立ち尽くす俺を横目に、リュウジと呼ばれた黒帯の男は仲間たちと共にその場から去っていく。
黒帯の彼と、彼女がどんな間柄なのかは知らない。彼は当然のように彼女のことを「サエ」と呼んだ。ただの他人ではないのは明白だった。
「はぁ」
どうにも、やるせない気持ちになる。
……やはり、来ない方がよかったな。
肩を落とし、俺は来た道に体を向けた。
すると──廊下の端の方で三人の女子たちが立つ姿が目に映る。こちらを見ているようだが、俺はその人たちとは面識がなかった。
パッと目が合うと、唐突に女子たちは高い声でキャーキャー騒ぎ出す。
なんなんだよ……
面倒なので、すぐさま通り過ぎようとした。だが、女子たちに道を塞がれてしまう。
「ねえねえ、君」
「見ない顔だね」
「何組なのー?」
……マジかよ、絡んできやがった。適当に返事をしてあしらうしかない。
「一年一組です」
「へぇー! 一年生なんだ。すっごいイケメン!」
「日本人じゃないよね?」
「赤髪なんて珍しい~。どこの国の人なのー?」
彼女たちの言葉に、俺は息が止まりそうになった。
この人たちに悪気がないのはわかっている。わかってはいるんだが、少しは遠慮してほしい。大抵の人たちは、俺の容姿などについてはっきりと疑問や感想をぶつけてくることはない。無関心な人だって少なからずいる。
どちらにしても、いち個人として接してくれたら嬉しいんだが。俺を「どこにでもいる普通の高校生」として見てほしい。
今の俺は顔が引きつっているだろう。
「……国籍は、イギリスです」
「そうなんだ! 紳士じゃん!」
「何年くらい日本で暮らしてるの?」
「今度、英語教えてよ!」
はい、出た。英語を教えろだって。似たようなやり取りは、今まで何度かした経験はある。それなのに一切慣れはしない。
決めつけは、やめてくれ。俺はイギリス人だけどそうじゃない。中身は日本人だ。
違うか?
「わかんねえ」
心ともなく、呟いた。
俺の言葉に、女子たちは首をかしげる。
「俺は、生まれてからずっと日本に住んでいる。だから、日本人だ」
「えっ?」
女子たちは困惑したような顔になる。
なんだよ。その反応は。俺、なにかおかしなこと言ったか?
肌は白いし、目は青いし、髪は赤い。たしかに見た目はイギリス人そのものだ。だけど、心は違う。
面倒くさい奴だと思うだろ? ああ、自分でもそう思うさ。
俺は俺がわからない。イギリス人なのか、日本人なのか。
日本に住み続けていても、「外国人」として扱われる。
だが、イギリスに帰省したときは、俺の話しかたや仕草や赤髪を見てバカにしてくる輩がいる。イギリス人だと認めてもえらないんだ。
うんざりだった。
今にも悔しさが溢れそうになった。無意識のうちに、拳を強く握り締める。
たぶん、この感情は「怒り」とか「苛立ち」なんだと思う。
「あれ? ど、どうしたの」
「大丈夫……?」
女子たちは、困ったように俺をじろじろ見てきた。
もう、俺に構わないでくれ。
ただならぬ空気を感じ取ったのだろう、登校してきた他の二年生たちがざわつきはじめた。
この状況に、俺に絡んできた女子たちは「あたしたちのせいじゃないよ」「一年生をいじめてるわけじゃないの」「なんか、急に泣き出して」などと弁解している。
やめろよ。俺は泣いてるわけじゃないんだが。
立ち塞がる女子たちの間を無理やりすり抜け、俺は早歩きで廊下の奥を目指した。
その先で、ひとつの人陰が現れる。
どうせ俺たちのやり取りを見ていた野次馬だろ? 相手の顔も確認せず、避けようとしたのだが──
「イヴァン?」
名を呼ばれた。聞き覚えのある、澄んだ声だった。
瞬間、俺の心臓が飛び跳ねる。たった数秒前まで沈んでいた心が、谷の底から這い上がるように高鳴るんだ。
──俺の目の前には、昨日と変わらない様子の彼女が立っていた。呆れたような、冷めたような表情でこちらを見ている。
「酷い顔ね。あなたらしくない」
ひとことだけ言って、彼女は俺の横を通り過ぎようとする。
待ってくれ。
咄嗟に俺は、彼女の腕を掴んでしまった。
怪訝な表情を浮かべ、彼女は低い声を出す。
「……なに?」
「サエさんに会いに来たんだ」
俺たちの様子を眺めていた女子たちは、驚いたような声で「玉木さんの知り合いなの?」「二人ってどういう関係?」などと話している。
ああ……まずいな。この状況は、あまりよくない。
焦った俺は、彼女の腕を素早く手放した。
「ご、ごめん。つい」
「……こっちに来て」
ぽつりと呟き、彼女はスタスタとこの場から離れていく。
動転しながらも俺は慌てて彼女の後を追った。
この去り際の出来事だ。三人の女子たちが、ヒソヒソと喋っているのが俺の耳に届いてきた。
──えー? 信じらんない。あの子、イケメンとは仲良くするんだー。意外と面食いなんだね。超笑えるんだけど。友だちいないくせに──
微かに、そんな会話が聞こえてきた。
思わず足を止め、俺は女子たちを睨みつけた。しかし女たちは顔を背け、そそくさとその場から立ち去ってしまう。
待てよ。今のは一体、どういうことだ。
言いようのない不安感が、俺の胸を締めつける。動悸がして、とても苦しい。
たった今起きた出来事を、頭の中で必死に否定しようとした。遠くまで行ってしまった彼女の背中を目にして、俺は息を呑んだ。
