「そんな商いがあったんですね……」
「まぁ、あんまり見ぃひんけどな。ここでは人もあやかしも皆等しくお客様。皆同じようにお相手するために、わてら店の者がまず最初に皆同じにならなあかん。そのために、この百鬼屋の者は皆お面を被ると、初代は定めたんや。あんたは驚いたやろうけど、このお面はわてら店の者の矜恃なんや。堪忍え」
「じゃあ、うちもいずれ被るんですか?」
 ほんの少し楽しみになってそう尋ねると、寿子は面の奥でクスッと笑った。
「やっぱりなぁ。あの娘さんやったら、とても務まらんかったやろな。この店のご(りょん)さんは」
「はぁ……でも、うちも務まるかどうか……」
『ご(りょん)さん』とは『ご寮人さん』から生まれた船場言葉であり、商家の奥様、女将さんという言葉に当てはまる。
 身代の大きさ、養う奉公人の数、そして何より客層……それらを見て引きつった笑みを見せるスズに、寿子は快活な笑みを向けた。
「あんさんは大丈夫や。せいぜい二日もしたら慣れるわ」
 そう言って、暖簾をくぐって店に入っていく。
 店の奥では面を着けた番頭らしき男たちが帳簿に書き付けている。土間では、手代たちがあれこれ客の話を聞いている。番頭や手代の指図を受けて、小柄な丁稚たちが駆け回る。
 店の奥をちらりと覗き込むと、女中らしき女たちがあくせく走り回っているのが見える。
 その全員が、それぞれ違う模様の面を被っている。
「おかえりなさいませ、おいえさん!」
『おいえさん』とは船場言葉で主人の母を指す。先代が亡くなり、店を息子が継いだため、寿子は『おいえさん』と呼ばれるのだろう。
 軒先に出ていた手代がそう言うと、土間にいた丁稚たち、番頭たち、店奥にいた女中たちまでがわらわらと出てきて我先にと寿子に挨拶をした。
 そして次々に、スズへと視線を移すのだった。
「ああぁ! もしやこのお人が、旦さんの……!?」
「そうや。旦さんの言うてはったお人だす。間違いあらへん」
 何だかよくわからないが、宣言されてしまった。そしてよくわからないうちに、店の者たちがわっと沸き立つ。
「あんたらへのお披露目はまた後でな。まずは旦さんに話をせんと……旦さんはどこだす?」
 寿子がそう尋ねた途端、あれだけ騒いでいた奉公人たち全員が、パタリと静かになってしまった。寿子と芳郎は、察しが付いているようだ。
また(・・)でっか……」
「へえ。また(・・)でんねん……」
 スズ以外の、全員分のため息が聞こえた。
「まぁ、おらへんのやったらしゃあないわ。祝言の準備を進めまひょ。教えたげなあかんことも、ようけあるさかい、あんじょうお気張りやす」
「へえ……!」
 こうして、祝言の日取りと手配、そしてスズのご(りょん)さん教育は進んでいった。当の『旦さん』のいないところで、着々と。

 明治の世も四十路過ぎ。『欠席裁判』という言葉がこの頃にあったか否かは定かではないが、その場にいない者を差し置いて、あれこれ勝手に物事が進んでいくのは、世の常なのであった。