教室へ戻り、朝のホームルームがはじまった。出欠確認を取った後、担任がなにか連絡事項を話し出す。
 だが、俺の意識はほぼ窓の外へ向いてしまった。

 しとしと降り注ぐ雨の向こうに、二年の棟が見える。さっき、二年の女子たちが言っていた言葉がよぎった。

『信じらんない。あの子、イケメンとは仲良くするんだー』
『意外と面食いなんだね。超笑えるんだけど』
『友だちいないくせに──』

 明らかに悪意のある言い草だった。彼女はよくあるいざこざだと説明していたが、どうにも気になってしまう。
 彼女は、人間関係で悩んでいるのだろうか。だから春先で出会ったあの日、彼女は屋上でよからぬことをしようとしていたのだろうか。

 いや……。俺がそんなことを考えたところでなにになる?

 窓の景色を眺めるのをやめた。気にしていても仕方がない。
 俺は、教壇に立つ担任に無理やりにでも意識を向けた。

「──というわけで皆さん、夜遅くに出歩くのはなるべく控えるようにしてくださいね」
 
 先生は、妙に真剣な口調で注意を促していた。
 ……うん?
 なんの話をしてたんだ? 全然聞いていなかった。
 なぜかクラスのみんなはざわついているし。
 よくわからないまま、ホームルームは終わってしまった。
 まあいいか。どうせ大した話じゃないだろうし。

 一時間目は理科だ。教室を移動しなければならない。
 教科書などの準備を俺がしていると──

「イヴァンくん」

 アカネがさっと俺の前に現れ、顔を覗き込んできた。じっとこっちを見ながら、小首を傾げる。

「ねえ、どうしたの?」
「なにが?」
「朝からボーッとしてるんだもん」

 バレていたか。さすがアカネだよな。すぐに見透かされる。
 でも、彼女の件で俺があれこれ考えていたなんてことは話せない。

 俺は大きく横を振った。

「さあ? いつも通りだよ」
「えー。ほんとー?」

 アカネは訝しげな顔をした。

 流れで一緒に理科室へ行くことになり、二人で教室を出る。その間もアカネは「最近、イヴァンくんちょっと雰囲気変わったよね」「爽やかになったというか」「と思ったらなにか考えこんでるときもあるし」なんてあれこれ言及してきた。
 俺は否定も肯定もせず、ひたすら誤魔化すのみ。
 アカネには申し訳ないが、どうしても彼女とのことを話すわけにはいけないんだ。

 話しながら二年の棟へ向かった。理科室は二年の棟の四階にある。
 階段に差し掛かり、二人で上り始めた。
 三階へ上がる途中、上階から二年生の女子たちがぞろぞろと下ってきた。
 その中に紛れていた一人と、ふと目が合う。瞬間、俺は思わず声を上げた。

「サエさん!」 

 多少驚いた表情をされたが、すぐに彼女の頬が緩む。決して声には出さないが、俺に向かってこう訴えてきた。

『ちょっと。声が大きいわ。校内ではあまり関わらないでって言ったでしょ?』

 もう口の動きだけで、彼女の言いたいことがわかるんだ。
 俺も無音の返事をした。

『ごめん、つい』
『次は気をつけてね』
『はい』

 すれ違う僅かな時間で、俺たちはたしかにそう会話を交わした。アイコンタクトで手を振り合い、無言で通り過ぎていく。

 ──その際、彼女の後ろを歩いていた数人の女子たちが、コソコソとなにか話をしていたようだが、内容はよく聞き取れなかった。チラチラとこっちを見てきて、なんだか失礼な人たちだな、と思う。

 いちいち構っていられない。
 
 彼女の姿が見えなくなったとき、アカネが俺の前に立ち塞がった。

「イヴァンくん」
「ん?」
「……そういうことなの?」

 やり取りの一部始終を見ていたであろうアカネは、奇異の眼差しを向けてくる。

「やっぱり、あのサエって人となにかあったんだね! あたしの知らないところで女の人と逢い引きしちゃって、隅に置けないわぁ」
「い、いや、そういうわけじゃない」
「嘘! 思いっきり二人だけの世界に入ってたじゃん!」

 どんなに問いつめられても、俺は絶対に頷かない。 
 だって、彼女にどうしても俺と親しくしているのを周囲に知られたくないと言われてしまったから。

 彼女と交わした約束が、瞬く間に頭の中でよみがえる──