「蒼空さん」

 約束の時間になり約束した(最初に会ったあの)場所へ姿を現した蒼空さん。

「まさか蓮君の方から連絡くれるなんて嬉しいよ。そうだ、ほら」

 蒼空さんはいつもの調子でそう言うとポケットから小瓶を取り出した。

「また少しだけ増えたよ」

 彼の言う通り小瓶の中身は少しだけ増えていた。だけど今の俺はそれを素直に喜べる状況じゃない。むしろ彼が人の魂を収めた小瓶を振る悪魔にさえ見きそうだ。

「思ったんですけど、それって取られた側に悪影響はないんですか?」
「ないよ。ほんの一部を貰ってるだけだしそれにその程度ならすぐに元通りになるからね」
「じゃあその鯨が夢結晶を噴き出すっていうのはどういう事なんですか?」
「どういう事って言われてもなぁ。僕も実際には見た事ないから。でも聞くところによるとそれは息を吞む程の絶景らしいよ」

 それはいつもの蒼空さんだと自分でも思うのに、何故だか上手く流されてるように感じた。
 やっぱり遠回しに訊くのは止めにしてもう直接訊いてしまおう。俺はそう思った。

「俺、ネットである話を見つけたんですよ。そこには蒼空さんが言ってた空の鯨の事が書かれてました」
「へぇ。それは面白そうだね」

 微かに頷きながら蒼空さんは興味の視線を向けている。だけど、最早それが本当か嘘なのかさえ俺には分からない。

「でもそこに書かれてたのは、人々に夢を尋ねてはその夢を奪う人がいて、その人がその夢を空を飛ぶ鯨に与える。そして鯨が満たされたら隕石が降り注いで世界が終わってしまう。そういう話でした」

 俺の話を聞いた蒼空さんは冗談事だと思ったんだろう。楽しそうに笑い出した。

「なにそれ。そこにその人を止める人が出て来ればそこそこの物語が出来上がりそうだね」

 だけど俺が真剣な眼差しで自分を見ていることに気が付くとその笑いは徐々に小さくなっていった。

「あれっ? もしかして信じてる? もしかして僕がその人々から夢を奪う人ってこと?」
「俺も最初は違うと思ったんですけど」
「でも僕が夢の欠片を集めたからって別に何の変化も無かったでしょ?」

 もし本当に奪っていたとしたらこの期に及んでこんなことを言うなんて往生際が悪すぎる。

「颯汰さんも零奈も桃真も瑠依に莉玖もそして夏希も。今じゃみんな口を揃えて自分には無理だって」

 すると蒼空さんの表情から段々と笑みが消えていった。もうバレていると悟ったのだろうか。

「それに夏希は今日、学校に居た時はまだそんなことなかったのに……。蒼空さんちょっと前に夏希と会ってましたよね? 俺たまたま見たんですよね。もしかしてその時に――」
「それは間違いないの?」

 俺の言葉を遮った蒼空さんはどういう訳かさっきまでとは打って変わり真剣な表情を浮かべていた。でも油断は出来ない。

「え?」
「確かに君の友人はみんな夢を失ってしまってるの?」
「まだ確認してない奴もいますけど。でもこんな急に――つい数日前まであんな風に夢だって言ってた六人が諦めますか? それに颯汰さんにもまた会ったんですよね? そうやって他のみんなにも後から会って奪ったんじゃないんですか?」

 だが蒼空さんは組んだ腕の片手を顎に添え何やら考え事をしている様子で俺の言葉は聞いてない。

「ホントは俺に適当な事言って手伝わせてるだけなんじゃないですか?」

 まだ何かを考えているようでこれも聞いてない。
 俺は何の弁解をする訳でもなければ話すら聞いていないその態度が段々と腹立たしく思えてきた。木々が風に揺れる音すら聞こえない沈黙の中、自分の内側で苛立ちが音を立てて煮えていくのを感じる。
 そして俺はそれを吐き出すように口を開いた。

「ごめん」

 だけど先に声を発したのは相手の方だった。
 そして喉まで出かかった俺の言葉を押し込むように一言そう言うと、彼はこっちの返事など聞かずそのまま背を向け走り出してしまった。

「ちょっ! 蒼空さん!」

 遠ざかる背中にそう叫んだが、その後姿は依然と同じ速度で離れていき最後には林の中へと消えていった。
 一人その場に取り残された後も、俺は彼の消えた方向へ視線を向けていたが、我に返るとそっと目を逸らした。

「何だよ。急に」

 もしかしたらもう無理だと思って逃げた? だけどもしそうなら最後に謝った意味が分からない。騙してたことに対しての謝罪なんだろうか? でもあんな爽やかな顔して人を騙すような人間がわざわざ謝るのはしっくりこない。

「いや、そんな事どうだっていいか」

 そんな事より俺はみんなの夢を取り戻したい。せめてもの罪滅ぼしとしてもどうにかまたみんなには煌びやかな顔で夢を語るようになってほしい。

「でも一体どうすれば……。やっぱり奪ったのがあの小瓶の中に入ってるってことはアレを戻せば元に戻るのか? でもどうやって?」

 湧き水のように溢れる疑問はどれ一つとして考えたところで解決できる気はしなかった。

「やっぱりどうにかあの人を見つけ出さないといけないかな? でも逃げたとしたら連絡は取らないだろうし、今から追ってももう分からないだろうし……。警察に行ったところでイタズラか最悪、頭がおかしいと思われるだろうし」

 暫くその場で思考を巡らせてみたが妙案どころか何一つ案という案は出なかった。
 そんな状態のまま俺は自分への失望感を吐き出すように大きな溜息を零しながらその場に寝転んだ。

「結局、奪うのに手を貸しただけで俺に出来る事はないって事かぁ」

 そう思うと自分の無力感に苛まれ、また溜息が口から出て行った。