「私も……オグリット様が好きです。たとえ記憶が明日まで持ち越せなくても、私はまたオグリット様を好きになります!」
「それは熱烈な告白だ」

 金髪碧眼の見目麗しい青年は、嬉しそうに微笑む。
 接点なんてなかったけれど、朝早く自主練している姿を何度も見かけていた。彼は平民出身で、努力していて――気付けば好きになっていた。彼を思って二年。
 私は魔導書解析学部の三年生で、彼は騎士学部の四年生。できれば彼の卒業まで学院にいたかった。

「でも……あの」
「でも?」
「その……実家の都合で、学院を中退しなければならなくなったのです」

 この日の出来事は、数ページ掛かったとしても、思い出を残しておかなければと魂が震えた。
 だって明日に記憶を持ち越せないのは、比喩でもなく事実なのだから。


 ***


 我がユピリア国は、魔物の侵攻を防ぐ辺境国だ。後ろに控える大国や貿易国からの支援と、《神々の遺産》の魔導書の多重結界のおかげで魔物の侵攻を防いでいた。

 騎士団という武力と、魔導書の叡智の二つが、この国を支えている。
 それともう一つ。
 一日一度は実りをつける存在だ。神々の子孫である《果実姫》は一日で種から芽を生やし、成長し花を咲かせ、夕焼けが落ちると同時に野菜や果実を実らせる。それと同時に《果実姫》は深い眠り――仮死状態になると言う。
 この奇跡を生み出している膨大なエネルギーは、《果実姫》の感情や記憶量を変換して生み出される奇跡であり、呪いでもあった。

 そして《果実姫》の記憶を補填するのが《終わりの(ネバーエンド)無い手帳(・ダイアリー)》という魔導具だ。
 簡単に言えば外部記憶装置のようなもので、本体の記憶が消えても複製(コピー)可能となっている。

 《果実姫》が誰なのかを知るのは、国王と一部の貴族、そして教会の枢機卿数名だけで、無闇矢鱈に探ろうとすることはタブーとされ、破れば死罪となる。

 なぜそこまで《果実姫》に詳しいかと言えば、私がその神々の子孫で、勤めを果たしている一人だからだ。本当は魔導書の解読を専門とする学士になりたかったけれど、《果実姫》として役目を果たしていた姉が眠ったまま起きなくなってしまったことで、私は二年だけ通っていた学院を去ることになった。


 ***


 オグリット様と会うのは今日で最後になるかもしれない。
 そう思うと勇気を振り絞って会いに行くことができた。
 二年前とは違って彼の周りには友人や、貴族令嬢が取り囲んでいる。彼の研鑽は周囲の認識を大きく変えたのだ。それが嬉しくもあると同時に、一緒に居る時間が減ったことに凹んだ。

 一年前、騎士団長から直接お言葉を頂いて、卒業後は《白銀の騎士団》の入隊が決まってから、彼の周囲は一変した。
 魔物討伐や、北の遠征にも積極的だし、会う回数も減ったから以前のように気軽に声をかけられなくなった。手紙のやりとりだけは定期的にあるのが唯一の救いだ。

(挨拶ぐらいはするけれど、それ以上は貴族令嬢たちの目が怖くて長居できなかった……)

 私が《果実姫》だと言うことも、立場が教会の枢機卿と同等なのも秘密だ。辺境地の没落貴族という身分で入学している。私は他の《果実姫》とは異なり、日中自由行動をしても平気だから許可も下りた。何より転生者としての知恵が魔導書解読の鍵になるかもしれないと、王家が思ったのが大きい。

「(今日は権限を駆使してでも、二人っきりになる!)オグリット様」
「やあ、アリサ嬢」

 いつもの鍛錬場に訪れると、オグリット様は爽やかな笑みを浮かべて出迎えてくれた。二年前から変わらない学院の鍛錬所の一つで、校舎裏かつ森の傍という不人気な場所だったのに、今は数人の騎士学部が鍛錬に利用している。

 他の騎士学部の生徒とオグリット様が目当てなのか、令嬢たちが群がっていた。
 私の登場に令嬢の何人かは眉をひそめる。ほんの少しだけ怯みそうになったが、この機会を逃すわけにはいかないと強気の姿勢を貫き、オグリット様へと微笑む。

