ドアの閉まる音が漣のように消えていくと、夕暮れ時より寂しげな静けさが辺りへと広がってゆく。微かに口を開きながら颯汰さんは二人を分かつように閉まったそのドアを見つめていた。
 数秒後、颯汰さんは我に返り口を閉じると俺の方へ視線を向けた。その時浮かべた微笑みは哀愁漂い、本来の役割を果たせていなかった。

「変なとこ見せちゃったね。ごめん」
「いや、そんなことは……」

 颯汰さんは力無く歩き出すとそのままカウンターの向こう側へ行き倒れるように座った。

「桃真はさ。少し僕を買い被ってるんだよ。僕は桃真が思ってる程、強い人間じゃないし出来る人間じゃない」
「でも桃真はやっぱり颯汰さんに――」
「それは分かってるよ」

 最後まで聞くまでも無いんだろう。颯汰さんは俺の声を遮った。

「初めて賞に応募した時、初めて一次を通過した時、初めてサイトに投稿した漫画に反応があった時。桃真は自分のように喜んでたんだよね。そして僕が漫画家を目指すって言った時も、僕より張り切っててさ。――桃真は僕の夢を自分の夢のように思ってるんだよ。だからあんなに必死に止めようとしてくれだんだ」

 確かにいつも桃真はまるで自分の事のように颯汰さんの事を話していた。次の賞がどうなるかだとかやっと一次を通過しただとか。

「今じゃ自分の事もあるのに僕を気にしてくれて……。なのに……」

 颯汰さんは何度目か分からない大きな溜息をついた。

「あんなこと言っちゃったよ。それにこんな裏切るような真似して――。ほんと僕って嫌な奴だよね」

 ここに来れば颯汰さんはいつも希望に満ち楽しそうな表情で漫画を描きながら迎えてくれていた。だから彼は強い人間なんだと思ってた。自分の決めた事に対して諦めず、常に希望を胸に宿らせて転んでも立ち上がれる――歩き続けられる人。
 そう思ってた。
 でも人知れず、俺らの見えない所では想像出来ない程に苦しんで辛い思いと闘っていたのかもしれない。あの優しい笑顔の裏にあったのは、晴れ渡りそよ風の吹く穏やかさじゃなくて、色々な感情が鬩ぎ合う嵐のようなものだったのかも。
 夢と現実の間で積み重なった苦悩が、もしかしたら限界に達してしまったのかもしれない。もしそうだったら桃真の気持ちも分からない訳じゃないけど……そう簡単にまだやれるなんて言えないし、これからも頑張って何て言えるはずない。もっと言えばその応援として投げた言葉すら彼には重荷だったのかも。

「でも桃真も少し熱くなり過ぎてたって言うのもあると思うんで、誰も悪くないですよ」
「確かに桃真は何も悪くないけど、僕はどうだろうね。僕がもっと強ければ。こんなとこで心折れなければ……」

 もしかしたらこれは自然の流れで起こった出来事なのかもしれない。
 だけどもし――俺がここに来て颯汰さんから夢の話を聞いたからこうなったのだとしたら。あの小瓶に颯汰さんの夢の欠片が納まったからこうなったのだとしたら……。
 全部俺の所為だ。友達もその親しい人も巻き込んでこんな不幸に落としてしまって――何もかも俺が悪い。

「――すみません」
「蓮君が謝ることは何もないよ」

 思わず謝ってしまった俺に対して、颯汰さんは首を振りながらそう言った。

「――そうだ。一つお願いしてもいいかな?」
「何ですか?」

 俺の所為である可能性がある以上――いや、そうじゃなくても出来る事なら何でも協力したい。
 今の俺はそんな気持ちで一杯だった。

「もしこの先、桃真が挫けそうになったら支えて上げて欲しいんだ。僕にはもう夢についてどうこう言う資格はないから」

 それは俺だって無い。反射的にそう思ってしまった。むしろ俺よりここまで頑張った颯汰さんの方が、資格は十分ある。
 でも断る訳にはいかなかった。

「分かりました」
「ありがと。じゃあ今日はもうここは閉じるから。ごめんね」
「いえ」

 罪滅ぼしとかじゃなく何かもっと力になりたかったけど――結局、俺には何も出来なかった。ただ出来る事と言えば今の颯汰さんの為にこの場を去ることぐらい。
 だから俺は桃真の後を追うようにレグルスを後にした。