次の日。てっきりこの日も夢の欠片集めをすると思ってたが蒼空さんからは特に何の連絡も無かった。だから俺は午前中から(と言ってももうすぐお昼になってしまう時間帯だったが)絵の続きを描こうとあの場所へ向かっていた。もちろん自分から訊くという選択肢もあったが、それは何だか違う気がしたから折角交換した連絡先に活躍の場は無く、ただ友達に混じってそこに並んでいるだけ。
 するとそれは、コンビニ袋を手にぶら下げながら木々の中を抜け小屋まで足を進めていた時の事。俺はこの開けた場所の大体中心辺りにポツリ人影が見え思わず足を止めた。しかも訝しげな視線を向けていたその人物は、立っている訳でも座っている訳でもなく寝転がっている。最初は不審に思ったが何となく見当が付き始めた頃には、既に足は続きを歩み出していた。
 そして真っすぐその人の所まで行き、確認の為に顔を覗くとそれに反応するように口が動く。

「待ってたよ」

 目は閉じたままだったが見えているようなタイミングで彼はそう一言。

「何してるんですか? 蒼空さん」

 俺の言葉の後に目覚めた蒼空さんは体を起こした。

「ここで待ってたら来ると思ってね」
「もしかしてずっと待ってたんですか?」
「ずっとって言っても一時間とかそれぐらいだけどね」

 蒼空さんは何てことないと言うような表情を浮かべてはいたが正直、何をしてるんだという気持ちだった。

「えーっと。別にそんな事しなくても普通に連絡すればよくないですか?」
「――その手もあるけど。まぁ折角だしこの静かな場所でゆっくりしたかったから……うん」

 多分この人は自分から連絡先を交換しておきながら忘れてたんだろう。そんなに使わないとは言ってたけど思った以上に使ってないのかもしれない。

「まぁ別にいいですけど。――それじゃあ行きます?」
「いや、君は絵の続きを描きに来たんでしょ。いいよ。区切りの良いところまで描いてから行こうか。別に急いでる訳じゃないんだしさ」

 確かに描きには来たが正直すぐ行っても良かった。だけど折角なら少しでも進めておこうと思い、俺は小屋へ向かい絵の準備をした。
 そして俺は描きかけの絵の前に座り筆を走らせ、蒼空さんは座ったり辺りを歩いて回ったり自然のクッションに寝そべったり。同じ空間に居ながら別々の時間を俺達は過ごしていた。

「この場所って確かおじいさんの土地って言ったよね?」

 すると横で寝そべって空を眺めていた蒼空さんがそう尋ねてきた。俺は筆を動かしながらその質問に答える。

「そうですね」
「じゃあ君が絵を描くのっておじいさんの影響?」
「意識的には違うと思うけどもしかしたら少しぐらいはあるのかもしれないですね」

 何気ない質問に答えながら俺は一抹の引っ掛かりを感じていた。別に気にすることでもないぐらいの引っ掛かりだったがそれはすぐに疑問へと姿を変えた。

「って何で祖父が絵を描くって知ってるんですか?」

 俺は手を止めて蒼空さんの方を向いた。
 祖父の事は話したことはないはずだけど。しかもそれは俺でさえ微かな記憶と母さんから聞いた話で知っている程度。なのに何故この人は当然のように知ってるんだろうか? もしかして……。

「だってここがおじいさんのならその小屋もおじいさんが建てたってことでしょ? だからそこにある画材とかも全部元々はおじいさんのなのかなって思っただけ。違った?」

 どうやらそれは勘繰り過ぎだったようだ。慣れてきたとはいえまだ謎に包まれた蒼空さんに対して少し敏感になってるのかもしれない。

「いや、そうです。細かい物は俺が補充したりあと手入れとかもしてるけど元々は祖父ので使わせてもらってるって感じですね」
「やった。正解」

 俺の返事を聞きながら起き上がった彼の言葉と共にパチンと気持ちの良い音が響いた。

「でも君がこれだけ絵を描けるってことはおじいさんも中々の腕前なんだろうね」

 蒼空さんは座ったまま絵を覗き込み、俺はそんな彼から自分の絵へと視線を移した。
 昔は自信もあったし周りも褒めてくれた。でもそんな自他共に認めるような環境に居たからより一層鼻が伸びたのかも。でも現実は人の知らないところで悠々自適に流れてる。だから人の感情や状況には見向きもせずただ事務的にやってくる。俺の得意気な顔を一瞬にして崩してしまうなんてお手の物って訳だ。というより目を覚まされたって言う方が正しいのかも。

「俺はそこまでですけど、祖父は――どうなんでしょうね。ちゃんと見た事ないから何とも言えないですけど、多分、良い絵を描くと思いますよ」

 それは記憶に残る『山茶花と待雪草』という題名の絵だけを思い出しての感想に過ぎないけど、多分、祖父は良い絵を描くんだと思う。何故かそこには根拠のない自信のようなものがあった。それか期待か。

「そうだね。人を惹きつける良い絵を描くんだろうね。でもさっきから知らないような口ぶりだけどもしかしておじいさんと話したこともあんまり無いの?」
「ないですね。一度も。物心つく前に一度だけ会ったことがあるんですけど全然覚えてないし。正直、顔もあんまりって感じですね」
「え? そうなの? 写真とかも無いの?」
「写真を撮られるのが好きじゃない人だったみたいで」
「へぇ。そうだったんだ。じゃあどんな人かも知らないんだ」
「そうですね。こんなこと言うのはあれですけど今はちゃんと生きてるのかどうかすら分からないって感じです」
「生きてるよ」
「え?」

 若干食い気味で即答した蒼空さんの声は何故か自信あり気だった。その出所の分からない自信に満ちた表情は頼もしさすら感じる。
 でも俺にはどうしてそんな自信に満ち溢れているのか、見当すら付かなかった。

「どっちか分からないなら良い方に思った方がいいでしょ。だから彼は今も元気にどこかで絵を描いてるよ」

 それは自信と言うよりも希望に満ちた言葉。分からないが故に存在する選択の自由に対して良い方を選択することで無駄な不安を取り除く。彼はきっとそうやって多くのモノを見ているんだろう。

「そうですね」
「いつか会えるといいね」
「何を話していいかは分からないけど、こうやって一緒に絵でも描いてみたいですね」
「きっと描けるよ」

 こんな話をしていたら何だかやる気が溢れ出し、俺はそれを混ぜるように筆を走らせた。もしこの世に人の感情に反応する絵具があったとしたら、きっと今から塗る色はこの絵にしかない唯一無二の色になったはず。
 でもそうじゃないことを少し残念に思いながらも俺は筆を動かし続けた。