「よし。あとは少し待とうか」

 そう言って蒼空さんは二つ並んだ椅子に腰を下ろした(やけに綺麗だけどこれも彼が用意したんだろうか?)。

「座らない?」

 俺はその声で足を動かし(若干だが彼の方を向いた)椅子に座った。
 それからは来るかも分からない――それどころか俺にとっては存在するか分からない夢喰いを待つ時間が始まった。

「――僕、小さい頃から歌が好きだったんだよね」

 すると短い沈黙を挟み蒼空さんが突然、話を始めた。世間話というよりは身の上話だ。

「母親がよく音楽を聞いてたっていうのもあるんだろうね。聞くのも歌うのも大好きだったんだ。あっ、そうだ。僕が初めてライブしたのってどこだと思う?」
「え? ライブ? えーっと……」

 まだ始まった話にさえちゃんと集中できてなかったのも束の間、突然の質問に内心驚きつつも俺は脳内にある知識の本棚の前に立った。
 もちろん星丘一夜は知っていたし曲も聞いたことあるけど、細かいことまでは知らない。でも一応、彼に関連した(覚えている範囲の)情報を思い出してみるがやっぱり初めてのライブ場所どころか今までどこでライブをしたかも分からなかった。
 俺は少しの申し訳ない気持ちになったが知らないものは知らないと、首を横に振る。

「実は家。何歳かは覚えてないけど母親の前で初めて覚えた曲を歌ったんだ。そしたらすっごく喜んでくれて、僕はその時に将来は歌手になるって決めたんだよね。そして中学ぐらいからだったかな。ネットに歌をアップするようになったのは」

 その話を聞きながら俺は親近感のようなモノを感じていた。幼い頃から好きで中学から本格的に動き始める。まるで同じ道を歩いていた同士のような感覚。
 だけどそこから道は二分した。片やちゃんと夢を叶えた者、もう片や夢を夢のままで終わらせた者。

「それぐらいだったかな。真人と出会ったのは。あっ、真人っていうのは大地のことね。旭川大地。星丘一夜を知ってるなら名前ぐらいは知ってるでしょ?」

 旭川大地って確か星丘一夜と仲が良くて、彼より遅れてデビューした歌手だったっけ。正直、よく知らないけど何度か星丘一夜と一緒に曲をやってたから聞いたことはある。顔はあんまり覚えてない。
 そして彼ももう引退してる(星丘一夜の電撃引退から二年後に同じ様に突然引退を発表しそのまま姿を消した)。

「って本名は言っちゃまずかったかな。ごめん。今のは内緒ってことで」
「いいですけど」

 そんな事を言われなくても他人の情報を勝手に他所に流すような悪趣味は持ち合わせていない。

「ありがと。その真人とは同じ中学だったんけど、たまたま知り合ったんだよね。同じバンドが好きで。それから僕がネットに歌をアップしてるのを言って少ししてからあいつもやるようになったんだ。いやぁ、あの頃は二人でよくカラオケ行ったっけ。――懐かしぃ」

 穏やかな笑みを浮かべながら床へ視線を落とす蒼空さんは記憶のアルバムを捲っているだろう。少しの間、旧懐の表情を浮かべ想い出に耽っていた。

「真人とは趣味も合うし、切磋琢磨して歌をやってたっけ。どっちが上手く歌えてるのかとか、どっちの歌が伸びてるとかね。――やっぱり二十っていう人生で一つの区切りのような歳で星丘一夜が生まれたのは、あいつの存在があったからなんだろうなぁ。多分、真人がいなかったら僕はもっと早い段階で心が折れて止めてたかも。最悪、歌う事自体が嫌いになってたかもしれない」

 真人さんが蒼空さんにとってどれだけ重要な人かその話を聞けば――その表情を見ればよく分かった。この二人は固い絆で結ばれた親友同士なんだと。

「その……。引退したのはいくつの時だったんですか?」
「引退したのは二十四だね。四年間、僕は星丘一夜として舞台に立ってたんだ。今考えれば四年であそこまで行けたのは自分でも凄いと思うけど、それはそれまでの積み重ねがあったからなんだろうね。――でもあれも四年前なのかぁ。時の流れって言うのは歳を増すごとに早くなっていくもんだね」
「それじゃあ、なんで――」

 どうして引退したのか、それを訊こうとしたその時だった。ドアノブが緩徐に沈み始め、俺と蒼空さんの視線は同時にドアへと引き寄せられた。