「少しお時間を頂けませんか?」
「ええ、構いませんよ。ちょうど鍛錬も終わったところですし」
「そんなことより! 私たちとお茶をしません? せっかく良いお店を見つけたのです」

 割り込む伯爵令嬢に、オグリット様は困った笑みを浮かべる。相手は有力貴族だ。後ろ盾のないオグリット様が強く断れないことも計算しているのだろう。
 それなら、と首から提げている枢機卿の証(ペンダント)を伯爵令嬢にわざとみせる。

 目敏く気付いた伯爵令嬢――ベアトリスは顔が青ざめていく。彼女がそこまで馬鹿ではなくて本当によかった。彼女にだけ聞こえるように小声で窘める。

「ベアトリス嬢、伯爵家の権威を笠に着るような態度でオグリット様に接しているのなら、私も容赦なく権威を使ってしまおうと思うのですが、いいですよね?」
「枢機卿の―――っ、なんで貴女なんかが」
「貴女のように権威を借りたくなくて、静かに学院生活を過ごしたかったからです。オグリット様の未来を潰すようなことだけは許しません」

 今まで頑張ってきた彼が自分の道を選べるように、そのぐらいは力を貸したい。
 彼と出会えたこと、恋をすることができた奇跡のお礼だ。


 ***


 騎士学部の生徒が気を利かせて、私とオグリット様を二人っきりにしてくれた。
 二人きりになると木々の音、小鳥の囀りが聞こえてくる。
 二年前と変わらない景色。少しだけ近くて遠くなったオグリット様との距離。

「頻繁に手紙のやりとりはしていますが、お会いするのは久し振りですね」
「そう……ですね。(私は図書館や、教室、研究所の窓から彼を見ることがあるから、そんなに久しぶりな感じはしないのだけれど……)」

 オグリット様は空間ポケットからタオルを取り出して汗を拭った。そのタオルは私が去年贈ったものだ。まだ持っているとは思わなかったので、思わず凝視してしまう。

「伯爵令嬢を追い返すなんて珍しいですね。いつもなら彼女たちがいるからと挨拶だけで去ってしまうのに」
「それは」

 少しだけ責めるような言い回しに、言葉を詰まらせる。

「下手に目を付けられるのを好まないからです。私は……平穏を愛しておりますので」
「我が儘な方だ。でも、助かりました。……伯爵令嬢はどうも苦手で」

 頭を掻いて正直に答える彼に、私は勇気を出して良かったと自分を賞賛する。この気持ちはあとで三ページほど書き連ねよう。

「そうでしたか。……勇気を出して良かったです。もし……オグリット様がベアトリス嬢に懸想していたらっ……」
「本気ですか? 私の才覚が芽を出す前から声をかけてくれて、何かと助けてくれた貴女の恩義を忘れて、他の令嬢に愛嬌を振りまくとでも?」
「(恩義)……ここ二年で口も達者になったようですね」
「かもしれません。でも、それはアリサ嬢のおかげですよ」

 彼は口元を緩めて微笑む。この笑顔がずっと好きで、甘く蕩けそうな眼差しに、胸の鼓動が速くなる。ずっと近くで見て、応援してきた未来の騎士様。
 こんな風な人が騎士であってほしい。

 優しくも、志のある誇り高い人。
 その心を揺らすことができたのなら、私は頑張ったほうだと思う。

「それで人払いまでして私に話とは?」
「あ、そうでした」
「告白でしたら、もちろん承諾です。婚約は私が騎士になってから改めてプロポーズをしても?」
「え、こ、ええ!?」

 思わぬ言葉に固まっていると、オグリット様は頬を少し赤らめて「違うのですか?」と柔らかい声音で尋ねてきた。卑怯だ。

(この恋は実らないと思っていたから、ひた隠しにしてきたのに……。どうして人生とはままならないのだろう。傍にいられなくても、私のことを好きでいてくれるだろうか? 私が《果実姫》だと知っても――)

 そう唇が震えたが、私の秘密は彼に話せない。
 話せば――彼を巻き込んでしまうし、騎士の夢が潰えるかもしれないのだ。
 華々しい凱旋や、勲章などもなく、主に教会の守護がメインとなってしまう。それは彼の語ってくれた夢とはほど遠い生き方だ。

「アリサ嬢、それでどうなのです?」
「私も……オグリット様が好きです。たとえ記憶が明日まで持ち越せなくても、私はまたオグリット様を好きになります!」
「それは熱烈な告白だ」
「……でも」
「でも?」
「その……実家の都合で、学院を中退しなければならなくなったのです」
「え」

