……やっべ。とうとうクレームを入れられてしまうのか。
ちょっと、どんだけ時間かかってんのよ。私はね、絶妙な甘さが美味しくて見た目も美しいマニーフラッペを早く飲みたいの。チンタラしてんじゃないわよ。白人ならとっとと英語で対応しなさいファックユー! とか、禁止用語を織り交ぜながら怒鳴られてしまうのか……!?
思わず身構える。
だが、俺のこんなアホみたいな心配とは裏腹に、彼女は男性客の隣に立って口を開いた。
「大哥,你需要帮忙吗」
ん……?
彼女、いま、中国語を喋ったか?
「你要低咖啡因拿铁,是吗」
状況がいまいち理解できていない俺をよそに、彼女は流暢な中国語でお客さんと話しだした。
なにを言ってるのかさっぱりだ。もはや宇宙語に聞こえる。
俺がカウンター越しで茫然としていると、彼女がパッとこちらに顔を向けた。
「このお客さん、カフェインレスのホットラテがほしいんですって」
「えっ」
俺は一瞬、言葉が出てこなかった。
たった一秒前まで早口で中国語を話していた彼女が、いきなり日本語を口にしている。それも、とても綺麗な発音で。
この人は中国語が喋れる日本人なのか。いや……それとも日本語が話せる中国人?
まあ、そんなことはどうでもいいか。
とにかく、彼女はこのピンチから俺を救おうとしてくれているようだ。なんて、ありがたいんだろう。
彼女は肩をすくめ、眉を潜める。
「なにボーッとしてるのよ。さっさとこのお客さんにラテを用意してあげたら?」
彼女の言葉にハッとした。
「あ……申し訳ありません。カフェインレスのホットラテですね、ただ今ご用意します」
テンパるのは一旦やめだ。
俺はラテを丁寧に、なおかつ超特急でカップに注いだ。
「お待たせしました。こちら、カフェインレスのホットラテです」
どうにかこうにか会計を済ませ、無事にお客さんに商品をお渡しできた。満足そうな顔をして、彼は店内から去っていく。
よかった。要求に応えられて……。
安堵しながらも俺は、中国語で助けてくれた彼女に向かって深く頭を下げる。
「ありがとうございました。助けていただいて」
「別に。早く注文したかっただけだから。顔上げて」
そう言われ、俺はゆっくりと面を上げる。
──このとき、改めて彼女の顔をはっきりと見た。
よく手入れされた長めのショートボブは、艶のある黒色がとても印象的だった。こちらを見つめるブラウンの瞳は大きくて、どこか冷めたような表情を浮かべている。
やっぱり。間違いない。
先日、学校の屋上で会ったあの彼女だ。
彼女が生きている。その事実だけで、俺は安心した。
「君はあの日の」
と俺が問いかけようとすると、彼女は大きく首を横に振った。
「新商品って今日からよね?」
「えっ」
「注目。していい?」
「は……はい」
彼女はメニュー表を眺め、俺の目を一切見ない。まるで「他人」と接しているように。
まさか、忘れられているわけじゃないよな?
深く訊きたかったが、あくまでも今はバイト中だ。お客さんとして来店している彼女に対して、下手なことはできない。
仕方がない。俺はマニーカフェの店員として接客を続ける。
「お待たせしてしまい、すみませんでした。新商品のチョコレートチップ抹茶フラッペでよろしいですか」
「ええ。Sサイズをちょうだい」
「かしこまりました。ただ今お作りいたします」
会計を済ませ、俺はドリンク作りを開始した。
抹茶ミルクとホワイトクリームをカップに注ぎ、丁寧にチョコチップを載せていく。
ただ機械的に入れるだけではダメだ。マニーカフェのドリンクは見た目も大事。美しく、色鮮やかに作らなければならない。
……と、関さんから教わった。
全身全霊で商品を作り終え、俺はそっと彼女にカップを差し出した。
「お待たせしました。期間限定販売のチョコレートチップ抹茶フラッペです」
彼女は商品を眺めながら、ふっと微笑んだ。
「すごく綺麗ね」
「ありがとうございます。ほろ苦い抹茶の味とホワイトクリームの甘さがほどよくマッチしていて、すごく美味しいんですよ」
「そう。味わっていただくわ」
「ぜひ! ごゆっくりどうぞ」
フラッペを片手に、彼女は客席へ歩いていった。カウンターから背を向ける形で窓際の席に座る。
なにかの参考書を開き、どうやら勉強するらしい。
──と、俺が彼女のことを気にしている、そんなときだった。
背後から、殺気が漂ってきた。恐る恐る、振り返ってみる。
案の定と言うべきか。やはり睨まれていた。
……恐怖の先輩、関さんに!
