亜実ちゃんの寝坊やらドラマやら準備やらで、〈喫茶かぜはや〉に着く頃には十四時を過ぎていた。ランチタイムは終わっているのに、亜実ちゃんは図々しくもランチを注文する。敦志さんは慣れているのか、困った顔ひとつ見せずに「かしこまりました」と言った。まさか亜実ちゃんはいつもこんな迷惑行為をしているのだろうか。

「茉優は? 今日はお腹空いてる?」

 亜実ちゃんに問われ、んん、とあやふやに返す。
 今日のランチはローストビーフ丼らしい。なかなか重めだ。

「またパスタとかリゾットとかにする?」
「ううん。……私もローストビーフ丼にしようかな」

 正直に言えば食べきれる自信は全然ない。だけど昨日のパスタが本当においしかったから、ローストビーフ丼も食べてみたくなったのだ。食べたい、という欲求を抱いたのは久しぶりだった。

「そっか。食べきれなかったらわたしが食べるから、無理しなくていいよ」
「うん。ありがとう」
「じゃあ、ローストビーフ丼ふたつ」

 敦志さんはもう一度かしこまりましたと言って一旦去り、すぐにランチセットがふたつ運ばれてきた。
 箸を進める。ローストビーフもソースもやっぱりおいしくて、予想以上に食べることができた。だけど完食はできず、亜実ちゃんは宣言通り、私が残した分も平らげてくれた。

「茉優ちゃん、ケーキ食べられそう?」

 空になった食器を下げに来た敦志さんが言った。
 これだけご飯がおいしいなら、きっとケーキも絶品だろう。食べてみたいけれど、もうお腹がいっぱいだし残してばかりも申し訳ない。

「小さめに切って出そうか。もちろん無理しなくていいけど、うまいからよかったら食べてみてよ」
「あ……じゃあ、お願いします」

 お言葉に甘えると、敦志さんは嬉しそうに微笑んだ。
 しばらくして運ばれてきたのは、ガトーショコラとラテアートが施されたカフェラテがふたつ。亜実ちゃんのは複雑そうな薔薇の模様なのに対し、私のは無難なハート。
 形を崩すのがもったいなくて、唇を尖らせてちびちびと飲む。

「おいしい!」

 カフェラテを置き、続けてガトーショコラもひと口食べてみる。

「ケーキもおいしいです! すんっごく!」

 急に大興奮した私を見て、亜実ちゃんと敦志さんが目をまるくした。ふたりとの温度差に恥ずかしくなって身を縮める。

「すみません、なんか大声出しちゃって……。でもほんとにおいしいです。敦志さんってケーキも上手なんですね」
「ケーキ作ったのは俺じゃないよ」
「え? でも……」

 きょろきょろと店内を見渡してみても、やっぱり敦志さん以外に誰も見当たらない。

「おい朔、隠れてないで出てこい」

 敦志さんが言うと、カウンターから朔がひょっこりと顔を出した。頭を掻きながら立ち上がり、なぜか目を泳がせている。
 昨日の敦志さんと亜実ちゃんの会話を思い出し、今さら合点が行った。

「もしかして朔が作ったの?」
「まあ、あの、うん……」
「ちなみにラテアートもね」

 敦志さんが補足すると、朔は顔を真っ赤にして敦志さんを睨んだ。
 なにをそんなに恥ずかしがっているのかわからない。

「すんっごくおいしかったよ! 今まで食べた中で一番おいしかった!」
「あ、えっと、ありがとう、よかった」
「あれ、でも……」

 朔は怪我をしているはずなのに。
 見れば、朔の右手から包帯がなくなっていた。軽く握っているから手のひらは見えないけれど、もうほとんど治っているというのは本当だったのかもしれない。
 大きな罪悪感が少し薄れ、ほっと胸を撫で下ろした。