 笑顔だった彼の顔が一瞬で強張る。次の瞬間、私の両肩を掴んだ。

「も、もしかして縁談が? 貴女に縁談が来たのですか?」
「ええ!? ち、違います」
「違う。……よかった」

 一気に力が抜けたのか、私の肩に顔を埋める。心臓が飛び出すんじゃないかと思うほど、ドギマギした。彼のシトラスの香りが鼻孔をくすぐる。

(これは誕生日に贈った……!)
「では……恋人、と思っても良いのですか?」
「(甘い声が近くで……)はひぃ」
「……よかった。これで晴れて貴女が恋人だと周知できる。……私の片思いだったらと、これでも不安だったのですよ?」
「そうだったのです……ね」
「しかし学院を去るとなると連絡方法は、実家に直接手紙を送れば会えますか?」

 確約はできない。私がどれだけ自由な時間が貰えるのか不明だ。
 私はオグリット様に銀の腕輪――特別な魔導具を渡した。

「これは、いつでも手紙を送り合える魔導具です。これを……受け取って貰いたくて、人払いを……お願いしたのです」
「こんな高価なものを?」
「それと、もしオグリット様が後ろ盾で困ったら、これを使ってください」

 私は首に提げていたペンダントを彼に差し出した。枢機卿の証であると同時に、コレを持つ者はその枢機卿の庇護下であることを意味する。私にできるのはここまで。

「アリサ嬢、君は……一体」
「オグリット様。貴方様のおかげで、私の学院生活は春の心地よさのような幸せな日々でした。勇気を出してあの日、声をかけて良かった。ちょっとでもお話ができて、貴方に贈り物をして喜んで貰えた――些細な日々がとても愛おしくて、……私を好きになってくれてありがとうございます」

 告白はできなくとも、感謝を伝えようと思っていた。順序が逆になってしまったがオグリット様がいたからこそ、幸福な夢を見られたのだ。
 甘く、桜の花のような美しく儚い日々。

「……できるだけ早く出世して、貴女を迎えに行きますから」
「!」

 それが叶わない夢だと分かっていながらも、胸の高鳴りは抑えられなかった。
 彼の言葉は私の心を甘く蕩けさせる。今の衝撃と感動を書き記すのに、十ページは固いだろう。

「オグリット様……」
「これは前払いです」

 ぐっと顔を近づけたオグリット様は私の唇に触れた。
 啄むような甘く、優しい口づけ。
 唐突な告白から、恋人。そしてキス。
 怒濤の展開に、私が卒倒したのは言うまでもない。


「ん……」
「ああ、よかった。目が覚めたのですね」

 重たげな瞼を開けると、彼に抱き上げられていることに衝撃を受けた。

(え、ええ!?)
「気絶してしまったので、ベンチに寝かせようかと……」

 気絶してしまった私を運ぼうと抱き上げて、木陰のベンチに寝かせるところだったようだ。

(まだお姫様抱っこされていたい!)

 思わず彼の腕に手を回して、ギュッと抱きつく。

「あ、アリサ嬢!?」
「もう少し! ……もう少しギュッとして欲しいです」
「──っ、貴女はどうしてそう、可愛らしいことを……。いいでしょう、私も貴女をもっと近くで感じたい」

 コツンと額をくっつけて嬉しそうに笑うオグリット様は、最高に素敵だった。
 その日から、学院を去るまでの短い時間を惜しむように、私たちはできるだけ一緒の時間を過ごした。

 一緒に昼食を取ることも増えたし、図書館やカフェで勉強をしたり、放課後ショッピング区画にデートもした。
 幸福だった。
 甘酸っぱい恋だったけれど、それだけで私は──生きられる。

「卒業して、騎士になって功績を上げたら必ず迎えに行くから、必ず待っていてくださいね」

 魔法の言葉。
 その魔法が儚く溶けてしまう夢だったとしても、私は受け入れて微笑んだ。

(貴方の夢が叶いますように)

「さようなら」とは最後まで言えなかった。口にしたら、それが本当のお別れになりそうだったから。


 ***


 私は教会本部の離宮に、隔離されることが決まった。
 離宮にはいくつもの魔法がかけられ、出入りできるのは権限を持つ者だけのようだ。緑の溢れた離宮内には、眠ったままの姉と数人の使用人のみ。

