「でも漫画を描くこと自体もすごく楽しいけど、やっぱりそれを読んでくれる人がいてその人が喜んでくれた方がもっと楽しいよね。だから気持ち的にはキャラを真似して描いてた時と同じなのかも。人のキャラが自分の漫画に変わって、桃真から大きく広がって。結果的には自分の為だけど、でも僕は読んでくれる人の為に描いてるつもり。これまでもそしてこれからもね。――って言ってもまだこれじゃ食えないペーペーのペーなんだけど」

 颯汰さんは少し恥ずかしそうに笑ってたけど、俺にとってこんなに続けられる彼は心の底から尊敬出来る人だ。
 でも同時にめげずに描き続けられる颯汰さんがどこか羨ましくも感じた。特別絵の才能がある訳でもなければ続ける事さえも出来ない俺は、夢を叶えられる云々の話以前に追う事も出来ない、夢の才能が無いんだろうとも。

「颯汰さんって止めたくなった事とかあるんですか?」
「あるよ。何度もね」

 心悲しそうに、でも穏やかに微笑むその表情の裏にはどんな苦痛が潜んでいるんだろうか。少なくとも俺には分からない。

「その時はどうやって乗り切ったんですか?」
「んー、そうだな。――桃真に助けてもらったこともあるし時間が解決してくれたこともあるし。あとは……」

 続きが出て来る前に言葉を途切れさせた彼はゆっくり目を瞑った。

「こうやって音楽でも聞きながら妄想するとか」
「妄想?」
「そう。自分が実際に漫画家になって描いた漫画が沢山の人に読まれて人気になる妄想。インタビューされてデビュー前を語ったり作品の細かなネタみたいなことを話したり。他にはアニメ化とか映画化されて今自分が好きなミュージシャンが主題歌を務めることになって対談したりとかもいいね。あの漫画家さんに会う機会もあるかもしれない」

 そして幸せそうに口元を緩めながら颯汰さんは目を開けた。

「そうするとやる気が出てくるんだよね。それになんか最初に戻ったような気持ちにもなれる。純粋で根拠も無く自信に満ち溢れてて成功だけしか見えてない、漫画家になりたいって思い始めた頃みたいな気持ちで頑張ろうって思えるんだ。そうやって騙し騙しでまだペンを握ってるって訳」

 騙し騙しとは言っていたが俺にとってそれは紛れもない強い意志だった。夢に対する覚悟と決意、それに強靭な心。
 そしてそれは俺が手に入れられなかったモノ。いや、手に入れる前に終わってしまっただけかも。

「本当に凄いと思います。そうやって夢を追えるのって」
「ありがとう。でもここまで来たら意地もあるんだろうね」

『ホームラン!』

 すると、センター中に軽快な音楽と共にそんな声が響き渡った。
 突然の大きな音に吃驚としながらも俺は唯一打席に立つ蒼空さんの方を振り向いた。ガラスの向こう側では、スイングをし終えた状態のまま固まっていた蒼空さんがスロー再生されているかのように動き始める。
 そして一驚に喫する彼は表情を停止させたままそっとホームランボードを指差した。

「おぉー! 凄い。ホームラン打ったみたいだね」

 颯汰さんの声を聞きながら俺は蒼空さんの恐らく「見た?」と言ってる口パク(声は出してるだろうけど聞こえなかったからそうにしか見えなかった)に対して小さく首を振って返した。
 そして段々と遅刻してきた喜色の浮かび始めた表情の蒼空さんは少し早足でカウンターへと戻ってきた。

「ちょっ……凄くない? 僕初めてホームラン打ったんだけど!」

 あまりにも興奮した様子だったから俺は昔一度だけ打ったことがあるという事は言わないでおくことにした。

「おめでとうございます。景品は飲み物か一回無料券のどちらか選べますがどうしますか?」
「えーっと。それじゃあ飲み物にしようかな。丁度、喉渇いてきたところだから」
「ではあちらの自販機から好きなのをどうぞ」

 レジからお金を取った颯汰さんが立ち上がる間に俺は蒼空さんにコートを返した。

「蓮君も何か飲む? 僕が奢ってあげるよ?」
「ありがとうござます。でも大丈夫です」

 俺は颯汰さんの気遣いを気持ちだけありがたく貰い、蒼空さんはお茶を景品として受け取った。こんなにも嬉々としながらお茶を手にする人を後にも先にも見ることがあるのだろうか。それぐらい彼は浮かれていた。
 そして蒼空さんがバッティングを終えたところで俺らは本来の目的の為に次へ。

「それじゃあ、またいつでもおいで」
「はい」

 一言だけ言葉を交わし外に出ようとしたがその直前で俺は振り返った。

「颯汰さん」
「ん?」
「頑張ってください。応援してますんで」
「ありがと」
「あと、デビューしたら桃真の次にサイン下さいね」
「なら余計頑張らないと」

 最後は笑みを交わすと俺はバッティングセンターを後にした。