わないで──あなたのためなの』
彼女のあの言葉の意味を、俺はリュウジさんの話を聞いてやっと理解した。
俺がうつむき加減になると、リュウジさんは呆れた声で呟くんだ。
「これだからバカは嫌いなんだよ」
「……すみません」
「だがな、あいつがお前を避けているのは違うと思うぞ」
「どうしてそう言えるんです? こんなに会えないのはさすがにおかしいです」
「違う。そうじゃないんだ。サエは……学校に来てないんだよ」
「えっ」
「先週の月曜日から、めっきり来なくなっちまったんだ」
俺は、言葉を失った。
……まさか。彼女が学校に来ていないだって? 全然知らなかった。
「でもな、希望はある。独りぼっちのあいつを、お前は笑顔にしたんだよな?」
「……はい」
「それが嘘じゃないなら、諦めんなよ。いや、諦めないでほしい」
リュウジさんは力強い言葉を俺に向けた。
──俺だって、諦めたくはない。彼女の事情を知って、さらにその想いは強くなった。
だけど、どうすればいいんだ? 彼女は他人を拒絶する。彼女をなぶる人たちだけじゃなく、リュウジさんとの関わりも絶ってしまった。もう一度俺がしつこく関わろうとしても、また嫌がられるだけではないか?
なにかを思うように俺をじっと見つめると、リュウジさんは声を落としてこんなことを言った。
「下らない差別をサエは受けてきた。偏見で決めつけられてきた。……もしかすると、自分と似たような悩みを抱える相手に対して、あいつは共感したのかもしれないな」
「サエさんと、似たような悩み……」
話を聞いて、俺は彼女のあの言葉をふと思い出した。
『私たちは、同じ人間よ。──国籍や人種がどうであれ、同じ空の下で生きているの』
これは、俺が初めて自分の中に抱えた悩みを打ち明けたときに彼女が綴った言葉だ。
俺にとって、心の支えとなったもの。思い返せば、彼女自身が自分に言い聞かせている台詞だったのかもしれない。
俺になにができるのだろう。
彼女に会いたい気持ちが大きくなっていく。
俺ができることなど、なにもないかもしれない。だとしても、いいんだ。彼女に会って、ひとことでも話がしたい。
リュウジさんは急に真顔になって、俺の両肩にそっと手を添えてきた。眉を下げ、懇願するようにひとこと。
「無理を承知で言うが、どうか助けてほしい。あいつを……サエを笑顔にできるのはお前だけだ。そうだろ、イヴァン」
俺は、上手く返事をすることができなかった。その代わり、大きく、大袈裟に首を縦に振った。
リュウジさんがそう確信したのは、高校に入学してからすぐのことだ。
「村高で、サエと同じ小中に通っていたのはオレだけだ。あいつをいじめてきた奴らと、やっと離れることができたんだよ。だからオレは、これでサエが苦しみから解放されると思った」
リュウジさんは、切ない瞳を俺に向ける。
「だけど、なぜかサエは高校に入ってからもろくに他人と関わろうとしなかった。サエを苦しめてきた奴らとは無関係なのに、あからさまな態度でみんなを避けていた。だから放課後、誰もいない教室で問いつめたんだ。なんでみんなと関わろうとしないのか、と」
少しの間を置いて、リュウジさんはゆっくりと続きの言葉を並べていく。
「そしたらあいつ、こう言ったんだよ。『他人と関わるのが怖い』って……」
そのひとことを聞いて、俺の心臓が低く唸り声を上げた。目の奥が熱くなって、寒気が走った。
「サエの心の傷はものすごく深いものになっちまった。他人を避けるだけじゃなく、オレとも距離を置こうとする。オレが関わろうとすればするほど、サエは嫌がるんだ。またオレがバカな奴らに傷つけられると心配してるんだろうな。だから何度も離れようとした。でも、離れらない。まさか高校も同じになるとは思わなかった。クラスもずっと同じ。近くにいるのに……オレじゃサエを守れないんだ」
彼は震えながらもそう語り紡いだ。
なんて悲しいきっかけなんだろう。