 私たち神々の子孫は、短命──と言うよりも大人になると皆、眠いについて目覚めなくなる。
 その理由は、恋人や友人たちの存在が大きい。

 私たちは大なり小なり、一日で生きて死ぬ。次の日に記憶を持ち込めない。だから皆忘れないように、特別な魔導書に記憶を、思いを書き連ねて残そうとする。
 覚えてなくても私が私だった軌跡を読みながら、他者との繋がりを残そうとした。それこそが生きる活力であると言ってもいい。

 しかし思い人と結ばれることは少ない。神々の血を薄めたくないと王家と教皇聖下の考えなのだろう。私たち神々の子孫は生きているが生きようとする意志が弱い。
 関心も薄い。一日で生きて死ぬサイクルのせいだ。
 これは祝福であり、呪いでもある。それから逃れることはできない。

 私と姉は、その力をセーブして生きること、手帳にできるだけ細かく書くこと、やり甲斐を見つけて、ある程度の自由と権限を得て外の世界で生きることを望んだ。
 王家も教会上層部も、できるだけ神々の子孫を延命させたいとは思っていたのだろう。だから私と姉はわずかばかりの不自由と、市井での生活を許可された。

 これは私と姉の力が強く、眠る前に果実を生み出すことができるからこそ、日中の自由行動が許されたと言ってもいい。
 私は魔導書の解読に興味を持ち、姉はアクセサリーなどの小物を作るのを得意とした。

 上層部の目的は、更なる奇跡だ。
 果実を生み出す、それ以外の奇跡も望み強要した結果、姉は目覚めなくなった。
 姉からの最後の手紙には「好きな人と恋人になった」と便箋十七枚ほど情熱的な文章が綴られていて、笑ってしまったものだ。でも私も大して変わらないだろう。

『彼は北領国を治める人で、狼みたいに怖い顔をしているのに、照れたり、可愛らしいことばかりするの。彼、エドモンドと一緒になりたいと教皇聖下に相談したけれど、ダメだったわ。蛮族の血を入れる訳にはいかない、って。だから私は彼が迎えに来るまで眠ることにしたの。……そうすればもし彼が私を迎えに来なくても、その現実と直面せずに死ぬことができる。夢の中で、彼を覚えているまま眠る……それが今の私の抵抗と、自分の心を守る術……。アリサ、ごめんなさいね。きっと貴女にも迷惑をかけると思う。学院にも通えなくなるかもしれない。もしそんなことになるのなら、好きな人と逃げて』

 たった一人の身内を置いて行けない。それに私の好きな人はこの国で騎士になることだ。その夢を捨てさせるなんて、私にはできない。

 ずっと努力してきたのを見てきたのだ。そんな彼を巻き込めるわけがない。
 最初は遠目で見ているだけで嬉しかった。次に話しかけることが、できて舞い上がって、毎日挨拶をするのが当たり前になって、贈り物を送り合って、手紙のやり取りをするまでに漕ぎ着けた。そうやって積み重ねて恋人になった。
 そう恋人になれたのだ。

 キスもしたし、ギュッと抱きしめてもらった。お姫様抱っこだって──。
 幸せで、夢のような時間だった。
 この想いを抱きしめて、姉の想い人を待つ。
 それにまだオグリット様からの手紙が届く。だから、私は幸福だ。
 そう思っていた。


 ***


 その日はオグリット様に手紙を書くため遅くまで起きていた。
 私の場合は果実を生み出してもそのまま卒倒せず、普通に布団で眠るまで起きていられる。
 だから夜更かしもできるのだ。
 鉄格子の窓だが、窓を開けて夜風を感じることができる――そんな月が隠れるような夜の日。

「君がサクラの妹か?」
「!?」

 ノックも無しに部屋に現れた偉丈夫に固まってしまった。

(ここは特別な結界が張っているのに、どうして? 姉様だけでも――)

 私に声をかけてきたのは、短い髪に顎髭の偉丈夫だ。年齢は三十代前後で、肌は褐色、白銀の毛皮を羽織った屈強そうな男――どこかで読んだことのある特徴だと思った。

(もしかして)