『おいてめぇ、お客さんにはもっと丁寧に接客しやがれ!』
と言いたげな目をしているじゃないか。
関さんの鬼の形相を見ただけで俺は息が止まりそうになる。焦りつつアイコンタクトで返事をした。
『いやいや、関さん。あれでも丁重にもてなしたつもりなんですよ』
『つもりになってるんじゃねぇ! 日本語が通じない客でもなんでも、公平に対応しやがれ!』
マジで関さんはおっかない。さすがバイトリーダー。俺みたいなぺーぺーにだって容赦しないんだ。
ここのマニーカフェは海外から来たお客さんが多い。
ただでさえ俺は「白人」だ。ネームプレートにはファーマーと記名もされている。みんながみんな俺を見るなり、英語で対応してくれるものだという前提で話しかけてくるんだ。
俺は無理だよ、英語での対応なんて。心や習慣、言語は日本人なんだ。見た目と血統だけがイギリス人というだけだからな。
それにしても、中国語で助けてくれた彼女は凄かった。日本語も普通に話していた。留学経験があるのか、それともバイリンガルなのか。
マニーカフェの店員である俺が、お客さんに対して私情を聞き出すなんてことはできない。それでも、つい考え込んでしまった。
しかし俺が帰る頃、気になる彼女はとっくに店から姿を消していた。
いつかまた、店に来てくれるのだろうか。
ちょっと、どんだけ時間かかってんのよ。私はね、絶妙な甘さが美味しくて見た目も美しいマニーフラッペを早く飲みたいの。チンタラしてんじゃないわよ。白人ならとっとと英語で対応しなさいファックユー! とか、禁止用語を織り交ぜながら怒鳴られてしまうのか……!?
思わず身構える。
だが、俺のこんなアホみたいな心配とは裏腹に、彼女は男性客の隣に立って口を開いた。
「大哥,你需要帮忙吗」
ん……?
彼女、いま、中国語を喋ったか?
「你要低咖啡因拿铁,是吗」
状況がいまいち理解できていない俺をよそに、彼女は流暢な中国語でお客さんと話しだした。
なにを言ってるのかさっぱりだ。もはや宇宙語に聞こえる。
俺がカウンター越しで茫然としていると、彼女がパッとこちらに顔を向けた。
「このお客さん、カフェインレスのホットラテがほしいんですって」
「えっ」
俺は一瞬、言葉が出てこなかった。
たった一秒前まで早口で中国語を話していた彼女が、いきなり日本語を口にしている。それも、とても綺麗な発音で。
この人は中国語が喋れる日本人なのか。いや……それとも日本語が話せる中国人?
