シノに呼び出されたのは、耐え続けて一か月が過ぎた頃だった。
 空き教室に入ったとき、中にシノしかいなかったことだけはほっとした。ついに大勢に囲まれて暴力を振るわれるのではないかという不安も少なからずあったからだ。

 もしかして、謝ってくれるのだろうか。
 私を呼び出したのは、仲直りをするつもりなのだろうか。
 そんなささやかな期待は呆気なく打ち砕かれる。
 私に気づいて振り向いたシノは、冷淡な目をしていた。

「なんであたしが怒ってるかわかってる?」

 なに言ってるんだろう、と思った。
 無視されていただけなのに、わかるわけがない。

「普通、友達が怒ってたら理由訊くよね? なんでなにも言わないの?」

 声かけたのに無視したのはそっちじゃん──。
 反射的に言い返しそうになったのをぐっと堪えた。火に油を注ぎたくない。下手をすれば、今度こそ無視なんかじゃ済まなくなってしまう。

「……なんで怒ってたの?」
「だからさあ。茉優はそういうところがだめなんだって。ちゃんと自分で考えてよ。じゃなきゃ意味ないでしょ。まあ今回は言うけど」

 今言うなら最初から言ってほしかった。
 この一か月間はなんだったんだろう。

「ずっと思ってたんだけど。茉優ってあたしのこと軽く見てるよね?」
「……どういう意味?」
「適当にあしらってるっていうか。一年の頃もあたしのこと放置して勝手にどっか行ったり、自分が興味ない話は流したりさあ。あたしのことほんとに友達だと思ってるのかなって、ずっと疑問だったんだよね。あたしのことなんかどうでもいいんだろうなって。今回のことではっきりした」

 後半はこっちの台詞だし、今回のこと、がなにを指しているのかわからない。
 黙っている私にシノはため息をついて続ける。

「先月、茉優のクラスみんなで遊んだでしょ?」
「遊んだけど……」
「メンバー誰だった?」

 シノが喋れば喋るほど混乱が増していく。
 その話と無視となにが関係あるのかまったくわからない。
 遠回しな物言いに苛立ちを覚えながら、促されるままに名前を出していく。
 ある男の子の名前を出したところで、

「うん、いたよね」

 シノが食い気味に言った。

「いたけど……」
「あたしが一年の頃からあいつのこと好きだって知ってるよね?」

 ずっと話を聞いていたから当然知っている。それでも私は、シノが怒っている理由にたどり着けなかった。正確に言えば、そんなことでここまで怒る意味がわからなかった。
 べつに私が個人的に彼を誘ったわけでも、ふたりきりで会ったわけでもない。ただのクラス会だった。誘われて行った先に彼がいたというだけの話だ。

「なんか、茉優たちがいちゃいちゃしてたって聞いたんだけど。もしかして茉優もあいつのこと好きで、あたしのこと裏切ろうとしてたんじゃないの?」
「そんなわけないじゃん! それに、少しは話したかもしれないけど……いちゃいちゃなんかしてないよ!」
「だったらなんで行ったの? 普通、友達の好きな人がいたら行かないよね? それか、あたしのこと誘ってくれてもよかったんじゃない? 茉優のクラスなら何人か友達いるし、べつにあたしが行っても大丈夫だったと思うけど」

 面食らった私は言葉に詰まってしまった。
 友達の好きな人がいるならクラス会を欠席するべきという理屈も、自分を呼べという主張も、私には理解できない。確かにシノがいても変ではないかもしれないけれど、決して自然ではない。クラスのメンバーで遊ぶときに他のクラスの子は呼ばない。なにより、そんなことでいちいち怒られていたらきりがない。

 シノは私を見据えていた。たぶん私の返答を──謝罪の言葉を──待っているのだろう。だけど私は、シノと目を合わせたまま立ち竦むことしかできずにいた。
 たったそれだけのことで部外者を巻き込んで一か月も無視されていたのかと思うと、怒りを通り越してなんとも言えない気持ちになってしまったのだ。はっきり言えば、くだらないとさえ思った。気に入らないことがあるなら、私に言えばよかっただけの話なのに。

 同時にショックも受けていた。
 クラスの誰かが、シノに嘘を吹き込んだ。シノはそれを鵜呑みにした。私を信じてくれなかった。あんなに、ずっと一緒にいたのに。
 今がなんのための時間なのかよくわからなかったけれど、私は今日大切な友達を失うのだということだけはわかった。
 いや、もうとっくに失っていた。

「私のことが許せないんだよね。わかった。今まで一緒にいてくれてありがとう」

 我ながら、あまりにも乾いた台詞だった。
 もうどうでもよかった。一刻も早くこの無意味としか思えない状況から立ち去りたかった。
 だけどシノは、くしゃっと顔を歪ませて噴き出した。

「なにそれ。カップルの別れ話じゃないんだから。仲直りしようって言ってるんだよ。喧嘩しても仲直りするのが友達でしょ? ていうか、どうでもよかったらわざわざ話し合いするために呼び出したりしないって。友達だからこうやってはっきり言ったんだよ」

 あれは喧嘩と呼べるのだろうか。
 そしてこれは話し合いと言えるのだろうか。

「ねえ、さっきの質問ちゃんと答えてよ」
「さっきの、って……」
「あたしのこと、ほんとに友達だと思ってる?」

 問いたいのはこっちだ。
 友達だと思ってくれていたのか。
 私のことなんかどうでもよかったんじゃないのか。
 私たちは、本当に友達だったのか。

「……思ってたよ」

 シノが納得したのかわからないけれどひとまず満足したのか、一か月間にわたる絶交は解除された。
 表向きは普通に接していたと思う。とはいえ元通りの関係に戻れるはずもない。少なくとも私の中でわだかまりが残ったままだった。高校が離れてからは、瞬く間に音信不通になった。
 物語ならあれは序章だったのかもしれないと、今になって思う。