 彼がエドモンド様ではないか。北領土の人たちは大柄で、強面だが気のいい人が多いと姉の手紙の内容を思い出す。

「サクラの妹のアリサです、エドモンド閣下」
「サクラから何か聞いていたのか?」
「はい! いつも姉からの惚気話を恋愛小説顔負けの分量で送ってもらっています!」
「ちょっと待て、サクラの奴、妹に何を書いているんだ!?」
「そんなことよりも、姉を迎えに来たのですか?」
「ん、ああ……。それもあるが、君のことも連れて行くつもりだ」
「私を……?」
「サクラから頼まれている。……それに国王と教皇聖下も今回の事で《果実姫》を我が領地に避難する許可を得た」
「国王と……教皇聖下……から? どうしてそんな急に?」

 エドモンド様は苦笑して、少しだけ私を憐れんだ。

「何も知らないのだな。いや意図的に知らされていなかったのならば仕方がないだろう。……現在、この国では王位争いが水面下で行われていたが、激化の一途を辿っている。第三王子エリーアスは野心家で王位簒奪に動き出した。既に第二王子デニス様は謀略に巻き込まれて亡くなっている。このまま王都に残れば《果実姫》はエリーアスの手に落ちてしまう。そうなれば《白銀の騎士団》の副官であるオグリットが揺らぐことにもなる」
「オグリット様が!? 副官になられたのですね! 手紙には何も書かれていなかったですが嬉しい知らせです」

 手紙にはその様なことは一言も書かれていなかった。普段の手紙にもあまり仕事のことは書かなかったのは、秘密事項だったのだろうけれど昇進ぐらい書いて欲しいものだ。
 私が喜んでいるとエドモンドは顔を強張らせる。

「エドモンド閣下?」
「……アリサ嬢。事態は私が考えていたよりも深刻なようだ。まず君と手紙のやりとりをしているのは恐らくオグリットではない。彼は魔物討伐のため半年前まで、我が領土に滞在していた。その宴の折りに、魔獣との戦いで大切な人から贈られた魔導具を無くしてしまった、と。話を聞くと手紙のやりとりができる高性能なものだった。未だに手紙が定期的に来ているのなら、筆跡を真似た別人。エリーアスの息が掛かった者だろう」
「そんな……」

 慌てて半年より前の手紙と、最近の手紙を見比べたが筆跡は殆ど同じだ。だが書かれている内容は――温度感が違う。指摘されてその事実に絶望するが、エドモンド様はさらに私に選択を迫った。

「アリサ嬢とサクラはこの塔で死んだことにして貰いたい。エリーアスの目をかいくぐるためにも荷物の持ち出しは禁止させて頂く」
「一つもですか?」
「すまない。死体は偽装して既に部下に運び込ませている。その傍で火を付けるので、ここに君たちがいた形跡だけはできるだけ残したい。だから――」

 だから「記憶を引き継ぐ手帳も全て手放して欲しい」と言うことなのだろう。
 私と姉の持つ手帳は魔導具の一種で、《終わりの(ネバーエンド)無い手帳(・ダイアリー)》と言ってページに終わりが無い。

 神々が作り上げた技術で、神々の子孫に受け継がれていた。恐らくだが、神々と言うのは私と同じ前世が日本人だった可能性が高いと思っている。
 なぜならこの手帳に書かれている文字は、前世で見覚えのある日本語だからだ。もしかしたら神々の子孫とは、異世界転生の受け皿なのかもしれない。

(――なんて、話が飛躍しすぎかも。……オグリット様)

 この手帳を手放すと言うことは、今までの私の人生が終わるようなものだ。けれどそうしなければ王太子の布陣に綻びを作る原因になりかねない。
 政治的にも、私と言う存在にしても第三王子エリーアスの手に落とす訳にいかないのは分かっている。

「わかりました」

 それ以外の選択肢など私には残っていなかった。
 オグリット様との思い出だけで生きていける。
 そう思っていたのに、それすらも奪われてしまった。でもそうしなければ彼の身が危険に晒されてしまう。

 焼け落ちる離宮を見ながら、私は王都を去った。
 手にしていたお揃いの銀の腕輪も身代わりの死体に装着させた今、オグリット様と繋がる物も、思い出も、何もかも失ってしまう。
 その日ほど、「朝が来なければ良いのに」と思ったことはなかった。


