──ビニール傘に、雨が滴る音が絶え間なく鳴り響く。
俺は、できるだけ彼女を濡らさないよう傘を傾け、歩幅を合わせながら学校へと向かった。自分の肩に雨が染みようとも、全然気にならない。
道中、彼女となにか会話を交わしたのだが、胸がドキドキしてしまい、内容のほとんどを忘れてしまった。
でも、いいんだ。俺の心は晴れやかだったから。
「イヴァン、助かったわ」
校門を通り過ぎ、二年の昇降口前に辿り着くと、彼女はサッと傘から抜け出した。
「お役に立ててなにより。折りたたみ傘、見つかるといいな」
「いいの。だいぶ古かったし、そろそろ替え時と思ってたから」
彼女はおもむろに制服のポケットに手を入れた。
「これ、使って」
「えっ?」
彼女がポケットから取り出したのは、一枚のハンカチだった。パンダの絵がワンポイントあるだけの、シンプルなハンカチ。
俺の手元にそれを差し出すと、彼女はふと微笑む。
「お節介のために風邪引いたらどうしようもないわよ?」
「俺は滅多に風邪なんか引かないよ」
「とにかく、ありがとう。時間がないし行くわ」
背を向け、彼女は二年の下駄箱へ歩いていく。
──参ったな。彼女をできるだけ雨から庇っていたのがバレていたらしい。
茫然と立ちつくしながら、俺は彼女を見送る。
その後ろ姿が、今日は少しだけ明るく感じた。
濡れた足もとは冷たいのに、俺の心はポカポカしている。
水溜まりが出来上がった道を、同じ傘の下で彼女と歩いた。たったそれだけのことが、俺の気持ちを高揚させてくれた。
「洗って返すよ」
パンダのハンカチを握りしめ、彼女には届かない声量で俺はそう囁いた。
予鈴が鳴るギリギリ前に自分のクラスに着く。クラスメイトたちと挨拶を交わしながら自分の机に座った。
肩だけでなく、鞄もずいぶん濡れてしまった。彼女から借りたハンカチで優しく拭いてみるが、簡単に乾くはずもない。
ノートや教科書は無事なので、それはよしとしよう。
「イヴァンくん」
俺が鞄から教科書類を取り出していると、ふっとアカネが目の前にやってきた。
前の席に座り込み、ぐいっと顔を近づけてくる。
登校早々、やけに距離が近いな。
「なんか用か?」
俺の問いに、なぜかアカネは頬を膨らませる。
「ねぇねぇ、見ちゃったよー」
「見たってなにを?」
「あの風紀委員の女の人と、一緒にいたでしょう!」
声量を落としながらも、アカネの口調は若干鋭い。
……ああ、今朝のことか。情報が早いな。
そんなに意識していなかったが、横浜駅を降りてから何人か村高生が俺たちの視線の先で歩いていたのは気づいていた。それにたった今、彼女を昇降口まで見送ってきたわけだし、アカネに見られていても不思議じゃない。
「ああ。サエさんと一緒に登校してきたよ」
俺が平然と答えると、アカネは目を見開いた。
「え……あの人、サエさんっていうんだ? なんで名前知ってるの?」
「この前、教えてもらったんだよ」
「えええー。いつの間にかそんなに仲良くなったの!? 相合い傘までしてたよね?」
だんだんアカネの声が大きくなっている。周囲にいるクラスメイトが何人かちらちらとこちらを見てきた。
さっき、彼女が言っていたことを思い出す。
『距離が近いと変な噂を立てられるかもしれないでしょう? そういうの、面倒だから』
あんまり話が広まると、よくない。
俺はオーバーに首を横に降った。
「たまたま駅で会って、サエさんが傘をなくしたって言うから入れてあげただけだ。ほら……俺、二回もあの人に助けられてるだろ? だからそのお礼ってことでさ」
わざと、大きめの声で説明してやった。周りにいるクラスメイトたちにも、俺の話はしっかり聞こえているだろう。
俺の話を聞いたアカネは、訝しげに問う。
「ふーん。それで相合い傘? 距離感どうなってるの」
どう答えていいものか。たしかに、積極的すぎたかなとは思う。礼を兼ねて、というのだって嘘じゃない。
だが、それとは別の理由もあったのも本当のところだ。
それをわざわざアカネに話すことはできないが。
咳払いをして、俺は小さく首を振る。
「誰かが困っているのを見かけたら、助けてあげようと思うのがおかしいことか?」
「ううん。そういうわけじゃないけど……」
数秒だけ口を閉ざし、アカネはなにかを考えるように両腕を組む。
「そうだね。イヴァンくんって、そういうところしっかりしてるもんねー」
なんとか納得してくれたようで、それ以上深く突っ込んでこなかった。
……よかった。無理やりだったが、これで誤魔化せただろう。
しかし、胸の中がムズムズした。
アカネには、本心を隠している。
本当の俺は、もっと彼女と親しくなりたいと、心の奥で思っているから。
