──彼女は、いじめられていた──
小学生のときから、今までずっと。
十歳まで中国で暮らしていた彼女は、来日当時から日本語は堪能だった。物事をはっきりと述べる性格で、クラスメイトだけではなく担任にも構わず指摘するほどだったそう。
そんな彼女は、移住してきてから最初のうちは日本の常識をあまり知らないようだった。日本の習慣や文化になかなか馴染めなかった彼女は、瞬く間に浮いた存在となってしまい、友人と呼べる相手が一人もできなかったんだ。
クラスメイトたちから徐々に避けられるようになり、無視され、そして仲間外れにされた。挙げ句の果てには、彼女本人に聞こえるような大声で悪口を言う輩まで出てきた。
『玉木サエはなにを考えているかわからない』
『迷惑な女。関わってはいけない』
『いつも澄ました顔して、いけ好かない』
彼女の人格を否定する言葉もたくさん飛び交ったのだそうだ。
どれだけ罵詈雑言を浴びせられても、彼女はいつも冷めたような表情を浮かべていた。まるで「気にしていない」と主張するように。
クラスが同じだったリュウジさんは、そんな彼女のことを少なからず気にかけていた。
中国から来た孤独な少女。本当に彼女は、周囲からの雑言を気にしていなかったのだろうか。
小六になったある日。リュウジさんは、独りで下校する彼女を偶然見かけた。その後ろ姿はあまりにも寂しそうで、あまりにも切なく見えた。いたたまれなくなった彼は、思い切って彼女に声をかけてみることにした。
『お前、いつもぼっちだよな。寂しくねえの?』
『仕方ないの。みんなは私のことが嫌いなんだから。……日本の人たちは、中国が嫌なんでしょ?』
リュウジさんは、彼女のこの言葉を否定した。国なんて関係ない。ただ生まれ育った場所が違えば、習慣や文化が違う。だから上手くみんなと馴染めていないだけ。郷に従えば、きっと日本の友だちもできるはず。
『だったら、あなたが友だちになってくれるの?』
もちろん、リュウジさんは彼女の言葉に頷いた。
無の表情を貫いていた彼女が、初めて笑った瞬間だった。
──しかし物事は、都合よく良い方向へ進んでくれることはなかなかない。
中学に入学し、彼女はますます苛められるようになった。上履きを隠されたり、教科書に落書きをされたり、ものを壊されたり、SNSで悪口を書かれたり。更にたちが悪いのは、テレビやSNS等で中国人がなにか問題行動を起こして炎上すると、なぜか彼女が責められるのだ。
『これだから中国人は』
『玉木も中国人の血が流れてるヤバい奴なんだろ』
『お前は日本人じゃない。日本から出ていけ』
とんだ風評被害だ。
聞くに耐えない卑猥な言葉もさんざん彼女は浴びせられてきたのだそう。
『どうして私が責められるの?』
本当の彼女は、悲しんでいた。気にしていないふりをしていただけ。心ない発言に傷ついていたんだ。
リュウジさんは、なにがあっても周りに流されることはなかった。むしろ、苛めてくる奴らから彼女を守ろうと心に決めた。
しかし、その決心は、リュウジさん自身をも傷つける結果となるんだ──
彼女を嫌う男子たちに、リュウジさんは目をつけられてしまった。
彼らが中学二年のときだった。同級生の五人の男子たちに学校の体育館裏に呼び出され、リュウジさんは殴る蹴るの暴力を振るわれた。
『なんであの女をかばうのか』
『やべぇ女を守ろうとするお前も同罪』
わけのわからないことを言われ、罵られ、何度も殴られた。
当時のリュウジさんは短身であり、体も鍛えていなかった。されるがまま反撃もできず、あばらに大怪我を負ってしまった。
このとき、彼はこう思ったそうだ。
『サエの痛みに比べたら、オレの痛みなんてどうってことない』
この怪我について、リュウジさんは「階段で足を踏み外して転落した」と両親や先生たちに嘘を吐いて誤魔化した。大ごとにしたくなかったがために、被害を隠し通したんだ。
しかし、彼女だけには嘘を吐けなかった。負傷したリュウジさんを見た彼女は、問いつめ、すぐに状況を把握した。
『私のせいで、あなたが傷つけられたのね』
大粒の涙を流し、彼に謝罪をする彼女は、声を震わせながらこう告げる。
『もう、私と関わらないで。あなたを巻きこみたくないの……』
──自分のせいで、あなたを危険な目に遭わせてしまった。
そう言って何度も何度も、彼女は謝り、彼に頭を下げる。
彼女のせいではない。悪いのは、彼女を差別的に見る愚かな奴らだ。
リュウジさんは強くそう言ったのだが、彼女が首を縦に振ることはなかった。
『大事な人を巻きこみたくない』
『傷つけたくない』
『自分だけが我慢すればいい』
これは彼女の願い。優しい心を持つ彼女だからこその、悲しみの叫び声だった。
リュウジさんは彼女の考えに、納得もしていないし賛成もしていない。
だからこそ、心に決めたことがある。
今後、彼女と関わるのはやめよう。そして、陰ながらに彼女を守り続けようと。
それには自分自身が強くなければ叶わない。心も体も、強く強く。
それにより、リュウジさんは身体を鍛えはじめた。柔道もはじめた。
強くなれば、彼女を守れる。彼女を傷つける奴がいれば、自分が圧をかけて忠告をする。決して手を上げないが、威圧的にしていれば、大抵の奴らは黙るようになった。
しかし、それでは根本的な解決策にはならなかったんだ。