まあ、そんなことはどうでもいいか。
とにかく、彼女はこのピンチから俺を救おうとしてくれているようだ。なんて、ありがたいんだろう。
彼女は肩をすくめ、眉を潜める。
「なにボーッとしてるのよ。さっさとこのお客さんにラテを用意してあげたら?」
彼女の言葉にハッとした。
「あ……申し訳ありません。カフェインレスのホットラテですね、ただ今ご用意します」
テンパるのは一旦やめだ。
俺はラテを丁寧に、なおかつ超特急でカップに注いだ。
「お待たせしました。こちら、カフェインレスのホットラテです」
どうにかこうにか会計を済ませ、無事にお客さんに商品をお渡しできた。満足そうな顔をして、彼は店内から去っていく。
よかった。要求に応えられて……。
安堵しながらも俺は、中国語で助けてくれた彼女に向かって深く頭を下げる。
「ありがとうございました。助けていただいて」
「別に。早く注文したかっただけだから。顔上げて」
そう言われ、俺はゆっくりと面を上げる。
──このとき、改めて彼女の顔をはっきりと見た。
よく手入れされた長めのショートボブは、艶のある黒色がとても印象的だった。こちらを見つめるブラウンの瞳は大きくて、どこか冷めたような表情を浮かべている。
やっぱり。間違いない。
先日、学校の屋上で会ったあの彼女だ。
彼女が生きている。その事実だけで、俺は安心した。
「君はあの日の」
と俺が問いかけようとすると、彼女は大きく首を横に振った。
「新商品って今日からよね?」
「えっ」
「注目。していい?」
「は……はい」
彼女はメニュー表を眺め、俺の目を一切見ない。まるで「他人」と接しているように。
まさか、忘れられているわけじゃないよな?
深く訊きたかったが、あくまでも今はバイト中だ。お客さんとして来店している彼女に対して、下手なことはできない。
仕方がない。俺はマニーカフェの店員として接客を続ける。
「お待たせしてしまい、すみませんでした。新商品のチョコレートチップ抹茶フラッペでよろしいですか」
「ええ。Sサイズをちょうだい」
「かしこまりました。ただ今お作りいたします」
会計を済ませ、俺はドリンク作りを開始した。
抹茶ミルクとホワイトクリームをカップに注ぎ、丁寧にチョコチップを載せていく。
ただ機械的に入れるだけではダメだ。マニーカフェのドリンクは見た目も大事。美しく、色鮮やかに作らなければならない。
……と、関さんから教わった。
全身全霊で商品を作り終え、俺はそっと彼女にカップを差し出した。
「お待たせしました。期間限定販売のチョコレートチップ抹茶フラッペです」
彼女は商品を眺めながら、ふっと微笑んだ。
「すごく綺麗ね」
「ありがとうございます。ほろ苦い抹茶の味とホワイトクリームの甘さがほどよくマッチしていて、すごく美味しいんですよ」
「そう。味わっていただくわ」
「ぜひ! ごゆっくりどうぞ」
フラッペを片手に、彼女は客席へ歩いていった。カウンターから背を向ける形で窓際の席に座る。
なにかの参考書を開き、どうやら勉強するらしい。
──と、俺が彼女のことを気にしている、そんなときだった。
背後から、殺気が漂ってきた。恐る恐る、振り返ってみる。
案の定と言うべきか。やはり睨まれていた。
……恐怖の先輩、関さんに!
『おいてめぇ、お客さんにはもっと丁寧に接客しやがれ!』
と言いたげな目をしているじゃないか。
関さんの鬼の形相を見ただけで俺は息が止まりそうになる。焦りつつアイコンタクトで返事をした。
『いやいや、関さん。あれでも丁重にもてなしたつもりなんですよ』
『つもりになってるんじゃねぇ! 日本語が通じない客でもなんでも、公平に対応しやがれ!』
マジで関さんはおっかない。さすがバイトリーダー。俺みたいなぺーぺーにだって容赦しないんだ。
ここのマニーカフェは海外から来たお客さんが多い。
ただでさえ俺は「白人」だ。ネームプレートにはファーマーと記名もされている。みんながみんな俺を見るなり、英語で対応してくれるものだという前提で話しかけてくるんだ。
俺は無理だよ、英語での対応なんて。心や習慣、言語は日本人なんだ。見た目と血統だけがイギリス人というだけだからな。
それにしても、中国語で助けてくれた彼女は凄かった。日本語も普通に話していた。留学経験があるのか、それともバイリンガルなのか。
マニーカフェの店員である俺が、お客さんに対して私情を聞き出すなんてことはできない。それでも、つい考え込んでしまった。
しかし俺が帰る頃、気になる彼女はとっくに店から姿を消していた。
いつかまた、店に来てくれるのだろうか。