それは夏希だった。さっきまでとは違い私服姿の彼女と目が合うと静かに胸を撫で下ろし、少し早足になった心臓は徐々に落ち着きを取り戻していく。

「あれ? お前バイトは?」
「今日は終わり。元々休みだったんだけど店長が居ない間だけ入ってたの」
「あぁ。なるほどね」

 俺の納得した言葉を聞きながら夏希は正面の蒼空さんへ顔を向けた。
 彼は丁度、最後のひと口を食べたところ。

「どうでした? そのケーキ」
「うん。とても美味しかったよ」

 蒼空さんは言葉通り満足に満ちた表情をしていた。

「良かったです」

 自分でオススメしたからというのもあるんだろう、彼女は喜色を浮かべた。
 そしてその余韻を残したままの顔が再び俺を見る。

「アンタも食べたらよかったのに」
「今はそういう気分じゃなかったし、また今度でいいかな」
「おっ! さてはそれを理由にまたバイト中のアタシに会いたいだけだな」

 すると夏希の表情は、人を揶揄う時の瑠依と同色のニヤニヤとした表情へと早変わりした。

「はい。そーです」

 その表情に面倒臭さを感じた俺は肘で突かれながら感情の籠ってない声で適当に流した。

「素直じゃないなぁ。まっ、別にいいけどね」

 言葉の後に肘攻撃は止み、まだ若干口元を緩めながらも夏希は俺から視線を逸らした。
 だけどその視線はすぐに戻ってきた。文字通り表情を変えて。

「あっ、そう言えば昨日もしかしてさ、絵ー描きに行ってた? あの場所にさ」
「まぁそうだけど? それがどうした?」
「いや別に。昨日カラオケでそうなのかなぁって思ったから訊いただけ。でもあの場所良いよね。静かだし。――そーだ。みんなであの場所行ってキャンプとかしたら楽しそうじゃない? それともそういうのはダメ?」
「さぁ? わかんないけど」
「ちょっと訊いてみてよ」
「おっけ」
「君達ってさ――」

 夏希との会話がひと段落ついたぐらいで蒼空さんが静かにそう言うと俺達はほぼ同時に彼の方へ顔を向けた。そこには頬杖を突きニコやかな表情でこっちを見る蒼空さん。

「付き合ってるの?」

 その穏やかな表情から飛び出してきた言葉に俺は思わず声を零した。

「は?」

 そして隣で夏希は笑っていた。

「随分と仲が良さそうだったからそうなのかなぁって思って」
「いや、それはただ小中高が一緒とか家が近いとかそういう理由ですよ」
「そうなんだ。じゃあ夏希ちゃんには別に彼氏がいるわけだ」
「それが残念ながらいないんですよねー」
「そうなの? でもそんなに可愛かったらモテるんじゃない?」
「え? そうですか? でもまぁ、それなりには」

 若干の面映ゆさを漏らしながらも自慢気な表情を浮かべた夏希。

「嘘つくなよ」

 だがこれにはたまらずツッコミを入れてしまった。俺の知る限りではコイツに彼氏がいたことも、ましてや告白されたこともないはずだが。
 するとその直後、二の腕へガッチリと握られた拳が飛んできた。しかも中々に痛い。

「アンタの知らないとこでモテてんの」

 殴った後に向いた顔には褒められた笑顔だけが残り声は不機嫌そう。

「それは――すみませんでした」
「よろしい」

 俺の謝罪に夏希は納得したという表情を浮かべた。
 一方で向かいでは相変わらず蒼空さんがニコやかにこっちを見ていた。その表情に、元はと言えば蒼空さんがあんなことを言わなければ……、そんな自分の事は棚に上げた言葉が頭を過った。

「どちらにせよ君達の仲が良いことに変わりはないみたいだね」
「まぁそうですね」

 何も言わなかった俺の分も代表するように夏希はそう答えたが、別にそれを否定するつもりもない。そんな事を考えつつ腕を押さえたまま横目で視線をやってみると彼女は自然な笑みを浮かべていた。

「でも一度しかない高校生活なんてあっという間なんだから仲の良い友達作ってちゃんと楽しまないと損だからね。高校卒業して、する人は進学してあっという間に大人になっちゃうわけだし」

 俺はなんかおじさん臭いことを言うなと思ってしまったが、これは心の中だけで留めて置き口には出さなかった。そもそも失礼だし、蒼空さんは機嫌を損ねそうな気がしたから。

「そうですよね。でもやっぱり大人も憧れちゃいますねぇ」
「まぁ悪くはないけどね実際。でも大人なんて何十年も続くけどそれに比べて高校生なんてたった三年だからね」
「そう考えるとやっぱり短いですよね。そんな風にはまだ感じないですけど」
「まぁそんな君達も気が付けば大人になっちゃうわけだけどさ。夏希ちゃんは――何か夢とかあるの?」
「夢ですか……」

 蒼空さんの質問に夏希は「んー」と少し考え始めた。