小学生のときから、今までずっと。
十歳まで中国で暮らしていた彼女は、来日当時から日本語は堪能だった。物事をはっきりと述べる性格で、クラスメイトだけではなく担任にも構わず指摘するほどだったそう。
そんな彼女は、移住してきてから最初のうちは日本の常識をあまり知らないようだった。日本の習慣や文化になかなか馴染めなかった彼女は、瞬く間に浮いた存在となってしまい、友人と呼べる相手が一人もできなかったんだ。
クラスメイトたちから徐々に避けられるようになり、無視され、そして仲間外れにされた。挙げ句の果てには、彼女本人に聞こえるような大声で悪口を言う輩まで出てきた。
『玉木サエはなにを考えているかわからない』
『迷惑な女。関わってはいけない』
『いつも澄ました顔して、いけ好かない』
彼女の人格を否定する言葉もたくさん飛び交ったのだそうだ。
どれだけ罵詈雑言を浴びせられても、彼女はいつも冷めたような表情を浮かべていた。まるで「気にしていない」と主張するように。
クラスが同じだったリュウジさんは、そんな彼女のことを少なからず気にかけていた。
中国から来た孤独な少女。本当に彼女は、周囲からの雑言を気にしていなかったのだろうか。
小六になったある日。リュウジさんは、独りで下校する彼女を偶然見かけた。その後ろ姿はあまりにも寂しそうで、あまりにも切なく見えた。いたたまれなくなった彼は、思い切って彼女に声をかけてみることにした。
『お前、いつもぼっちだよな。寂しくねえの?』
『仕方ないの。みんなは私のことが嫌いなんだから。……日本の人たちは、中国が嫌なんでしょ?』
リュウジさんは、彼女のこの言葉を否定した。国なんて関係ない。ただ生まれ育った場所が違えば、習慣や文化が違う。だから上手くみんなと馴染めていないだけ。郷に従えば、きっと日本の友だちもできるはず。
『だったら、あなたが友だちになってくれるの?』
もちろん、リュウジさんは彼女の言葉に頷いた。
無の表情を貫いていた彼女が、初めて笑った瞬間だった。
──しかし物事は、都合よく良い方向へ進んでくれることはなかなかない。
中学に入学し、彼女はますます苛められるようになった。上履きを隠されたり、教科書に落書きをされたり、ものを壊されたり、SNSで悪口を書かれたり。更にたちが悪いのは、テレビやSNS等で中国人がなにか問題行動を起こして炎上すると、なぜか彼女が責められるのだ。
『これだから中国人は』
『玉木も中国人の血が流れてるヤバい奴なんだろ』
『お前は日本人じゃない。日本から出ていけ』
とんだ風評被害だ。
聞くに耐えない卑猥な言葉もさんざん彼女は浴びせられてきたのだそう。
『どうして私が責められるの?』
本当の彼女は、悲しんでいた。気にしていないふりをしていただけ。心ない発言に傷ついていたんだ。
リュウジさんは、なにがあっても周りに流されることはなかった。むしろ、苛めてくる奴らから彼女を守ろうと心に決めた。
しかし、その決心は、リュウジさん自身をも傷つける結果となるんだ──
彼女を嫌う男子たちに、リュウジさんは目をつけられてしまった。
彼らが中学二年のときだった。同級生の五人の男子たちに学校の体育館裏に呼び出され、リュウジさんは殴る蹴るの暴力を振るわれた。
『なんであの女をかばうのか』
『やべぇ女を守ろうとするお前も同罪』
わけのわからないことを言われ、罵られ、何度も殴られた。
当時のリュウジさんは短身であり、体も鍛えていなかった。されるがまま反撃もできず、あばらに大怪我を負ってしまった。
このとき、彼はこう思ったそうだ。
『サエの痛みに比べたら、オレの痛みなんてどうってことない』
この怪我について、リュウジさんは「階段で足を踏み外して転落した」と両親や先生たちに嘘を吐いて誤魔化した。大ごとにしたくなかったがために、被害を隠し通したんだ。
しかし、彼女だけには嘘を吐けなかった。負傷したリュウジさんを見た彼女は、問いつめ、すぐに状況を把握した。
『私のせいで、あなたが傷つけられたのね』
大粒の涙を流し、彼に謝罪をする彼女は、声を震わせながらこう告げる。
『もう、私と関わらないで。あなたを巻きこみたくないの……』
──自分のせいで、あなたを危険な目に遭わせてしまった。
そう言って何度も何度も、彼女は謝り、彼に頭を下げる。
彼女のせいではない。悪いのは、彼女を差別的に見る愚かな奴らだ。
リュウジさんは強くそう言ったのだが、彼女が首を縦に振ることはなかった。
『大事な人を巻きこみたくない』
『傷つけたくない』
『自分だけが我慢すればいい』
これは彼女の願い。優しい心を持つ彼女だからこその、悲しみの叫び声だった。
リュウジさんは彼女の考えに、納得もしていないし賛成もしていない。
だからこそ、心に決めたことがある。
今後、彼女と関わるのはやめよう。そして、陰ながらに彼女を守り続けようと。
それには自分自身が強くなければ叶わない。心も体も、強く強く。
それにより、リュウジさんは身体を鍛えはじめた。柔道もはじめた。
強くなれば、彼女を守れる。彼女を傷つける奴がいれば、自分が圧をかけて忠告をする。決して手を上げないが、威圧的にしていれば、大抵の奴らは黙るようになった。
しかし、それでは根本的な解決策にはならなかったんだ。