小さい頃、学校が終わって家に帰っても、おかえり、と言って玄関で迎えてくれる人はいなかった。

 小学校に入学して間もない頃くらいだったと思う。

 記憶は曖昧で覚えていないけれど、夜中にトイレに行きたくなって階段を降りると、リビングのドアから光が漏れていて両親が話していたのをこっそり聞いていた。

 小さいながらに2人が話していた内容は悲しい気持ちになったのを覚えている。

 そして、ある日を境に、お父さんが家に帰ってこなくなった。それを察するにはまだ私は幼くてわからなかった。

 でも、高校生になった今思えば、あぁ、離婚したんだ、と悟った。

 当時はお母さんに、お父さんはいつ帰ってくるの?とよく聞いていたのを申し訳なく思う。

 私が聞くたびに、お母さんは、私が好きだったものを買ってあげる、とか、夜ご飯は何が食べたい?と幼かった私をうまくはぐらかしていた。

 だから、お母さんは家に帰ってくるといつも、

「ただいま、今日も留守番ごめんね」

と言って、玄関先でスーツのままギュッと抱きしめてくれた。

 今さらだが、小学生だった私を1人で育ててくれたお母さんには感謝をしてもしきれない。

 小学校の高学年になり学校から帰ってきたら、簡単な夜ご飯を2人分作り、掃除機をかけたり、洗濯物を畳んだり、家に1人しかいない分しっかりと家事はやっていた。

 その影響もあってか、小学生の頃は生粋のおばあちゃん子で土日はお母さんが出勤する前に、近くに住んでいたおばあちゃん家に預けてくれた。

 おばあちゃんと一緒にいる時は寂しい気持ちもどこかにいってしまった。

 私が行くと毎回一緒にお菓子を作って、夜ご飯には唐揚げやハンバーグ毎回違うものをたくさん作ってくれた。おばあちゃんが作ってくれる料理はどれもとても美味しくて、幸せそうに食べている私を見ておばあちゃんは笑っていて、それがとても嬉しかった。

 だから、行く度におなかの限界を超えそうになるまで食べた。そのおかげで小学生の頃はみんなより少し重かったけど、元気いっぱいにはしゃいで遊ぶ子供だった。

 そんな時、私が中学生に上がったくらいに、おばあちゃんは病気のために私の家の近くの大学病院に入院することになった。

 中学生になり、部活に入ってなかった私は、学校帰りに毎日のように病院に顔を出していた。

 私がお見舞いに来ると、とても嬉しそうに笑っていたけど、点滴につながれたおばあちゃんを見ていると胸が詰まる思いがした。今まで見せてくれていた笑顔も、私の前だから無理して笑っているようにも感じてしまった。

 でも、私が来るたびにそんな気持ちをかき消してくれるくらいの温かい手で抱きしめてくれた。

 そして、おばあちゃんが入院をして1ヶ月ほど経った時、症状や薬の副作用が強くなり優しい笑顔で迎えてくれたのに、それをする余裕もなくなってしまった。

 そんなある日、私が病院に行くとおばあちゃんは寝ていた。ベッド周りを片付けていたら、音が大きかったのか、おばあちゃんはベッドに付いているリモコンを操作して上体を起こした。


「あかね、来ていたんだね。起こしてくれればよかったのに」

 おばあちゃんはそう言ってくれたけど、心のどこかではもう会えないんじゃないかと何度も思い、怖い気持ちもあった。

「でも、おばあちゃん寝てたから起こしたら悪いなと思って」

「全然大丈夫よ、茜が来てくれるだけでとっても嬉しいもの。それより学校は楽しかった?」

 目を細めてやさしく笑ってくれた。

「……あ、うん。楽しいよ」

 うまく笑えていたかわからないけど、そのままおばあちゃんが私にひとつ、あるお話をしてくれた。

「人には必ず運命があると思うの。それは変えることはできないけど、それに対して何もできないってことはないと思うのね」

「ちょっと待って」

 私は、近くにあった折りたたみの椅子持ってきて座った。何のことを話そうとしているのか分からなかったけど、おばあちゃんの話を静かに聞いていた。

「おばあちゃんがこの病気になったのもなにかの運命だし、治療をすると選択したのも、まだできることがあるんじゃないかと思って決めたわ。きついこともあるけど、ここにいても何もできないわけじゃないもの。
手すさびに毛糸で何かを編んだり、自分が楽しいと思えたり、することはまだまだあると思うの。そして、茜がこうやって顔を見せてくれることが今は1番楽しくて、嬉しいのよ。
黙って見ていることしかできない時、それが寂しい、悲しい、と思う時もあると思うわ。でも、茜が楽しいとかつまらないとかそういう感情は素直に思っていいのよ。自分の気持ちなんて言わないとわからないじゃない?」

「……うん、ありがとう。おばあちゃん」

 私の年齢で理解するのには少し難しかったけど、今思えば、おばあちゃんからの何かしら特別な言葉だったかもしれない。

 そして、おばあちゃんが亡くなってからのお母さんはいつも早く起きて、2人分の朝ごはんとお弁当を作り、私が起きたのを確認してから出かけていく。

 私は、起きてリビングに行き、玄関までお母さんを見送るのが日課だった。

 私が起きてこない日は、部屋の扉を何回も叩き返事をするまで叩き続ける。送れないから、寝坊して学校に間に合わないと困る、という理由らしい。

 毎朝「いってきます」と言って手を振りながら笑って出ていくのを、いってらっしゃい、と返して送り出す。