俺は、できるだけ彼女を濡らさないよう傘を傾け、歩幅を合わせながら学校へと向かった。自分の肩に雨が染みようとも、全然気にならない。
道中、彼女となにか会話を交わしたのだが、胸がドキドキしてしまい、内容のほとんどを忘れてしまった。
でも、いいんだ。俺の心は晴れやかだったから。
「イヴァン、助かったわ」
校門を通り過ぎ、二年の昇降口前に辿り着くと、彼女はサッと傘から抜け出した。
「お役に立ててなにより。折りたたみ傘、見つかるといいな」
「いいの。だいぶ古かったし、そろそろ替え時と思ってたから」
彼女はおもむろに制服のポケットに手を入れた。
「これ、使って」
「えっ?」
彼女がポケットから取り出したのは、一枚のハンカチだった。パンダの絵がワンポイントあるだけの、シンプルなハンカチ。
俺の手元にそれを差し出すと、彼女はふと微笑む。
「お節介のために風邪引いたらどうしようもないわよ?」
「俺は滅多に風邪なんか引かないよ」
「とにかく、ありがとう。時間がないし行くわ」
背を向け、彼女は二年の下駄箱へ歩いていく。
──参ったな。彼女をできるだけ雨から庇っていたのがバレていたらしい。
茫然と立ちつくしながら、俺は彼女を見送る。
その後ろ姿が、今日は少しだけ明るく感じた。
濡れた足もとは冷たいのに、俺の心はポカポカしている。
水溜まりが出来上がった道を、同じ傘の下で彼女と歩いた。たったそれだけのことが、俺の気持ちを高揚させてくれた。
「洗って返すよ」
パンダのハンカチを握りしめ、彼女には届かない声量で俺はそう囁いた。
予鈴が鳴るギリギリ前に自分のクラスに着く。クラスメイトたちと挨拶を交わしながら自分の机に座った。
肩だけでなく、鞄もずいぶん濡れてしまった。彼女から借りたハンカチで優しく拭いてみるが、簡単に乾くはずもない。
ノートや教科書は無事なので、それはよしとしよう。
「イヴァンくん」
俺が鞄から教科書類を取り出していると、ふっとアカネが目の前にやってきた。
前の席に座り込み、ぐいっと顔を近づけてくる。
登校早々、やけに距離が近いな。
「なんか用か?」
俺の問いに、なぜかアカネは頬を膨らませる。
「ねぇねぇ、見ちゃったよー」
「見たってなにを?」
「あの風紀委員の女の人と、一緒にいたでしょう!」
声量を落としながらも、アカネの口調は若干鋭い。
……ああ、今朝のことか。情報が早いな。
そんなに意識していなかったが、横浜駅を降りてから何人か村高生が俺たちの視線の先で歩いていたのは気づいていた。それにたった今、彼女を昇降口まで見送ってきたわけだし、アカネに見られていても不思議じゃない。
「ああ。サエさんと一緒に登校してきたよ」
俺が平然と答えると、アカネは目を見開いた。
「え……あの人、サエさんっていうんだ? なんで名前知ってるの?」
「この前、教えてもらったんだよ」
「えええー。いつの間にかそんなに仲良くなったの!? 相合い傘までしてたよね?」
だんだんアカネの声が大きくなっている。周囲にいるクラスメイトが何人かちらちらとこちらを見てきた。
さっき、彼女が言っていたことを思い出す。
『距離が近いと変な噂を立てられるかもしれないでしょう? そういうの、面倒だから』
あんまり話が広まると、よくない。
俺はオーバーに首を横に降った。
「たまたま駅で会って、サエさんが傘をなくしたって言うから入れてあげただけだ。ほら……俺、二回もあの人に助けられてるだろ? だからそのお礼ってことでさ」
わざと、大きめの声で説明してやった。周りにいるクラスメイトたちにも、俺の話はしっかり聞こえているだろう。
俺の話を聞いたアカネは、訝しげに問う。
「ふーん。それで相合い傘? 距離感どうなってるの」
どう答えていいものか。たしかに、積極的すぎたかなとは思う。礼を兼ねて、というのだって嘘じゃない。
だが、それとは別の理由もあったのも本当のところだ。
それをわざわざアカネに話すことはできないが。
咳払いをして、俺は小さく首を振る。
「誰かが困っているのを見かけたら、助けてあげようと思うのがおかしいことか?」
「ううん。そういうわけじゃないけど……」
数秒だけ口を閉ざし、アカネはなにかを考えるように両腕を組む。
「そうだね。イヴァンくんって、そういうところしっかりしてるもんねー」
なんとか納得してくれたようで、それ以上深く突っ込んでこなかった。
……よかった。無理やりだったが、これで誤魔化せただろう。
しかし、胸の中がムズムズした。
アカネには、本心を隠している。
本当の俺は、もっと彼女と親しくなりたいと、心の奥で思っているから。