鯨臥蒼空という人に出会い、空を泳ぐ鯨の餌を集めるという不思議な日を送ったというのにいつもと変わらないその日の夜。
 俺はまだ乾いてない髪に首からタオルを提げたまま部屋へ入ると机の上に置いてあったスマホを手に取った。そのままベッドに向かおうとしたが机に置いてあった小さな瓶に目が止まりそれへ手を伸ばす。
 その中には青い海と中心に建つ灯台が一つ。小瓶アートとでも言うのか、綺麗なこの飾り物は祖父から送られてきた物だ。ある日(別に誕生日とか何か特別な日でもない日だった。確か俺はその時十三歳だったはず)突然、俺へとだけ書かれた紙と一緒にこれが送られてきた。よく分からなかったけど淡く灯った灯台の光と海が綺麗で気に入ってる。
 俺はその瓶を机に戻すとスマホを手にベッドへと腰を下ろした。考えずとも刷り込まれたように自然と動く指がSNSを開きスクロールを始める。
 どんどん流れていくタイムラインを目では見ながら頭では今日の事を思い出していた。

「空を泳ぐ鯨か……」

 もし本当に空を鯨が泳いでいたら(一定の場所か広範囲に関わらず)目撃者は沢山とはいかなくてもそれなりにいそうだけど。なにせあの巨体だし(俺の知ってるシロナガスクジラぐらいの大きさならだけど)。

「もしかしたらネットに何かあるかな?」

 そう思うと早々にSNSを閉じて検索エンジンを開き、手当たり次第に色々調べてみた。正直、すぐに見つかると思っていたけど意外にも中々そういう記事の類は見つからない。よく分からない都市伝説とか宇宙人の目撃情報とかなら沢山あったけど。
 けれどそれからも調べているとある掲示板が見つかった。
『人気上昇中で突如引退したあの歌手の真相』
『宇宙窓の付いたたまごを孵させてみた結果……』
 そんなタイトルが並んだその下にこんなスレが――。

「『人から夢を奪って空を飛ぶ鯨に喰わせる話知ってる?』これって……」

 もしかして。胸がざわつくのを感じながらも俺はそのスレを開き上から順に読んでいく。
 でもその殆どが疑うか馬鹿にするコメント。
 だけど話の内容を書いたスレ主のコメントは興味深いものだった。

『それの外見はどこにでもいる普通の人なんだけど色々な人に夢を聞いて方法は分からないけどその夢を奪って回ってるらしい。奪われた人はその瞬間突然、夢に自信がなくなったり魅力を感じなくなったりして夢が夢じゃなくなる。それで奪ったそいつはそれを何らかの条件で呼び出した空を飛ぶ鯨に喰わせてしまうとか。そしてその鯨が満たされた時、この星に無数の隕石が降り注ぎ世界は終わる』

 それは俺が知っているのとは違う内容だった。でも単なる都市伝説と片付けてしまうにはあまりにも俺の知ってる要素がそこには書かれていた。もしこの書き込みが本当なら人の夢を奪うその人は蒼空さんということになる。自然と頭には蒼空さんの姿が思い浮かぶがとてもそんな悪い人間には見えなかった。
 でも巧妙な詐欺師ほど人が良さそうに見えるのかもしれない。そう思うとどこか蒼空さんの笑みにも影が差す。

「もしこっちが本当なら蒼空さんは……」

 蒼空さんの事を知らないが故の不安が彼に対する疑念を生み、胸に暗雲を垂れ込ませた。仕草や言動、行動に至るまで思い返せば思い返す程に彼は――。

「――いや、ないかな」

 だけどやっぱり蒼空さんを思い出せば出す程、暗雲は風に流され蒼穹が顔を見せ始める。あの蒼空さんが俺を騙して世界を終末に向かわせてるなんて――そんなのはまるで出来の悪い小説だ。
 でもお前は彼のことを全く知らないじゃないか。そんな声が飛んできそうだけど、多分あの人とちょっと一緒に居て会話をすればこの気持ちがわかると思う。それほどまでに彼は悪い人間に見えない。というより感じない。
 それに今まで一緒に夢の欠片を集めたけどみんな夢は失わずに――むしろやる気の炎を更に燃やしていたし。

「なんでここまで被ってるのかは分からないけど――ってあれ? もしかして蒼空さんの話がこの都市伝説みたいな話から作られたって可能性も……」

 どちらかと言えばその方が全てに納得がいく。あの小瓶はどうやってるか分からないけどどうにでもできそだし。
 だけどもしそうなら何の為にこんなことをしているんだろうか? 蒼空さんの目的は何だろうか。
 空の鯨に人々の夢の欠片と空を流れる夢結晶。
 でも蒼空さんが嘘を言ってるようにも思えない。

「もしかしてこの話を元に話を作ったんじゃなくてこの話を信じてる? でもそうだとしたら蒼空さんはみんなの夢を奪おうとしてる? いや、そんな風には見えないし」

 俺はもう一度、あの話を読み返してみた。

『そしてその鯨が満たされた時、この星に無数の隕石が降り注ぎ世界は終わる』

 もし人々の夢を奪う事が目的じゃなければこの部分を叶えたくてこんなことしてる? 蒼空さんが望む世界の終焉。
 するとたったさっきそれは無いと言っていた事がブーメランのように別方向から戻ってきた。

「いや、この世界を滅ぼそうとしてるなんて魔王じゃあるまいし」

 思わず自分で自分にツッコミでも入れるように独り言を口にしてしまった。
 でもそもそもこの話を信じてたとしたらやっぱり蒼空さんが言っていた空を泳ぐ鯨は存在しないと思うし、そうなら世界滅亡も無理か。
 若干の安堵がじわりと広がる中、次に訪れた疑問はその理由。どうして蒼空さんが世界なんて滅亡させようとしているのか、だ。でもそれは到底考えたところで分かるはずもない予想の範疇を超えられないこと。考えたところで無意味な事だ。

「でもこれじゃ蒼空さんは妄想に憑りつかれた人か」

 蒼空さんに申し訳なさを感じつつも、もしそうなら彼が嘘を言っていないように感じることにも納得がいく。

「いや、もう止めとこう」

 すると何だか友達の悪口をその場の流れで口にしてしまったようなそんな罪悪感を感じ俺はもうこれ以上考えるのを止めた。