彼女は、日本の習慣を知らずに日本で暮らしはじめた。クラスメイトと理解し合えずに人間関係にひびが入り、やがて彼女は他人と関わることすら恐れるようになってしまった。
どれだけ辛い想いをしてきたのだろう。あの切ない後ろ姿は、彼女の苦悩の表れだったんだ。
「そんな事情があったなんて、全然知りませんでした……。俺はなんてことを……」
今までの行いを振り返ると、自分自身を殴りたくなるくらい後悔の念に駆られる。
なにも知らずに、俺は彼女に声をかけ続けていた。
しかも俺は「支えになりたい」と軽々しく彼女に言った。それすら彼女にとっては負担だったに違いない。
リュウジさんに正直に話そう。彼は赤裸々に事実を教えてくれたんだ。
「リュウジさんの言う通りです。俺は彼女に付きまとっていました。サエさんは俺の強引さに、断れなかっただけ。俺、こんなんだから……諦め悪いし、強情だし、周りが見えなくなる。意地を張って、サエさんと仲良くなりたいがために、リュウジさんの忠告を無視してサエさんに近づきました。そうしていたら、俺も彼女に言われてしまったんです。『関わるな』って。泣きながら彼女に突き放されたんですよ。だから俺も避けられているんです。連絡は繋がらないし、校内でも全然会えなくなりましたし……」
あの日を思い出しては、俺の胸が鋭い刃物に刺されたように痛くなる。
『お願いイヴァン。これ以上、私に構わないで──あなたのためなの』
彼女のあの言葉の意味を、俺はリュウジさんの話を聞いてやっと理解した。
俺がうつむき加減になると、リュウジさんは呆れた声で呟くんだ。
「これだからバカは嫌いなんだよ」
「……すみません」
「だがな、あいつがお前を避けているのは違うと思うぞ」
「どうしてそう言えるんです? こんなに会えないのはさすがにおかしいです」
「違う。そうじゃないんだ。サエは……学校に来てないんだよ」
「えっ」
「先週の月曜日から、めっきり来なくなっちまったんだ」
俺は、言葉を失った。
……まさか。彼女が学校に来ていないだって? 全然知らなかった。
「でもな、希望はある。独りぼっちのあいつを、お前は笑顔にしたんだよな?」
「……はい」
「それが嘘じゃないなら、諦めんなよ。いや、諦めないでほしい」
リュウジさんは力強い言葉を俺に向けた。
──俺だって、諦めたくはない。彼女の事情を知って、さらにその想いは強くなった。
だけど、どうすればいいんだ? 彼女は他人を拒絶する。彼女をなぶる人たちだけじゃなく、リュウジさんとの関わりも絶ってしまった。もう一度俺がしつこく関わろうとしても、また嫌がられるだけではないか?
なにかを思うように俺をじっと見つめると、リュウジさんは声を落としてこんなことを言った。
「下らない差別をサエは受けてきた。偏見で決めつけられてきた。……もしかすると、自分と似たような悩みを抱える相手に対して、あいつは共感したのかもしれないな」
「サエさんと、似たような悩み……」
話を聞いて、俺は彼女のあの言葉をふと思い出した。
『私たちは、同じ人間よ。──国籍や人種がどうであれ、同じ空の下で生きているの』
これは、俺が初めて自分の中に抱えた悩みを打ち明けたときに彼女が綴った言葉だ。
俺にとって、心の支えとなったもの。思い返せば、彼女自身が自分に言い聞かせている台詞だったのかもしれない。
俺になにができるのだろう。
彼女に会いたい気持ちが大きくなっていく。
俺ができることなど、なにもないかもしれない。だとしても、いいんだ。彼女に会って、ひとことでも話がしたい。
リュウジさんは急に真顔になって、俺の両肩にそっと手を添えてきた。眉を下げ、懇願するようにひとこと。
「無理を承知で言うが、どうか助けてほしい。あいつを……サエを笑顔にできるのはお前だけだ。そうだろ、イヴァン」
俺は、上手く返事をすることができなかった。その代わり、大きく、大袈裟に首を縦に振った。