 ***


 カーテンから差し込む陽射しで、目を覚ます。
 昨日がどんな一日だったのか覚えるために、真新しい手帳を開いた。

 この北の領土は長い冬が続くものの、私と姉の《果実姫》がいることで、飢えによる死者はだいぶ減ったそうだ。姉サクラは北の領主であるエドモンド様と結婚し、幸せそうだ。
 深い眠りについた姉を目覚めさせることに成功したが、その代償として姉は記憶の大半は失っていた。もっとも私もこの北の領地に来てからの記憶しか無い。
 それでもエドモンド様の溺愛に、姉は幸せそうだ。

(それが少しだけ、羨ましい)

 姉とエドモンド様には本当によくして貰っている。私にできるのは一日の眠りにつく前にこの土地の植物に実を付けることだけ。
 冬の土地ではキャベツやカブ、人参、ブロッコリー、ジャガイモに似たものが取れると聞いたのでそれらを生み出す。

 ふと昨日は特別なことがあったと手帳には書かれていた。

(ああ、そうだわ。昨日は王都から騎士達が魔物の討伐に遠征に来て……。王都では王太子が無事に即位したとか)

 ここ二年ほどで王都が落ち着いたからこそ、北の領地の魔物討伐に騎士を派遣してくれたのだとか。昨日のパーティー会場はとても賑やかで「姉のサクラのドレスはとても綺麗だった」と二ページに渡って書かれていた。

 騎士の一人に声をかけられたが、よくわからない気持ちになってパーティー会場を飛び出してしまったと書かれているのが引っかかる。

(何か酷いことでも言われてしまったのだろうか。この辺りの描写が支離滅裂なのは……混乱していた? それとも?)

 モヤモヤした気持ちを落ち着かせるため、顔を洗って庭園を散策することにした。寒いので毛皮のコートを羽織るのも忘れない。


 静かな廊下を歩いていると、雪の上でひたすら素振りをしている人影が見えた。
 昨日、派遣された騎士様の一人だ。
 いつから素振りをしているのか不明だったが、この寒空の下、シャツとズボン、革靴と薄手だということに驚く。
 吐く息は白く、その集中力のすさまじさに思わず見惚れてしまう。
 金髪碧眼の見目麗しい男性は、長身で骨格もしっかりしている。一振りする度に空気が揺らぎ、自分の心臓がバクバクと煩い。

 ひたむきで、常に努力してきたのだろう。その集中力と、鍛錬を積み重ねた姿は一朝一夕で身につくものではない。記憶を翌日に引き継げない自分にとって日頃の鍛錬という、普通の人にとっての行動(ルーティン)が酷く眩しく見えた。

「――っ」

 そんな人に声をかけるなんて普段ならできないのだが、何故か足が動いた。上手く言葉にできないが何かが、私の心を動かす。

「あの、寒くありませんか? その良ければ温かな飲み物でも用意しますが」
「!?」

 親しくも無い騎士様に、何故かそんな提案をしてしまった。
 声をかけられた騎士様は、素振りをやめて固まっているではないか。
 練習中に声をかけて邪魔したのを怒るだろうか、それとも失望するだろうか。なぜかこの人に拒絶されるのがとても怖く思えた。

(――何故?)
「――っ、あ、ええっと……。私が貴女様と、ご一緒しても?」

 男の人は声が震えて、何処か今にも泣き出しそうな顔で微笑んだ。
 それを見た瞬間、なぜか頬から涙が零れ落ちた。

「え、あれ? すみませ」

 ボロボロと涙が零れて止まらない。そんな私に彼はどこか嬉しそうな顔で涙を拭ってくれた。距離感が近いのに、嫌な感じはなかった。
 無骨な指だけれど、これは彼の研鑽の証だ。そう思うとなぜだか愛おしさがこみ上げてくる。

「あの……、初対面の方にこんなことを頼むのは不躾かもしれないのですが、手に触れてみても良いですか?」
「構いませんが」

 触れた手は、とても温かい。
 微かにシトラスの香りがした。

「どこにでもいる騎士の手ですよ」
「そんなことはありません! この手は努力したものです。昨日まで積み重ねて頑張った証なのですから」
「――っ」

 息を呑んだ騎士様の手は震えていた。
 この人は私を知っているのだろうか。

「騎士様、お名前を伺っても?」
「……オグリット。オグリット・()()()()()()です。……アリサ()

 その言葉に胸が熱くなる。
 もし、この思いに言葉を付けるなら――恋だろうか?