なんて、憂いを帯びた後ろ姿なのだろう。
黒帯の彼と、彼女がどんな間柄なのかは知らない。彼は当然のように彼女のことを「サエ」と呼んだ。ただの他人ではないのは明白だった。
「はぁ」
どうにも、やるせない気持ちになる。
……やはり、来ない方がよかったな。
肩を落とし、俺は来た道に体を向けた。
すると──廊下の端の方で三人の女子たちが立つ姿が目に映る。こちらを見ているようだが、俺はその人たちとは面識がなかった。
パッと目が合うと、唐突に女子たちは高い声でキャーキャー騒ぎ出す。
なんなんだよ……
面倒なので、すぐさま通り過ぎようとした。だが、女子たちに道を塞がれてしまう。
「ねえねえ、君」
「見ない顔だね」
「何組なのー?」
……マジかよ、絡んできやがった。適当に返事をしてあしらうしかない。
「一年一組です」
「へぇー! 一年生なんだ。すっごいイケメン!」
「日本人じゃないよね?」
「赤髪なんて珍しい~。どこの国の人なのー?」
彼女たちの言葉に、俺は息が止まりそうになった。
この人たちに悪気がないのはわかっている。わかってはいるんだが、少しは遠慮してほしい。大抵の人たちは、俺の容姿などについてはっきりと疑問や感想をぶつけてくることはない。無関心な人だって少なからずいる。
どちらにしても、いち個人として接してくれたら嬉しいんだが。俺を「どこにでもいる普通の高校生」として見てほしい。
今の俺は顔が引きつっているだろう。
「……国籍は、イギリスです」
「そうなんだ! 紳士じゃん!」
「何年くらい日本で暮らしてるの?」
「今度、英語教えてよ!」
はい、出た。英語を教えろだって。似たようなやり取りは、今まで何度かした経験はある。それなのに一切慣れはしない。
決めつけは、やめてくれ。俺はイギリス人だけどそうじゃない。中身は日本人だ。
違うか?
「わかんねえ」
心ともなく、呟いた。
俺の言葉に、女子たちは首をかしげる。
「俺は、生まれてからずっと日本に住んでいる。だから、日本人だ」
「えっ?」
女子たちは困惑したような顔になる。
なんだよ。その反応は。俺、なにかおかしなこと言ったか?
肌は白いし、目は青いし、髪は赤い。たしかに見た目はイギリス人そのものだ。だけど、心は違う。
面倒くさい奴だと思うだろ? ああ、自分でもそう思うさ。
俺は俺がわからない。イギリス人なのか、日本人なのか。
日本に住み続けていても、「外国人」として扱われる。
だが、イギリスに帰省したときは、俺の話しかたや仕草や赤髪を見てバカにしてくる輩がいる。イギリス人だと認めてもえらないんだ。
うんざりだった。
今にも悔しさが溢れそうになった。無意識のうちに、拳を強く握り締める。
たぶん、この感情は「怒り」とか「苛立ち」なんだと思う。
「あれ? ど、どうしたの」
「大丈夫……?」
女子たちは、困ったように俺をじろじろ見てきた。
もう、俺に構わないでくれ。
ただならぬ空気を感じ取ったのだろう、登校してきた他の二年生たちがざわつきはじめた。
この状況に、俺に絡んできた女子たちは「あたしたちのせいじゃないよ」「一年生をいじめてるわけじゃないの」「なんか、急に泣き出して」などと弁解している。
やめろよ。俺は泣いてるわけじゃないんだが。
立ち塞がる女子たちの間を無理やりすり抜け、俺は早歩きで廊下の奥を目指した。
その先で、ひとつの人陰が現れる。
どうせ俺たちのやり取りを見ていた野次馬だろ? 相手の顔も確認せず、避けようとしたのだが──
「イヴァン?」
名を呼ばれた。聞き覚えのある、澄んだ声だった。
瞬間、俺の心臓が飛び跳ねる。たった数秒前まで沈んでいた心が、谷の底から這い上がるように高鳴るんだ。
──俺の目の前には、昨日と変わらない様子の彼女が立っていた。呆れたような、冷めたような表情でこちらを見ている。
「酷い顔ね。あなたらしくない」
ひとことだけ言って、彼女は俺の横を通り過ぎようとする。
待ってくれ。
咄嗟に俺は、彼女の腕を掴んでしまった。
怪訝な表情を浮かべ、彼女は低い声を出す。
「……なに?」
「サエさんに会いに来たんだ」
俺たちの様子を眺めていた女子たちは、驚いたような声で「玉木さんの知り合いなの?」「二人ってどういう関係?」などと話している。
ああ……まずいな。この状況は、あまりよくない。
焦った俺は、彼女の腕を素早く手放した。
「ご、ごめん。つい」
「……こっちに来て」
ぽつりと呟き、彼女はスタスタとこの場から離れていく。
動転しながらも俺は慌てて彼女の後を追った。
この去り際の出来事だ。三人の女子たちが、ヒソヒソと喋っているのが俺の耳に届いてきた。
──えー? 信じらんない。あの子、イケメンとは仲良くするんだー。意外と面食いなんだね。超笑えるんだけど。友だちいないくせに──
微かに、そんな会話が聞こえてきた。
思わず足を止め、俺は女子たちを睨みつけた。しかし女たちは顔を背け、そそくさとその場から立ち去ってしまう。
待てよ。今のは一体、どういうことだ。
言いようのない不安感が、俺の胸を締めつける。動悸がして、とても苦しい。
たった今起きた出来事を、頭の中で必死に否定しようとした。遠くまで行ってしまった彼女の背中を目にして、俺は息を呑んだ。
なんて、憂いを帯びた後ろ姿なのだろう。